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sky ash  作者: ロースト
1章
19/90

1st-pre6


月の無い夜だった。

仲秋と呼ばれるはずの季節。変わりやすい天候は日中の晴れやかさとは一転、雨模様へと渡りそうだ。“都市”内部にいる限りでは天候は温度の高低しか変わりなく、雨など透明な障壁にぶつかって内側に進入することはない。“雨”は人工的に、予定的に起きることが当然なのだ。

「すまない」

「ああ、分かっているよ。ここにいる条件だし」

ここの理事長である佐太さた 治司なおじが茜を連れ出した張本人だった。

茜が軍幹部である治司の下に未だ留まるのは逃走の身である以上危険なことだ。それを承知の上で治司は自らの領域に彼を囲っている。だが縁のある治司に軍は疑いを掛ける。軍は身内に疑いを掛けないなんて甘い教育はされていないからだ。切捨てが日常的で、裏切りが当たり前で、その先にはいつも死がある。

茜がここにいる条件、それは治司が担当・管轄するこの都市の内側からの改革――鍛え治しとそれまでの期間の護衛であった。それまでの治司はこの学園経営を殆ど放棄していたに近く、内実は酷い。実力の低下が激しい上に、最近では軍直下機関であるにも関わらず引き抜きが殆ど行われていない。それがどういうことか。軍の窮状へと至るというもの。

学園都市機構からの引き抜きは通常、半年の研修期間を設けてなお軍の厳しさについていけず数を失うので、頻繁に召喚される。命の数量で見ればここ最近の引き抜き率が低いことは歓迎すべきだが、それは優秀な人材も過労により倒れ消費させる。実力以上のことをして過労になるなど、それほど無駄なこともないだろうに無限ループは続く。

「やはり生徒を――」

「置いていってくれて結構」

茜がこんな夜中に呼び出されたのはLSが近づいたからだ。すぐさま軌道をかえるにしても追いつかれる距離。LS自体を何とかしなければならない。それは護衛任務、延いては“約束”の一環として、茜が対処する仕事である。生徒に戦わせるのは責任・実力ともに問題外。余計な負荷。研修中の新入り軍人に劣る実力では茜にとって足手まといでしかなかった。そして同時に弱点でもある。茜の戦い方は守ることに適していない。LS、RES化による自失状態に陥った化け物相は見境が無く、人が傍にいればいるほど戦いにくくなる。

「長時間は命に係わる。はぐれたら……」

どうするつもりだ、そう尋ねる治司に外へ視線を向けたまま答えた。

「あの量なら一時間で終わる。その場に留まる方が危険だよ。俺の速さ、知っているだろ」

都市外戦闘は体が傷つく。灰色の雪――RESのせいだ。呼吸するたびに肺に吸い込まれるそれは体の内側からボロボロに腐敗させていく。けれど、茜は興味が無い。関係ないとさえ思っていた。大事な話だと分かっていても、茜には煩わしいとしか思えない問答。

答えは初めから出ている。交わす必要などないぐらいに、治司だって十分、分かっている。それでも治司は優しさから、罪悪感から、言葉を重ねていた。

「……俺がいなくなった後、持ちませんよ」

そんなんじゃ、と呟く。

茜が見えもしない月へと視線を流すのは既に習慣になってしまっていた。その見つめる先に黄金はない。灰色に覆われた景色を一望する。それでも見ることをやめられないのは、この景色を見られるのは残り僅かだと知っているからだ。感傷。心から“青空を見たい”と希望を持っているのかは茜にも分からなかった。

「学園はどこもこんな調子だよ。戦力は常に軍に取られ、襲撃にはいつも半壊だ。金の捻出も人手不足にも困らされている。命が搾取されるのはどこでも一緒だよ」

茜の終わらない自問に治司の言葉が破る。

軍の現状をここにいる生徒は知らない。そして各都市、この都市のことさえもだ。

学園都市機構の者はいつまでも学生身分でしかない。学生と呼ぶに相応しくない年齢まで居続けることはできないからだ。襲撃によって命を削られていく者が半分、新入生が入れ替えに入る。襲撃に会って尚、生きる者は早々に軍人となる。この都市を去っていく。

「やり方が間違ってるんだ。成績を残すから優秀なわけじゃない。戦う理由が必要で、それに命を賭けてる。目的や意義を持つ者だけが生き残る。けどいつの間にか名声や力に取りつかれ、忘れてしまう。――それは死だ」

優秀というのは存外役に立たないものだ。必要とされるのは咄嗟の機転とそれに対処できるだけの能力。実力主義と謳いながら頭脳や思考に関わる部分は大きい。単純に強いから勝てるというのは正式な試合でさえ滅多にお目にかかれない。それが世界だった。

茜は回顧する。軍とはどういうものか、身に刻まれたそれを余すことなく脳内で再現していた。治司はその姿を苦しげにみていた。

「復讐を望む者、理想を掲げ現実から逃避する者、金と名声が欲しいと叫ぶ者、強さを求める者、血を好む者、死にたがり、存在意義を探す無気力、痛みは生きてる証……俺が知る奴らは、強さをほしいままにして尚、もがく様に自らに欠けたものを求めていた。心に穴が開いている」

 2人は知っていた。軍の内情を、事実を、真実を、世界を。どこか狂ったような笑みを貼り付ける連中は、未だあの監獄にいる。あの場を居場所としているのだ。そして死に場所としている。すべてが与えられ、全てが失われていく場所。悲しいも苦しいも辛いも、楽しいも嬉しいも……感情はすべて削ぎ落とされ、不要として処理していた。

ノイズが聞える、体調の変化、その程度のこと。痛みも身体が外部から刺激を受けている電気信号。それだけの解釈でしかなくて、傷の手当なんてしたりせずにいた。発想自体無い。

茜もそうであった。泪を追って来た茜はそれでも、別格だった。その体質のために優遇されていた。そして、治司が保護した。そうすることで彼も自身の罪悪と向き合った。たった一人でも救うことが出来た、という満足感と茜をこんな目に合わせている原因は自分にあるという自意識を得た。

「……そういう教育で境遇なんだ。でも痛々しい。生きるのに必死なんだ。彼らは自分を知らない。そうするしかなかった。それ以外の道を知らないんだ」

治司が与えた道は唯一つだった。道が見えなかった茜に、無限の中から舗装した一つの道だけを示し、促した。今でも尚、同胞(かれら)はそれ以外の道を知らない。まだ、あそこにいる。

治司の苦悩はそこにあった。茜には特別思い入れがあるのを自覚している。けれど道から外れてもらっては困る。でも外れて欲しいとも願っている。自由に、笑える場所で過ごして欲しいと望んでいる。……そんな傲慢を治司は傲慢と分かっていて抱える。

あそこにいる間は茜もあそこ以外の生活なんて知らなかった。他の場所があるなんて、外の世界で生きられるなんて考えも見ない世界だった。茜にとっては唯一つの事項以外は全てがどうでも良くて、自分でさえも放棄していた。物を考える暇さえなかった。皆が従って、同じような日々。いつしか自由なんて言葉も忘れてしまった。気絶するように意識が落ちる。暗闇の中、何も感じずにいて、起きればコードや管が繋がっている状態。皆、それが毎日であそこでの普通だった。プライベートどころか人権もなく、人扱いされてなかった。実験材料、モルモット、消費物、兵隊、それだけの存在としての認識。茜はその中、人からモノへと変わっていく感覚を感じていた。

「守るべきものがなくて、信じられなくて、だから協調性もない。――俺も似たようなもんだ。上が現場を、窮状を知らないから、軍は変われない。人間一人にできることは限られている。兵器じゃない。感情がある。孤独には耐えられない。恐怖も持つ」

……ここで、俺には信頼できる人物が出来るのかな。ここで、本当に楽しく過ごせるのかな。

茜の脳裏に浮んだのは真剣そうに迫った、創の顔。前はそんな顔しなかったのに、と思う。


「乗り越えるために必要なんだよ、温もりは。消費だなんて発想は間違ってる。……人は代替のきくものじゃない。悲しむ人がいて、憎しみの連鎖も始まる」

憎しみの連鎖は果て無く、終わらない。俺も恨まれている。だから、殺して欲しかった。

あそこにいる間は毎日、誰かが殺してくれることを願っていた。それでも、慣れた体は殺されないように動いて、殺していた。殺されないために殺していた。殺して欲しかったのに、心の奥底で死にたくないと思っていたのだと知って、自分を汚いって思った。潔く死ねればいいのに、って。誰かを守るためなら、死ねるかもしれない。

誰かを守ろうと必死になって殺されそうになって、そしたら死ねるかもしれない。

「……じゃ、もう行く。LSに遭遇しないようちゃんと都市の軌道を逸らす手筈を整えてくれよ」

闇に浸かった心は抜け出せない。罪悪感や悪意などのいろいろな重石が絡み、この深い渦から抜けきることは不可能だ。真白に上から塗りつぶすこともできず、徐々に内まで侵食されていくのを止める術もない。もがくことさえ許されず、闇と共生していくしか残された道はない。

……さあ、行こう。更に深い闇へ。墜ちたらもう、戻れない。

影が闇に呑み込まれるように溶けた。


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