the natural world -door of tomorrow-
目が覚めると、そこは現実世界だった。
レムは停止したストロアの上に寝そべっていた。
鍵を差したあの瞬間から、レムの体はこの態勢で眠っていたのだ。
軋む体を無理矢理起こし、周囲の様子を確認した。
青く澄んだ空が、澱んだ雲の切れ間から薄らと見えていて、大地の色も少しだけ以前の色を取り戻していた。
「レム、大丈夫?」
ストロアの下から、カルシナの呼び声がして、レムはそっと下を覗いた。
そこには、疲れ果てて眠っているグラドと、彼を見守るカルシナの姿があった。
「大丈夫です、お二人こそ大丈夫ですか?」
「ええ、彼は疲れて眠ってしまったけど…大丈夫よ」
グラドを一度見下ろしてから、異変がないことを確認すると、カルシナはそう答えた。
安否を確認したレムは、視線をストロアに戻す。
彼から貰った種たちが、しっかり自分の手の中に収められていて、あれが本当にあったことだと証明していた。
冷たくなったストロアの体にそっと触れてみると、感じられた鼓動が一切伝わらなかった。
あぁ、彼は止まってしまった。
そうレムの心が理解した時、目にはまた涙が浮かんでいた。
心がやっと主のもとへ帰れたのに、またすぐに眠らなければならなかった。
眠りについた機械達を思い出し、レムは嗚咽しながら泣いた。
全部吐き出してしまいたいくらい、泣いてしまいたかった。
辛くて、悲しくて、切なくて。
どうしようもない運命を、レムは変えてあげることができなかった。
ごめんね、と何度も謝りながら泣いていると、その涙が種にぶつかって弾けた。
すると、種が輝きを持ち始め、レムの手から飛び出してしまった。
不可思議な出来事に、レムは慌てて種を追うが追いつけずに見失ってしまった。
地平線の彼方へ消えた種たちを、レムは茫然として見送った。
(どこかで咲いてくれるのかな?見届けたかったな…)
少し残念そうに俯くレムだが、どこかで無事に咲いてくれることを祈って、カルシナのもとへ向かおうとした。
「レム!あれを見て!」
カルシナがレムの背後を指さして驚愕の表情を見せていた。
女神である彼女が驚くほどの事が起きているとなると、レムは振り向かずにはいられなかった。
地平線の先に目を向けると、そこには予想しなかった光景が広がっていた。
地平線に沿って、大きな木がものすごい速さで成長し、あっという間に森を生み出していった。
その周囲には小さな花が咲き誇り、その範囲をぐんぐん広げている。
瞬きをしている間に、レムの足元にも花が咲き、さらに反対側の地平線へと進んでいった。
カルシナがグラドを叩き起すと、眠そうな表情から驚愕の表情に変るまで、さほど時間はかからなかった。
そして、ストロアの体にも花が咲き誇った。
青い花と、黄色い花と、白い花。
どれも形や色、大きさの違うものだったが、なぜか違和感はなかった。
「これは…ブルースターにクチナシ、それにヘリクリサム」
植物に詳しいレムは、その花の名前をすべて言い当てた。
一輪手に取ると、優しい香りがレムの周りを包み込んだ。
「綺麗な花ね、でもなぜこの花が?」
カルシナが尋ねると、代わりにグラドが、花達を愛おしそうに撫でながら答えた。
「これらの花は娘が…サクラが好きだった花だ、ストロアは覚えていてくれたんだな…」
グラドの頬に大粒の涙が流れた。
その花達を娘のように抱きしめ、まるで救われた罪人のように、綺麗な微笑みを浮かべていた。
風に舞ってどこかへ向かう花達に、レムは問いかける。
「貴方達の旅の果てには、何が待っているの?」
『それは誰にもわからないわ、でも私たちは世界を照らす役目を果たすために、誰かを笑顔にするために世界を巡るわ、それは貴方と同じ役目、貴方の役目はこれからも続くの…そばにいる大切な人たちの笑顔を守る役目を…それが終わる日は、まだまだ遠いわ、それまで貴方の旅は終わらない、自然も機械も人間も…旅の終わりは誰にもわからないわ』
花達の答えに、レムはなぜか微笑んでしまった。
それは彼女にしか分からない感情だから、カルシナもグラドも理解できなかった。
レムは両手を空に向けて伸ばし、まるで抱きしめるかのように大きく大の字を描いた。
「ねぇ、その三つの花言葉知ってる?」
いきなり二人に向けられた質問に、正しい答えを返すことができなかった。
ふふっ、と笑ったレムは、どこか楽しそうに笑うが、頬には涙の跡がくっきり残っていた。
「ブルースターは信じあう心、ヘリクリサムは永遠の思い出…そして…」
そこで一度区切り、レムは二人に背中を向けた。
地平線を見つめ、誰かを待っているかのように、ずっと先を見つめていた。
二人がレムの隣に立つと、レムは三つ目の花言葉を教えてくれた。
「クチナシはね…『私はあまりにも幸せです』なんだって…」
その言葉を聞いた瞬間、花達が一斉に空へ舞い上がった。
まるで雲に吸い寄せられているかのように、真っ直ぐ上に上がっていく。
あぁ、とカルシナは落胆した。
もうすぐ自分も元の世界へ帰る時だ。
そう思うと落胆せずにはいられなかった。
「カルシナさん、行ってしまうんですね」
「えぇ、貴方には分かるのね…そうよ、私は女神…ずっとこの大地に根付いてはいられないの…あぁ、悔しいわ…私も人間だったらよかったのに」
そう説明するカルシナの瞳からは、別れを惜しむ涙が次から次へと流れていた。
カルシナはレムをぎゅっと抱きしめ、何度も感謝の言葉を囁いた。
ここまでの旅を、こんなに温かい終わり方にしてくれたのは、レムがいたからとカルシナは言う。
レムもカルシナをぎゅっと抱きしめ、カルシナの温もりを確かめる。
だがその体は青い光に包まれ、少しずつ消えていこうとしている。
レムはゆっくりカルシナから離れると、女神は寂しそうに微笑んで一つの言葉を告げた。
「貴方の人生は光によって包まれています、しかし時に闇も必要になるでしょう…貴方の心には二つの炎が燃えています、その炎をどうか愛して下さい、差別などなく、平等に愛せる人になって…」
カルシナの言葉はそこで終わった。
青い光に覆い尽くされた彼女は、そのまま花達と共に空へ帰って行った。
見上げるレムの頭に、ふと妖精王の言葉が浮かんだ。
光と闇は誰にでもあるということ、それをトリエッサは教えてくれた。
そして今度はカルシナが、その二つを愛せと教えてくれた。
その意味を今のレムには理解できた。
不意にグラドがレムの肩に手を置く。
「ありがとうレム、君のおかげで世界は自然を取り戻した、そして機械達の心も」
「グラドさん…」
「私はこれから機械たちの役割を正しくするために、作業に入ろうと思う、君はどうするんだい?」
「私は…森に帰ろうと思います、森の皆に会いたくなりました」
「そうか…じゃあ、お別れだね」
「…はい」
二人はお互いにこれからの進む未来を口にした。
そうすることで、新しい旅を見つけられることができるからだ。
決意を胸に、グラドは一度頷くとレムを笑顔で見送った。
花咲く世界の中で、二人はゆっくりと離れて行った。
レムの姿が見えなくなると、グラドは停止したストロアに歩み寄った。
冷たくなったストロアを優しく撫でてこう言った。
「さぁ、新しい時を刻もう、私もお前も」