第十六話 裂け目の向こうの庭
争いが始まる前、
人の心には必ず“庭”がありました。
守ろうとした手。
分け合った食べ物。
泣いている誰かの背中をさする指先。
国や言葉が違っても、
その庭の形はどこか似ています。
今夜の入口は、
そんな“心の原型”のような庭に開きました。
裂け目の向こうにあるものが、
まだ消えていないことを
静かに見届けてください。
第十六話 裂け目の向こうの庭
その庭は、裂け目の向こうにあった。
入口が現れたのは、町外れの古い温室跡だった。
ガラスは半分以上割れ、蔦が骨組みに絡みついている。
中央には、空気が裂けたような細い線が入っていた。
向こう側には、庭が広がっていた。
白い石の道。風に揺れる光の葉。夜なのに夜より明るい青い花。
不思議なのは、そのどれもが「初めて見る」のに、なぜか「知っている」感じがすることだった。
「人が争う前に、心のどこかに持ってた庭」と宙が言う。
みかが白い花に触れると、花びらの中に、短い映像が見えた。
母親が子に毛布をかける手。パンを分け合う兄弟。泣いている友だちの背中をさする少女。
国も年齢も違う。けれど、そのどれもが「守ろうとした手」だった。
庭の中央に細い水路が浮かび上がる。
その先の何か所かに黒い滲みがあった。
怒り、恐れ、喪失、分断。
「この庭まで、曇りが来てるのか」と私。
「うん。でも、まだ咲いてる」と澪が言った。
そのとき、えれんの足元の花が、彼女のまわりだけ少し違う色で揺れた。
雫が小さく笑う。
「そこ、あくあちゃんの色」
えれんが慌てて隣を見ると、あくあの足元の水路が、えれんのいるほうへ細く伸びていた。
「庭って、だいたい勝手に本音出すんだよ」と宙。
みんなが笑った。その笑いは、庭の花を少しだけ明るくした。
けれど次の瞬間、庭の外れに、黒い裂け目が走る。
そこから吹いてくる風は、誰かの名前を呼ぶ代わりに、ただ「敵」とだけ言い続ける風だった。
人が争う前に持っていた庭は、
決して理想ではなく、
“守ろうとした手”の記憶でした。
みかが触れた花に映ったのは、
国も年齢も違う人たちの
やさしい手の断片。
澪が言った
「まだ咲いてる」
という言葉は、
希望ではなく、
“事実”でした。
あくあとえれんの足元に
同じ色が揺れたのは、
庭が本音を映したから。
けれど、
庭の外れに走った黒い裂け目は、
“敵”という言葉だけを運んでいました。
分断は、
いつも名前を奪い、
関係を奪い、
庭を曇らせます。
それでも、
まだ咲いている花がある限り、
庭は完全には壊れません。




