舞踏会の夢 2
ある日離宮に、国王の城から使者が到着した。
「舞踏会?」
ナディルは、使者としてやって来たデュプリー公爵を振り返る。
「国王陛下のご生誕を祝う宴です。どうか今年はご出席を」
デュプリー公爵が言った。
若い頃は国で一、二位を争うくらいの剣の使い手だったという公爵も、今では髪に幾分白髪が混じり、顔には重ねた年令分以上の皺が刻まれている。
彼は、ナディルが幼い時からの剣術と学問の師であり、頼もしい味方でもあった。
ナディルの母の従兄で、母が国王に見初められなければ二人は結婚するはずだったという話も、ナディルは耳にしたことがある。
「行きません」
ナディルは言った。
「ナディルは今年も熱があって気分がすぐませんので、ご辞退申し上げます」
「昨年も一昨年も、そしてその前も、姫君は辞退しておられます」
デュプリー公爵が、悲しげに言った。
「ナディル王女は病弱なので、舞踏会なんてとても出られません」
ナディルは、台詞を棒読みするように呟いた。
「それに舞踏会なんかに行って、毒なんか盛られちゃ大変だしな。帰りに闇討ちに遭うかもしれないし」
ガガが言う。
デュプリー公爵は、大理石のテーブルの上に寝そべっているガガを、じろりと睨んだ。
「姫君は、私が命に代えてもお守り致します。姫君はこの国の王位の継承者なのですぞ。ぜひ一度、皆の前にお姿を……」
「でなければ皆さん、ナディルのことを忘れてしまうってか?」と、ガガ。
「国王の継承者は兄さまでしょう。私はおとなしく、謙虚にしておいたほうがいい」
「あの方は、アーヴァーン王妃のお子様ではありません」
デュプリー公爵が言った。
「あの方の母君を、我々は王妃さまとは認めておりませぬ。アーヴァーンの王妃は、ナディルさまの母君ただおひとり。王妃さまのお子様は、ナディルさまただおひとりなのです」
「昔の言い伝えでしょ。ルビーが正妃の子供しか後継者に選ばないっていうのは。例外が起こるかもしれないのに」
「とにかく舞踏会には、ぜひご出席ください。付き添いの者を若い貴族の中からでも適当に見繕って、お迎えに来させますゆえ」
「それは、私が選んでもいい?」
「……は?」
ナディルがにっこりと笑ったので、デュプリー公爵はけげんそうな顔をする。
「あの人となら、行ってもいいわ」
ナディルは、窓の外を指差した。
デュプリー公爵は、窓に素早く近づく。
エリュースが、庭の花々の間を歩いていた。
白いチュニックとマントの彼は、銀の猫というより、どこか一角獣を思わせる。
彼はもう杖がなくとも、歩くのに不自由はないほどに回復していた。
「あれは、誰です?」
デュプリー公爵が訊ねた。
「お友達よ。月から落ちてきた猫なの」
「猫? 月から落ちてきた、ですと?」
「あの人と一緒なら……それから、仮面舞踏会にしてもらえるのなら、行きましょう」
ナディルはデュプリー公爵の反応を確かめるように、彼を眺める。
デュプリー公爵は眉をしかめ、しばらくして腹を決めたように言った。
「わかりました。そのように取り計らいましょう」
やがてデュプリー公爵を乗せた馬車の音が遠ざかり、離宮は再び静かになった。
エリュースは金色の日溜りの中で日向ぼっこをし、離宮で働く人々は、のんびりとその仕事をこなして行く。
「ナディル、本気? あの銀猫を舞踏会へ、それも王さまのお城へ連れて行くなんて」
ガガが、確認するように訊ねた。
「エリュースと一緒なら、私は失礼な態度は取らないと思うの。そうするつもりはなくても、お妃さまをうっかり睨んだり、兄さまに皮肉を言ったりね。エリュースは、きっと私の感情を安定させてくれる。彼といると落ち着くの」
「そんなもんかね」
ガガは言って、カリカリと耳の後ろをかいた。
「それに、おしゃれして彼と一緒に舞踏会に行けるなんて、素敵じゃない?」
ガガは、あきれ顔で首を振る。
「あの銀猫さんは、踊れるの?」
「そこまで贅沢は言わない」
エリュースは、特に躊躇もなくいやな顔もせず、意外なほど簡単にナディルの申し出を聞き入れた。
離宮は、姫君とその付き添いの若者の準備で俄かに活気づき、召使いたちの楽しげなおしゃべりと笑い声が、舞踏会の当日まであちこちで飛び交った。