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オーデルク大公城 3

「お話というのは?」


 ナディルのために用意された客間に、フィリアスが入ってくる。

 彼は、ナディルがドレスに着替えず、まだ旅の衣装のままでいることに、少し疑問を持ったようだった。

 ドレスと装飾品は、首飾り以外は、召使いが持ってきたそのままの状態で客間に置かれていた。

 ドレスは、ウィーカが選んだという、垢抜けた形の美しい薄紅色のもの。装飾品は、それほどの派手さはないが、翡翠をふんだんに使ったものだ。


 ガガは所在なげに、翡翠の首飾りをテーブルに乗せて遊んでいた。

 首にかけたエリュースの鈴が、時たまチリンと涼しげな音をたてる。

 

「お返事をいただけるのでしょうか、ナディル王女。私の求婚に対するお返事を?」


 フィリアスは、問いかけるようにナディルを見つめた。

 アメジストの目が、期待と緊張に満ちて輝いている。


「取りあえず、座ったら?」


 ガガが言う。

 フィリアスは、どこか居心地悪そうに椅子に腰を下ろした。

 ナディルも続いて、フィリアスの向かい側に静かに座る。


「フィリアス公子。あなたのご厚意には感謝します。鏡から助けていただいたことも、感謝しております。ですが……」


 ナディルはしばし黙り、それから心を決めたように続けた。

 フィリアスに、きちんと説明しなければならない。

 たとえ彼にわかってもらえなくても、誠意を込めて。


「アーヴァーンは一夫一婦制です。王族は側室がいたりはしますが、それは例外として」


「あなたのお父上も、例外に入りますよね?」


 フィリアス公子が訊ねる。ナディルは、頷いた。


「子供の頃から疑問に思っていました。なぜ父の妻は、他の一般家庭のように私の母だけではないのだろうって。私はその慣習を受け入れることが出来ませんでした。今でも受け入れてはいません。私がアーヴァーンの城を出た理由のひとつは、そのせいもあると思います」


「しかし、側室というのは、便利で大切な制度でもあるのですよ。相手の身内を娶ることで、敵を味方にも出来ます。味方とはさらに、その結束を高めることが出来るのです。外国の王家とも、円満に付き合っていけますし、臣下たちとは信頼が深まります。また側室を下げ渡した臣下とは、新たな絆が結ばれるのです」


「私も昔、側近の公爵から同じようなことを言われました。でも私は、自分の夫になる方の妻は自分だけでないと納得が出来ません。私が安らぎと平和を得る家庭を作るためには……」


「だが、ナディル王女。正妃はあなただけですよ。たとえ側室が何十人いようとも、大公妃はあなただけ。あの翡翠の冠を贈られるのは、大公妃だけです。そして次期大公になるのは、大公妃が生んだ子供なのですよ」


 フィリアスが、困ったように言う。


「大公妃が男の子を生めば、でしょう」


 ナディルは、ふっと溜め息をつく。


「まあ、それが大公妃の仕事でもあるわけですし。オーデルクの大公になれるのは、男子だけですからね。アーヴァーンの国王はそうではないようですが。もちろん私も、惜しみなく努力はしますよ」


 フィリアスが、少し頬を赤らめた。


「もう男の子は生まれています。公子さまは、ウィーカさんを正妃にしてあげるべきなのではないでしょうか。それがいちばん大公家がまとまっていけることだと思うのですが?」


 ナディルが言うと、横でガガが翡翠の首飾りを回しながら、深く頷いた。


「え? 何でですか? 彼女は大公妃になるには、身分が低すぎますよ。私よりかなり年上ですしね。なに、彼女のことならご心配はいりません。分をわきまえていますからね。きっと大公妃を何かと助けてくれるでしょう。他の側室たちも、こぞって素晴らしい女性たちですよ。皆、とても穏やかで仲がいい。あなたの力になってくれると思いますよ? 男の子が生まれなければ、大公妃であるあなたがウィーカの子供を養子にすれば済む話ですし?」


 フィリアスが不思議そうに言う。


「わかってないよなー」


 ガガが、さらに首飾りを激しく、ぐるぐると回した。


「フィリアス公子。あなたはきっと、どの側室にも等しくおやさしいのでしょう。側室の方々はそれに満足され、その慣習を当たり前のこととして受け入れておられるのかもしれません。でも、私にとってそれは当たり前のことではありません」


「オーデルクの慣習にご不満なのですか? ですから、大公妃は他の側室たちとは違いますよ? 表向きには、私の妻はあなたひとりということになりますから」


 フィリアスが首をかしげた。


「あなたの奥方は、あの二十五人の女性たち全員です。私がここに入れば、きっと私は争いの元凶となる。ここの調和を乱してしまう。あるいは、私自身が病になってしまう。私の母のように……。母は、覚悟を決めて側室のいる父と結婚したのでしょうけれど、やはり耐えられなかったのだと思うのです。私が幼い頃、母は、父が側室の子供たちと遊んでいる姿をとても寂しそうに眺めていました。母の思い出はあまりありませんが、その姿だけは今でもはっきり覚えています。私が求めているのは、配偶者として私だけを愛し、私だけに安らぎをくれる、たった一人の男性。それは、ごく普通の少女にはありふれた望みであり、当然のごとくに与えられる未来でもあります。王女としては、我がままで贅沢な望みなのかもしれません。でも、私はそれを求めずにはいられないのです」


「ええっと。つまり、その……私はあなたに、あなたの望むものを差し上げられないということなのでしょうか……?」


 フィリアスが、ためらいがちに確認する。


「うん。ご明察。平たーく、且つやわらかく言えば、そういうことだ」と、ガガ。


「男だったら、すっぱりきっぱり潔くあきらめようよ、公子さま」


 フィリアスの整った美しい顔が、たちまち崩れた。


「そんな……。非常に……非常に残念です……。私の父も残念がるでしょう。あなたをとても気に入っているというのに。あなたにお会いするのをとても楽しみにしていたのですよ……」


 フィリアスは、今にも泣き出しそうな子供のような顔をする。

 ナディルは、何か自分がとても意地悪ないじめっ子になったような気分になった。

 けれども、彼にこういう顔をされてそんな気持ちになった女性は無数にいたのだろうし、それを増幅させて自分の意見を撤回した女性もまた数多くいたに違いないと、冷静に思い直す。


「私もとても残念です。大公さまにはよろしくお伝えください。私は『翡翠のナディル』として、大公さまにはお会いせずにオーデルクを離れます」


 フィリアスは、長い溜め息をついた。それから自分を納得させるかのように、口元に弱々しい微笑みを浮かべて頷いた。

 やがて彼は静かに立ち上がり、うなだれながら、ふらふらと部屋から出て行く。

 その悲壮感漂う背中を見送って、ナディルはさすがに後ろめたさを感じた。


「私、ちゃんと上手に断れたのかな。公子さまを傷つけたんじゃないかな」


 ナディルは、フィリアスに負けないくらいの大きな吐息を出して、呟いた。

 曲がりなりにも、自分に特別な存在として思いを抱き、求婚してくれた相手だ。

 やはりその彼を自分の言動によって落ち込ませるようなことはしたくはなかった。

 けれども、結局申し出を断ったこと自体が、どう逃れようと彼の気を悪くさせてしまったことに間違いはない。


「まあ、今まで側室たちに結婚を申し込んで、断られたことはきっとなかっただろうな。でも、少しぐらい傷ついたほうがいいんだよ、あの人は。傷つく前よりは多少大人になれる。周り、特に女性からはいつも手を差し伸ばしてもらって、何でも思い通りになる生活をしてきたのだろうからね。そうならないこともあるってことを学習しなきゃ。それが公子さまのためでもあるんだよ。あの魔法の鏡になーんにも映らなかったなんて、一国を担っていくには問題がありすぎる。たとえ無意識に立ち回りがうまい才能を持っていたとしても」


 ガガが言った。


「おっしゃる通りですな。私もあれの性格には、一抹の不安を覚えるところですが」


 扉の影から、誰かがガガに同意する。

 ナディルとガガが振り返ると、そこには一人の人物が立っていた。

 腰くらいまでもある、柔らかく波打つ金の髪、透明なアメジスト色の目。

 ゆったりとした着心地のよさそうな衣装に身を包み、優雅な姿勢で扉に軽く片手を添えている。

 その指には、幾つもの翡翠の指輪が輝いていた。

 そして何よりも特徴的なのは、その人物がフィリアスによく似ていたことだ。


「うわ、これまた公子さまをそっくりそのまま老けさせたようなオジさ……」


 ナディルは、素早く立ち上がる。


「オーデルクの大公さまだ」


「ひいいっ!」


 ガガは、両手で口を押さえて飛び上がる。


 ナディルは、大公に軽くお辞儀をした。

 大公は人懐こい微笑みを浮かべながら挨拶を返し、ナディルの部屋に入って来る。


「しかし、まあ、あれも短期間で立派に冠を探してきましたのでね。やはり、何やら妙な嗅覚というか才覚というか、そのような天分を持っておるようです。大公となっても心配はいらないでしょう。しっかりした側室も付いておることですし、側近たちも頼れる逸材ばかりですしね。近隣諸国とも良好にやっていけるはずですよ。ナディル王女、お会いできて光栄です」


 大公は、フィリアスが先程まで座っていた椅子に、どっかりと腰を下ろした。

 彼はナディルの父よりも二つ三つ年上のはずだったが、実際の年齢よりもはるかに若く見えた。

 ナディルは、この年代でこれほど美しい男性に会うのは初めてだった。

 確かに顔には年齢に応じた皺が刻まれてはいたが、それは彼の魅力を引き立てる飾りにしか過ぎなかった。

 顔だけではなく、彼の体全体が、内部から生命力が常に溢れ出ているかのように、しなやかで若々しい。

 彼のアメジストの目に見つめられて頬を染める娘は、案外多いかもしれなかった。


「ナディル。私はあなたが欲しかったのですよ、フィリアスの妃として、ぜひ我が大公家にお迎えしたかった。実は、あなたが生まれたときからそう望んでおりました。十七年前、アーヴァーンの正妃に姫君が出来たと聞いて、踊り出したい気分でしたよ。フィリアスに願ってもない伴侶が現れたかもしれぬと」


 大公が言った。


「公子さまから伺いました。私をことのほか気に入ってくださっていたとか。ご期待に添えなくて申し訳ありません」

 

「いや。アーヴァーンの姫君にふられるのは、オーデルクはもう慣れていますからね。オーデルクの男共は、いつもアーヴァーンの姫君たちに振り回されっぱなしです。かく言う私も、あなたの母上に片思いでしたな。そういう理由でも、あなたが欲しかったわけなのですが」


「母に……ですか?」


 大公は、ナディルの翡翠色の瞳でまじまじと見つめられ、嬉しそうに微笑んだ。


「若かりし頃の話ですがね。舞踏会でお相手をしていただいて、一目惚れでした。しかし、お母上は従兄の公爵に嫁がれるという噂を耳にしましたので、躊躇しておったのです。そうしましたら、何ということか、アーヴァーンの国王とご結婚されて王妃さまになってしまわれた。ぐずぐずとためらっていた自分を呪いましたな」


 大公は明るく、はっはっはと笑った。それから少し神妙な面持ちをして、ナディルを覗き込む。


「ナディル王女。では、これから銀の猫を探しに行かれますのかな?」


「いえ、それは……」


 ナディルは思わず視線を宙に漂わせ、その後すぐにそれを床に落とした。


「またしても我が大公家の男は、銀の猫に姫君をさらわれてしまうのですかね。まあ、それは詮索するのはやめておきましょう。とにかく、あなたがご無事でよかった。これでも私は、あなたを心配しておったのですよ。あなたが王位継承争いに巻き込まれてしまったのではないかと。あなたは離宮にはおられなかったようですしね」


「ありがとうございます、心配してくださって。でも……ご存知だったのですか? アーヴァーンはそのことを隠していたはずなのに?」


「オーデルクは、アーヴァーンよりも小さな大公国です。生き残っていくためには、それなりに細かく情報網を張り巡らせる必要があるのですよ。さすがにあなたの消息まではわかりませんでしたがね。『翡翠のナディル』があなただということも」


 大公は、にやりと笑った。


「もちろん心配していたのは、私だけではないと思いますよ。あなたの近しい方々は、私などには比べ物にならないくらいにご心労のことかと」


「そうですね。耳が痛いです」


 ナディルは、呟いた。


「しかし、あなたが行ってしまわれるのでしたら、息子の嫁にふさわしい姫君を改めて探さなくてはなりませぬな。また悩みが増えてしまいますよ」


 大公は、おどけて大袈裟に頭を抱えて見せる。

 

「フィリアス公子の正妃は、やはりお迎えされるのですか?」


 ナディルは、大公に訊ねた。


「調和が乱れますかな? 先程フィリアスに、そのようなことを仰っておいででしたね。確かに今は、ウィーカが何かと仕切っておるようですが。しかし、正妃は必要ですよ。他国に誇れる血筋で、且つアメジストの目をした公子を産んでくれる、若い正妃がね」


 大公は、自分の目を指差した。

 フィリアスそっくりのその目は、冷たく静かな宝石よりもはるかに瑞々しい、深い紫の美しい色合いをしていた。


「これは我が大公家の特徴であり、印でもあります。私の孫は、髪は私やフィリアスに似ましたが、目の色は母親に似てしまった。彼は将来、そのことで不利になるかもしれません。他の側室や未来の正妃にそんな目の弟が生まれれば、ですがね」


「アメジストの目。それを持っていることが大公の条件になるのですか?」


 ナディルが質問すると、大公は穏やかに笑う。


「頭が古くて固い連中は、そういうくだらないことも気にするものなのですよ。ルビーで次期国王を決めるアーヴァーンもまた然り、ですな」


「そうですね。良くない慣習だと思います。変えていかねばなりません」


 ナディルが言うと、大公は一瞬驚いたようだったが、引き続き口元に笑みを浮べた。


「これは頼もしい。ナディル王女、今度あなたにお会いするときは、女王陛下となられて、アーヴァーンの玉座に座っておられるやもしれませぬな?」


「それは、国王である父が決めることです」


「ほう、ルビーではなくお父上が、ですか」


 ナディルは頷く。

 大公もまた満足そうに頷いた。そして頬杖をついて、ナディルを遠慮会釈もなく、真正面からじっと眺める。

 ナディルは、そのアメジスト色の目を臆することなく見つめ返した。


「ぜひとも、女王となられたあなたと舞踏会で踊ってみたいものです。もちろん、その時には踊ってくださいますね? ところで、ナディル。私はまだ片思いをあきらめてはおりませんよ。将来、あなたが夫となる方との間に姫君を設けられたなら、ぜひ私の孫の正妃としてお迎えしたい」


「大公さま。それはあまりにも先走りすぎですよ。未来がどうなるかなんて、誰にもわからないんですから」


 ガガが、たしなめた。

 大公は、ガガにも温かな眼差しを向ける。


「いや、小さな金の竜殿。時間なんぞ、あっという間に過ぎ去ってしまいます。はるかなる昔から生きてこられたあなたは、そのことをよくわかっておいでのはず。そして未来が見えなくて不安だからこそ、我々は様々な角度から先を読むことを試み、あらゆることに備えなければならぬのです。婚約が早ければ、そちらのご意向で側室を娶るのを止めることもできますしね。どちらにしろ、オーデルクはアーヴァーンに片思いをし続けるでしょう。猫族の血を引く、アーヴァーンのかわいい姫君を得られるまではね。ナディル。あなたの戴冠式と結婚式には、ぜひ出席させていただきたいものですな」


 オーデルク大公はナディルの手を取り、うやうやしく唇をつけた。



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