第十八話 誰も敵になりきれない
争いが続くと、
人はときどき“敵”という形に押し込められます。
許せない。怖い。返して。帰りたい。わかってほしい。
その声は違うようでいて、
どれも同じ痛みの底から生まれたものでした。
今夜の入口は、
“なりそこねた敵たち”が集まる見晴らし台に開きました。
敵を裁く場所ではなく、
戻ってこられる席を置くこと。
その小さな選択が、
どんな風を生んだのか──
静かに見届けてください。
第十八話 誰も敵になりきれない
見晴らし台は、町を一望できる高台の上にあった。
空は晴れているのに、そこだけ薄い曇りが地面のすぐ上を這っていた。
裂け目は、展望台の中央にあった。
そこから、ときどき誰かの声のようなものが聞こえる。
許せない。怖い。返して。帰りたい。わかってほしい。
ひとつひとつは違う言葉なのに、全部が同じ痛みの底から出てきている声だった。
「誰かひとりじゃない。たくさんの“なりそこねた敵”だよ」と宙が言う。
「ほんとは、ただ傷ついた人だったのに、怒りと恐れに押されて、
“敵”っていう形にされかけたものたち」
裂け目の中から、影が一つずつ立ち上がる。
兵士のような姿。泣く子どものような姿。怒鳴る大人のような姿。
顔ははっきりしない。けれど、どれも“誰か”ではある。
そのとき、えれんが前へ出た。
「あのさ」
声は震えていたけれど、逃げなかった。
「分かるなんて言わない。でも、分からないからって、最初から捨てるのは違うでしょ」
宙が青い風を静かに集める。
見晴らし台の真ん中に、七人目の席に似た椅子が現れた。
ひとつではない。いくつも。丸く並んだ椅子たち。
敵を裁く場所ではなく、戻ってきた痛みが座る場所。
大きな影が、ゆっくりと椅子へ座った。
ひとつ座ると、ほかの影たちも、少しずつ形を失っていく。
敵ではなく、悲しみや怒りを持った人の気配に戻っていく。
「誰も敵になりきれないんだな」と私は言った。
「うん。なりきる前に、席があればいい」と宙。
帰り道、階段を下りるとき、一段だけ足を滑らせたえれんの手を、
あくあが迷わず取った。
「危ない」
「……うん」
そのまま数秒、離さない。
たぶん、こういうのは見ていないふりをするのが大人の礼儀だ。
“敵”という形は、
怒りや恐れや喪失が重なったときに
人が押し込められてしまう仮の姿です。
えれんの震える声は、
その仮面の奥にある痛みへ
まっすぐ届いていました。
宙が置いたのは、
裁くための席ではなく、
戻ってこられる席。
ひとつの影が座ったとき、
ほかの影たちも
ゆっくりと“人の気配”へ戻っていきました。
誰も敵になりきれない。
なりきる前に席があれば、
世界は少しだけ壊れにくくなる。
階段でえれんの手を取ったあくあの仕草も、
その夜の風の一部でした。




