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魔女カジェーラの城 1

 白い岩山と青い空との二色だけの風景が四日間続いた後、突然ナディルたちの前に、さまざまな色彩が広がった。

 岩で囲まれた平地に緑が茂り、花畑が絨毯のように敷き詰められている。

 その中央には、薄紅の宝石のかけらを寄せ集めて作り上げたような、きらびやかな城があった。

 まるでその空間だけが別の世界から切り取られ、そこに貼り付けられたかのようだ。


「カジェーラの城ですね……」


 フィリアスが、呟く。


 ナディルは馬を止めた。

 思いがけない甘い花の香りが、ナディルたちの周りに漂う。


「少女趣味というか、何というか……。カジェーラって、いくつくらいの魔女なんだろう」


 ガガが言った。


「確か、百五十歳は超えていると聞きましたよ」


 フィリアスが答える。


「百五十歳! 皺だらけの老婆かな。白い髪で腰が曲がってて、ぐつぐつ煮える妖しげなお鍋をかきまぜている……」

 と、ガガ。


「しっ! 聞こえるよ。もう彼女の領域に入っているんだから」


 ナディルは、注意した。


 カジェーラは、ナディルたちの一行が近づいていることに気づいているはずだった。

 何せ魔法が使える魔女なのだ。知らないはずはない。

 けれども、何も起こらなかった。

 美しい花畑が静かに広がり、透明な蝶が何匹も平和にふわふわと漂うだけだ。


 ナディルたちは、馬を進めた。

 やわらかく、かわいらしい中間色ばかりの風景。きつい花の香り。

 どこか不自然なくらいに美しいその場所は、魔法で作り上げられた空間なのかもしれない。

 

 エリュースもこの風景の中を通り、カジェーラの城に行き着いたのだろう。

 これはエリュースが見た風景。彼が嗅いだ香り。

 ナディルは、朝焼けの空の色をした城を眺めた。

 エリュースは、あの中にいるのだろうか? 魔女に閉じ込められて?

 それとも自らの機転で魔女の呪縛を解き放ち、もう立ち去ってしまったのか。

 自分は、どちらを望んでいるのだろう。


 ナディルは、深く息を吸った。

 手のひらには熱いような汗がにじみ、それとは反対に、体の内部は芯から凍えて行くような気がした、

 もしあの城の中で彼の姿を見つけたら、気が遠くなって倒れてしまうかもしれない。 


 ふと空を見上げたナディルの目に、今までそこにはなかったはずのものが映った。

 空に浮かぶ、たくさんの奇妙な物体。

 あれは……?


 ナディルは、前を進むフィリアスに叫んだ。


「待って! あれは、いったい……」


「え?」


 フィリアスが、不思議そうに振り返る。


 青い空を背景にして、何か白い物体がたくさん浮かんでいた。

 白の涙形を反対にしたようなもの。

 逆さまにした、白い花の蕾にも見える。

 それらは、降りしきる花びらがそのまま留め付けられたように、空中に静止していた。

 いつの間にあんなものが現れていたのか。なぜ気づかなかったのだろう。

 エリュースのことを考えていて、見落としてしまったのか。


「鳥……かな。たくさんの。羽毛がめくれて風に吹かれているのが見える。でも、空中に止まってるな。羽ばたいてはいない」


 ガガが言った。


「えーと。鳥……ですか?」


 フィリアスが、ますます怪訝そうな顔をする。


 その逆さまになった白い鳥っぽいものは、誰かに合図をされたかのように、同時に羽根を広げた。蕾がいっせいに花開いたみたいだった。

 同時にその表面を覆っていた純白が、対照的な漆黒に変化する。


「うわ、色が変わった!」


 ガガが叫ぶ。

 フィリアスは、相変わらず腑に落ちない表情で、空を見上げていた。


「魔法だ、当然」


 ナディルは腰から剣を引き抜いた。そして馬に跨る足に力を入れ、手綱を強く握り締める。


「ガガ、戦闘体制だ!」


「おうよ!」


 ガガは叫んでナディルの頭に飛び乗り、ぱかりと口を開けた。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 フィリアスが、慌てた様子で言った。


「オーデルクの公子さま、何をぼさっとしてるのさ。もうすぐあいつらが飛びかかってくるぜ」


 ガガが、いつにない迫力で、じろりとフィリアスを睨む。


「あいつら……?」


 フィリアスは不安そうに、逆さまになった鳥もどきが浮かぶ空間を眺めた。


 すぐに真っ黒に変化したその物体のうちの一つが、ナディルたちめがけて落ちてくる。

 それは素早く移動して、ナディルが振りかざす剣の間をヒュンヒュンとすり抜けた。

 ナディルはその物体の動きを読み、剣を突き入れる。

 やがて剣が、何かカチリとしたものに当たった。

 剣の上を音をたてて滑り、空中に上がったその物体は、ばさりと羽根を広げる。

 黒い大きな翼だった。

 左右に広げた翼の真ん中には、そこにあるはずの鳥の胴体も、嘴が付いた頭もなかった。

 その代わりにあったのは、卵型の黄色の透明な宝石。きらめくトパーズだった。

 それは、エリュースと同じ目の色。

 剣に当たったのは、その宝石だ。

 一瞬ためらおうとする心を素早く押さえつけ、ナディルはその石めがけて剣を叩き込む。

 再びカチリと音がして、鳥もどきは空中にぶちまけられた黒い液体のように弾けた。

 すぐにそれは、煙となって消えてしまう。


「やった!」


 ガガが叫ぶ。


「まだまだいる。先は長いよ!」


 ナディルは、うんざりするくらい空中に控えている黒い鳥もどきを見上げた。

 あれを全部始末しなければならないのだろうか。

 とんでもない体力がいる。

 そこまで、この三人の戦力で持つのか?


 ガガが、口から炎を吐き出した。

 赤い炎が丁寧に上空を這い、数十羽が焼かれて、木の実のようにぼとぼとと落ちてくる。

 それらは地面に付く前に、黒い煙となって消滅した。

 けれども、まだ上空には、気の遠くなるくらいの黒い鳥もどきたちが浮かんでいた。

 ガガも、永遠に火炎攻撃が出来るわけではない。

 体力を消耗して、衰弱してしまうのだ。

 魔法で作られたものは、行動が読めない。

 もし、何か別の攻撃を仕掛けられたら――。


「あのう……。ナディル」


 フィリアスがナディルに、おそるおそる声をかける。


「何ですか? 今、忙しいんですけど?」


 ナディルはガガに負けないくらいの迫力で、フィリアスを睨んだ。

 こんなときに、のんびりと話しかけないでほしい。

 だいたい、何で彼は戦おうとしないのだ?


 フィリアス公子は剣を抜くどころか、今までと全く変わりなく、ゆったりとした姿勢で馬に跨っていた。

 彼の真上には、今にも彼に飛びかかってきそうな黒い物体が浮かんでいる。

 ナディルはそれにも注意を払いながら、自分の正面に降りて来ようとしている物体を相手にしなければならなかった。


「何でナディルだけに戦わせてるんだよ、オーデルクの公子さま。瓜は剥けなくても、こういうことは得意なはずだろ?」


 ガガが、口から火炎攻撃の煙を漂わせながら、不満げにフィリアスに言う。


「ま、まあ、私は一応、オーデルクの剣の使い手の中では五本の指に入る、などとは言われてはいるんですけどね……」


 フィリアス公子が戸惑った顔で呟いた。そして、さらに困ったような表情をして、ナディルとガガに訊ねる。


「その……。いったいお二人は、何と戦っておられるのか?」


「は? 何言ってるの、公子さま。寝ぼけてるの? 当然、この変な鳥の化け物じゃないか。あんたの上にも一匹いるよ。あんたに狙いを定めている」


 ガガが、顎で空中の物体を示す。


 フィリアスは、困った顔をしたまま、天を仰いだ。

 そこにはもちろん黒い鳥もどきが浮かんでいて、彼はそれを目にしたはずだった。けれども、全く動じる様子もなく、彼は平然と言う。


「私には、そんなものは見えません。空はさきほどと同じきれいな晴れた青空。蝶々以外に飛んでいるものはありませんよ。何てのどかで平和な景色なんでしょう。なのにあなた方は、剣を振り回したり、火を吹いたり……。失礼ながら、滑稽としか言いようがありません」


 ナディルとガガは、顔を見合わせた。


「そんな……。あんなに空にぎっしり浮かんでいるのに?」


「ぼくにも、そう見えるけど?」


 ナディルは目をごしごしとこすってみたが、やはりそれでも空には例の物体が見えてしまう。

 眺めているうちに、ナディルを狙っていた鳥もどきが、正面にふわりと降りてくる。

 ナディルは剣を構えた。ガガは、口を開ける。


「やめてくださいっ! 力の無駄遣いです!」


 フィリアスが叫ぶ。


「だって、見えるんだもん。見えないのは、公子さまだけじゃん」


 ガガが言った。


「魔法ですよ。カジェーラは魔女なんです。妙な魔法を使って当然。あなた方は惑わされているのでしょう。魔法で作られた幻にね。ここには何もないんです。それが本当なんですよ」

 と、フィリアス。


「じゃあ、何であんたには見えないんだよ? つか、あれを見えないでいることが出来るんだよ?」


「私にもわかりません」


 フィリアスは、肩をすくめる。


「とにかく、何もないんですから。第一、馬たちは何も反応していないじゃないですか。このまま進みましょう」


 確かに彼の言う通り、ナディルの馬もフィリアスの馬も、あの物体が現れようが、飛びかかってこようが、全く無反応だった。

 そういう馬たちの反応に、ナディルが少なからず疑問を抱いていたのも事実だった。


「でも、フィリアス公子。私は見るだけじゃなくて、あの存在を実際に感じてしまうんです。あれと戦うと、剣を通してあれの感触が間違いなく伝わってきますし、襲われれば、きっと痛みも感じてしまうと思います。あれを無視して進むなんて……」


 ナディルが呟くと、フィリアス公子はにっこりと笑って振り返った。


「じゃ、こうしましょう。ナディル、手綱を私に。私が先導します。あなた方は目を閉じていてください。そうすれば何も見えないし、平気でしょう?」


 鳥もどきが、ナディルに向かって突進してくる。

 ナディルは、剣を使って応戦しようとする自分の腕を止めて、無理やり目を瞑った。

 けれども、何も起こらなかった。

 ナディルが目を開けると、物体は、前と同じところに浮かんでいる。


「そう……ですね。そのほうがいいようです。では公子、お願い致します」


 ナディルは、手綱をフィリアスに渡した。

 フィリアスは、受け取った手綱を軽く握り、楽しそうにナディルの馬を引っ張り始める。


「ガガ、公子さまのおっしゃる通り、目を閉じていよう。たぶん、何も起こらない」


 ナディルは、まだ口をぱかりと開けているガガに言った。


「う、うん……」


 ナディルの翡翠色の目とガガのルビー色の目は、しっかりと閉じられた。

 視界から鳥もどきたちは消え去り、薄紅の瞼の壁に塞がれる。


「何て気持ちのいい景色なんでしょうね。このきれいなお花畑の中で、一日中転がって過ごしたいものです」


 フィリアス公子が、のんびりと呟く。

 馬たちが草を踏む、やわらかい音が続く。

 肌に感じるのは、降り注ぐ太陽の光のあたたかさ。やさしく吹き渡る風の流れ。

 花々の甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「カジェーラと仲良くなれないものかなあ。そうしたら、時々ここに遊びに来られるのに」


 フィリアスはそう言って、鼻歌を歌い始めた。

 ナディルも知っている、隣国オーデルクの子供がよく口ずさむ歌だ。

 かなり元の旋律からはずれていて、何か別のおかしな曲に聞こえる。


 ナディルは、そっと目を開けてみた。

 けれども、慌ててまた瞼を閉じる。

 やはり上空には、例の黒い鳥もどきたちが、びっしりと浮かんでいた。

 馬たちは何事もなく、ゆっくりと花畑を抜けて行く。フィリアスの鼻歌も、途切れることはなかった。


「案外、あの公子さま、頼りになるのかもしれないね……」


 ガガが呟く。


「そうだね。私もそれは認めるよ。ただ、歌はあまりお上手じゃないみたいだね」


 ナディルは目を閉じたまま、呟いた。



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