第13話 村の子どもたちとの模擬戦
その日は、裏山には行かなかった。
朝から畑の手伝いで、牛を引き、鍬を振り、昼前になってようやく一息ついたところだったからだ。
畑の端の土手に腰を下ろし、ひしゃくで水を飲む。
空は高く、陽は強いが、風はまだ涼しい。
土と草と牛の匂いの向こうに、裏山の稜線がうっすら見えていた。
(あの祠、今日は師匠も一人で素振りしてるのかな)
そんなことをぼんやり考えていると、視界の端に土煙が上がった。
振り向くと、数人の子どもがこっちに向かって走ってくるのが見えた。
先頭で肩をいからせているのは、がっしりした体つきに丸刈り頭の少年――趙阿虎。
その少し後ろ、痩せ型で目つきの鋭い少年――趙阿文。
そしてその横で、のんびりした歩幅なのになぜか遅れない、垂れ目気味の少年――阿秋。
他にも、見慣れた村の子どもたちが数人。
僕より少し年上もいれば、同い年、少し幼い子もいる。
「おーい、青嶺!」
先頭の趙阿虎が、丸太みたいな腕を振り回しながら叫んだ。
「こんなとこで水飲んでるってことは、今日は裏山サボったのか?」
「サボってない。今日は畑の日」
ひしゃくを口から離しながら答えると、趙阿文がふん、と鼻を鳴らした。
「裏山、裏山って、最近毎日じゃねえか。
牛引き仲間を置いて、一人で何しに行ってるんだよ、お前」
「別に、一人ってわけじゃないけど」
そこまで言いかけて、舌をかんだ。
師匠のことを、うっかり口に出すわけにはいかない。
(“山で隠れて修行してる怪しいじいさん”なんて、子どもたちの格好の噂のタネだしな)
僕が言葉を探していると、阿秋が半分笑いながら口を挟んだ。
「青嶺はさ、どうせまた本でも読んでるんだろ。
裏山で寝転がって、雲見ながら字を読む。そういうやつだ」
「昔の僕なら否定できなかったけど、今はちょっとだけ違う」
苦笑しながらそう返すと、趙阿虎が身を乗り出してきた。
「違うなら、見せてみろよ」
「何を?」
「裏山で何してるか、だよ。
走ってるって話も聞いたし、棒を振ってるのを見たってやつもいる」
その言い方に、他の子どもたちの目もキラキラし始める。
“秘密の修行”というのは、どこの世界でも子ども心をくすぐるらしい。
(さて、どうするか)
師匠に教わった技を、そのまま全部晒すわけにはいかない。
かといって、ここで全部誤魔化しても、いずれどこかでズレが出る。
それに――。
(複数相手に“怪我させずに転ばせる”稽古には、ちょうどいいかもしれない)
師匠との稽古でも、ときどき「人の流れの中での身の置き方」を意識させられる。
今日の相手は、木の棒じゃなくて、肉と骨の塊だ。
下手をすれば、本当に怪我をさせる。
だからこそ、「加減して倒す」練習にはなる。
「そんなに気になるなら、ちょっと遊ぶ?」
僕がそう言うと、子どもたちの顔が一斉に輝いた。
「お、やるか!」
「よっしゃ、俺は最初から青嶺の相手だ!」
趙阿虎が、胸をドンと叩く。
「お前、一番最初に転がされる役買って出るとか、えらいな」
趙阿文が冷静に毒を吐き、周りから笑いが漏れた。
「場所、変えよう。畑だと土が固いから」
僕は立ち上がると、村の端にある空き地へ向かうよう手招きした。
祭りのときに屋台が並ぶ広場で、今は誰もいない。
土はほどよく柔らかく、石も少ない。ここなら転がしても大怪我にはならない。
父さんには「水飲んだらすぐ戻る」と言ってあるが、少しくらい遅れても、事情を話せば怒られはしないだろう。
むしろ、「年頃の子どもが取っ組み合いもせんでどうする」と笑うタイプだ。
空き地に着くと、子どもたちは自然と円を作った。
真ん中に、僕と――やはり一番手を主張する趙阿虎。
「ルールは?」
阿秋が、適当に仕切り役を買って出る。
こういうとき、彼は妙に段取りがいい。
「殴るのなし。蹴るのなし。目とか急所もなし。
押し合いと転ばせ合いだけ。土の上に肩か背中がついたら負け」
「お前、こういうの考えるの慣れてんな」
「牛同士のケンカ止めるとき、だいたいこんな感じだからな」
阿秋は肩をすくめた。
村の子どもは、だいたい牛と一緒に育つ。
牛の気性を読むのは、ある意味、人を見る訓練にもなる。
「よし、じゃあ一番手――阿虎!」
「おう!」
趙阿虎が、地面を踏み鳴らしながら前に出る。
その体つきは、同じ年頃の中では一回り大きい。
毎日牛を引いているだけあって、腕も足も太い。
(力押しタイプだな)
構えを見る前から、なんとなく分かる。
こういう相手に真正面から力比べをしても、いいことはない。
「じゃあ、始め!」
阿秋の合図と同時に、趙阿虎が突っ込んできた。
「うおおおっ!」
雄牛のような声を上げながら、そのまま体当たりを仕掛けてくる。
両腕を広げ、正面から抱え込むつもりらしい。
(分かりやすくて助かる)
僕は半歩だけ右足を引き、上体をわずかに左へずらす。
正面から受けるのではなく、肩と胸で相手の進行方向をほんの少しだけ変える。
ぶつかった瞬間、趙阿虎の体がわずかに浮いた。
その足元を、僕は自分の足で軽く払う。
「うわっ――」
勢いのまま、趙阿虎の足が空を切り、体が横倒しになる。
土の上に、どすん、と大きな音が響いた。
周りから、一瞬息を呑む気配。
「いっ……てえ……」
趙阿虎は顔をしかめたものの、すぐに自分で起き上がった。
肘や膝に擦り傷はついたが、骨がどうこうという感じではない。
僕は、さりげなく手を差し出した。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫だ! ちょっと土が硬かっただけだ!」
わざと大げさに胸を張る。
それを見て、周りから笑い声が上がった。
「阿虎、牛みたいに転がってたぞ」
「前見て走れよな」
「うるせえ! もう一回……」
「一回ずつだって言ったろ」
阿秋が割って入り、趙阿虎の肩をつかんで引き戻す。
「次、阿文」
「ふん。俺はあんな突っ込み方しねえよ」
趙阿文が、地面を踏みしめながら前に出てくる。
痩せている分、身のこなしは軽い。
目つきも鋭く、相手の動きをよく見るタイプだ。
「さっきの、わざと力を受けないようにずらしたろ」
「どうだろうね」
とぼけてみせるが、阿文の目は笑っていない。
「お前、前より足つきが安定してる。
牛追いのときと、村で走り回ってたときと、動きが違う。
裏山で、誰かに教わってるだろ」
その言葉に、周りの子どもたちの視線が一気に鋭くなった。
(……さすが、目ざといな)
阿文は嘘を見抜く力も強い。
ここで変に誤魔化すと、かえって疑いを深めてしまう。
「まあ、ちょっとね。
でも、“ちょっと”だよ。ぜんぶ我流」
半分だけ本当のことを混ぜる。
師匠という存在は伏せつつ、「何かしらやっている」という事実だけは認める。
「ふーん……。
まあいい。ここで全部吐かせる」
阿文はそう言って、腕を前に出した。
重心が、かすかに前寄りになる。
(正面からは来ないな。きっと)
合図もなしに、阿文が動いた。
最初の一歩は正面。
だが、二歩目で急に角度を変え、僕の右側に回り込もうとする。
視界の端で、足の運びを追う。
肩の傾きと、腰の捻り。
突っ込んでくるというよりは、「回り込んで背中を取る」つもりらしい。
(前世の会議室でも、こういうタイプいたな)
正面から意見をぶつけるんじゃなくて、横から論点をずらしてくるやつ。
真正面だけ見ていると、いつの間にか後ろを取られる。
僕は、阿文の動きに合わせて、自分も半歩だけ回る。
右足を軸に、体を左へひねる。
「おっと」
阿文の手が、僕の背中を掴みにくる。
その手首を、僕は自分の手で軽く掴み返し、そのまま体をくるりと回した。
自分の体を中心に、相手を引っ張る。
阿文の視界が一瞬だけ流れたはずだ。
「うわ」
その瞬間、足元の土の凹凸を利用して、阿文の踵を少しだけ持ち上げる。
ほんの指一本分の、高さ。
それだけで、体勢は崩れる。
阿文の体の重心がずれて、前のめりになった。
僕は最後まで手を離さず、勢いを殺しながら、土の上へ導く。
どさっ。
腹から落ちるのではなく、横向きに転がるように。
砂埃がふわりと舞う。
「……いてて」
阿文は眉をひそめたが、さっきの阿虎ほど派手には痛がらなかった。
転び慣れている分、身体の柔らかさもあるのだろう。
「大丈夫?」
「大丈夫……だけど。
お前、やっぱりただの本読みじゃないな」
「牛追いで鍛えられたんだよ」
「嘘つけ」
返事の鋭さに、思わず笑ってしまう。
周りの子どもたちは、半分は興奮、半分は信じられないといった顔をしていた。
「阿虎も阿文も、あっさり転がされた……」
「青嶺、いつそんなに強くなったんだよ」
「強くなったってほどでもないよ。
ちゃんと殴り合ったら、僕のほうが先に泣く自信ある」
本気で殴り合えば、体格差はやっぱり響く。
それは事実だし、多少自分を下げておくことで、周りの空気も和らぐ。
そのとき、後ろのほうから声が上がった。
「じゃあ、次は全員で行こうぜ!」
「ずるい! 俺もさっき一回だけだったのに!」
「みんなでかかって、誰が一番最初に青嶺を倒せるか勝負しよう!」
一気に騒がしくなる。
子どもの集団心理は、火がつくと早い。
(まあ、予想の範囲内だ)
師匠との稽古で、こういう場面を想定したことがある。
「一人が複数に囲まれたとき、どう足場を使うか」
その答えは、「壁を背負わないこと」と「ぶつけ合うこと」だ。
「いいよ。ただし、さっきと同じルールね。
殴るのはなし。蹴るのもなし。
肩か背中が土についたら、その人は輪から外れる。
僕は“倒されるまで”でいい」
「青嶺、さすがに無茶じゃねえか」
阿秋が心配そうに眉を寄せる。
「大丈夫。怪我はさせないようにするから」
それは、自分への宣言でもあった。
これだけ人数がいれば、ちょっとした拍子に足首をひねったり、頭を打ったりしかねない。
そこをきちんと制御できるかどうかが、今日の“試験”だ。
「じゃあ、数えるぞー。三つ数えたら、一斉に行けよ!」
阿秋が腕を振り上げる。
「いーち!」
僕は、さりげなく円の中心から半歩だけ外れ、背後に荷車と水桶の山がある位置を避けた。
何かにぶつかって転ぶと、ぶつかったほうも危ない。
「にーい!」
周りの子どもたちの息が揃う。
肩に力が入り、足の指が土を掴む。
「さーん!」
一斉に、足音が土を打った。
前から、趙阿虎の突撃。
右から、腕を広げた別の少年。
左からは、阿文が一歩遅れて回り込もうとしている。
(まずはぶつける)
僕は真正面から阿虎に向かって、二歩だけ詰めた。
「おおっ!?」
向こうからも驚いたような声が出る。
その場で急に止まろうとした阿虎の足が、ほんの少しもつれる。
僕はその肩を軽く押し、角度を変える。
阿虎の巨体が、右から来た少年の進路にふらりと入り込む。
「うわっ!」
「ちょ、お前重――」
二人まとめて、土の上に転がった。
土煙が一気に上がる。
「二人、アウトー!」
阿秋の声が飛んだ。
左から回り込んでいた阿文が、隙を見て背中を狙ってくる。
僕は足を入れ替え、半身を返しながら、その腕を軽く掴んだ。
「またかよ!」
さっきと違うのは、今度は一気に倒さないことだ。
腕を掴んだまま、肩と肩をぶつけるようにして回転を止め、勢いを逃がす。
阿文の足は地面についたまま。
バランスは崩れかけたが、ぎりぎりで持ち直す。
「阿文はまだ。次の波に使う」
心の中で、そんなメモを残す。
背後から、小さな足音。
振り向くと、まだ幼い子が無邪気に飛びついてこようとしていた。
「わっ」
そのまま行かせれば、僕の腰にぶつかって、自分で尻もちをつくだろう。
それはそれで大怪我ではないが、念のため、僕は膝をかがめて腕を伸ばし、その子をふわりと抱え上げた。
「つかまえた」
「きゃははっ!」
そのままくるりと回転し、地面にそっと下ろす。
この子は最初から“遊び”で来ている。
ここで怖い思いをさせる必要はない。
「お前、ずるいぞ!」
「小さい子を盾にするなよ!」
年上組が口々に言ってくる。
「盾にしてないよ。ただ、飛びついてきたから受け止めただけ」
「言い訳がうまい……」
阿秋が半眼になる。
その隙を狙って、別の少年が背後から腰に抱きついてきた。
「今だーっ!」
「おっと」
僕は、そのまま腰を落として重心を下げる。
腰を持ち上げるような力に逆らわないよう、ほんの少し前に体重を移す。
抱きついてきた少年の肩が僕の背中にめり込む形になる。
そこで、自分の腰を支点にして、ゆっくりと前へ転がった。
「うわ、うわっ!?」
背中で少年を背負ったまま、前転する形になる。
土の上で一回転し、その勢いのまま、少年を前に転がしてやる。
少年は、柔らかい泥の上に、尻から着地した。
「いっ……でも、なんか楽しい!」
笑いながら地面を叩く。
「はい、今のもアウトー!」
阿秋が指を立てる。
そんなことを繰り返すうちに、空き地の上には、あちこちに転がる少年たちと、立っているのは僕と阿文だけになっていた。
「……結局こうなるのかよ」
阿文が息を切らしながら笑う。
「お前、わざと強く当てないようにしてただろ。
あれで本気で投げたら、阿虎の奴、二度と立てなかったぞ」
「そんなことしたら、あとでみんなに嫌われる」
本音を言えば、怪我させたら母さんに怒られるというのもある。
「だったら……最後くらいは、本気で押してみろよ」
阿文の目が、少しだけ意地悪く光る。
「村で一番足の速い俺が、本気で仕掛けて、それでも転ばされたら――認めてやるよ。
“ちょっと強い青嶺”って」
「“ちょっと”なんだ」
「“すごく強い”なんて言ったら、お前、調子に乗るだろ」
あまりにも的確な指摘に、言葉が出ない。
「じゃあ、最後。阿文と青嶺!」
阿秋が、改めて両手を上げた。
周りの子どもたちも、泥だらけの服のまま起き上がって、半円を作る。
空気が、少しだけ変わる。
さっきまでのドタバタした乱戦の空気から、ほんの少しだけ、“勝負”の匂いが混じる。
(こういう空気、嫌いじゃないな)
前世の会議室でも、発言の前に独特の静けさが流れる瞬間があった。
今、それとよく似たものが、この小さな空き地を包んでいる。
「いくぞ」
「いつでもどうぞ」
阿文の足が、ふっと地面を蹴った。
最初の一歩は、あえて大きく。
視線を引きつけるための、派手な踏み込み。
(フェイントだ)
実際、その一歩はすぐに沈み、小さなステップに変わる。
左右の揺さぶりをかけながら、じわじわと距離を詰めてくる。
僕は足を動かさないまま、上体だけをわずかに回す。
呼吸は腹の底に。視野は広く。
阿文の肩が、ほんの少しだけ前に出た。
腰はまだ後ろ。足も決まっていない。
(まだだ)
もう一歩。
今度は腰が前に出る。
足が地面をしっかりと掴み、重心が前寄りになる。
(ここ)
僕は、その瞬間、右足を半歩だけ後ろに引いた。
同時に、左手を前に出し、阿文の肩を軽く押す。
正面から押すのではなく、ほんの少しだけ外側にずらす。
阿文の進行方向と、体の向きの差が生まれる。
「っ――!」
足が、その差を受け止めきれずに滑った。
僕はその肩を支え、引き込みながら、自分の腰を回す。
最初に教わった、もっとも基本的な崩し。
腰を支点に、相手の上半身だけをくるりと回す。
阿文の視界がひっくり返り、土の色が近づいていく。
どすん。
肩と背中が、同時に土に触れた。
「――そこまで!」
阿秋の声が響いた。
空き地に、一瞬の静寂。
次いで、歓声と笑い声。
「やっぱ青嶺、ちょっと強い!」
「阿文まで転がした!」
「“ちょっと”じゃなくて“かなり”じゃない?」
「かなりとか言うなって。あいつ調子乗るから」
阿虎のツッコミに、また笑いが起こる。
僕は、土に転がった阿文に手を差し出した。
「ごめん。ちょっと強く崩しすぎた」
「……いや。
最後の一歩、“ここしかねえ”って感じだったな」
阿文は、息を荒くしながらも笑っている。
「認めるよ。お前、ちょっと強い」
「“ちょっと”って言い張るんだな」
「村の中では、それでいいんだよ」
その言い方に、少しだけ引っかかりを覚えた。
「村の外だと?」
「村の外にはさ、もっとでかい奴らがいっぱいいるって話だろ」
阿文の視線が、遠くの山脈のほうを向く。
「商隊の兄ちゃんが言ってた。
都の近くの街道には、“門派の連中”とか、“江湖の客人”とかがうじゃうじゃいるって。
刀を腰に二本下げて、笑いながら人を殴るやつもいるって」
「物騒な話だな」
「だから、村の中で“すごく強い”とか言ってるくらいが、ちょうどいいんだよ。
外に出たら、どうせみんな“ちょっと強い”からさ」
その言葉に、何とも言えない現実感があった。
銀霜帝国は広い。
武林や江湖と呼ばれる世界が、そのあちこちに広がっている。
今はまだ、ここはその端っこだ。
「……俺も、いつか見に行く」
不意に、別の声がした。
振り向くと、阿秋が、空き地の向こうを見ながらつぶやいていた。
「都とか、門派とか、江湖とか。
何でもいいけど、“村の外”を、この目で見てみたい」
いつもはのんびりして見える目が、そのときだけ少し真剣だった。
「阿秋、都に行くの?」
「すぐには無理だろうけどな。
兵になって城を守るとか、商隊の護衛になるとか……何でもいい。
いつか、ここを出て、大きい道を歩いてみたい」
その言葉に、胸の奥が少しだけざわついた。
(“いつか都に行く”か)
前の世界でも、地方から出て中央に上がってきた人間は多かった。
みんな、それぞれのやり方で“外の世界”を目指していた。
「青嶺はさ」
阿秋が、こちらを振り向く。
「お前は、どうせ行くんだろ。村の外」
「どうかな」
「嘘つけ。
裏山で牛の世話だけして終わる顔じゃないもん、お前」
言い切られて、言葉に詰まる。
(顔でバレるのか……)
でも、否定できなかった。
師匠のもとで剣を学び、呼吸を整え、足運びを覚え、今日みたいに集団の中で身の置き方を試している。
そんな自分が、この村から一生出ない未来を、どうしても想像できなかった。
「まあ、いつ出ていくかくらいは教えろよな」
阿秋が笑う。
「そのとき俺がまだ村にいたら、道の途中までくらいは送ってやるよ。
俺が先に出てたら、そのへんの茶屋で待っててやる」
「どっちにしても、道のどこかで会うってことだね」
「そういうこと」
その約束が、いつどういう形で果たされるのかは、まだ分からない。
兵士として都の城門を守っているかもしれないし、商隊の荷車の上であくびをしているかもしれない。
あるいは、武林のどこかの門派で、見習いとして雑用をしているかもしれない。
ただ一つだけはっきりしているのは――。
(ここでの“ちょっと強い青嶺”って評判は、悪くないな)
村の子どもたちの間では、今日の模擬戦での結果が、しばらくのあいだ話題になるだろう。
「阿虎と阿文を一度に転がした」とか、「人数掛けてもなかなか倒せなかった」とか。
それでも、誰も僕を「怪物」とは呼ばない。
「ちょっと強い」「ちょっと負けたくない相手」――その程度の認識で止めておけたのは、今日の一番の収穫かもしれない。
畑に戻るころには、陽はすっかり高くなっていた。
父さんに「遅いぞ」と軽く小突かれながら、僕は泥だらけの服を見下ろした。
脇腹も、腕も、足も、そこそこには痛い。
だけど、それは師匠に殴られたときの痛みとは違って、どこかくすぐったい。
(村の中での“模擬戦”も、悪くないな)
師匠から学んだことを、別の形で試せる場所。
そして、その結果が、いつか村の外――銀霜帝国のどこかで、思わぬ形で役に立つかもしれない。
そんな予感を胸の隅に抱きながら、僕はまた、鍬を握り直した。
評価していただけますと幸いです!!
よろしくお願いします!




