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1.妻、ビアトリクス

同じ書き出しから、別のお話が書けないかというチャレンジをしてみました。


「分かっているだろうがビアトリクス、王命で無理矢理押しつけられた君を愛する事はない」


 ビシイッ! と私を指さし決めポーズまでしてくれる次期侯爵エドマンド様に、言葉では言い知れない感情が湧き上がりました。


「あら」


 思わず漏れてしまった一言。

 初夜のためメガネを外してしまったのだけれども、エドマンド様が今どんな顔をしているかくらいは想像できます。


「あら、あらあらまあまあ、まあまあ!!」


 どうしましょう感嘆が止まりません。

 私のテンションが上がってしまったせいか、エドマンド様は驚いた顔で私を見ています。ええ、勢い余ってエドマンド様のお顔がよく見える距離まで近付いてしまいました。


「旦那様はなんてロマンティックなんでしょう! 政略結婚に愛を求めるなんて!」


 お腹の底から漏れるのは賛美の息。


「なんて熱烈な愛の言葉なんでしょう。ちょっとお待ちください、たしかこちらのキャビネットに紙とペンが……ありましたわ! ぜひもう一度! もう一度お聞かせくださいませ!」


 こんな感動、今まであったでしょうか。だってこんな熱烈なセリフ、自分では到底思いつけません。自分自身の恋愛に疎いのが私の弱みですね。今後はエドマンド様の隣で色々と学ばせていただきましょう。


「なっ、貴様は私を馬鹿にしているのか!?」

「そんな事ありません! 政略結婚にはそもそも愛など不要じゃありませんか。それをわざわざ言ってくださるという事は……つまり旦那様は愛ある結婚を求めていたのでしょう? はぁ……なんて素敵……分かりました。どこまで旦那様のお眼鏡に適うかは分かりませんか、不肖ビアトリクス、旦那様を愛し愛されるよう努力いたします!」


 どん、と胸を叩き「で、先程の言葉なのですが」とペンを取り出せば、エドマンド様は黙ってしまわれました。ふふふ、そんなに照れなくてもよろしいのに。


「ふざけるな。私にはすでにヘレンという真実の愛がある。貴様も私から愛されようなどと無駄な努力をしないでいい」

「真実の愛!」


 なんという事でしょう! それは十年以上前に流行った小説に出てくる言葉ではありませんか! そこから引用なさるなんて旦那様は恋愛小説も嗜まれるのでしょうか。初夜などどうでもいいから今すぐ語り合いたい。そういった本は両親が良い顔をしなかったので一緒に読める侍女もいないくて……いえ、それよりも早くエドマンド様の言葉を書き付けなければ。


「なるほど、旦那様にはすでに愛する御方がいらっしゃるのですね。でしたら私は確かに不要。分かりました、私は名だけの妻となりましょう。それよりも旦那様、そのヘレン様とは一体どのように出会ったのでしょうか。夜会ですか? 茶会ですか? それとも王城で? ああ、馬車が擦れ違うその一瞬に窓のカーテン越しに目が合い一目惚れ、というのも素敵ですね」


 目を閉じうっとりと想像を捗らせれば、そのどれもがエドマンド様にはよくお似合いです。

 エドマンド様は金色の髪に縁取られた、誰もが羨むような美しいお顔。侯爵というお家柄、夜会で女性の方からはお声がけするのは難しいでしょう。そんな恥じらう女性達の中からたった一人、ヘレン様に手を差し伸べダンスに誘うエドマンド様。素敵です。


 それとも柔らかい日差しの中、旦那様の瞳の色と同じ若い緑に囲まれながらどなたかに紹介をされたのでしょうか。きっとヘレン様は天にも昇る気持ちだったでしょうね。いえ、エドマンド様の方が女主人に耳打ちしていたのかもしれません。あの美しい女性はどなたですか、と。


 旦那様は王城にもよくお顔を出されるので、荘厳な廊下で見初めたのかもしれません。洗練されたドレスに身を包み、貴人を楽しませる事のできる多才なヘレン様。開かれた扉の向こうで可愛らしく微笑むヘレン様に、少しお疲れを感じていたエドマンド様が癒されるのは当然の流れ。次第にエドマンド様は王城へと向かう度にヘレン様の姿を探し……ヘレン様の方でもエドマンド様の姿を見るのが密かな楽しみになっていたとしたら。最高です。


 王都へと向かう道すがら、馬車が急に速度を緩めるものだから何事かと窓の外を眺めるエドマンド様。そこへ反対方向からやってくるもう一つの馬車。充分にすれ違えるとは言い切れない道の途中、馬の速度を落とした事で窓の外を覗いたヘレン様とエドマンド様の目が合い……これを運命といわずして何としましょう!


「旦那様、ぜひ、ぜひお聞かせ下さい! 旦那様とヘレン様の美しい物語を!」


 なんということでしょう。お父様に言われ嫁いだ先で、こんな素晴らしい出会いが待っていたなんて!


「一体何なんだビアトリクス! 貴様どういったつもりだ!?」


 あら大変、またやってしまいました。興奮すると周りが目に入らなくなるのは子供のころからの良くない癖です。エドマンド様にも呆れられてしまったのかもしれません。


「失礼いたしました旦那様。実は私、趣味で小説を書いておりまして……ですが私自身は恋愛事から縁遠い身、こうして真実の愛を得た旦那様からお話を聞かせていただき感動が止まらなくなってしまい」

「小説? そのような取るに足らない事をしているのか。つまらん女だな」


 ええ、エドマンド様の仰る通りです。物語を描くのが楽しくて、流行の髪型も美しいと噂のドレス生地も、自分で試した事はありません。ドレス作りには時間がかかるのです。その時間を執筆にあてるため、特別な時でもなければ大量に作り置いていただいたシンプルな服を着ています。

 美味しいと評判のお菓子ならばお勧めできるのですが、短い期間のお付き合いで知ったエドマンド様はあまり甘い物はお好きではなさそうなので話題には出せません。

 乗馬もなんとか馬の背に乗る事はできますが、遠駆けなどはついていけません。


「その、駄目、でしょうか。小説を書き続けるのは」


 確か婚約時の契約書には、社交は不要、侯爵夫人として家政を取り仕切りさえすれば他に求める条件は無いと書かれていたのですが。


「いや、たかが貴様の手慰みまで奪うつもりはない。代わりに私ヘレンとの事には口を出すな。そうだな、母上の補佐がまともに出来るようになったら、ヘレンとの出会いも教えてやろう」


 しっしっと追いやるような手をされてしまいましたが、私の頑張り次第でヘレン様との物語を聞かせていただける事になりました! ここはしっかり役に立つ事を証明しなければいけませんね。執筆のせいでお仕事が疎かになるような事があればお話を聞かせてもらえる事もできません。本末転倒です。


「もちろんです! しっかり勉強して、一日も早く旦那様に認めてもらえるよう頑張ります!」


 そうと決まれば明日も寝坊などはできません。ヘレン様の所へと行くエドマンド様を見送り、しっかりと睡眠を取るのが最優先です。




***




「ビアトリクスさんは随分と手慣れてらっしゃるのね」


 意気込んで女主人としての仕事を教わっていると、早速侯爵夫人に褒めていただけました!


「ありがとうございます。エドマンド様との御縁が無ければ、実家で義姉(あね)の手伝いをしようと勉強はしていましたので」

「お姉様? ビアトリクスさんのお姉様といったら……」

「あっ、実の姉ではありません。一番上の兄に嫁いで来られたキャロル様です」


 私の家は子沢山で有名で、一の姉様と二の姉様は隣り合う領地の家へとお嫁に行き、三の姉様は新しい貿易先開拓のため遠くの国へとお嫁に行き、四の姉様はキャロル様との縁により結ばれた隣国へとお嫁に行きました。

 ちなみにキャロル様は、領地が隣り合っている隣国ラインランダーから嫁いでこられました。

 一の兄様は領地を継ぎ、二の兄様は我が家の持っていた子爵位をすでに継ぎ、三の兄様はなんとキャロル様がお連れになった侍女と恋に落ち結婚してしまいました。今後の人生はお二人で一の兄様達を支えるのだと本人達は納得しているそうです。

 と、まあこのように八番目にもなる娘ともなれば「繋ぐ縁はもう繋いだ。お前は好きに生きなさい」と言われてしまい。ならばせめて少しでも家の役に立つため家政の勉強をしていたという事なのです。


「女主人としての仕事はある程度理解しているという事ですね。よろしい。ならば遠慮無く割り振らせていただきますね」

「はい! よろしくお願いいたします!」

「……随分と元気がよろしい事」


 いけません。またやってしまいました。嬉しさのあまり返事が前のめりになってしまいました。昨晩エドマンド様にも引かれたばかりだというのに。


「その……エドマンド様とも約束をしておりまして。一日も早く、侯爵家のお役に立てるようにと」

「エドマンドと?」

「はい」


 侯爵夫人の表情がぴくりと止まります。なんでしょう、何かを探られてるような目です。そんなにおかしな事を言ったでしょうか。


「その約束は昨晩エドマンドとしたのかしら?」

「え、ええ。はい」

「具体的にはどのように?」

「えっ?」


 具体的にとは……どうしましょう。侯爵夫人の意図するところが分かりません。エドマンド様に真実の愛ヘレン様がいらっしゃる事は、夫人もご存じなのでしょうか。私が余計な事を言ったせいで、ヘレン様との愛が壊れるような事があれば……それはいけません!


「実は、その、私は恋物語を読むのが好きなのですが、この通り領地からもまともに出たことが無い身ですので……エドマンド様に、実際の社交界で起きた愛のお話を聞かせてくださいとお願いをしたのです!」

「エドマンドから、愛の話を?」

「はい、はい! そうなのです! 侯爵夫人の補佐がきちんと出来るようになったら、エドマンド様が見聞された内容を聞かせてくださると約束してくださったのです!」

「そう、そうなのね」


 ヘレン様との事がなかったとしても、エドマンド様はあれだけ見目麗しい殿方です。今まで色々な方に秋波を送られてきたに違いありません。そのお話を聞かせてもらえるという事にいたしましょう。


「ビアトリクスさん、貴女ヘレンという名をご存じ?」

「っ!」


 夫人はヘレン様をご存じでした! 大変です。これはなんと答えるのが正解でしょうか。


「その様子だとエドマンドから聞いているわね」

「っ……はい」

「あの子がどのように説明したかは分からないけれど、聞いた上でまだ我がローンズリー侯爵家の役に立ちたいと?」

「はい、もちろんです。私はすでにローンズリー侯爵家へと名を連ねた身ですから」


 本当はお父様に離れでも作ってもらって、お義姉様のお手伝いをしない時はそこでのんびり小説を書いて暮らす予定でしたが。嫁いだとなればこちらで粉骨砕身するのは当然の事です。


「いいでしょう。貴女のお父様が、ビアトリクスさんならば問題無いと仰っていた意味が分かりました」

「お父様が、ですか?」

「エドマンドとヘレンさんの事を聞いたのでしょう? 残念なのだけれどもヘレンさんは身分が平民なの。だから妻としては迎え入れられなくて困っていたのよ。挙げ句に貴女のお家から嫁を取るようになんて王命まで下されて。全くいつだって余計なお世話ですわあの御方は」

「なるほど。それで私だったのですね」


 ようやく納得がいきました。何故こんな、社交界にも顔を出さないような私が突然侯爵家に嫁ぐ事になったのか。半年ほどあった婚約期間もエドマンド様とお顔を合わせたのはたった三回。贈り物をされた事もなく、お手紙にお返事をいただいた事もありませんでしたが、そういう理由であれば仕方有りません。

 それにしてもまさか、ヘレン様が貴族ではなかったなんて! どうしましょう! きっとこの国始まって以来の大恋愛に違いありません!


「エヴァレット伯爵家で未婚のお嬢さんはビアトリクスさんしか残っていませんでしたからね」

「それは申し訳ありません。お姉様達と比べ、なんの取り柄もない私になってしまい……」


 首を縮め、ついでに肩も狭めてしまう。お姉様達ならば誰が見ても合格を出す事間違い無しの淑女ですから。


「いえ、そんな事は無いわビアトリクスさん。ヘレンさんについて余計な口出しをしたり、身分がどうのと騒ぎ立てたりしないだけで貴女はとても素敵なお嬢さんだわ」

「あっ、ありがとうございます!」


 素敵、と言われて胸がいっぱいになりました。まだお付き合いもそれほどない侯爵夫人に褒めていただけるなんて、考えられない事です。お姉様達のように、美しい顔も、天使の歌声も、緻密な刺繍を生み出す奇跡の手も、隣国にまで名を馳せるような才女でもありませんから。

 あら? そういえば?


「侯爵夫人、私が学ぶべき事はこれだけでよろしいのでしょうか。それとも侯爵夫人としての仕事はヘレンさんが行うのでしょうか」


 褒めていただいた事で舞い上がってしまいましたが、我が伯爵家と侯爵家では必要とされている能力がかなり異なるはずです。ですが今教えてくださった内容は私の専属侍女でもできそうな事ばかり。四の姉様のような才女ではない私が、こんな易々とこなせる訳がないのです。裁量権という大きな責任は伴いますが、もっとこう……目を回してしまいそうな忙しさを想定していたので。


「嫌だわビアトリクスさんてば。侯爵夫人として一番大切な仕事は、夫に安らぎを与える事と跡継ぎを産む事。他にやることは大して無いのよ。でもそうね、そうなると確かに貴女では一番大切な仕事を任せられないわね。もし時間を持て余すのであれば執事に聞きなさい」

「はい! わかりました!」


 なるほど! 侯爵家ともなれば家政も執事が回していくのですね! エドマンド様のお心を慰められない私は、せめてそちらで貢献させていただきましょう。


「それでビアトリクスさん。跡継ぎの事なのだけれどもね? ヘレンさんが立派に我が家の嫁として勤め上げてくれて、もうすでに妊娠しているのよ。産まれた時は貴女の子供として紹介するからそのつもりでいてちょうだい」

「私の子供として、ですか?」


 さすがに流れる血の身分を偽るのは悪い事ではなかったでしょうか。あまり法律には詳しくないので、特殊事例が認められているのか私では判断ができません。ですが侯爵夫人がそう言うのでしたら問題無いのでしょう。侯爵夫人は私よりもよほど法律には詳しいはずですからね。暗黙の了解というやつです。


「まさか貴女、エドマンドとヘレンさんの愛の結晶を庶子にするつもり?」


 むむむ、と考え込んでいたら夫人から険しい声で問われてしまいました。


「あっ、いえ、そういう事ではなく。私の子供として迎えるとなると、ヘレン様とお子様を引き離してしまう事になってしまうのではないかと心配で」

「その事については問題ありません。子供が生まれ次第ヘレンさんを乳母として雇います。ビアトリクスさんは育児に興味のない母親としておけば周囲も不審には思わないでしょう」

「それは素晴らしい案です! そうすればヘレン様も堂々とお屋敷に入れますし、旦那様と一緒にいられる時間も増やせますね!」


 私の子供として迎える、となると、まだヘレン様は妊娠が発覚したばかりなのでしょう。侯爵夫人は王命に不満があるような発言をしてらっしゃいましたが、私との結婚は渡りに船だったのではないでしょうか。

 これはもう運命と言って差し支えないですね。私が嫁いで来たのは、真実の愛であるエドマンド様とヘレン様のためであったと。


「という訳でね、ヘレンさんの体調が落ち着いたら三人で領地へ向かって欲しいのよ。ビアトリクスさんが社交をしないとはいっても、王都に居たらさすがにお腹が膨らまないのを誰かに見つかってしまう可能性がありますもの」

「お任せ下さい! 不肖ビアトリクス、エドマンド様の真実の愛のため微力ながらお手伝いさせていただきます!」


 壮大な愛の物語に一枚加わる事ができるなんて、この縁談を持ってきてくれたお父様には感謝しなくてはいけませんね! あ、いえ、王命での結婚なのでこの場合は陛下に、でしょうか。


「真実の愛?」


 なんでも来いと胸を張る私に、侯爵夫人は美しいお顔をきょとんとさせました。


「はい。エドマンド様がおっしゃっていました。ヘレン様は真実の愛だと」


 そうでした忘れていました。エドマンド様とお話ができるようになったら、あの小説についても語り合いたいのでした。ああっ、ですがヘレン様との馴れ初めも聞きたい。時間がいくらあっても足りません。かといってエドマンド様とヘレン様の逢瀬の時間を私が邪魔する訳にもいきませんし。ままならないものです。


「やだわあの子ったら。真実の愛だなんて恥ずかしい」


 ぽっと頬を染めて、侯爵夫人が仰いました。


「そんな事ありません! 突然決まった結婚相手にも『愛する事はない』とびしっと宣言してしまえるような、それはもう人生の全てをかけた愛なのです。侯爵夫人はご存じありませんか? あの大恋愛をモチーフとした小説を」

「知っているもなにも」


 早口でまくしたててしまった私に、侯爵夫人は口元を手で隠して微笑まれます。


「あの小説のモデルは私と旦那様なのよ」


 ぽとりと万年筆が私の手から落ちました。衝撃のあまり、周囲の音さえ聞こえなくなってしまいました。ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返し、深呼吸をし、聴覚が戻って来たのを確認してから口を開きます。


「あの小説に……モデルが?」

「ええ」

「侯爵様と、侯爵夫人が?」

「そうなの」


 なんという事でしょう。なんという事でしょう! お父様は全てご存じだったのでしょうか。


「で、では、お二人の仲を邪魔した傲慢な悪役令嬢というのは本当に存在したのですか?」

「小説の通り、国外追放になったわ。旦那様は、あの女に二度とこのローンズリー侯爵にゆかりのある土地を踏ませないと約束もしてくださったの」


 どんな罪人であれ、国外追放など滅多にできる事ではありません。もちろん王家の承諾も必要です。我が家も辺境地を任されている立場として、人の行き来にはかなり神経を尖らせていますから、国外追放という罰の重さは私も承知しております。


「侯爵夫人!」


 胸の前で組んだ両手にぎゅっと力を入れ、かろうじて被っていた淑女の仮面も捨て、思わず鼻息も荒く縋り寄ってしまいました。


「侯爵夫人と侯爵様のお話、ぜひお伺いできないでしょうか! 私あの小説がとても好きで、あの登場人物に直接お会いできるなんて想像もしていなくてっ! ぜひ! ぜひお二人の大恋愛を、小説では描ききれなかったお話を聞かせてはいただけませんか!」

「まあ、こんなところで私達のファンに出会えるなんて。もちろんよ、いくらでもお話してあげるわ。でも、お仕事がちゃんと出来るようになってからですよ」

「はいっ!」


 こうして私の輝かしい生活が始まりました。




***




「ではヘレン様のお父様は、男爵という身分を捨てて愛する人と結婚を?」

「ええそうなの。母さまが父さまの家に手伝いに行った時に一目惚れをしたんですって。貴族の家に呼ばれる商人と言っても結局は平民。結婚するには色々と大変だったそうよ」


 今日はエドマンド様、ヘレン様と一緒にお茶会です。

 あれから侯爵夫人に教えて頂いた仕事は問題無く引き継ぎ、執事からいくつかの仕事も任されるようになりました。その頑張りをエドマンド様は認めてくださったのでしょう。ローンズリーの領地に着いてからはこうして三人でお喋りする事が増えました。


「ふふふ、私たちとまったく同じ出会いなんて運命よね」

「ヘレンには元々貴族の血が流れているんだ。私の愛を受け取る資格は充分にある」

「エドマンドってば、もう」


 恥ずかしそうに微笑むヘレン様のお腹を、エドマンド様はゆっくりと撫でます。楽しい日々というのはあっという間に過ぎていくもので、ヘレン様のお腹はすっかり膨らみ、後は指折り日にちを数える程。あのお腹の中でお二人の愛の結晶が育っているのだと思うと思わず感動の涙が溢れそうです。


「ではお披露目会の時にはどうにかして男爵家の方々もお招きしたいですね。身分を捨て選んだ真実の愛は、こうして次の侯爵家を担う愛子として生まれてくるのですから」

「素敵! そうすればお祖父さまたちもきっと、お父さまのことを許してくれるわ!」

「そうだな。君のお父上が男爵家の人間である事を知らしめる良い機会になるだろう。ビアトリクス、準備は任せたぞ」

「はい! お任せ下さい!」


 これは侯爵夫人とご当主様にも相談が必要ですね。暗黙の了解というのは暗黙であるから許される事。大々的にヘレン様を生みの親として発表する訳にはまいりません。となると……ヘレン様の御実家は貴族の屋敷に育てたお花を届けるお仕事をされています。会場の飾り付けはもちろんお願いするとして、その後もパーティー中に起こる不測の事態のため待機という形で参加していただけば問題ありません。これでヘレン様のご両親はお招きできます。

 ですが男爵家の方々となると、貴族としての繋がりが必要となってきます。過去に何か交友があったかを調べていただかなくては。


「いけません、大事な事を聞きそびれていましたわ。お子様のお名前はもう決まっていらっしゃるのですか?」


 そろそろお洋服や身に着ける物を用意しなくてはいけません。それぞれにお名前を刺繍するのですが、もし決まっているのなら早速構図を決めてしまわなくては。


「決まっているわ。男の子ならタンジェス、女の子ならタンジェリーと。私の好きなお花の名前から取ったんだけどこの花はね、害虫に強いという特性もあるの。私たちのように害虫に邪魔をされずキレイな花を咲かせてほしいって想いを込めて……ああっ、ごめんなさいビアトリクスさん、別にあなたのことを害虫だなんて言ってるわけじゃないのよ?」

「もちろんです。私はお二人の愛を応援する身ですから、害虫ではなく益虫ですわ」


 そう胸を張って言うと、ヘレン様は目を丸くしてからくすくすと笑われました。益虫、なんて言葉を私が知っていたのに驚かれたのでしょう。昔小説のキーワードに使おうと、お花について調べた事があるのです。


「そういえばビアトリクス、母上がまたこちらへ来るそうだ。滞在中の世話は任せたぞ」

「まあ! 夫人がいらっしゃるのですか? では捨てられてしまった銀細工の髪飾りを、ご当主様が一緒に探し出してくれたお話の続きが聞けるのですね」


 そう、侯爵夫人もこうして、ヘレン様の体調をご確認がてら私にあの物語の詳細をお話してくださるのです。侯爵ご夫妻の物語、エドマンド様とヘレン様の物語、そしてさらにヘレン様のご両親の物語。聞いても聞いてもまだ足りないくらい、私の周りには愛の物語が溢れています。

 一度だけお話をさせていただいた侯爵様は、ヘレン様の子を自分の子として受け入れられるのかだけお聞きになりました。お忙しい方なので、それ以来あまり会話をしていません。是非とも侯爵様から見た夫人のお話も聞かせていただきたかったので残念です。

 ですが書きためているメモの量も膨大になってきました。お披露目会が済めば今の慌ただしさは一段落つきます。一度まとめてみるのも良いかもしれませんね。


「ねえビアトリクスさん、あなたは何とも思わないの? その、誰からも愛されないことについて」


 エドマンド様の肩にそっと頭を寄せたヘレン様が、悲しそうな目で私を見つめています。エドマンド様の腕に手を添え、潤んだ瞳でぱちぱちと瞬きを繰り返すヘレン様。きっと真実の愛に出会えたからこそのお言葉なのでしょうが。


「心配ありません、家族からは愛されていますもの」


 燃えるような愛は分かりませんが、そのような物を渡されてもきっと私は慌てふためいてしまうでしょう。とろとろと温かい、ベッドのような家族からの愛で充分です。


「そういうことではなくて、ええと、男性から愛されることと家族からの愛は別でしょ?」

「やめておけヘレン、ビアトリクスに愛を囁く男なんて現れないんだ。あまり虐めては可哀想だろう?」


 そうね、と口元に手を当てくすくすと笑うヘレン様がとても眩しく感じられます。やはり愛は女性を美しくするのでしょう。領地に来てからというもの、ヘレン様は日々を追うごとに美しさを増しているように感じます。これが噂に聞く、内から輝くというものなのでしょう。

 ……やはり自分がヘレン様のお立場になったと仮定してみても、うまく想像ができませんね。こればかりは仕方ありません。お母様からも「人には向き不向きというものがある」と言われておりますし。


「私に愛を囁く男性はおりませんが、その代わり、と言ってしまうには充分なほど、こうして愛の物語を聞かせていただいていますので。これ以上を求めるのは罰当たりというものですわヘレン様」


 少し茶目っ気を出してウィンクをして見せれば、ヘレン様はまた楽しそうにくすくすとお笑いになられました。




***




「小説を?」

「はい、お二人のエピソードを参考にさせていただいて」


 無事タンジェス様のお披露目会が終わり一息ついた頃、乳母として正式に雇われたヘレン様に切り出してみました。エドマンド様はあまりお話を聞いてくれないまま「勝手にしろ」と仰いましたが、お伺いしたエピソードはどれもお二人の大切な宝物。第三者の私が勝手に改変してはいけないものです。


「ステキ! ぜひ書いてちょうだい! 私、お義父さまとお義母さまの小説に憧れていたの! 私たちのことも同じように書いてほしいわ!」

「では登場人物も出来るだけお二人に似せて書いても?」


 やはりお二人のエピソードで欠かせないのは身分を超えた真実の愛。丁度ヘレン様のご両親も同じ境遇なので、エピソードも混ぜて架空の人物を作る予定です。


「似せる? 何故? 私とエドマンドをそのまま書いてちょうだい」

「そのまま、ですか?」

「ええ。でもそうね、さすがに名前もそのままという訳にはいかないから……エディとレニー、なんてどうかしら。そうだわ! タンジェスの事はタンジェリーに! せっかく考えた名前を使わないのはもったいないもの! 私たちの愛の結晶が侯爵家の跡継ぎとして認められたんだから、それもしっかり書いてほしいわ」




「と、ヘレン様は仰っていたのですが」


 その日の夕食、食堂に集まったエドマンド様と侯爵夫人にお伺いを立てました。登場人物の名前を変えるとはいえ、暗黙の了解であるタンジェス様の存在を文字にしてしまっても良いのでしょうか。


「あら素敵じゃない。私達も小説に書かれた事で、多くの方々に認めてもらえたものよ」

「そ、そうなの、ですか?」


 確かに婚姻直前で結婚相手が変わるというのは、事情を知らない人にとっては邪推を生む素です。小説という形にして真実を広める事で受け入れやすくなった、という効果は確実にあったでしょう。


「ああ、母上達から続く真実の愛だとしっかり書いてくれ」


 食卓についているからでしょうか。エドマンド様も今度は話の内容を聞いて頷いてくださいました。


「本当によろしいのでしょうか。その……タンジェス様のことも」

「構わん。どうせお前の書く小説など一部の者しか読まんだろう。残念だな、母上達の小説は王都中で流行ったというのに」


 溜息を吐くエドマンド様に、私は肩を竦めてしまいます。私の書く小説は、お父様が懇意にしている書店に頼み込む形で置かせてもらっているだけなのです。


「では少しだけお名前を変えて、お二人のありのままを書かせていただきますね」


 エピソードを使わせていただくとはいっても、登場人物の生きた背景が変わってしまえばまったく別の意味を持ってしまう事もあります。エドマンド様とヘレン様お二人をそのまま書かせていただける。それは私にとって、何よりも嬉しい事なのですから。


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