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棺の中の姫君 1

 オーデルクの人々の一行は、フィリアスを先頭にして魔女カジェーラの城を出立した。

 フィリアスの後ろには、彼の臣下たちが翡翠の冠を守るように、隊列を組んで従った。

 ナディルとガガを乗せた馬は、その一行から少し間をあけてついていく。

 フィリアスの臣下から輿に乗るよう勧められたのだが、もちろんそれは断った。


 一行は平和で美しい花畑を通り、山の道へと入った。

 同じような景色が延々と続く空間を人々はゆっくりと進む。


「ねえ、ナディル。じゃあさ、アーヴァーンに帰るってこと? オーデルクで報酬の翡翠をもらったら」


 ナディルの首にゆったりと巻きついていたガガが、訊ねた。

 先ほどのカジェーラとのやりとりで、状況は一変してしまったのだ。確認しておかねばならぬことだった。


「カジェーラが城に来るというのなら、いずれ近いうちにそうせざるを得ない。彼女にルビーを返さないとね。あのルビーの本来の持ち主は、彼女の一族なのだから」


 ナディルは答える。


「ナディル王女、覚悟を決めてアーヴァーンに帰りますか? でも、すんなりと帰れるかな……」


 ガガは、前を行くオーデルクの隊列を赤い瞳で眺めた。


 やがて、先頭にいたフィリアスが隊列から離れ、道を逆走して来る。

 彼は、自分の馬をナディルの馬の横に並べた。


「おや、公子さま。帰還の旅は始まったばかりなのに、もう退屈になったのかな」


「まあ、それもあるのですけれどね」


 フィリアスが、白い歯を見せて笑う。


「ナディルに用があるのですよ」


「何でしょう?」


 ナディルが訊ねる。

 フィリアスは、透き通ったアメジスト色の目をナディルに向けた。

 少しためらってから、言いにくそうに彼は切り出す。


「その、ナディル。冠のことですが……。あなたがずっと持っていてくださいませんか?」


「は? 何だって?」


 ガガは、よく聞こえなかったふりをするように、頭をかしげて耳を突き出した。

 ナディルは、フィリアスに訊ねる。


「でも、あれは、オーデルクの大公妃さまの大切な冠なのでしょう?」


「そう。オーデルクの大公に嫁ぐ姫君が付ける冠。そしてナディル王女。翡翠の目を持つあなたに、最もよく似合う冠です」


 フィリアスは、頬を染めた。


「公子さま、回りくどい言い方をしやがる……」

 

 ガガが、あきれたように溜め息をつく。

 けれども、当然その言葉の意味を推し量ったナディルは、公子に言った。


「つまり、私にあの冠の正式な所有者になれということですね?」


「そうです」


 フィリアスは、頷いた。


「ナディル。オーデルクの大公妃になっていただけませんか? もともとあなたとの縁談話はありました。あなたがご病気になられたとかで立ち消えになってしまってはいましたが。あなたはご病気ではなかったようですし」


「そ。ご存知のように家出してたのさ、ナディル王女は」


 ガガが言う。

 ナディルは黙り込んで、青と白の旅の風景に視線を移した。

 乾いた岩山と、空に浮かぶ羽根のような雲が、じんわりと動いて行く。


「私はエリュースのように、あなたを置いて行ったりはしません。彼のように、あなたを守れないなんて決して言いません。何があっても、あなたを守ってみせます」


 フィリアスが、真面目な顔をして言った。


「私は、自分で自分を守れます。どなたにも守っていただく必要はありません」


 ナディルは答えた。


「でも、今回は守れなかったですよね?」


 フィリアスが、微笑む。

 ガガにじろりと睨まれ、彼の微笑みは、たちまち苦笑に変わった。


「いや、まあ、私がお助けしなくとも、カジェーラがあなたを助けたかもしれません。彼女が何もしなかったとしても、おそらくエリュース殿があなたを助けたでしょう。彼はカジェーラ殿とは親戚なのでしょう? 早かれ遅かれ、彼はあの城に必ずやってくる。そしてあなたを見つけて、鏡の呪縛から解いたはずです」


「むろん、鏡を割ったりせずにね」と、ガガ。


「エリュースに助けられる……。それは私にとっては屈辱です。あなたには感謝しなければ」


 ナディルは、小さく呟いた。


「ナディル王女。たとえあなたを守る必要がなくとも、私はいつもあなたのそばにいましょう。あなたのそばにいて、あなたに微笑みと安らぎを差し上げましょう。あなたも私のそばにいて、いつも笑っていてください。その美しく、可愛らしい微笑みを私に下さい。私の妃になれば、あなたの身の安全は保証されますし、アーヴァーンの王位継承争いもなくなります」


 フィリアスが言った。


「たぶん、そうでしょうね……。フィリアス公子、あなたといれば、安らぎと平和が得られるでしょう。振り向いてくれないエリュースを追いかけるよりも、ずっと幸せかもしれません。お父さまも、デュプリー公爵も安心するでしょうね。すべてうまくいくのです」


「でも、本当にそれでいいの?」


 ガガが訊ねる。


「正直に言いますと、私があなたと結婚したい理由は、別にあるのですよ」


 フィリアスが、明るく言った。


「私の妃になれば、あなたのアーヴァーンでの王位継承権はなくなります。けれども、あなたの子供には与えられるのです。昔、アーヴァーン王家のルビーが、他国に嫁いだ王女の息子を次期国王に選んだことがあったとか」


「きっとその嫁いだ王女は、正妃の娘だったんだね。で、猫族の血を引いていたんだ」


 ガガが、ぼそっと言う。


「え?」とフィリアスはガガを見つめたが、ガガは無視して空を見上げた。


「次期国王も、その可能性がありますよね。何しろ、現国王の正妃はあなたの母上だけ。あなたの他のご兄弟は、全員側室のお子様です。となると、あなたが他国に嫁げば、ルビーは誰も選ばないかもしれない。そして、あなたの生んだ王子か王女を指名するかもしれないのです」


「オーデルクの大公が、アーヴァーンも治めるということですか?」


 ナディルは、フィリアスに訊ねた。


「あなたにとっては、悪くはないことのはずですよ。あなたはアーヴァーンの女王にならなくても、アーヴァーンの国王の母になるのですから。あなたの血を引く者が、代々アーヴァーンの王、そしてオーデルクの大公となっていくのです」


「そうかもしれませんね……」


 ナディルは呟いて、遠くを眺めた。


「まあ、これは、あなたとの縁談が舞い込んできたときに、私の父が言っていたことの受け売りなのですけれどね。父はあなたのことを大変気に入っていたようです。あなたの肖像画は、とてもかわいらしかったようですしね。臣下たちが、いろいろと話してくれましたよ。我が大公家は、あなたを歓迎し、大切にします。ぜひ考えておいてください。お返事はオーデルクに到着して、しばらくしてからで結構ですから」


 フィリアスはにっこり笑い、再び馬を飛ばして、隊列の先頭に戻って行った。

 

「やっぱりあの公子さま、妙にやり手だよね。自分ではもちろん、何の意識もなく、何も考えてはいないのだろうけど。一つ一つの立ち回りが結構的を射てて、したたかなんだ」


 ガガが、感心したように呟いた。


「そうだね。フィリアス公子なら、きっとオーデルクのいい大公さまになれるだろうね。彼の家族になる人たちも、彼と一緒に、楽しくてのんびりした時間を過ごせるのだろうな」


 ナディルも頷く。


「で、どうするの、ナディル。フィリアス公子があんなこと言ってきたけど。ぼくは、さらに先が読めなくなってきたよ」


「本当にに大切なものを見極めたら、それを手に入れる。そしてそれを手にしたら、しっかり抱きしめ、決して離さない。カジェーラが言ってたでしょ。私はいつまでも十七歳ではいられない。エリュースと出会った十五歳のときから、もう二年もたってしまった。賞金稼ぎの世界でも、皆がちやほやして仕事を回してくれるのは、私が十七の若い娘だから。だけど、いつまでもそれは続かない。これからの身の振り方を決めなければね。オーデルクの大公妃になるのも悪くはないかもしれない。命を狙われることもなくなるだろうし、私が他国に嫁いだら、お妃さまだってほっとされるだろう。彼女の周囲の連中もね。それも選択肢の一つ。未来は自分で決めなきゃ」


「ナディルの心は、フィリアス公子に動いているの? エリュースのことは、もう忘れられたの? 公子さま、ずるいよね。心が弱ってるときにやさしい言葉なんてかけられたら……。むろん公子さまは、やっぱりそうしようと思ってそうしたんじゃないんだろうけどさあ」


「私の先祖のユーフェミアも、たぶんそうだったんだろうな。傷ついている時にあんなことをそばで言われたら、心が自然とその人に向かって行ってしまうよね」


<私は、姫さまのおそばにずっといますよ。たとえ何があろうと……>

<お待ち致します、ずっと。姫さまが、私にそばにいて欲しいとお思いになるまで……>


 ナディルは、夢の中の若者がユーフェミアに言った言葉を思い出す。


「だけど、ユーフェミアは幸せだった。そう思えるよ。恋人に去られても、その後愛する夫を得て、子宝にも恵まれた。あの絵も、不幸な人生を歩んだ女性には決して見えなかった。ファルグレット侯爵のことは、完璧に思い出にしてしまえたんだ。私も、彼女のようになれるのかな」


「ナディル。もしかして、自棄やけになってない?」


 ガガが心配そうに訊ねる。


「先祖が幸せだったからって、ナディルも幸せになれるとは限らないよ。無理やり心を別なところに向けようとしちゃだめだよ」


「だいじょうぶだよ。私は自分の心に従って、自分が幸せになれる選択をするから」


 ナディルは呟き、再び空を見上げた。

 明るい薄青の空には、輝きを失った月が印を押されたように浮かんでいる。

 それは、猫の前足の研ぎ澄まされた爪のような、尖った形をしていた。



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