chapter.2 まどかとなぎさ
「“リストア”!」
伊織の声に反応して《ステラ・ウォッチ》の画面に“restore”と表示される。端末を中心に光の粒子が放出されると、伊織の身体はあっという間に光に包まれた。キィンと耳を劈くような音と共に、眩い光が伊織の身体を抜けていく。視界が真っ白になって、伊織は思わず目を閉じた。それからゆっくりと目を開けた頃には、光はすっかりと収束していた。
「凄い……! 戻ってる!!」
フリル多めの衣装から、制服のブレザーとスラックスへ。背中のリュックもそのまま。元の男子高生姿であることを確認し、伊織はホッと安堵の溜息をついた。
同時にリストアを唱えた渚健太郎もまた、元のサラリーマン姿に戻っている。戻るやいなや、彼は背中のリュックを下ろして戦利品の状態を確かめているようだ。大丈夫だと確信したところで何度か頷き、再度リュックを背負い直していた。
「細かいことは分からないが、あんたの研究所の超科学とやら、信じてやらないでもない」
元に戻っても、渚の横柄さは変わらなかった。
緑川はそんな彼の態度など気にも留めない様子で「それは光栄」と口角を上げた。
「君達二人に、世界に蔓延るヴィラン化ウィルスの脅威から人類を救うための力を授けた。あくまで実験段階ではあったものの、間違いなく有効な手段であることは確認出来た。君達が私の望む美しく可憐な戦士へと変身出来たこと、そしてV2罹患者の浄化を成功させたことは大変な収穫だ。引き続き協力を仰ぎたい。いや……協力して貰おう」
「強制……ですか」
緑川の強い口調に気圧された伊織がポツリと言うと、渚がフフッと鼻で笑う。
「強制だろ、当然。それともアレか、逃げるのか?」
「そ、そうじゃないけど……」
「性別も変わる、見た目も何もかも変わってしまう。変身スーツに身を包んだ特撮ヒーローより正体はバレにくいと思うぜ?」
確かに、一理ある。
この鼻につくようなサラリーマン渚健太郎が綺麗系魔法少女になっていたことが、彼の言葉に説得力を持たせてしまった。伊織もまた、元の姿とは似ても似つかない美少女へと変身した。
この急激で原型も留めない変身は、マスクロドヒーローと同等か、それ以上に正体が分かりにくくはあるのだが……
「何も四六時中協力しろと言っているわけじゃない。魔物化したV2罹患者が現れて暴れ始めた場合、被害を最小限に留めるため、少しの時間《エンジェルステラ》として魔物を浄化して欲しいと、そういう話だ。今日は遅い。明日改めて詳細を伝えたい」
断る、という選択肢は既にない。
仕方なく頷く伊織の隣で、渚は「了解」と親指を立てている。
「渚、円谷両名には、変身中コードネームで呼び合って貰いたいが」
「俺のことは“なぎさ”でいいぜ」
渚の一言に、伊織は驚愕した。
「“なぎさ”って苗字じゃん! 身バレしたらどうすんの?!」
「身バレなんかしねぇよ。それに、バレてもワンチャン面白い」
「面白いって……」
「そりゃ面白いだろ。美少女の中身がこんなイケメンだったら発狂する輩が大量発生する」
ドン引きして一歩下がる伊織に、渚は人差し指を向けニヤリと笑った。
「――で、お前は“まどか”だ」
「はぁぁ?! なんで“まどか”?!」
「円と谷で“つぶらや”だろ。円の字は訓読みで“まどか”って読むんだよ」
「そ、それは知ってるけど!」
「お前、明らかに“まどか”って見た目してただろうが。“まどか”、“魔法少女まどか”。最高じゃん」
確かに魔法少女の名前としては完璧だと、伊織も思う。暗に伊織のことを指してはいるが、そうは聞こえない。抜群のネーミングセンスではあるのだが。
「“まどか”。良いではないか。《魔法少女エンジェルステラ》の“まどか”と“なぎさ”。――素晴らしい」
パンパンと、緑川が手を叩いた。
「だろ?」
その上、誇らしげな渚の態度。
二人の妙な威圧感に、伊織は何も言えなくなった。
「まどか、なぎさ両名に告ぐ」
「あの、緑川さん。変身前に“まどか”は、ちょっと」
「……では円谷、渚。明日正午《ステラ・ウォッチ》に連絡事項を配信する。普段、端末は通常のスマートウォッチとして利用したまえ。今日のところは疲れただろう。最寄り駅付近まで車で送ろう」
緑川の言葉に、渚が小さく手を挙げた。
「俺は自宅前までで良いっすよ。疲れたんで」
「渚……。君は自分の欲望に正直だな」
「さっきも言ったでしょ。身バレなんかしないし、バレても構わないって」
「円谷少年はどうする?」
「僕は、駅のそばで大丈夫です……」
遠慮がちに断るしかない伊織の気持ちなど、果たして渚も緑川も気付いていたのかは不明だった。
*
ビルから出たあと、伊織と渚は近くに停まった黒いミニバンの後部座席へと案内された。助手席には緑川。運転手は先程電車で見掛けたのとは違う男だった。
まずは年少者の伊織から送ろうと緑川が言うので、最寄り駅を伝えて車に揺られた。
「顔が暗いぜ? 正義の味方なんだからしゃんとしろよ」
隣で渚が嫌味ったらしく見下ろしていたが、伊織の耳には入らなかった。
車窓から街の灯りが流れていくのを、伊織はただただぼうっと見つめていた。