the natural world - your name … stroa -
決意を胸に、再びストロアのいる場所までやってきた。
禍々しい気配とずっしりと重い空気が身体に負担をかけるが、それをレムは苦だと思わなかった。
精神世界で出会えた母との約束を思い出し、自分に自信を持たせるために、強く何度も頷いた。
彼女に続くグラドにも、胸に秘めた強い想いがあった。
それは今までの自分との決別と、目の前にある世界を守ることだった。
家族が二人いなくなり、悲しみと憎しみだけで生きてきた今までの自分を振り返ると、それを今では生きているとは思えずにいた。
生きるということ、それは今のように何かに立ち向かって、自分の意思を強く持つことではないかと考えていた。
自分の手で生み出した機械達。
その中の一つであり、最初に生み出した機械…ストロア。
機械達の中では一番考えが固く、頑固な老人のようだった。
世界の自然を奪い始めてから、ストロアはすぐにグラドに意思を告げた。
世界が死んでいく、命が失われると訴えるストロアの言葉を、グラドは聞いてはいなかった。
自分の中では未だに死んだと信じられない二人が、暖かな笑顔を浮かべて生きていた。
どんなに訴えてもグラドは自分の楽園から出ようとはしなかった。
それがストロアの怒りを呼んだ。
頑固な老人と言っても、ストロアはとても指導力のある、優れた才能を持つ機械だった。
グラドはストロアが反乱することを恐れ、彼だけ心を抜き去り、文句一つ言わない機械にしてしまった。
その時の自分の心は、ストロアよりも無表情で、とても人間の心ではなかったと思った。
その時の光景が今でもはっきり思い出せて、グラドはこれを戒めとして強く想った。
(ストロア、お前の心を奪った私を許せ…もしお前の心が戻らなかったら…私が)
そこまで考えていた。
レムに声をかけられ、少々動揺しつつもグラドは顔を上げてストロアをじっと見つめた。
ストロアは無数のコードを自身に巻きつけ、まるで殻に閉じこもっているかのようだった。
最初に出会った時よりも反応はあるものの、暴走した後遺症として制御システムが作動したのだろう。
随分と大人しくなったストロアへ、レムはゆっくりと歩み寄る。
そして感覚すべてを研ぎ澄ませ、ストロアの声を拾い上げようとした。
「ストロア、私の声が聞こえる?」
『…お前か、お前からは同士の声が聞こえるぞ…随分と世話になったな』
小さな声で呼んでみると、意外にもストロアはすぐに返事を返してくれた。
だがその声は機械が音読しているようで、とても感情がこめられているようには思えなかった。
未だに心が戻っていない様子で、ほんの少しの期待は一気に崩れ去った。
だがそれでもめげず、レムはストロアに再び声をかけた。
「私は貴方の失った心を取り戻したいの、何か手がかりはある?」
『心…私のか?私には必要ないのだよ、主に逆らった罰だ…当然の報いなのだよ』
何処か悲しそうに聞こえる、その機械の声を胸に受け、グラドが思わずストロアに抱きついた。
突然の行動にレムとカルシナは驚きを隠せなかった。
二人の視線に構わず、グラドは冷たい体の我が子に話しかけた。
「すまなかった、お前をこんなに苦しめた私を…許してくれとは言わない、ただお前の心を取り戻させてくれ、チャンスをくれ…」
『その声は…我が主なのだな、主よ、貴方に逆らった私が愚かだったのだ、このままにしてくれ…』
グラドの悲鳴に似た叫びにも、ストロアは相変わらずの無感情な声で淡々と答えてしまった。
だがグラドはそれでもぎゅっとしがみつき、離さないと言わんばかりに、ストロアに顔を押し付けた。
彼のそんな姿を見て、カルシナはふと思った。
まるで大切な人を、今にも失ってしまいそうな人間の姿だった。
その背中からは、彼の悲しい経験が滲み出ていて、カルシナはグラドがストロアを家族として接しているように思えた。
(彼にはもう、失うという経験は必要ないわ、私にも…女神としてではなく、一つの命として何か出来ないのか…)
神である自分は、人間界に降りて様々な出来事に遭遇してきた。
だが、どんな出来事でも自分は間接的にしか関係できなかった。
手を貸したくても、神である為に掟の一つ、人界に干渉してはならないという決まりを守らねばならなかった。
自分はただ指を咥えて二人の懸命な姿を見守るしかなかった。
(私は…私にしかできないことをする、そうよ!)
神の力を振るうことは許されないが、その力を他者にほんの僅かだけ分け与えることが許されていた。
それも特殊な人物に分け与えることが前提だった。
レムにその力を分け与え、少しでも彼女の力になれれば、そう思ったカルシナはレムに歩み寄った。
「レム、話があります」
「カルシナさん?どうしたんですか?」
「…貴方に私の力を…神の力を分け与えます、その力で彼の心を見つけてあげてください」
「カルシナさん…」
「私にはこれくらいの事しかできません、神としての立場を捨ててでも手を貸したいのです…しかし、私個人の気持ちだけで天界を揺るがす事は許されません…だから」
カルシナがさらに続けようとするが、彼女の気持ちを十分理解したレムは、優しく微笑んで言葉を遮った。
その微笑みに気持ちが救われたかのようで、カルシナはレムの心の優しさに改めて感動していた。
「本当は自分一人の力でやってみたかったんです、でもストロアの問題は世界の問題であって、皆の問題でもあるんですよね…だからお願いします、力を貸してください!」
レムの力強い言葉の一つ一つに、彼女なりの様々な想いが込められている事を、カルシナは感じ取っていた。
カルシナはレムに渡したあの水晶を受け取り、レムの手の上に乗せた。
そして自分の手をその上からかざし、静かに目を閉じた。
すると、カルシナの体がほのかに光り始め、レムは自分の手を見下ろした。
水晶を持っている手の平から、なんとも心地よい光の温もりが伝わり、その温もりは彼女の体の芯にまで届いていた。
光が消えると、カルシナは少しよろめき、レムの手を借りて何とか真っ直ぐに立つことができた。
力を分け与えるという事は、並大抵のことでは不可能な技であり、カルシナの女神の力であるからこそ、それが可能となった。
干渉しない程度の力に抑えるために、カルシナは調整をしながらも力を注いでいた。
それが彼女に極度の疲労を与えたのだ。
「私は大丈夫です、どうか…どうかストロアの心を…」
そう言っていたカルシナは、途中で睡魔に襲われ、人間の姿に戻ってしまった。
自分の本来の姿を保つことさえも難しくなった彼女に、これ以上は何もできなかった。
レムはカルシナから貰った力を握りしめ、再びストロアと向き合った。
グラドの辛そうな表情が視界に入るが、今は感情に流されてはならなかった。
「ストロア、貴方の心を私が取り戻してあげるから!」
『愚かな小娘め…私にこれ以上何を期待するのだ、そしてお前は我々を停止させた後に、何を見るのだ?』
「私は世界から自然を無くしたくないの、でも貴方達を眠らせたままにはしたくない…難しいことは分かってる、でも誰かを犠牲にしたままの平和なんていらない、貴方達の役割を…グラドさんが変えてくれるわ」
『主がか…?馬鹿な、主は我々に忠実である事を求めたのだ、そんな事はありえん』
「グラドさんの声を聞いて!貴方は過去のグラドさんしか見ていない!今のグラドさんと向き合って、貴方の未来と向き合って!」
ストロアの堅く閉ざされた声に、レムは精一杯の想いをこめて叫んだ。
その叫びを聞いたせいか、ストロアはグラドの方へランプを向けた。
まるで親に怒られた子供のように、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている主を、ストロアは誰かと重ねて見ていた。
『サクラ…私のせいで消えてしまった、あぁ…主よ、私はやはり貴方無くしては起動することさえ許されぬ存在、私はどうなるのだ?』
サクラ、と娘の名前を聞いてぱっと顔を上げたグラドは、ストロアの弱弱しい声に胸を打たれた。
無限の闇に閉ざされかけた世界の中心で、罪を犯した人間と機械。
光への答えを見いだせずにいる二人へと、とても懐かしい声が届けられた。
それは。