暴走する心
グラドの力を得られたレムは、長の心を取り戻すため、グラドの案内で長を設置した場所へ向かった。
周りは枯れた草木で囲まれ、空はほとんど光が射されず、黒くて分厚い雲が太陽を遮っていた。
冷たい風がレム達を追い払うかのように、何度も何度も向かい風として襲い掛かってきた。
その風たちの声にも耳を傾け、レムは心の中で謝りながら前に進んだ。
風たちの声で、レムたち人間を罵倒し、暴言を吐くものが多かったせいで、レムは堪らずに謝っていた。
「ごめんなさい、貴方達を苦しめるためにきたんじゃないの…長を助けにきたのよ」
涙声になっていることにも気づかず、レムはただひたすらに前に進みながら風たちに謝罪をしていた。
その背中をグラドとカルシナは見つめていた。
悲しげに謝るレムの姿を見ていると、まるで自分の娘が謝っているように見えた。
「グラド、貴方は彼女を見てどう思いますか?彼女にしか聞こえない声たちは、彼女にしか嘆くことができません、しかし、それを受け取る彼女の心が壊れてしまったら…」
「分かっています、これは私が招いた悪夢です、彼女には本当に申し訳ないと思います、だから私は私にしか出来ないことで謝罪したいと思います」
カルシナの厳しい言葉にも怯えず、グラドは強く答えた。
先ほどまでの弱弱しい彼とは違い、今は自らの罪を認め、自分に何が出来るのか真剣に考えていた。
それから数時間歩き、三人はとうとう長のいる場所までやってきた。
そして長を視界に入れた瞬間、レムの表情が一気に強張った。
体の震えが止まらず、今にも膝から崩れてしまいそうで、何とか立っていようと必死に足を踏ん張らせた。
後ろにいたグラドとカルシナも、レムのように体を震わせていた。
人間のグラドが震えるならともかく、女神のカルシナが体を震わせるとなると、長の力は想像を絶する物だ。
神さえもその力に屈してしまうかもしれない、そんな長の力にグラドは恐怖を胸に抱いた。
『マスター、ワガマスターハ…ワタシヲステタノカ』
「えっ?」
すぅっと耳に入り込んできた長の声に、レムは思わず声が出てしまった。
だがお構い無しに長は独り言を続ける。
『アア、シゼンハホボゼンメツシタ…マモナクスベテオワル』
「終わる?世界が死んでしまうの?」
長の独り言があまりにも物騒で、レムは警戒しながらも長のもとへ歩き出した。
永遠に続くと思われる独り言を耳にしながら、レムは長の体に触れられる位置にまで接近した。
すると、接近していることに気付いた長は、独り言をいきなり止め、赤いランプを激しく点滅させた。
低い唸り声が地面から伝わり、体へ響き渡った。
『ナンダ?コノニンゲンハ…マスターデハナイ…ナニモノダ?』
長のランプがぐるりとレムに向けられ、レムは思わず体を強張らせたが、すぐに気持ちを落ち着かせると、長に向けてはっきり名乗った。
「私はレム、貴方を助けに来たの!」
『レム…?ワタシノキオクニハナイナマエダ…ソレニタスケルトハ?』
「貴方は心を失ってしまったのよ、心が無いと貴方の声は奪われたままなのよ?」
『ココロ…?ソレハナンダ?』
「えっ…?」
レムは長の言葉に、言葉を失った。
長が心を失っているから、そういう反応を見せるということは、レムにも分かっていた。
だが現実は予想を遥かに上回っていて、目の前にしてみると衝撃は大きかった。
絶句するレムに、グラドはゆっくりと歩み寄る。
カルシナが注意深く彼の背中を見つめる中、長のランプは歩み寄ってきたグラドに向けられた。
一瞬ドキッとした心臓を、グラドは何とか押さえ込み、自分が生み出した機械と向かい合った。
「長、いや…ストロア、私の事を覚えているかい?」
『スト…ロア…ソノナマエハ…』
グラドが長の本当の名前を呼んで声をかけると、長…もといストロアは、レムの時とは少し違った反応を見せた。
チカチカと赤いランプが点滅し、人間で言えば、何かを思い出そうとしているようだった。
そのままグラドのことを思い出してスムーズに事が進むと思われていた、その時だ。
『ストロア…ストロア…マスター…ガ、イル、サクラ、ココロ、シゼン…ウバッタ…奪った?』
再びストロアの独り言が始まったと思ったが、最後に今までのような棒読みの声では無くなった。
「ストロア?」
グラドがもう一度名前を呼んだ。
そして、ストロアは答えた。
『私は奪いたくなかった!世界が死ぬ原因になどなりたくなかった!
私は!私は…マスター!お前を殺す!』
憎悪がこれでもかというくらい込められた、ストロアの大きな声に三人は大きく仰け反った。
突然の変貌に頭が追いつかず、どうすればいいのか判断が間に合わなかった。
「レム、ここは一度引いた方がいいわ」
カルシナがレムにそう助言するが、レムはここで引く気は全く無かった。
ここで引く方が逆にストロアを苦しめてしまうと思ったからだ。
「お願い、私は長を…ストロアを一刻も早く助けたいの!私は逃げたくない!」
レムの必死な眼差しを受け止め、カルシナは正直戸惑った。
確かにここで引き返せば、長を止めるチャンスを失う恐れがある。
だが今のレムは冷静ではなかった。
長の悲しみと憎しみを真正面から受け、彼女の心は長の代わりに悲鳴を上げていた。
それでは長の力に飲み込まれて、彼女自身も心を失ってしまうかもしれない。
悩みに悩んだ末、カルシナはレムの手を引いた。
「今の貴方は貴方じゃない、命の声を聞いてあげられるレムではないわ!今は引きなさい!」
「カルシナさん…」
カルシナの言葉に、レムは自分がどんなに感情的に動いていたか気づいた。
もしカルシナが止めてくれていなかったら、自分は何を仕出かしていたか分からない。
だが、きっと世界に傷をもたらす行為をしたと思った。
冷静では無かった事に恐怖を感じたレムは、自分が自分で無かった瞬間を思い出して震え上がった。
「ごめんなさい、私…私っ!」
「いいのよ、貴方が自分を見失わなければ、大丈夫だから」
ブルブルと震えながら涙を零すレムを、カルシナはぎゅっと抱き締めた。
暴走するストロアは、体内に押し込まれていたコードを一気に外へ押し出すと、それをレム達に向けた。
攻撃に気づいたカルシナは、女神の力を使用してそれらを防ごうと、右手でレムを抱き寄せると、左手を長に翳すよう前に突き出した。
傍にいたグラドも、カルシナのすぐ隣に駆け寄る。
コードが三人を襲おうとした瞬間に、カルシナの左手から光が放たれた。
まるで洪水のように手の平からストロアに向けて放たれ、光はコードやストロアを包んで動きを封じた。
「今よ!走って!」
カルシナの声にレムとグラドは一気に駆け出した。
少し駆け出したところで、レムは立ち止まってすっと振り返った。
瞳に映るストロアの苦しそうにもがく姿が、頭の中に焼きついた。
キラキラ光るの布の中で、黒い鉄の塊が、無数の長いコードを窮屈そうに動かしては、脱出を試みようとしている。
そんな姿に、レムは目から大粒の涙を流しては大声で泣いた。
自分の無力さに、苦しみから解放してあげられない事に歯がゆさを感じた。
声を聞けるのは自分だけなのに、その自分が助けてあげられないならば、彼は誰に助けを求めれば良いのだろう。
あぁ、聞こえる…悲しみの声が聞こえる。
気を抜けば今にも意識を失ってストロアに吸い寄せられてしまうだろう。
(ごめんね、ごめんね…お願いだから少しだけ時間を頂戴…絶対に助けてあげるから)
ふらふらする体を追いかけてきたカルシナに抱きとめられ、レムは浮かんで行く感覚に吸い寄せられながら気を失った。