the natural world - she is name .... -
あれから何年経っただろうか。
世界は自然を取り戻し、色鮮やかな世界が生き続けていた。
レムも美しい、気高い女性にまで成長し、自然達と共に生きていた。
カルシナとグラドと別れた後、住み慣れた森へ帰り、森の仲間たちと再会して以前と変わらぬ毎日を送ったという。
だがレムの心の中には、グラドに対する想いがあった。
敵視するはずの相手は、世界を憎むほどの悲しみを背負っていた。
そんな相手にレムは刃を向けることなど出来なかった。
自分の気持ちに真っ直ぐ、正直に向き合って相手と接したことで、相手も…グラドも心の中を整理出来たのかもしれない。
グラドに会いたい、何故かそんな気持ちになった。
だけど今、グラドは機械達を直すことで精一杯のはずだと、レムは気持ちを抑えて日々を過ごした。
そんなある日だった。
一羽の鳥が飛んできた。
その鳥は、自分の命を守ってくれたあの時の鳥だった。
足に何かをつけていて、レムは鳥が伝書を届けてくれたのだと悟る。
レムが伝書を解いている間、鳥は静かに彼女を見つめていた。
そして久々の会話をして、鳥は大空へと帰って行った。
別れは寂しいものだと、何度体験しても慣れないものだと改めて感じた。
近くにある石に腰かけて伝書の中身を見ると、そこにはグラドの名前があった。
驚きを隠せずに思わず大きな声を上げると、動物たちが一斉にレムを振り返った。
それにレムはなんでもない、とだけ返してすぐに読み始めた。
『 親愛なる我が恩人へ
久しぶりだね。
私のことを覚えているかい?
あれから長い年月が経ったね。
世界にしてみればそんな大したことではなくても、
私からしてみれば、やはり長かったんだ。
機械達が君に会いたいと言っていてね、もし良かったら
会いに来て欲しいんだ。
長のいる場所で待っている。
再会できることを楽しみにしています。
汝が救いし罪人より』
内容をすべて読み終えたレムは、すぐに立ち上がると何も準備せずに飛び出していった。
森の仲間達は、そんな彼女を見てとても嬉しそうに微笑んでいた。
森を出た後も続く草原の大地を駆け抜け、全力で約束の場所を目指す。
追い風がレムを応援するかのように、ざぁっと流れていく。
夕焼け空に包まれた世界は、自身の姿を紫へと変えていく。
季節は春から夏に変わる頃で、花の匂いは薄らいでいた。
代わりに濡れた地面の匂いと、むっとした熱気が現れる。
ストロアのいる場所は、レムの家とはそんなに離れてはいなかった。
だがそれでも到着するのに一時間は必要だった。
はぁはぁと息を切らし、履き慣れた靴が、先日降った大雨の水溜りに入り込んで染みをつけていた。
「お願い、どうかそこにいて!」
もう気持ちが膨れ上がって、自分でもどうしようもなくなって、苦しくなっていた。
それが何なのか分からず、ただ必死に会いたいと願っていた。
汗が顔の上で滑り落ち、どこかへと飛ばされていくのにも、今のレムには気にしている余裕などなかった。
数年の時の中で、レムの心は幼いものから大人に変貌し、人間らしいものになった。
誰も教えてくれないこの感情に、戸惑い、苦しみながら、必死に何なのか追求してきた。
そして、今答えを教えてくれる人がいる。
そう考えたらいてもたってもいられなくなり、気持ちが勝手にレムを動かしていた。
「グラドさんっ!」
ストロアのいる場所まで来ると、他の機械達と話していたグラドがそこにいた。
アングとクライも再起動していて、とても元気そうだった。
『あっ、レムさんだね、とても綺麗な女性になったね』
クライの幼い声が、レムの心を少しだけ落ち着かせてくれた。
「皆無事に再起動出来たんだね…よかった」
「クライはとても早く再起動が出来たんだけどね、アングは頑固だから言うこと聞いてくれなくてね」
グラドが苦笑いをしながらそんなエピソードを話すと、アングが拗ねたようにランプを点滅させた。
『主、それは言うなと約束したではないか…まぁいい、久しいなレム、おかげで世界は緑を取り戻せた、礼を言う』
相変わらずの堅苦しい言葉遣いに、レムは苦笑しつつも一つだけ気になることがあった。
「お二人とも、私の名前呼んでくれてますね」
『主がそう命じたからだ』
とアングが言う。
『ふふっ、そうなんだよねー、主がレムって名前があるんだから、そう呼びなさいって』
とクライが言う。
そして最後にストロアが、
『そういうことだ』
と言ってしめた。
三体の答えがとても仲良く一致していたせいで、レムは思わず笑ってしまった。
先ほどまであんなに余裕のなかった自分が、今はこんなにも余裕で笑っていられると思うと、笑わずにはいられなかった。
「どうやら君は変わっていないようだね、安心したよ」
とても楽しそうに笑うレムを見て、思わずグラドがそう口にした。
きょとんとしレムはグラドを見上げ、どういう事か尋ねた。
「君はあの頃に比べてとても成長した、とても美しい女性になったんだ、だけどあの頃の心を忘れていない…そう、心がいつまでも君のままでいてくれた事が嬉しかったんだ」
そう言って、グラドは優しく微笑んだ。
あの頃の彼だったら、きっとこんな優しくて柔らかい微笑みなど出来なかっただろう。
そう思った時、レムの心に再びあの感覚が戻ってきた。
苦しくて、鼓動が早まるこの感覚に、レムは思わず顔を歪める。
様子がおかしい事に気付いたグラドは、レムに座るよう言うが、一向に座ろうとしなかった。
困ったグラドをよそに、レムは我慢できなくなってその感覚と想いを口にした。
「私のこの胸の…心の痛みは、グラドさんの事を想っているからだと思います、この感覚がどんな事を意味するのか、私にはわかりません…でも、これは幸せな苦しみなのですよね?私はこの痛みが只の苦痛だとは思っていません、だって…この痛みは貴方に対する想いの反動だと思うから」
その言葉に、グラドはレムをぎゅっと抱き締めた。
自分は間違っていた。
彼女はちゃんと大人の女性になっていたのだ。
あの優しかった笑顔の奥にも、成長した彼女の姿があったのだ。
幼い頃の『レム』ではなく、美しく、気高い女性になった『レム』は、自分に好意を抱いていたようだ。
だがそれを彼女は知らない。
人間とは隔離された森に暮らしていた彼女には、その感覚を教えてくれる者などいなかったからだ。
彼女が今、この感覚を感じられるのは、恐らくあの時の旅をしたからだろう。
でなければきっと死ぬまで誰とも恋をしなかっただろう。
あぁ、自分は何て罪な存在なのだろう。
こんなにも無垢な娘が、こんなに汚れた自分を好きになってしまうなんて。
今この手で彼女を突き放せば、どれだけ楽だろう。
だが苦しみを味わうのは彼女一人になってしまう。
ならば…と、グラドはレムを一度離すと、彼女の両肩に手を置いてゆっくり口を開いた。
「単刀直入に言おう…君のその苦しみは、『恋』というものなんだ、誰かが誰かを…そう、とても大切に思うんだ、大好きで、愛しくて、その想いを口にしてしまいたいくらい、愛しているんだよ?君はその大切な感情を、私のような罪人に向けてくれた…それはとても嬉しくて、光栄に思う、けど君はそれでもいいのかい?私は罪人だ、君を光から闇へ落としてしまうかもしれない、それでも君は私を愛するかい?」
グラドはレムに優しく語りかけた。
壊れてしまいそうなレムの体にさえも、本来なら触れてはいけないと戒めていた自分だが、彼女が自分をそれでも求めるというならば、彼女の足元を支える影になろうと思った。
レムは初めての事に戸惑っているようだったが、自分の中で答えを見いだせたのか、すっきりした表情で再びグラドに話した。
「私はこの感情が分からない、名前を知っていても、どんな事なのかを聞いても分からない、それでも分かる事は一つだけある…それは、貴方を想わずにはいられない、もし、世界が私の願いを許して下さるのなら…私は貴方の光になりたい」
その言葉は彼女が生まれて初めて告げた、告白だった。
目を見開いたグラドを、レムはただ女神のような微笑みで見つめていた。
許されるなら、この想いを受け止めて愛しみたい。
あぁ、これを世界が与えた機会だというのならば、私はすべてを賭けて彼女を愛そう。
世界に刻まれた英雄の名前。
それは世界の真ん中に建てられた巨大な石碑にあった。
それは時と共に廃れ、消えていく。
それでも二人は心を振り返る。
世界のあるべき姿を、人間の進む未来を、人を愛する想いを。
風化して崩れかけた巨大な石碑のそばには、小さな小さな花と、女神が笑っていたという。