0st
***要塞都市アキラム
「くっ―――」
一人の脱走兵が荒い息を殺し、身を隠す。その一瞬後のことだ。武装した兵士が2人、双方向から来て辺りを警戒する。幾重にも重なった足音は夜の空間に冷たく硬質に響いている。
「いたかっ!」
「いいや、次は―――」
奴らは無線で連絡を取り合い、徐々に網を狭めていく。ブザーは鳴り続ける。
多数の人員が投入され、危険度Aランクで警戒配備・索敵している状況。標的が見つからないのは彼が玄人であるからだ。
要塞都市アキラムの最高機密にあたる研究施設からの脱走。領内の軍基地で幹部に値する彼の実力。―――相応して彼の日常は危険極まりないものであった。
命がけの毎日とこの場からの脱走……どちらの生存率が高いのか。
彼が一般兵であるならば悩むことすらしない。どちらを選んだところで、天秤にかけた時点で両方に死が確定する。だが彼の実力は日々を生き抜かせる。命がけの毎日を際限なく続けるかこの場所からの脱走をするか。彼にとっては後者の方が格段、決断に相当するものがあった。
兵士は通信を終えると去って行った。自分がここに居ることを知ったらどんな反応をするのだろう、と考え苦笑した。気を緩める間もなくその場を離れる。また隠れる。その繰り返し。
目的地は近い。彼がいるはずの、約束の場所。
「急がなくちゃな」
誰にも聞えないように、けれど明確な強さを持ってそれは呟かれた。
世界は変わった。
人類の科学技術は発展し、皆が疑問を持つこともなく便利すぎるほどの生活を楽しむ。人類は快適な生活に思考することを止め、怠惰に走った。
一方、一部の政治家などは加速する温暖化への対策は明確な解決案もなく、未完成の企画書や打ち切られる開発ばかり。未来より、よりよい現在を選択したことによる罪だと覚悟をし、真綿で絞められるようにゆっくりと向かい来る恐怖を味わっていた。
秘かに、そして緩やかに、終焉へと一途を辿っていた世界に残された手段はただ一つ。
―――人工的熱遮断気体層計画。
机上の空論と過去、幾度も批判され時の流れに忘れ去られた計画。熱遮断の性質を持つ気体を人工的につくり、人体に影響を及ぼさないよう人から離れた地域でそれを常時製造し続けるというもの。全てが機械によるものであり、監視カメラをつけて遠隔的に操作をする。
現在の技術ならば夢とはいわない。しかし失敗のリスクが大きい。万一、成功しても持続性もない、応急処置にしか過ぎない。成功確立なんてそれこそ低い。
それでも、迷っている暇も案もなかった。巨大な尖閣塔が常冬の山脈地帯に建築された。
人々は最善の対策・失敗時の対応を用意して計画を実行した。唯一成功を祈って。
かくして世界は二分の一、50%にも満たない成功を願い、―――成功を遂げた。
だがそれは短い平穏だった。
人類は予想以上に早い終結に解決案なく再び暗黒の時代へと、更に絶望を味わう世界へと陥れられた。―――それはAES塔と呼ばれたそれの小さな事故による、突然の暴走という形で。
だから人々は一つの答えを出す。――“英雄”“聖女”という名の『贄』を差し出すこと。
彼女がどんな風に生きたか、それを知るのは僅かだった。それが危機に向かう“第二”の救世主を生み出した。彼女の血縁者である一人の青年、彼もまた『犠牲』へと選ばれてしまった。
「行くのかい?」
尋ねる彼に答える。
「そう……、手配はしてある」
暗い表情。彼の立場もあるから俺が居なくなることは負担だ。
迷惑をかけたくなかった。それでも、これだけは譲りたくない。
「ありがとう。世話になったよ」
「いや、――私にはこれぐらいしかできないからね」
彼は幼い頃から俺を知っている。頻繁に会うことはなかったが、ここに来る前から随分よくしてもらった。両親のいない俺にも『父』のように思えた。
――大丈夫だよ。ちゃんと、戻ってくる。約束は守る。
そう言っても彼の悲しげな表情は変わることは無かった。
「許して欲しい、秋登。私が……」
「気にするなよ、あんたは悪くない」
そう言っても彼の罪悪感は募るだけだった。
「……なら、約束がもらいたい。最後に自由が、思い出が欲しい。俺は――――――――」
後悔や罪悪を感じて欲しいわけじゃない。ただ、ワガママを聞いて欲しいだけなのだ。
少しの間だけでも、外の世界を見たい、それだけ。
俺は今日、ここを出る。そして、また戻ってくる。
暗い闇の中、落ちていくために……もう一度、近寄れないほどの眩しい光を浴びに行くんだ。
今の俺は……先の見えない闇で途方に暮れてしまっているのだから。灯篭を探してからでないと歩けない。思い出が、全てを象る礎となる。




