第十一話 遠い国の風が泣いている
世界のどこかで起きた痛みは、
ときどき風に乗って
遠い町へ届くことがあります。
それは、
誰かのせいではないのに壊れてしまった生活の気配。
名前のない悲しみ。
泣き声の手前で止まった喉の色。
今夜の入口は、
そんな“遠い国の風”が
迷い込んだ場所に開きました。
青い風は、
戦うことはできません。
けれど、
落ちるばかりではないと
そっと示すことはできます。
静かに見届けてください。
第十一話 遠い国の風が泣いている
七人目の席を見た夜から数日後、町の風向きが変わった。
空は晴れているのに、朝の光が薄い。
「あくあ、今日どう?」と私が聞くと、彼女は言った。
「……水の流れが変です。地面の下じゃなくて、もっと遠いところから来てる」
歩道橋の手すりに触れた彼女の指先から、青ではない揺れが広がった。
灰色と、薄い茶色と、乾いた赤。
水ではない。土埃と、焦げた空気と、泣き声をこらえた喉の色に近い。
宙が目を細める。
「遠い国の風が、迷ってこっちまで来てる」
入口の向こうは、乾いた風の吹く広い野原だった。
ところどころに壊れた壁や、崩れた階段や、布の切れ端が残っている。
戦場という言葉を使うには静かすぎた。
でも静かだからこそ、そこにあったはずの生活が、かえってはっきり見えた。
片方だけの靴。割れた皿。砂に半分埋もれた人形。壁に描きかけた子どもの青い星。
雫が小さく言う。
「……いやだ」
「うん」とみかが肩にそっと触れる。
「いやでいいの。こういうのは、いやでいい」
えれんは珍しく黙っていた。
その手を強く握りしめているのに、あくあが先に気づく。
「えれん」
「なに」
「手、痛いくらい握ってる」
えれんは少しだけ目をそらした。
「こういうの、むかつく。だって、誰のせいでもない顔のものばっかり壊れてる」
宙の風が、乾いた野原をゆっくり渡っていく。
すると、壊れた壁の向こうに、小さな食卓の幻が浮かんだ。
パンをちぎる手。水差し。子どもがこぼしたスープ。
ただ生きていた日の記憶だった。
「戦えないけど」とえれんがつぶやく。
「でも、落ちるばっかりじゃないって、こういうの、言いたい」
その横顔を、あくあがじっと見ていた。
色恋というほどはっきりしていない。けれど、人をまっすぐ見てしまう瞬間というのは、
たぶんもうその入口だ。
遠い国の痛みは、
ときどき風になって
知らない町へ届きます。
壊れた壁や、
置き去りの靴や、
描きかけの青い星は、
誰かが“生きていた証”です。
えれんの怒りも、
雫の「いやだ」も、
あくあの揺れも、
みかの寄り添いも、
どれも正しい反応でした。
青い風は、
争いを止める力はありません。
けれど、
怒りで席を埋めず、
恐れで扉を閉じず、
誰かが戻ってこられる場所を
そっと守ることはできます。
落ちるばかりではないと
言える風が、
世界に少しでも増えますように。




