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英雄無き王国紀-修道士の手記より-

作者: 駒
掲載日:2025/10/21

その王国は、地図の端に寄り添うように存在した。

豊かな鉱脈もなければ、果てしない穀倉地帯も持たない。けれど山と森と河が寄り添い、

風がやさしく通り抜ける――それがこの小国〈リオネール〉の姿であった。


都は丘陵の上に築かれ、三重の城壁に囲まれている。最外郭には民の住む市街、

二重の内郭には騎士団の兵舎と魔術学院、そして最奥に王城がそびえる。

城の背後には古の聖森〈エルトの森〉が広がり、そこに流れる霧は、古より“加護の息吹”と呼ばれてきた。


王国の歴史において、王は“森と契約した血族”である。

王家に生まれた者は、幼くして森の精霊と誓約を結ぶ儀を受け、その加護によって強い魔力を宿す。

ゆえに、王族は国の象徴であり、民の希望の灯であった。


「王族の在り方こそ、この国の象徴たりき。されば、民の安寧を守る所以なり。」


だが、平穏は長く続かぬものだ。


東方の大国〈ガルドニア〉が、ついにリオネールへの進軍を開始した。

東方の平原に朝靄が立ち込めるころ、リオネールの民はまだ眠りの中にあった。

だが、城下町には不穏な空気が漂っていた。

市門の警備兵が焦り、遠くの丘陵に立つ見張りが腕を伸ばす。

その視線の先、東方の地平に暗い影が波のように押し寄せるのが見えた。

鉄と煙をまとった巨国であり、兵数は十万を超える。対するリオネールは、城兵二千、騎士団八百、

魔術師団百、民兵五千。

森の霧を裂き、空気を震わせながら近づいてくる。

彼らの進軍は容赦なく、地を踏み鳴らす足音は民の心を震わせた。

あまりにも釣り合わぬ戦。誰もが敗北を口にできぬまま、空気だけが重くなっていった。


城内では宰相レオナールが城壁地図に手を落とし、眉を顰めた。


「陛下、北門の防衛線はすでに危うい。市街を守るには民を避難させる必要があります。

陛下も避難を・・・」


「王族のあり方こそ、この国の象徴であり、民の平和を守る理由でもある。」

低く、しかし決然とした声が返る。

老王エルンストは蒼銀の髪をなびかせ、静かに立ち上がった。その掌に光が集い、空気が震える。

王の魔力は“契約の証”――森の力そのもの。かつてこの国が幾度も滅びを免れたのは、この血筋ゆえである。


「陛下、それでも……」

宰相が言葉を続けようとしたとき、王太子リオネルが一歩前に出た。


「父上。すでに騎士団は配備を終えました。第一陣には私が立ちます。民の避難は王女セリアに任せてあります」


「承知しております!」

王女セリアが声を上げた。

彼女は宮廷魔術師団の長として、光と癒やしの術を扱う。

その隣には、まだ若き王子ユリウス。彼は剣よりも書を愛したが、この日ばかりは鎧を着、

剣と弓を手にし、民と兵を守る覚悟を見せていた。


「陛下、貴族子弟の志願も届いております」

宰相が急ぎ書簡を掲げる。

「各領主より二百、騎士候補生百二十、医療班三十――皆、王家のもとに集い、民を守る覚悟です」


王は静かにうなずいた。

「……ならば、我らは一つだ。血も、名も、立場も越えて」


その夜、城の上に灯された篝火が国中に戦の始まりを告げた。

民は恐怖に震えつつも希望を胸に、それぞれの役目を果たし始めた。


夜明け前の霧は、冷たく湿った空気を城下町に落とした。

民は家屋の影に身を潜め、家族の安否を確かめ、互いに震え声を交わす。

母親は子を抱きしめ、父は家族を守るために石を積む。

老いた者は杖で大地を突いた。女たちは包帯を巻きながら祈りの声を上げる

誰もが恐怖に押し潰されそうになりながら、誰一人として逃げ出すことはなかった。 

市場の女たちはパンを焼き、市場の鍛冶屋たちは武器を研ぎ、子どもたちは水を運ぶ。

城門の外、東の森を抜けてガルドニアの軍勢が迫る。

地平の向こうから、地鳴りのような足音が迫る。

ガルドニアの騎兵隊、鋼鉄の甲冑に身を包んだ歩兵、そして魔術師団――十万の軍勢が影のように押し寄せる。

その音は民の胸を叩き、心の奥に眠る恐怖を呼び覚ました。

恐怖の影が心を覆うが、彼らの瞳には決意の光が宿った。

誰も逃げず、誰も倒れた者を見捨てようとはしなかった。

恐怖に目を潤ませながらも、誰一人として背を向ける者はいなかった。


修道士アルブレヒトは祈りの堂の鐘楼に登り、日記を手に戦況を見下ろす。

視界には、敵の槍列、弓隊、魔術師たちが整列していた。

敵兵の表情には疑念と焦燥が混ざり、誇り高き彼らも、民の祈りと王族の存在により少しずつ足をすくめていた。 

修道士アルブレヒトの筆は震えていたが、眼は城外を見据える。

城壁に並ぶ弓兵、魔術師団の光が夜明けの霧に溶け、森の風がその魔法を運ぶ。

城壁の上では、王太子リオネルが馬上で剣を振る。

銀の甲冑は夜霧のなかで光り、敵兵の視線を捕らえる。


「恐れるな! この地は我らの母なる土ぞ!」

「風よ、森の加護を我らに!」


騎士たちの声が轟き、民の心にも希望の火を灯した。アルブレヒトは心の中で、

「王族の在り方こそ、この国の象徴たりき。されば、民の安寧を守る所以なり」

と書き留めた。


鐘楼の上から、銀の甲冑が光を反射しながら馬上で剣を掲げる王太子の姿が見えた。

民と兵、貴族子弟の心はすべて一つになり、城全体が静かに呼吸しているかのようだった。


叫びと共に、弓矢が飛び、魔術の光が弾を砕く。


民は息をのむ。子らは祈り、老人は涙を流す。

戦の恐怖と希望が、混ざり合った灰色の空気が城下に漂う。

城の周囲に火が上がる。ガルドニア軍の投石機が城壁に火矢を放ち、木造の塔が瞬時に炎に包まれる。

民は逃げ惑い、叫び声が混ざり合う。だが王族は退かない。

王女セリアは魔力を振るい、負傷兵を癒す光を生み出した。

その光は希望と安堵をもたらし、負傷兵の目に微笑みを取り戻させる。

王子ユリウスは盾を持ち、仲間の隙間から矢を放ち、民を守った。

貴族子弟たちは、騎士団の補助として前線に立つ。

勇敢に槍を振るう若者、火矢を魔法で撥ね返す少女、魔法を補佐する老齢の貴族。

彼らの心には恐怖もあったが、王族と民のために立つという覚悟がそれを打ち消した。

その戦場の最中、アルブレヒトは日記に書き続ける。


「民の祈りは、血よりも重く、剣よりも強し。王族と貴族と民が一つとなれば、

何者も国を奪えぬことを、私は目の当たりにする」


朝の光が赤く染まった空を照らす。

煙と灰が風に乗り、民の心に恐怖と不安を運ぶ。

市場の母親は子を抱き、涙を流しながらも家屋の修復を手伝う。

逃げ惑う者、剣を握る者、杖を突きながら祈る者、誰もが己の小さな役割を果たすために動いていた。


城壁の上、王太子リオネルは馬を翻し、槍を振る。

騎士団の列は緊張に震え、矢が雨のように降る中で前進を続けた。

王子ユリウスは民兵と共に城門前に立ち、盾を構えながら弓を引き続ける。

若き魔術師たちは、王女セリアの指揮のもと、光の結界を形成し、負傷者を守った。

貴族子弟も奮戦した。

若き騎士は自ら槍を振り、敵を押し返す。

老騎士は斧を構え、退却する兵を背後から守る。

彼らの姿は、王族と民の連帯を象徴するようだった。


その時、森の霧が揺れ、異様な風が巻き上がる。

王エルンストの目が光り、指先から蒼白の光が広がった。

契約の魔法――森そのものを戦場に呼び寄せる古の力が解き放たれる。

王エルンストは契約魔法を発動し、森の精霊と一体となった。

光は城壁を覆い、敵を圧倒する。民は歓声を上げ、貴族も騎士も共に戦の勝利を感じた。


アルブレヒトは鐘楼から日記を取った。

「森は我らの盾、王は我らの灯。民と貴族と王族は、一つとなりて、この国を護る。英雄など必要なし」


 一方、敵軍の英雄アルマリックは、その剛勇と狡猾さで知られていた。

彼はガルドニアの王に仕え、勝利のためなら手段を選ばぬ男だ。

前線で鎧を輝かせ、騎兵隊を率い、リオネールの城門を目指して突撃する。

しかし森の霧と城壁の魔術に阻まれ、進軍は次第に停滞する。


朝霧が城下町を覆う頃、戦の終盤が近づいていた。

東門を目指すガルドニア軍の大軍は、森の霧と城壁の魔法の前に混乱していた。

敵の兵士たちは互いに突き飛ばされ、叫び声が錯綜する。

彼らの顔には恐怖の色が濃く、全てを失うかもしれぬ絶望が浮かぶ。


戦の終盤、民は見守り、祈り、そして声を上げた。

屋根の上に立った少女は、震える声で歌を歌う。

その歌は戦場に届き、騎士たちの心を支えた。老夫婦は杖を手に立ち、家族を守る決意を胸に抱く。

子供たちは母の背にしがみつきながら、奇跡を信じて目を見開いた。


王太子リオネルは馬上で指揮を取り、兵を導く。

銀の甲冑が朝日を反射し、まるで希望そのもののように光った。

城内では、王女セリアが負傷兵に手を差し伸べ、魔力の光で胸の傷を癒す。

王子ユリウスは弓を手放し、書と筆を取り、戦場の記録をつける。

貴族たちは後方支援として民を導き、食糧を配給し、医療班を整える。

王妃エリサベートは民を励まし、避難を指揮しながらも、王の傍らに立ち続けた。


森の根は敵兵を絡め取り、枝は槍の如く振るわれた。

ガルドニアの英雄アルマリックは必死に逃れようとするが、

傲慢が祟り、根に絡まれたまま落馬する。

戦の混乱の中、アルマリックは自らの槍が腹を貫くのを感じた。

熱さと冷たさが同時に押し寄せ、視界はゆらぎ、耳には遠く民の祈りの声と、王族の沈着な采配の声が混ざった。


「これが……我が道の果てか……」


唇がかすかに震えた。彼の胸を覆ったのは、戦への後悔でもなく、怒りでもなく、

ただ――己の浅はかさと、思い上がりへの理解だった。


民は恐れに震えながらも、心の底から祈りを捧げていた。

その純粋な祈りは、アルマリックの胸に鋭く突き刺さる。

彼らの信仰心は、自らの力や策略を誇った彼を遥かに超えていた。


王族の誇り高き指揮もまた、アルマリックには重く響いた。

誰も華々しく英雄ぶらず、ただ国と民を守るために動いている。

その落ち着きは、彼の心に苛烈な羞恥と小さな敬意を同時にもたらした。


最後の瞬間、アルマリックの瞳に浮かんだのは、

これまで嘲笑した相手――民の祈り、王族の冷静な守護、そして自分が軽んじた全て――への、

淡い羨望と深い悟りだった。体が地に沈み、息が止まる直前、彼はかすかに微笑んだ。


「……この国に……、本当の英雄がいたのだな……」


そして、アルマリックの瞳は閉じた。


隣国の王がかつて言った言葉――


「英雄がいない国など腐っておる。血も夢もない」

 その言葉を裏付けるかの如く、ガルドニア軍の士気は崩れ、英雄の名に頼った者たちは次々に倒れた。


彼は英雄であろうとしたが、森と民の意思の前に打ち砕かれた。

王の魔法により生かされた者たちも、戦の教訓を胸に刻む。

因果応報の如く、過信と傲慢は敗北を招くことを、誰もが理解した。


戦闘が終わり、静寂が戻った城下町に民の声が広がる。

泣きながら瓦礫を片付ける者、戦利品を分配する者、負傷兵を助ける者。

王族と貴族が率先して働き、民は自然と希望を取り戻した。

王太子リオネルは父エルンストのもとに駆け寄り、戦況を報告する。

王は倒れることなく、契約の魔法で国を守った力尽きた敵兵の影を見つめ、静かに微笑む。

王女セリアは枯れた花を抱き、新たな芽を見つけて民に希望を示す。

王子ユリウスは戦場での記録を取り、民衆の恐怖や勇気を筆にしたためる。

貴族も騎士も、王族の指導のもと、国の再建に尽力する。

ガルドニアの英雄アルマリックは、傲慢と慢心の末に民の祈りと王族の結束の前に屈する。

彼の敗北は因果応報として語り継がれ、隣国の将兵に恐怖と警告を残すこととなった。

民の歓声と、王族の静かな微笑み――それは、英雄の名に頼ることなく、

国の象徴として王族が在り、民が支え合う真の力を示す光景であった。


城壁の上で、王エルンストは民の声を聞き、王太子リオネルに静かに告げた。


「見よ、民の力を。我らはただの血族にあらず。

王族の在り方こそ、この国の象徴たりき。されば、民の安寧を守る所以なり」

王妃エリサベートは笑みを絶やさず、王族と民の勝利を見届けた。




修道士アルブレヒトの日記より(抜粋)


「鐘楼より戦場を見下ろす。

民の祈り、王族の決意、貴族の支え……全てが一つとなり、奇跡は現れた。

敵の英雄アルマリックは己の過信により倒れ、隣国の王の言葉は現実となった。

英雄であろうと欲した者は、己の力に溺れ、敗北せり」


戦は終わった。

城下町に灰が舞う中、民は瓦礫を片付け、再び日常を取り戻し始める。

王太子リオネルは王座に就き、父王エルンストは生き延びた。

王は疲れた笑みを浮かべ、民の手に触れ、再建を見守った。


王妃エリサベートは民の前に立ち、貴族や騎士と共に復興の指揮を執った。

王女セリアは光と癒やしの魔力で傷ついた心を支え、

王子ユリウスは戦の記録を後世に伝える筆を握った。


そして民は知った。

英雄の有無ではなく、民と王族、貴族、そして全ての者の協力が国を守る力であることを。


この国に英雄は存在しなかった。

けれど、誰もが英雄であった。

パンを焼いた母も、矢を放った少年も、祈りを捧げた老女も。

王族と貴族と民が一つとなり、敵国の傲慢を退けたのである。


後に学者たちは、この戦いを「灰の契約」と呼んだ。

王が国と民を守るため、森と結んだ奇跡の夜。

その記録のひとつに、古びた手記がある。――修道士アルブレヒトの筆によるものだ。


「我らが王は、己を犠牲にせず国を救われた。

その姿はただの人であり、祈る者であった。

だが、その決意が、隣国の傲慢なる英雄に因果応報をもたらした」


そして、ページの端には誰かの手で書き足された一文がある。


――『英雄のいない国が不幸なのではない。

英雄を必要とする国こそが、不幸なのだ。』


――五百二十年前、修道士アルブレヒトの日記より。

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