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オーデルク大公城 4

「まあ、結局よかったじゃない。断る理由が見つかってさ」


 ガガが、ナディルの頭の上で言った。


「ナディルはお人好しなところがあるというか、育ちがいいというか、何せ律儀に断れる理由、もしくはきっかけを探していたんでしょ」


「探していたってほど積極的じゃなかったよ。消極的に、ただ待っていただけかもしれない。オーデルクを去れる口実が、何か現れてくれるのをね」


「じゃ、ま、一応自覚はあったわけだね。ナディルがナディルらしくないことをしようとしてるってこと」


「あのまま流されてもいいかなっていうのは、確かにあったと思う」


 ナディルたちの背後の丘の上には、先ほど出立したばかりのオーデルク大公の城が、相変わらず白いお菓子のように広がっていた。

 白いお菓子の外壁は、傾いた太陽の光を受けてほんのりと薄い紅に染まり、きちんと並んだ窓は、橙色の飴を薄く切り取って嵌めこんだようにも見える。


 ガガは、鼻歌を歌い出しかねないほど機嫌がよさそうだった。

 ぴんと背筋を伸ばし、ルビーの目で前方を伺う。

 その頭は、ナディルを乗せた馬の揺れに従って、軽く上下した。

 フィリアスから約束の報酬として支払われた上質の翡翠は、荷物の奥深くにしまいこまれている。

 これからは、野宿とは無縁の生活になりそうだ。

 それもまた、ガガの機嫌がいい要因なのかもしれない。

 彼は、いつになくぺらぺらと喋り続けた。


「それにしても、あのオーデルク大公のおやじ、側室が六十人以上いたっていうの、何となくわかるような気がするな。ぼくから見ても、艶っぽいというか、精力的というか。それに、やり手だよね。公子さまは何も考えてないけど、大公さまはとても考えている」


「魅力的な人だよね。フィリアス公子も年を取ったら、あんなふうになるのかな」


「たぶん外見は確実にね。中身も、何十年後かには経験を積んだ分、今よりも多少オトナになってるんだろうけど。だけど、公子さまも、翡翠のナディルを側室にしようと狙っていたなんて、あきれてものも言えないね」


「側室じゃなくて正妃だよ。未来のオーデルク大公妃」


「ナディル王女さまのほうはね。翡翠のナディルは側室だ。とにかくナディルがさっさと断ってよかった。アーヴァーンに、王女は今大公の城に滞在してます、なーんて使いでも出されてたら、身動き取れなくなるところだったし。それまでにオーデルクを出られて、ほんとよかったよ」


 ガガは、何度も頷いた。

 

「よかった、か。それで、嬉しそうなんだ?」


 ナディルは、まだしつこく頷いているガガに声をかける。


「だって、『翡翠のナディル』ともあろう人が、見ていられなかったもの。気持ちはわかるよ。落ち込んでるときに、目の前に『幸せな結婚生活と未来』が、確かなものとして降りてきたんだから。つついてみたくもなるよね。公子さまは見た目もいいし、助けてもらった恩もある。あの魔女を抱きしめたときも、確かにかっこよかった」


「フィリアスの厚意とやさしさにすがってもいいかなって、少しでも思ってしまったのは浅はかだったな。オーデルクの大公妃になったら、すべて丸くおさまって楽できるかもなんてね。少々自己嫌悪だ。君主の家なら、どこに行っても大変だということは当たり前なのに」


 ナディルは、呟いた。


「仕方ないよ。ナディルだって、やっぱり若い女の子なんだもの。王女さまやってたって、賞金稼ぎやってたってさ。夢見る少女であることに変わりはないさ」


「ありがとう。包括的な励まし方をしてくれて。ちょっと苦し紛れっぽいけど」


 ナディルは、微笑んだ。

 やはりガガは、ナディルの気晴らしになるように、いろいろと賑やかに喋ってくれているのだろう。

 ナディルは、彼のそんな心遣いを嬉しく思う。


「何の。しっかし、フィリアス公子さまは基本的にはいい人だけど、やっぱり側室二十五人はまずいよなあ。それも、これから確実に人数が増えそうだしな。たったひとりの側室で苦労してきたナディルが、首を縦に振るはずもないんだ。でも、公子さま、ナディルが何で断ったのか、一生わかんないんだろうな」


「オーデルクが、これからも平和でありますように。そう願わずにはいられないよ。フィリアスがのんびりしていても、奥方たちは戦っているんだと思う。たとえ国の慣習で、表向きがどんなに穏やかに見えたとしてもね。そうすることで、大公家は大公を頂点に均衡が保たれて、うまくいってるのかもしれない」


「大公は、女性たちの嫉妬を巧みに利用してるってわけだ。外から見ると穏やかでのんびりしていても、やっぱり中ではいろいろあるんだよね。まあ、あれだけ女性がいて、いくら慣習ってことで納得させられていたとしても、何にもないわけがない。何もないほうが、不自然で不気味ってもんだ。表に出ない分、ねちねちと凄まじかったりして。ぼくの長年の経験上でも、そう感じるね」


「側室の子供も気の毒だよね。どうしても自分の力では越えられないものに常に悩まされる。私の兄さまたちも辛かったんだと思う」


「だからお妃も頑張っちゃったんだろうな、周りの思惑も巻き込んで。あのかわいい公子さまの公子さまの行く末に、幸多からんことを」


 ナディルは、あの薄緑の目をした年上の美しい側室のことを思ってみる。

 公の席でフィリアスの隣に並ぶことが許されるのは、常に彼の正妃。

 どんなに心を傷つけられて叫びたくても、彼女はそれを押し殺し、聡明でしっかりした第一側室として、家庭内のさまざまなことに采配を振らねばならない。

 そして、たとえ懸命に大公家に尽くしても、彼女は決して側室以上のものにはなれないのだ。

 それが、もう既に決められてしまっている彼女の未来。

 どれだけ苦しいことだろう。やるせないことだろう。

 それとも彼女は、そんな感情は心のどこかに閉じ込めて、賢くやり過ごして行くのだろうか。


 ナディルは、お妃――父の側室と彼女を重ねてみた。

 側室たちもまた、それぞれにさまざまな思いを抱えて生きている。自分の境遇の中、精一杯に。あるいは、したたかに。

 そんな彼女たちに対抗するには、やはり自分も過酷な戦場に身を置かねばならないだろう。


「公子さま、そのうちあの魔女を二十六番目の側室に、なんて言い出すんじゃないだろうな。あの性格じゃ言い出しかねないぞ。いや、公子さまよりか大公のほうが目を付けるかも。あの人、結構きれいだものね。二人して、あの魔女の城に入り浸ってたりして」

 と、ガガ。


「ま、あの人がそれを受け入れるなら、別に構わないけどさ。公子さまは、あの人の婚約者によく似ているらしいし。ってことは、大公も似てるんだろうし。側室とはいえ、今の魔女の境遇よりは、はるかにマシだ。大公家の一員としてそれなりに身分は保証されて、終生敬われるもの」


「ちょっと先走りすぎてるけど、何気にカジェーラの幸せを願ってあげてるの? 彼女も気の毒な姫君だものね。あなたは妙に絡んでたけど、実は彼女のこと気に入ってたんじゃない?」


 ナディルは、くすっと笑う。

 ガガは、不満そうに鼻を鳴らした。


「何であんな婆さんを。あの人は薄幸の姫君っていうより、やっぱりぼくにとってはおっかない魔女だからね。しかし、あの人の婚約者だった昔の大公さまは、側室なんかいなくて、あの人だけだったわけでしょ。後に結婚もしなかった。たいした大公さまだったんだね」


「とても素敵な人だったんだろうね。だから、今でも彼女は彼のことを思ってる。百五十年も前の恋なのに」


「じゃあ、やっぱり彼女がフィリアスや大公の側室になるなんてあり得ないね。申し込まれても、<笑止じゃ!>とか言って、断っちゃうだろうな」


「カジェーラは、見た目はあんな感じだけど、すごく大人だものね。欲なんかもないし」


「同意! いつもぼくは彼女に絡もうとして、結局ガキ扱いされて空回りさせられてた気がする……。ところで、ナディル。当面の目的地は? 予定通りというか、仕方なくというか、何せアーヴァーンに帰る?」


 ガガが、雑談を中断して確認する。


「うん。でも、もう少し士気を高めてからにしたい。あの場所に帰るってことは、戦うってことでもあるわけだから。雑念を払って、心を研ぎ澄まさなきゃ。私はもっと強くなりたい。もうしばらく賞金稼ぎの仕事をして、それからかな。カジェーラにはちょっと待ってもらわなきゃいけないね」


 ナディルは、答えた。


「ま、婆さんはいつまでも待たせとけばいいさ。そのほうが長生きするだろ」


 ガガは、おもむろに後ろを振り返る。

 そして、薄紅の空の下に広がるオーデルク大公の城をしみじみと眺めた。


「おいしそうだな。あんなお菓子が食べたいな」


「食べようか。今夜は高級な宿に泊まって、豪華に行こう」


 ナディルが提案する。


「当然だよ。『翡翠のナディル』は、今、その目の色と同じ上等な翡翠をしこたま持っているんだものね」


 ガガは言って、ぺろりと舌なめずりをした。



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