第二章 第六話 静かなる決意
夢斗の姿が消えたのを確認すると、イブは早速片づけを始めた。
二つのビルの屋上は死屍累々の惨状であり、ほのかに臭気が漂い始めていた。
「……」
イブは目を瞑り、無数の死屍に掌を向ける。
「ケヅタ……カノイタシ……ネドケ……イナヤジイロ……ヒログマ」
イブがそう唱えた直後、死体は溶けるように消えていった。辺りに飛び散った血も、同じようにして消えた。
「痛っ。深いわ……」
イブは肩の痛みに顔をしかめ、傷口に手をあてがう。『大丈夫』とは言ったものの、それはイブの強がりで、実際は、かなり深い所まで傷が達していた。着物は溢れ出る血を吸い続け、今や傷の周辺は赤々と染まっている。
「手当をしないと……」
イブはそう言うも、手当てするための設備も道具もない。
「まずいわ……。出血が……」
着物は血で染まり続ける。
「くっ」
イブは傷口を強く押さえつけ、その場にへたり込む。
「はぁ……。くっ……」
イブは体を引きずるようにして、近くの給水パイプまで移動し、背を預ける。その直後、視界が揺らぎ遠のき、彼女は気を失った。
夢斗は近くの手洗い場で体の血を落とした。服に付いた返り血はどうあがいても落ちず、所々染みを残して洗い場を後にした。
「ふいー、寒い、寒い」
きつく絞っただけの衣服を着た夢斗は、両腕で胴を包むようにして小刻みに震えながら帰ってきた。
「お、大分片づいたなぁ」
夢斗はきれいさっぱり片づいた屋上の光景を見て、目を丸くする。
「あっ! イブ!」
夢斗は屋上のパイプにもたれているイブを発見し、駆け足で彼女に近付く。
「イブ! 大丈夫!?」
夢斗はイブの上半身を抱き上げ、軽くゆする。しかし、イブは目を覚まさない。
「うっ! 出血がひどい……」
夢斗はイブの容態を見て、それが尋常でない事に気付く。
「確か、休憩室に救急箱が……」
夢斗はそう言うと、イブをそっと横に寝かせ、バイト先へと向かい走り出した。
数分後、夢斗は救急箱を抱えて、イブの待つ屋上に帰ってきた。消毒に使えると踏んで、度の強い老酒も持っていた。
救急箱と老酒を置き、イブの真正面にしゃがむ。
「イブ。大丈夫?」
イブにそう呼びかけ、軽くゆする。すると、程なくして、イブが目を覚ます。
「夢斗……。痛っ!」
イブは目を覚ますなり、肩の傷口を押さえて、顔をしかませ縮こまる。イブの表情からして相当な傷であることは、素人の夢斗にも見て取れた。
「イブ、救急箱を持ってきた。あと、消毒用の酒も。よかったら使って」
夢斗はそれぞれを手に取り、イブに向けて掲げてみせる。
「ありがとう……。じゃあ、お酒を貸して」
イブがそう言うと、夢斗は黙って老酒を差し出す。
イブは老酒を受け取ると、おもむろに着物をはだけ、肩を露わにした。
「……!! イブ、それ……」
イブの片口には三本の線が入っていた。その線のそれぞれが熟れたザクロの様にぱっくりと割れており、そこからは止めどなく血が溢れる。
夢斗がイブの傷に驚くもつかの間、イブは自分の肩に老酒を盛大に浴びせる。
「うぐう……!」
イブは苦悶の表情を浮かべ、必死に痛みを堪える。イブの着物には老酒と血の混ざった物が染みつき、大きな染みを作る。
「イブ……」
傷つきながらも、なお弱さを見せまいとするイブを見て、夢斗は己の弱さを痛感していた。
(オレは……、一人も守れないのか……。常に守られて……)
夢斗は俯き奥歯を強く噛みしめる。
瓶の中身が尽き、イブは次の作業にかかる。救急箱からガーゼと包帯を取り出すと、ガーゼを傷口にあてがい、包帯で固定し始める。
「夢斗」
「……」
夢斗は俯いたままだ。
「夢斗!」
「あいっ!」
夢斗は弾かれたかのように返事をする。
「ガーゼを押さえてて」
イブにそう言われ、夢斗は黙って従う。
てきぱきと処置を行うイブ。それに反し、全てにおいて出遅れがちな夢斗。
(イブの怪我は……、オレのせいだ……)
そのとき、イブが口を開いた。
「終わったわ。もう平気よ」
夢斗はイブの肩から手を離す。
「夢斗。どうしたの?」
俯いたままの夢斗を気遣い、イブが声をかける。
夢斗はこのとき決意した。
さっと頭を上げると、真っ直ぐにイブを見詰めた。そして、こう言った。
「イブ。オレを強くしてくれ」
夢斗はイブの紅い瞳を真っ直ぐに見詰め、イブも夢斗の瞳を見詰める。
夢斗の決意を肌で感じたイブは、静かにこう告げた。
「剣をとりなさい」
第二章完結しました。これもひとえに皆様のお陰です。これからも、より一層のご愛読の方ヨロシクお願いします<m(__)m>