chapter.4 配信中のハプニング
割れたガラスを突き破って、書籍コーナーのラックの上に巨大な甲殻類がのし掛かった。ガラスの欠片が商品棚のあちこちに降り注ぐと同時に、四方八方から悲鳴が上がる。
咄嗟に顔面を塞いだRABIの左腕にもガラスの破片が幾つも掠め、ヒリッと走るような痛みが彼の表情を歪ませた。
赤黒い巨体と共に入り込んだ外の空気に煽られて、RABIは弁当コーナーの冷蔵ショーケースまで吹き飛ばされた。
「うぉっ!!」
ガンッと背中を打ち付けられ、反動で床に転げる。が、それでもスマホを構えた右手だけはずっとV2モンスターの巨大ザリガニを捉えていた。
ザリガニは前のめりになって大きなハサミを振り上げ、触角を揺り動かして辺りを探っている。複眼のザリガニは人間とは違う見え方をしているとは言うが、このザリガニの身体に人間の足を生やしたようなバケモノがどうなのかは分からない。
カシャカシャと胸脚や触角を動かす音が聞こえる度に、RABIは震え、だがしっかりとスマホを構え続けた。
「RABI逃げろ! RABI!!」
スタッフルームの扉を半開きして、連れの男がRABIを呼ぶ。が、当のRABIは平気な振りをして、ガラスの破片が散乱する床に左手と膝を付き、どうにか立ち上がろうとしている。
「逃げるのは簡単だけど」
外からの光を遮るようにして立ちはだかるザリガニに恐怖を感じ身動きが取れないだけだなんて、どの口で言えようか。画面の向こう側で今後の展開を期待する視聴者の手前、震える声で虚勢を張るRABIだが、その呼吸までは誤魔化せない。ハァハァと荒くなる息をマイクが拾って緊張感が高まっていくのを、落ち着け落ち着けと頭の中で必死に叫んで止めようとするが、そんなこと、出来るわけもなく。
店内にとうとう入り込んだザリガニがその尾扇で商品棚を薙ぎ倒し、レジカウンターを叩き潰し迫ってくる。かぶりを振り、チラリと見える複眼が光る。
RABIはグッと歯を食い縛り、恐怖で涙がだらだらと零れるのを拭き取ることも出来ないまま、ただ祈り続けた。
――お願いだ、エンジェルステラ。
もし本当に存在するなら、目の前のバケモノを――……
「なぎさ! こっちだ!!」
「オッケーまどか!!」
甲高い少女の声。
目を見開いてキョロキョロさせるが、RABIの視界に入るのはザリガニの魔物ばかり。聞き間違いでなければ、確かにあの二人の名前を。
「……ッ!! 一足遅かったか。まどか、中入って救助」
「了解!!」
店の外、砕けたガラスの向こう側、光に溶け込むようにして二つの影が動いているのが微かに分かる。
疑念が確信に変わりつつあると知ると、RABIは咄嗟に片膝を付き、両手でスマホを構え直した。
「う、嘘だろ。そんなこと」
そうなればいい、そうなって欲しいという気持ちは確かにあった。だが期待通りにならないのが現実というヤツだと思っていたのに。
壊れた自動ドアを抜け、ピンク髪の長いツインテールの少女がサッとRABIに駆け寄った。
「何してんの、逃げるよ」
動画で聞いた通りの可愛い声で、しかし厳しく芯の通ったような強い口調で、まどかは言った。
気の動転したRABIが「えっ、えっ?!」としゃくり上げるような声を上げるのも構わず、まどかは自分より身体の大きなRABIの腹に腕を潜らせ、ひょいと彼を持ち上げてしまう。
「ちょ……」
RABIを抱えたまま、まどかはドリンクコーナー奥のスタッフルーム目掛けて走り出した。
「なぎさ! 行け――ッ!!」
外に向かってまどかが叫ぶ。
「任せて!! ――届け! “スターダスト・トルネード”!」
慌ててスマホを抱えようとするが、商品棚に隠れて肝心の必殺技が映らない。
目映い光と風が放たれ、商品棚から菓子が、カップ麺が、デザートが吹き飛んで天井やショーケース、床にバンバン打ち付けられるのだけが視界に入る。
「放して! 配信ちゅ」
「命より大事か」
「は?」
「命より配信が大事かよ?!」
「それは」
「――こいつを頼む!!」
放り投げるようにしてRABIをスタッフルーム側に放り投げると、扉を半開きにしたまま待っていた連れの男がすかさずRABIを受け止める。
「RABI!! 大丈夫か?!」
「は、配信」
「いいからこっち入れ!」
RABIがスタッフルームに入ったことを確認すると、まどかは「後は僕達が!」と片手を上げて魔物の所へ戻っていく。
「まどか、こいつ凄く硬い!」
「だろうと思った!! 二人でやるしかない」
「了解!」
黒い衣装にピンクのフリル、長い金髪のポニーテールを揺らしたなぎさが、弁当用のショーケース前でまどかと合流する。
両手を合わせ、腰を落とす。
互いの外側の手を高く掲げ、人差し指を立てて力を集中させると、まどかとなぎさの指先に電流を帯びたような光が集まっていく。
「憐れなる子らに祝福を! 注げ!! エンジェルス・シャワー!!」
二人同時に一歩大きく踏み込んで、掲げた手を地面まで一気に振り下ろした。
指先から放たれた光がうねりとなって、巨大なザリガニへと向かっていくのが見えると、スタッフルームの扉から外を覗いていた客達が一斉に歓声を上げた。
「いっけぇ――――!! エンジェルステラ――――ッ!!!!」
RABIは見た。
熱気溢れる現場と、エンジェルステラが魔物を打ち砕く瞬間を。
そして思わず叫んでいた。両手を握り締め、力一杯。
スマホが手から滑り落ちて、カメラの部分が床を向いたままになっているなんて、思いもしないままに。




