chapter.2 隠せば、隠すほど
午後の授業が終わり、帰り支度をしていた伊織の机に、前の席の優也がグイッと上半身を乗せてくる。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
いつもは気軽に話し掛けてくる優也だが、今朝から少し余所余所しかった。表情が険しい。昨日のアレかなと思っていたところに、
「最近付き合い悪いのって、あいつと居るから?」
周囲に気遣ってか、声のトーンは抑え気味。
どう答えるべきか少し思案して、
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
伊織は優也から目を逸らし、差し障りのない言葉を選んで吐き出した。
「お前の彼氏だって言ってたぞ。どういう意味だよアレ」
言われるだろうと思っていたことを面と向かって言われると、それはそれで嫌なものだ。
無視したい気持ちを必死に押さえて、伊織は机の中の荷物をリュックの中に突っ込んだ。
「どういうって……知らないよ」
「知らないわけないだろ。あんなベタベタして。いつの間にそういう仲になったんだよ」
「そういう仲って。何言ってんの」
「どう考えても十は年上だろ? それに友達にしてはあの距離感、変じゃね?」
「あのさ。友達じゃなくて、あいつは」
――そこまで言って、伊織は周囲の目線が自分に集中していることに気が付いた。
好奇の目。
さっきまでざわついていたはずなのに、クラス中が急にしんと静まりかえって、伊織と優也の会話に耳をそばだてている。
「そんなのどうだっていいだろ。別に、優也に教えるようなことじゃ」
「じゃあ認めるんだ。そういう仲だって」
「だからそんなんじゃなくて」
「やましい仲じゃないなら、ちゃんと言えば良いだろ」
「それは」
言い淀んでしまうと益々怪しく思われる。分かっていても嘘だけはつきたくなくて、気が付くと変な言い回しになってしまっていた。
参ったなと溜め息をついていると、
「円谷君のお父さんの部下だって」
空気を一変させたのは、安樹星来だった。
安樹は長い前髪で表情を隠したまま顔を上げ、教室の隅の席から教室中に聞こえるように、わざとらしく大きな声を出した。
「上司の息子だからって、可愛がって貰ってるみたいよ。円谷君もお父さんの手前、無下に出来ないみたい。――だったわよね」
普段誰とも会話しない安樹が何故そんなことを言い出したのか、伊織以外には理解が出来なかったのだろう。皆一様に目を丸くし、安樹と伊織を交互に見つめている。
「や、安樹さんの、言った通り……」
「――お前、まさか安樹と」
今度は安樹との仲を疑い始める優也に「エッ?!」と伊織は首を振った。
「ち、違。安樹さんは、その」
「じゃあなんで安樹がそんなこと知ってんだよ」
「それは」
まさか自分のストーカーだなんて、優也に言えるはずもなく。
しどろもどろになる伊織を尻目に、安樹はフッと口角を上げ、長いお下げ髪を揺らしてさっさと教室から出て行ってしまう。
「安樹さん!!」
急いで荷物を纏めて追いかけようとした伊織だったが、彼女は既に姿を消していた。
廊下の真ん中でハァと大きく息を吐き落胆する伊織の肩を、あとからやって来た優也がポンと軽く叩いた。
「変わったな、伊織」
「え?」
「お前、変わったな。隠し事するようなヤツじゃなかったのに」
振り向いた伊織の目に映ったのは、自分の方を見てもくれなくなった、優也の横顔だった。
*
面倒なことになった。
校舎を出たあと学校の裏庭に回り、ハァと大きく息を吐いて、壁に寄り掛かったまま屈み込む。
ぼうっとしたまましばらくスマホを弄っていた伊織だったが、五分程経ったあと意を決して羽マークのアイコンをタップした。
《おつり届けたい》
健太郎にメッセージを送る。
すると直ぐに、
《いいよ
家で待ってて》
恐ろしい程直ぐに返事が返ってきて、伊織は少し面食らった。
「気まずいけど、渡す物は渡さないと」
ポケットに突っ込んだままの釣り銭入り封筒を布越しに触って、それからよいしょと立ち上がる。周囲に誰も居ないことを確認してから《ステラ・ウォッチ》の転移機能で健太郎のマンションに飛んだ。
体が粉々の光の粒になって、それからしばらく意識が飛び、気が付くと目的地に着いている。何度体験しても原理の分からない、不思議な力。
玄関の土間に立っていた伊織は、誰もいないのを知っていながら「お邪魔しまぁす」と靴を脱いで中に入っていく。
相変わらず、家中きちんと片付けてある。気を抜くと散らかり放題になってしまう伊織の部屋とは大違いだ。
予告のメッセージを入れたからか、エアコンも遠隔操作でしっかり付いていて、風が気持ちいい。
健太郎の仕事が終わるまでまだ少し時間がある。
伊織はフラフラと部屋の中を歩き回っては、キュアキュアコレクションや棚の観葉植物を眺めて過ごした。
ふと、写真立てに目が止まる。
亡くなった健太郎の妻、陽菜子の写真だ。
「犠牲に、なったんだっけ」
いつも明るく振る舞っている健太郎の、影の部分。チラリと聞いたことはあったけれど、詳しいことは聞けずじまいだ。
健太郎が想像以上に強い意志で戦いに挑んでいることに、伊織も何となく感付いていた。
妊娠中の妻が犠牲になるなんて、かなりセンセーショナルだし、マスコミにも相当報道されていたに違いない。ただ一人残された可哀想な夫というレッテルでも貼られてしまったのだろうか。心ないインタビューでも受けてしまったのだろうか。
何の気なしに、伊織はスマホで渚陽菜子の名前を検索していた。
記事になっていれば、何かしら情報が掴めるかもしれないと思ったからだ。
「渚……漢字はこれで合ってるよね」
日本でV2の被害が確認されてから、まだ三年。被害が大きくなってきたのは、その後半年が経過してからだ。
一つ二つ、記事があってもおかしくないはずなのだが、検索しても出てこない。
「検索ワードを足せば出てくるかな」
それでも一向に記事は現れない。
伊織は首を傾げた。
「おっかしいな。元記事が消えてても、転載されるかも知れないのに」
「ただいま~。お、来てるな」
ドアの閉まるような音もなく、突然健太郎が帰宅する。伊織と同じように《ステラ・ウォッチ》で飛んできたらしい。
「あ、うん。先に、来てた」
勝手に検索した後ろめたさで、伊織は思わずスマホを落っことした。
スルスルッと床を滑り、スマホがリビングへとやって来た健太郎の足元に着地する。
「待たせたな。ちょっと終礼が長引いちゃって……」
持ち上げたスマホの画面に、健太郎の顔が曇った。
「あの、これは、その」
弁明しようとする伊織に、健太郎はスッとスマホを差し出した。
「検索しても、出ないと思うぜ」
健太郎は目を伏せて、静かに口角を上げた。




