妖精王の答え
光の壁を抜けて中へ入ると、そこには草原が広がっていた。
足元を染める緑色の絨毯と、頭の上を駆け巡る青色の天井と真っ白なクッション。
その間にいる、人では無い特別なオーラを放つ一人の妖精。
それが妖精王のトリエッサであることにレムは気づいた。
声をかけようか、もっと傍まで近づこうか迷った末に出した答えは、声をかけることだった。
「えっと…トリエッサ様、ですか?」
レムの遠慮がちな呼び声に耳を傾け、ゆっくりと彼女の声に答えるように振り返った。
真っ白な長髪は王の足元まで伸び、黒い外套がその白さを引き立てていた。
髪の色に負けないほどの白い肌に、黄金の瞳を輝かせていた。
フィーとはどこか似た雰囲気を漂わせるが、気高さや存在感は比べ物にならなかった。
「よく来たね、他の種族に耳をすます優しき人の子よ」
深みのある低くも高くも無い、心地よい声がレムの体を包み込んで緊張を解した。
「私がトリエッサだ、聞きたいことがあるようだね…それも、機械達のことを」
「どうしてそれを…?」
口にも出してなかった質問を、トリエッサにあっさりと見抜かれて驚くと、トリエッサは面白そうにくすっと笑った。
「君が正直なおかげだよ、そして機械の一つの声を聞いてくれた君だからだよ」
「そう…なんですか?」
「そういうことなんだ、そして君が機械達のことを考えていることに世界は希望を見出した」
トリエッサは両手をレムの肩に乗せ、優しく微笑んでそう言った。
彼の周りを飛び回る風達が、レムの体を包み込むようにグルグルと巻きついてきた。
それは不快とはかけ離れた感覚で、どこか懐かしい温かさを与えてくれた。
世界は君を祝福している、とトリエッサは口を開く。
「機械達は、ある人間によって世界に設置された、そして新たな力を生み出す為にと自然の力を奪い取った…」
「人間が?どうして人間が新たな力を欲するのですか?」
世間とはかけ離れた場所に暮らしていたレムには、その人間の気持ちが分からずにいた。
自然に守られ、さまざまな知識を与えてくれた自然は、レムにとっては親同然と言っても過言ではなかった。
レムの質問に何と答えてよいのかと、トリエッサは眉を顰めて額に手を押し付けた。
純粋過ぎる人間の子に、堕落した人間のことを話すのに少なからず抵抗があった。
だが人間の子である彼女には、真実を話さなければ永遠に無知と終わるかもしれない。
様々な考えを巡らせた結果、トリエッサは口を開いた。
「人間という種族は力を求めてしまうんだ、いろんな理由があるけれど、新しい力で未来の道を見つけようとしているんだ、心の澄んだ者ならば光を、淀んだ心の者ならば闇を求めてね…」
「光と闇…?それは私にもありますか?」
「あぁ、人間以外にも、私達妖精族にも、どんな命にも明暗はあるのさ…では、本題に戻ろうか」
これ以上は彼女の好奇心が闇を呼び寄せかねない。
世界の構成に携わる妖精王には、精神を構成する二つの異物…光と闇の動きが分かる。
辺り一面に蠢く闇の気配に、トリエッサは気づいていたのだ。
その闇に近づけさせないよう、自分の領域には光の壁を張り巡らせて守っている。
「君は機械達の声を聞いてあげてくれ、そして彼らの親を見つけて欲しいんだ…きっと機械達の傍にいる、今は彼らの声を受け止めてあげてくれ」
「今はそれが私に出来ることなんですね…分かりました、頑張ります」
これから進む道が見え始めて、胸の奥に希望の光が差したレムの表情は輝いていた。
レムの表情に安堵したトリエッサは、周囲の闇の気配を気にしながら光の壁を解いた。
そして外への扉を作り出すと、レムの手を引いて、彼女の手をドアノブにかけた。
「君がこの森を訪れるのは、恐らくもう無いだろう…でも忘れないで欲しい、私も世界も、必ず君を守る…恐れる者は何も無い」
「はい、ありがとうございます…お元気で、トリエッサ様」
レムの別れの言葉が紡がれた瞬間、扉は意志を持っているかのように勝手に開き、レムを自らの内側へ引き込んだ。
不意に起きた事に驚きながらも、レムは遠ざかるトリエッサの姿を見つめた。
もう会えないかもしれない、そう思うと胸の奥が締付けられ、目の奥がちりり、と熱くなった。
光の中に吸い込まれながら、レムは見えなくなった妖精王のことを思い、外の世界に出るまでの間を静かに過ごした。
レムを見送ったトリエッサの隣にフィーがふわふわ浮きながらやってきた。
「行ってしまいましたね、妖精王様」
「そうだね、でも彼女はここにいてはいけない、彼女の居場所は人間の住む場所、世界が滅びへと向かう中で、彼女が唯一の光となるだろう…我々はまもなく世界の一部となる、彼女に未来を託して見守ろう」
悲しげな表情を浮かべるフィーに、トリエッサは優しく微笑んでそう言った。
二人の体からは青い光の粒子が音も無く出ていた。
それは妖精の体を構成する物質の一つで、その光が失われると自然に消滅してしまうという造りだった。
森が死ぬ時は妖精も共に死ぬ、という掟により、迷いの森と彼らはあと少しで世界から消えてしまう運命だった。
「彼女には悲しみを与えたくなかった、希望は輝かなければ世界に届かず消えてしまう…だから世界に返したんだよ、フィー」
「分かっていますよ、トリエッサ様…そろそろお時間ですね」
体の光が失われようとしていて、フィーの目には涙が浮かんでいた。
消えるのが怖い、トリエッサはフィーの感情を感じ取っていた。
トリエッサはフィーを抱き寄せると、壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。
「大丈夫だよ、大丈夫…君は一人ではないんだからね」
不安を拭い去るその声は、フィーの頬を緩ませていた。
光が一層強くなったとき、森の泣き声が聞こえた気がした。
青い光と真っ白な光が混ざり合って消えた後、そこには小さな木の子供が強く根付いていた。