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虜囚たち 1

「『翡翠のナディル』とは、よう言うたものじゃのう。黒髪に金の冠。その目に翡翠。髪がもっと長ければよかったのう」


 カジェーラはナディルを小さな部屋に連れていき、そこにずらりと並んだドレスを取り出しては、ナディルにあてがった。

 色ごとにきちんと並べられたドレスは、どれも高価で美しいものだったが、ナディルがあまり見たことのない形状と装飾だった。

 唯一見たのは、絵の中。ナディルの先祖のユーフェミアが着ていた衣装だ。

 おそらく百五十年くらい前、ユーフェミアが生きていた頃、流行っていたドレスに違いない。

 そしてカジェーラがまだ若く、魔法で外見を装わなくとも少女でいられた時代の頃のもの。


「どれがいいかの」


 カジェーラは踊るような足取りでドレスを抜き出し、引き出しから装飾品を次々に取り出した。


「ついでに、あの竜にも何か用意してやろうかの。子猫用の衣装ならあるからの。レースの付いた赤いケープはどうじゃ? 緑色の帽子をかぶせても似合うかもしれぬな」


「どんな衣装でも、ガガはきっと断ると思います」


 ナディルが言うと、カジェーラは眉をしかめた。


「つまらぬの。まあ、竜は竜らしくいるのが一番じゃが」


 結局カジェーラは、アーヴァーンの正装によく似た衣装を選んだ。

 白と金を基調にした、豪華なものだった。

 ドレスの表面を覆う見事な縫い取りは、鳥と花を組み合わせたもの。

 年若い姫君のために作られたらしいドレスだった。


 カジェーラは、ナディルにドレスを着せた後、長い黒髪の付け毛をナディルの髪に補った。

 それからナディルの頭にオーデルクの大公妃の宝冠を乗せる。

 カジェーラは、いろんな距離からナディルを何度も眺め、満足そうに頷いた。


「やはりよく似合うのう。何と美しい。そうじゃ、ではその冠はそなたにやろう。そなたがここから持ち出すがよかろう」


 カジェーラが言った。


「あの公子に簡単に返してしまうのは、少し癪に障るのでな。私はこの冠を手に入れるのに、気に入っていた黒真珠の首飾りとエメラルドの指輪五つを代わりに手放したのじゃぞ」


「私に……ですか? あなたがそんな高価な代償を払って手にした冠を……」


 ナディルは戸惑って、彼女を見つめる。


「よいのじゃ。そなたはその美しさで、目の保養をさせてくれたからの。そなたがその後、誰に冠を譲ろうとそなたの勝手。私の知るところではない」


 カジェーラが、にっと笑った。


 ナディルは冠に気をつけながら、感謝を込めてお辞儀をした。

 それから、彼女に訊きたくて訊けぬままだった質問を思いきってぶつけてみる。


「カジェーラ。エリュースは……ここにはもう、いないのですね?」


「そなたは、エリュースの恋人か何かかの? そなたらは思い合っておるのか?」


 カジェーラが黄色の目を細めた。

 ナディルが言葉を探して黙り込んでいると、彼女は納得したように何度も頷いた。


「よいよい。訊くのが野暮というものじゃったの」


「あの……。エリュースは……」


「あやつは、サファイアの首飾りを探しにきた。それをこの城で見つけて、持って行ってしまったのじゃ。代わりに、オパールの腕輪を置いていきよったがの。サファイアの首飾りのほうが高価なのだが、腕輪を気に入ったので、大目に見てやったのじゃ」


 カジェーラが言った。


 サファイアの首飾りを持って行ってしまった……。

 では、もうエリュースは、ここにはいないのだ。

 賞金稼ぎとしての目的を果たして、この城からは既に去ってしまった。

 全身から力が抜けていくようだった。

 彼はいないのだ。ここには、もう……。

 彼がいたことを示すのは、カジェーラが付けている金の鈴だけ……。

 苦く切なく、そして熱いものが、ナディルの目からこぼれそうになった。


「エリュースのことを慕っておるのじゃな、ナディル王女」


 カジェーラが、やさしく言った。


「私は彼を捕まえることが出来ません。彼は銀猫。私が伸ばした手をすり抜けて、逃げてしまう。この手で捕まえ、抱きしめることは出来ません……」


「確かに、自由で気ままな銀猫じゃの。しかし、放浪する銀猫も、いずれは帰らねばならぬ。あたたかい家にな。その身を常に案じ、どのような時にでも笑顔で迎えてくれる、愛する家族がいる場所へじゃ」


「でも、それは、おそらく私のところではないのです」


「後ろ向きじゃの。猫の気持ちが変わるのを根気よく待ってやってはくれぬかのう」


 カジェーラが笑った。


「猫の気持ちは、いずれ変わるのですか?」


「それはわからぬ。何しろ猫じゃからな」


 カジェーラは肩をすくめる。


「あなたはエリュースとは、どういう……? 彼は、銀の髪とトパーズの目です。それは、あなたの兄君のファルグレット侯爵と同じですよね? やはりエリュースは、あなたの身内なのではないのですか?」


 ナディルは、カジェーラに訊ねた。


「そう。あやつは、私の兄……当時の侯爵の直系の子孫じゃ。つまり、そなたの先祖のユーフェミア女王と結婚しそこねたファルグレット侯爵の子孫じゃな」


 やはり……ファルグレット侯爵――。


 ナディルの父が舞踏会で思わずその名を口にした、そしてナディルの夢の中に出てきた、マントの青年。

 彼の血を受け継ぐエリュースは、その姿もまた彼から継承していたのだ。


「兄は、ユーフェミアさまが結婚されたことを聞くと、一族があてがった娘と仕方なく結婚したのです」


 カジェーラが、口調を変えて静かに言った。


「その何代目かの子孫がエリュースです。兄の一族は、何かと私のことを目にかけてくれました。この城を用意してくれたのも彼らです。ですから私は、エリュースが生まれたときから知っています。子供の頃はよく、この城に遊びに来ていましたよ。今でも時折、訪ねてくれます。私を気遣って。とてもいい子ですよ」


「この城にエリュースが……子供の頃から……」


 ナディルの中に、この古城に対する親しみが突然沸き上る。

 けれどもそれは、すぐに気の遠くなるような切なさに変化して膨れ上がり、ナディルに覆いかぶさった。


「あやつに、もっときちんと我々一族のことを話しておくべきであった。あやつは子供の頃から、うんざりするほど年寄りたちに聞かされ続けたのじゃ。我々は、やがてはアーヴァーンに帰る。帰らねばならぬ。侯爵家として、猫族の血と力を受け継ぐ一族として。そして王家に寄り添わねばならぬ、とな。それであやつは反発し、家を出おった。無理もない。現実味のない、伝説めいた夢物語を延々と聞かされたのじゃからな。今の一族に必要なものは、夢でも伝説でもない。日々の営みじゃ。雨風をしのげる家で、それなりのものを食していくこと、それなりの衣服に身を包むこと、あたたかい寝床で休むことじゃ。たとえささやかでも、小さくとも、それを毎日続けて行くことこそが、何にも変えがたい大切な日常の幸せというものじゃ」


 カジェーラが、窓の外のはるか遠くに視線をさまよわせながら言う。

 その目は、やはりエリュースそっくりだった。


「しかし、エリュースが出て行った間に、年寄りたちは死んでしもうた。そしてエリュースの親たちも次々と亡くなり、今では一族はエリュースと私の二人だけじゃ。侯爵がアーヴァーンを去ったあの時、一族は散り散りになり、傍系の子孫たちは自分たちの出生さえ、もうわかってはおらぬじゃろう。やがて私がいなくなれば、エリュースはたった一人になる。銀の猫はたった一匹、この荒野に残されてしまうのじゃ。私は、あやつのことが心配じゃ。まあ、あやつなりに生きてはいくじゃろうがの」


 カジェーラは、ナディルのほうを振り返る。

 そして、愛らしい少女の仕草でナディルの顔を覗き込んだ。


「エリュースは、この間ここに来たばかりじゃから、当分は来ぬじゃろう。じゃが、いつかは来る。それまで待っておるか? 私は構わぬぞ。というより、この城が賑やかになって嬉しいくらいじゃが?」


 ナディルは、首を振った。

 訊かれる前から、答えは決まっている。迷う必要さえなかった。


「ここで待っているなんて、そんなことは出来ません。そんな待ち伏せをするような卑怯なことは。私は、私のほうから出向いて彼を見つけます」


 カジェーラは、ふっとあきれたように溜め息をついた。

 それから、あどけなさを含んだ表情で、にこっと笑う。


「さすがに誇り高いアーヴァーンの王女さまじゃの。だからこそ『翡翠のナディル』と呼ばれる所以でもあるのじゃろうが。そういうところも、ユーフェミアさまにそっくりじゃ。じゃが、そなたがこの城を出て行くということは、フィリアス公子やその臣下どもも一緒に出て行くことになるのかのう。一度にこの城から大人数に出て行かれたら、寂しくなるの。あの公子の家来どもも、あやつらなりに今はこの城の一員じゃからな。ま、あの公子が彼らを連れて帰れるかどうかは定かではないが」


「この城の一員? カジェーラ、フィリアス公子の臣下の人たちはどこに? 彼らを閉じ込めているのですか?」


「私は何もしておらぬよ。彼らを閉じ込めているのは、彼ら自身じゃ。公子は彼らを解放出来るかのう。公子もまた、家来たちと仲良く一緒に、ずっとこの城の一員になるやもしれんな。私は、それはそれで嬉しいがの」


「それは……フィリアス公子も閉じ込められてしまうということですか?」


「そういうことじゃの」


「私をそこに案内してください」


 ナディルが言うと、カジェーラは再度肩をすくめる。


「あまり首を突っ込まぬほうがいいと思うがの、翡翠のナディル。無事にこの城から出たければな」


「私はフィリアス公子に雇われました。まだ仕事は終わっていません。私だけ帰るというわけにはいかないのです」


「そうじゃの。仕事は最後まできっちりと仕上げねばならぬのう。報酬ももらわねばなるまいし。ただ働きはよくないからのう」


 カジェーラは手を上げ、空気を撫でる仕草をした。

 途端にナディルがいた部屋の壁が溶け落ちるように消え、それと入れ替わるように、別の新しい壁が現れた。



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