第六話 みかの白い灯り
六月の夜には、
雨が降る前から
心の奥に静かな匂いが宿ることがあります。
その夜の入口は、
“言えなかった言葉”を抱えた人の前に開きました。
みかの灯りは、
青い風とは少し違います。
無理に照らさず、
無理に明るくせず、
ただその人の隣にそっと置かれる
白い灯り。
誰かを急がせない灯りが
どんなふうに心を照らすのか──
静かに見届けてください。
第六話 みかの白い灯り
六月に入ると、雨は降る前から匂いを持つようになる。
入口は駅から三つ離れた、小さなバス停に現れた。
ベンチの端に、ひとりの女性が座っていた。両手で、白い封筒を握っている。
街灯の横に、白い光がひとつ灯った。
そこに立っていたのが、みかだった。
白いカーディガンに、淡い色のスカート。
そこだけ空気が乱れていないように見える人だった。
入口の向こうは、夜の海辺のような広い待合室だった。
屋根はあるのに、雨音だけはどこからともなく降ってくる。
女性はその真ん中に、ぽつんと座っている。
「母が、亡くなって」
女性は言った。
「病院では、ちゃんと話せなかったんです。だから、あとで手紙を書いたんですけど……今さら渡せないし、捨てることもできなくて」
みかはベンチの端に腰かけた。近すぎず、遠すぎず。
「謝りたかったんですか」
「……はい」
「それとも、本当はありがとうを書きたかった?」
女性は、息をのんだ。
「両方……かもしれません」
宙の青い風が待合室の奥へ細く伸びた。
すると、雨の向こうに小さな台所が浮かび上がる。
白い湯気、味噌汁の匂い、洗い物をする後ろ姿。
何でもない日常の一場面だった。
女性の頬に、初めてはっきりと涙が伝った。
「怒ってたことも、たくさんあったのに……いなくなったら、どうしても、あったかいところばっかり思い出してしまう」
「それでいいんです」とみかが言う。
「人は、いなくなった人を、ぬくもりのほうから思い出してもいいんです」
封筒の白さが、少しだけ明るくなった。
「読まなくていい。渡さなくてもいい。でも、持っていていいんです」
女性は封筒を胸に引き寄せた。
「……持っていていいの?」
「ええ。手紙は、ときどき届くためじゃなく、心が壊れないために書くこともあるから」
外へ戻ると、現実の空にはまだ雨は降っていなかった。
えれんが小声で言う。
「みかってさ、毛布みたい」
みかは少しだけ笑った。
「派手じゃないほうが、届く夜もあるの」
人は、ときどき
“渡せなかった言葉”を胸に抱えたまま
立ち止まってしまうことがあります。
謝りたかったこと。
伝えられなかったありがとう。
間に合わなかった時間。
みかの白い灯りは、
その痛みを消すためのものではなく、
その痛みが壊れないように
そっと包むための灯りです。
手紙は、
誰かに届くためだけに書くものではありません。
自分の心が壊れないように
そっと置くために書く夜もある。
雨が降る前の静かな空気のように、
みかの灯りは今日も
誰かの胸の奥で
そっと揺れているのだと思います。




