chapter.4 いつから知ってるの
猛獣のような目だと、伊織は思った。
安樹星来の目はギラギラと光っていて、伊織をガブッと喰らってしまいそうな――そんな威圧感があった。
ゴクリと唾を思い切り飲み込むが、それでも喉はカラカラになった。
「お、追う……って、どういう」
絞り出した言葉はあまりにも稚拙だった。
固まって動けない伊織とは裏腹に、安樹はニマッと口角を上げて更に顔を近付けてくる。
ふわりと、女子特有の柔らかい匂いがする。何の匂いだろう、甘い匂いだ。弁当の中身とは関係のなさそうな。
「君の行動を監視してる。ずっと。君が立ち寄る店も、家族も、君が好きなものも知ってる。君が笑うのはどんなときだろうとか、君が苦しそうにするのはどんなときだろうとか、そういうのをずっと見てる。それをストーカーって言うならそれでもいい。私は君を知りたかった。どんな気持ちで過ごしているのか知らないと、自分の中で壊れたものが修復出来そうになかったから」
あぐらを組んでいた足が解れて、伊織はそのままフェンスの前ですっ転んだ。
弁当が全部ひっくり返るのが視界の端っこに見えていたが、どうにか出来る状態ではない。
仰向けになった伊織に馬乗りになって、安樹が更に顔を寄せてきた。
近い。
安樹の吐息が、直ぐそばで聞こえている。
垂れた彼女の前髪の間から、まだギラギラと光り続ける目が見えている。
「私は全部失った。君は失ってない。これが、加害者と被害者の差なの?」
バンッと、安樹は勢いよくコンクリ床に拳を打ち付けた。耳元で激しく響く高い音に、伊織はビクッと肩を揺らした。
「なりたくてなったわけじゃないのに、世間は私達に悲しむ余裕をくれなかった! 被害者は同情されるのに!! 一体何が原因であんなことが起きたのか、知りたいのはこっちだって同じなのに!!」
バンッバンッと、安樹星来は何度も何度も拳を床に叩きつける。上下するその手から、ピシャッと赤いものが飛ぶのが見えて、伊織は咄嗟に安樹の右腕を掴んだ。
「血……」
「離して」
「離さない」
安樹はまだ、力を入れたままだ。
拳から血が滲んでいる。
馬乗りになったまま伊織を全体重で押しつけるようにして、安樹がまだ拳を振り下ろそうと右腕に力を入れているのが分かる。
ギリギリと奥歯を噛み、眉間に皺を寄せて伊織を睨み付ける安樹は、だがどこか寂しそうで。
「離しなさいよ! 君はどうせ想像だにしてなかったでしょう? 私の存在なんか気にも留めていなかった。世間もそう。V2に襲われて怪我をした人間、殺された人間には同情する。トラウマになって可哀想、社会復帰が遅れて可哀想。そうね、可哀想だよ。見れば分かるもの。可哀想可哀想可哀想可哀想……可哀想で結構だわ。そうやって同情されれば少しは悲しみが癒えるとでも思っているかも知れないけれど、私は違う。可哀想だとは思って貰えない方の人間だから」
「安樹、落ち着いて」
「私はいつでも落ち着いてる。落ち着いていなければ狂ってた。何事もなかったように振る舞い続けることが、私がこの世界で生きていくためには必要なことだったから、ずっとずっとそうしてきた。君が苦しむのを見て安心した。君が笑うのを見て心が痛んだ。君は徐々に前を向いて歩き始めた。私は違う。なんにもなくなって、ただ空っぽで生きているだけ。どうして君が、君がエンジェルステラで、魔法少女で、まどかで!! 私は選ばれなかった? 私がずっと後ろ向きに生きているから、魔法少女にはなれなかったってことなの?!」
ボタボタと、安樹星来の目から大粒の涙が落ちてくる。
落ちてきた涙は、真下にいる伊織の頬を伝って滑り落ちていく。
「……僕が、魔法少女だって、いつから知ってるの」
もう、誤魔化せそうになかった。
安樹の右腕を力一杯掴んだまま、伊織は馬乗りになった彼女に静かに問いかけた。
「最初から知ってる。いつも君の乗る車両の隣に乗って、君の後を付けてたから」
「完全に、ストーカーだね」
「そうだよ。悪い? でも君に害を加えるつもりはなかった」
「で、見たのか。僕が変身するところ」
「そう。君ともう一人、男の人。この前、街で見掛けたよ二人で歩いてるとこ」
「そんなとこまで」
「けど、最初の一回だけだよ、間近でエンジェルステラを見てたのは。あとはずっと、動画で見てる」
話しているうちに、少しずつ落ち着いてきたのだろう。安樹の力が弱くなっている。
彼女の腕を掴んだまま、伊織はゆっくりと身体を起こした。
ググッと伊織の身体が起き上がると、安樹はギョッとして体を浮かす。その隙にスルリと足を引っ込めて、伊織はようやく安樹から解放された。
敵意がなくなったことを確認して腕を解放すると、安樹は伊織が握った部分を何度も擦っている。もしかしたら、強く握りすぎたかも知れないと少し反省する。
「……男子高校生が魔法少女なんて笑えるだろ」
首に手を当て、ハハハと誤魔化すが、安樹は笑わなかった。
「円谷君だから、あの“まどか”なんだと思ったよ」
「え?」
「君は真っ直ぐで、誰のことも恨まなかった。うちのおじいちゃんの葬式に、知らない名前があって、それで君のことを知った」
安樹は大きく息を吐き、スカートのひだを整えてまた、弁当のそばに腰を下ろした。
「普通はさ、自分の家族を襲った人の葬式に顔を出すなんてあり得ないはずなのに、君はお父さんと一緒にお葬式に来てくれたんだよ。いつも学校帰りに声を掛けてくれたおじいちゃんだったから、ちゃんとお別れしたいって。それで……君を知ったんだ」




