クレーム代行
佐伯は昔から、気が弱かった。
弁当のごはんが偏っていても、カフェで頼んだアイスコーヒーが明らかに薄くても、通販で届いた服の色が違っていても、何も言えなかった。
頭の中で「ちょっと……」と文句をつけるシミュレーションは何度もしているのに、いざとなると喉に引っかかる。
ある日、SNSの広告に目が留まった。
《怒り、承ります──クレーム代行サービス「代クレ!」》
《あなたの不満、プロの言葉で社会へお届け》
気になってサイトを開くと、利用者の声が並んでいた。
「的確で、丁寧。自分で言うよりずっとマシ」「代行で勝ち取った謝罪文、額縁に入れて飾ってます」
「言わなくても怒れる社会、最高です!」
半信半疑ながら、佐伯は試しに使ってみることにした。
手始めにヒビ割れたコップを手に取る。通販で買ったばかりなのに、開けたらヒビが入っていた。
《商品名・購入日・状況》を記入し、怒りレベル(1〜5)を「2:やや不快」に設定。
言い方のトーンは「丁寧+効果重視」を選択。送信。
数日後、スマホにメールが届いた。
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件名:【クレーム処理完了】ご依頼の件について
本文:
拝啓 平素より貴社商品をご愛顧申し上げております。
さて、今回お送りいただいた商品において、使用前にもかかわらず明らかな破損が見られた点について、
非常に残念な思いを抱きました。
長年、貴社の商品を信頼して選び続けてきたからこそ、今回の事態は一層残念であり、信頼の揺らぎにつながるものでした。
今後の改善と信頼回復のため、誠意あるご対応をお願い申し上げます。
敬具
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その2日後、佐伯のもとに丁寧な謝罪メールと共に新品のコップが届いた。しかもお詫びとして10%オフクーポンまで同封されていた。
思わず笑ってしまった。「これ……本当に俺の代わりに言ってくれたんだ」
味をしめた佐伯は、次々と依頼した。
牛丼屋の生卵が常温だった→次回無料券
ファミレスでドリンクバーの炭酸が抜けてた→謝罪と次回無料チケット
サブスクの解約ページが分かりづらい→UI改善の報告メール
たしかに自分は何もしていない。でも、言えなかったことが“言語化”されて報われていく爽快感があった。
そんなある夜、飲み会帰りの気の緩みもあり、佐伯はある感情を打ち込んでしまった。
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件名:【人間関係クレーム依頼】
内容:
昔付き合ってた彼女が、自分をずっと見下していた気がする。
別れ方も一方的だったし、なんというか「自分が悪かったのかな」と思わされていた。
でも今になっても、ずっと胸に引っかかってる。
感情の整理がしたい。向こうに言いたい。
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怒りレベルは「3:強めに主張」、言い方トーンは「冷静・論理的」に設定。送信。
翌日、元恋人からLINEが来た。
《なにあれ?書いたのはあんたじゃないってわかってるけど、めちゃくちゃ怖いんだけど》
《あの文面、正論すぎて……なんか、逆にサイコじゃない?》
《マジでドン引きした。やっぱり変わったね、あんた》
SNSを開くと、元恋人が「元彼から気味の悪い長文が届いた」として晒していた。
その中には、佐伯のフルネームも、過去のLINEのスクショも載っていた。
佐伯は青ざめながら、『クレーム代行』の問い合わせフォームに入力した。
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依頼内容と違った意図で伝わってしまいました。
あの文章の訂正、もしくは謝罪の代行をお願いしたいです。
とても困っています。
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数時間後、定型文のメールが届いた。
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ご利用ありがとうございます。
当サービスは「ご依頼者が他者に対して抱えるクレーム」の代行を行うものであり、
当サービス自体へのクレームは受け付けておりません。
また、ご依頼者自身の“後悔・混乱・誤解”については、当人の責任にてご対応をお願いしております。
※当サービスは“他者に向けた”クレーム代行を専門としております。
“自己への不満”に関しては、専門外となりますのでご留意ください。
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画面の文字がじわじわと滲んで見えた。
吐き出したい怒りはあった。けれど、その矛先は、自分自身だった。
その“クレーム”を代わってくれる人は、どこにもいなかった。