第十五話 眠れない街の子守歌
眠れない夜は、
理由が分からないまま
心の奥がざわつくことがあります。
悲しいわけでも、
怒っているわけでもないのに、
胸のどこかが静かに落ち着かない。
今夜の入口は、
そんな“眠れない街”の真ん中に開きました。
子守歌は、
歌う人が強いから生まれるのではなく、
誰かの不安にそっと寄り添うために生まれます。
静かな夜の灯りを、
どうか見届けてください。
第十五話 眠れない街の子守歌
夏のはじまりの夜、町全体がよく眠れていなかった。
理由は誰にも分からない。
なのに翌朝、商店街でも、駅でも、公園でも、
「なんだか眠れなくてね」という声がやけに多かった。
入口は、閉園後の観覧車だった。
向こう側の遊園地は、夜そのものをやわらかくした世界だった。
ゴンドラの中には、それぞれ違う“不安”が座っていた。
眠れない子ども。働きすぎて止まれない大人。会えない誰かを思い続ける人。
「子守歌が必要だね」とみかが言う。
みかと雫が、観覧車の真下に立った。
雫が両手をひらくと、小さな光の粒がいくつも舞い上がる。
麦茶の氷の音。母親が布団をなおす手。遠くの踏切。古いラジオ。
好きな人に名前を呼ばれたときの、少しだけ息がほどける感じ。
そういう“眠りへ戻るための音”が、光の粒になって夜へ広がっていく。
その横で、あくあは観覧車の柱に手を置いていた。
夜の空気に混じった不安の流れを、ひとつずつほどいている。
そこへ、えれんが小さく聞く。
「私、何したらいい」
あくあは少し考えてから答えた。
「……そこにいて」
「え?」
「あなたがいると、張りつめすぎないから」
えれんは一瞬だけ黙った。
「それ、ずるい」
「なにが」
「そんな言い方されたら、どこにも行けないじゃん」
そのとき、観覧車の高いゴンドラから、細い歌のようなものが聞こえてきた。
澪だった。
言葉にならない旋律が、観覧車の灯りをひとつずつやさしく変えていく。
藍、青、白、薄金。
眠れない人たちの不安のまわりに、ちゃんと夜を越える毛布がかかっていく感じがした。
最後に宙が、観覧車全体を包むように風を送る。
「すー……はー……青の呼吸だよ」
その言葉は子守歌みたいに観覧車を回った。
帰り道、宙が深刻そうな顔のまま私に言う。
「恋って、眠れないけど、世界を壊すほうじゃない不眠もあるよね」
「十歳で何を言ってるんだ」
私は思わず笑った。
その笑いが夜にほどけていく。
眠れない夜は、
心が弱っている証ではありません。
止まれない日々の疲れや、
言えなかった気持ちや、
遠くの誰かを思う気配が
静かに積もっただけです。
みかの灯りと、
雫の光の粒と、
あくあのほどく手と、
えれんの“そこにいる”という存在と、
澪の言葉にならない歌と、
宙の青い呼吸。
それらが重なったとき、
眠れない街に
ようやく夜が戻ってきました。
恋の不眠は、
世界を壊すほうじゃない。
その言葉にほどけた笑いが、
夜のどこかでそっと灯っていたのだと思います。




