第二章 第五話 非力さの代償
前話の初陣という漢字は『ういじん』と読みます。
読めなかった方、済みませんでしたm(__)m
夢斗の視線の先には、昨日の生き物が目を光らせていた。その光は首の揺れに従い、サーチライトのように動く。
「さあ、来い……」
夢斗は静かに呟く。全身の神経を強張らせ、すぐに飛び出せるようにする。
生き物は首の揺れを止めた。
「来る」
夢斗は直感した。
直後、生き物は曲げていた膝を伸ばし、夜空へ跳躍する。空中で腕を広げ、鋭い爪が白く光る。
夢斗は剣を構え、生き物を目で追う。
数秒間の滞空時間が、夢斗にはとてつもなく長く感じられた。
生き物はコンクリートを踏み抜かんばかりの勢いで着地し、床の砂埃を巻き上げながら夢斗に向かって突進してきた。
「くっ!」
夢斗は辛うじて突進を避けると、敵の動きが一瞬停止したのを見計らって斬りかかる。
鋭い一閃。しかし、切っ先の描いた半円の気道を、敵は何喰わぬ顔でかわす。
「速っ」
夢斗の体の側面に移動した敵は、空振りして隙だらけの夢斗に爪を掲げる。
(やられる……)
夢斗がそう悟った瞬間、頬を撫でる一陣の風。イブだった。
イブは敵の爪を血刀で防ぎ、夢斗と背中合わせになって言う。
「アナタには……、無理よ……」
イブの声は疲れ切っていて、まるで覇気がない。
「アナタの出番は終わりよ……。後は任せて……」
イブはそう言って、刀を一閃させた。だが、敵はそれをかわし、殺気立った目で睨む。
「キシャァァァァ!!」
敵は両腕を大きく開き、鋭い爪牙を剥き出しにする。
イブはそれにひるむことなく、敵に斬りかかる。しかし、それもかわされる。
「シャァァァ!!」
敵の爪がイブを襲う。着物の布と鮮血が闇夜に舞う。
「イブッ!!」
夢斗の体が弾かれたように動き出す。
「うおおおおお!!」
夢斗は剣を闇雲に振り回し、無我夢中で敵に突っ込む。
「りゃあああああ!!」
夢斗の視界には、得体の知れない生き物しか映っていなかった。
視界が敵でいっぱいになった時に、夢斗は剣を振るった。
力任せに一閃。直後に軽い手応えが伝わる。
(かすったか!?)
彼の疑問の答えは否だった。それを裏付ける形で、夢斗は腕になま暖かい物が掛かるのを感じる。
(何?)
夢斗は自分の腕を見た。すると、自分の腕には敵の鮮血で赤く染まっていた。それを裏付けるように、足下には敵の右腕が転がっていた。
「うわあ!」
我に返り、数歩後ずさる。顔を上げると、生き物が苦悶の表情を浮かべ奇声を発していた。
夢斗は敵に追撃を加えようと、剣の柄を握り直した。
「はああああ!!」
渾身の力を込めた一撃。
再び手応えの感覚だったが、今度の一撃は敵の腹部を大きく切り裂いていた。切り口からは大量の血が噴き出す。
「うう……」
臭いは殆ど無かったが、あまりの勢いに夢斗は怖じ気づいた。耳には敵の奇声が木霊する。
(まだ生きてる……)
夢斗は止めを刺そうと、こめられるだけ精一杯の眼力で敵を睨みつける。
「食らえ!!」
夢斗は剣を敵の腹部に突き立てる。しかし、敵はまだ死なずにいる。
「うらあああ!」
夢斗は無我夢中で剣をのこぎりの様に抜き差しする。そのたびに血が溢れ出し、夢斗の体を赤く染める。
水を吸ったスポンジを押すかのように血が吹き出る。血生臭さが段々と色合いを増し、出し入れに合わせるかの様に敵がうめく。視覚以外全ての感覚神経が一時的に停止していた夢斗は、そんな周囲の移り変わりをゆっくりと吟味しているゆとりなど無かったが。
何度切り刻んで空だろうか、夢斗は剣を引き抜いた。敵はその場で空を仰ぐかのように立ち、動きがない。
「やったか……?」
夢斗は敵の様子を伺いつつ、数歩後退する。
しかし、現実は夢斗の理想とは違った。敵がいきなり夢斗を睨み、腕を振り上げる。
「くそっ」
夢斗は剣を構える。しかし、敵の方が早かった。
(ヤバイ……)
夢斗が己の運命を悟ったとき、イブが動いた。
イブが敵の太腿に刀を突き刺す。丸太の様な大腿部に刀が貫通し、そのままぎりぎりと神経を断絶させてゆく。相当な苦痛を与えていることは、敵の感極まる奇声の所為で明らかだった。
「イブ!」
「早く止めを!」
敵は一気に姿勢を崩し、爪は夢斗の目の前で止まっていた。
夢斗ははっと我に返り、剣を握りしめ敵の左胸を狙い澄ます。
「はああああぁぁぁぁ!」
夢斗の雄叫びの直後、敵の左胸を剣が貫いた。
剣を刺した傷口からは血が漏れ、断末魔の叫びが辺りに響く。
夢斗は剣を更に深く刺す。
剣が敵を貫いてから数秒が経過した辺りで、敵の動きがぴたりと止まり、体中の神経を抜き去られたように力無く倒れた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
夢斗は敵から剣を引き抜き、息を荒げて立ち尽くす。
「夢斗」
夢斗の耳にイブの声が響く。夢斗は声の方を振り向く。
「怪我は無い?」
そう言うイブの右肩口の着物は裂け、血が滲んでいた。
「俺は無いけど、イブが……」
夢斗がそう言うと、イブは一回傷口に触れて、自分の手に付いた血の量で傷の度合いを確認した。
「問題ないわ。それよりも、コレの片づけが先ね」
イブはそう言って辺りを見回す。
二人の周囲には、先程倒した敵の死体が散乱していた。
「あと少ししたら臭い始めるわ。早く血を洗い落とさないと」
夢斗はその一言にがやたらと気になり、試しに腕の血を嗅いでみた。腕を鼻に近づけた瞬間に、強烈な臭気が鼻腔で暴れ出す。
「ごはっ! ごはっ!」
夢斗は咳き込む。
「ここはワタシがやるから、アナタは血を洗い落としなさい」
イブはそう言って刀をしまい、先程の巨大な敵の側まで歩み寄る。
夢斗は『これ以上臭ったらたまらん』と感じ、水道を探して駆け出した。
二章もそろそろ終わりです。
まあ、それがいつになるかの話ですが………。