オーデルク大公城 1
オーデルクに入ったフィリアス一行を市民たちはこぞって歓迎した。
臣下のひとりが一足先にカジェーラの城を出立し、公子の帰還を知らせていたのだ。
人々は笑いさざめき、馬上のフィリアスに手を振った。
着飾った娘たちは、一行に向かって花を撒く。
フィリアスは手を上げ、人々に応えた。
あちこちでフィリアスの名前が呼ばれ、褒め称える声が沸き上がる。
「いかがですか? これがオーデルクの陽気で人懐っこい人々です。あなたが望めば、もうすぐこの歓声は、あなたのものになるのですよ」
ナディルと並んで馬を進めるフィリアスが言った。
人々に笑いながら手を振るフィリアスは、頼もしく、またとても美しかった。
金の巻き毛がゆらゆらと風になびき、そのやさしげな双眸は高貴な宝石の紫色。
娘たちが撒く薄紅の花びらは、彼の姿を間違いなく引き立てながら、その周囲に降り注ぐ。
それはオーデルクの大通りの空を覆い、ナディルの周りにも心地よく舞った。
オーデルクの人々から、こよなく愛され、慕われている公子。
王位継承争いなどとは微塵も関係のない、のんびりとした明るい大公家。
公子と婚姻を結び、大公家の一員となれば、何の不自由もない楽しげな生活が保証される。
少なくとも、ナディル王女としてアーヴァーンに戻るよりは、あるいは翡翠のナディルとして、賞金稼ぎという不安定な仕事を続けることよりは、はるかに望ましく、満ち足りた未来になることは確実だった。
「断る理由がないんだよね……」
ナディルは呟いた。
「え?」
と、ナディルの頭の上で金の兜となっているガガが聞き返す。
「公子さまの申し出を断る理由。だって、理想的な相手だもの。外見だって、中身だって、彼に付随するいろいろな物だって」
「中身がガキってことが気にかかるけどな」
ガガが言う。
「それも許容範囲内。この話を断ったら、きっともうこんなことはないよ。顔も見たことのないどこかの中年王族との縁談が来るか、当たり障りのない臣下と適当に娶わせられるか。それとも一生独身かな。もちろんそれは、アーヴァーンに帰ったらの話だけど」
「アーヴァーンに帰らないで、今まで通りずっと『翡翠のナディル』でいるっていうのも、ありだと思うけど?」
「そして、賞金稼ぎの誰かと結婚するの?」
ナディルは、視界にぶらさがっているガガの前足に訊ねた。
「たとえば化け猫エリュースと。賞金稼ぎを続けていたら、遅かれ早かれ『翡翠のナディル』は、そのうち『化け猫エリュース』と対峙する時が必ず来る。そしたら、彼の本心を訊いてみればいいんだよ」
「訊かなくてもわかったよ。鏡が教えてくれたもの。あなたもエリュースのことはきっぱり忘れろって言ったじゃない」
「言ったけどさ……。何かしっくりしないな」
「気のせいだよ。現実をちゃんと認めなきゃ」
「でも、やっぱりナディルが本当に欲しいのは、アメジストじゃなくて、トパーズの目なんでしょう?」
「アメジストが何ですって?」
フィリアスが、話に割り込んでくる。
「公子さまのアメジストの目が、とてもきれいだって話だよ」
ガガが皮肉っぽく答えた。
「それはどうも。ナディルの翡翠の目もすばらしいですよ。もちろん、ガガくんのルビーの目もね」
フィリアスが笑う。
「ナディル。城に着いたら、着替えてくださいね。早く美しいあなたを見せて自慢したいです。皆、びっくりしますよ」
「そりゃあ、するだろうさ」と、ガガが言ったときには、フィリアスは既に向きを変え、バルコニーに鈴なりの貴族の娘たちに手を振っていた。
娘たちは頬を染め、公子の視線を独り占めしようと、必死に叫び声を上げている。
「もし彼の申し出を断って、それでもユーフェミアみたいに『いつまでもお待ちしますよ』なんてやさしく言われたら、結局受け入れざるを得なくなるよね……。彼は、鏡の中の妄想の虚像じゃない。ちゃんと実在する生身の人間なんだもの。そんな人に心のこもった言葉を投げかけられたら、やっぱり答えなければならない」
ナディルは、自分に言い聞かせるように呟いた。




