chapter.5 ラボの人々
健太郎はパシッと額に手を当て、溜息をつきながら天井を仰ぎ見た。
館花も額に手を当て、ガクッと肩を落としている。
「早いよ……円谷君……」
「ハイ……」
「まだ二回しか変身してないんだからさ……それでバレちゃったらダメでしょ……」
全くもってその通りである。
懸賞金までかけられてしまったのに、気が抜けていたでは済まない事態だと、伊織だって理解している。
……が、突然迫られたのだ。何かを知っている、と。
「い、いや、でも! 安樹さんはハッキリ言ってなかったし! 僕がまどかだなんて本当は分かってなくて、鎌を掛けてきたのかも知れないし」
「けど、それっぽいことを言われたんだろ? ったく、ありえねぇ〜!!」
他の誰に言われても落ち込むが、健太郎に言われると無性にムカムカしてくるのだから堪らない。
館花はまぁまぁと健太郎を落ち着かせてくれているが、伊織と健太郎の苛立ちは、それでどうにかなるものでもなかった。
「円谷君、その安樹という子は、普段から仲の良い子?」
「いいえ。全然喋ったことなくて」
「学校では目立つような」
「――子では、ないです。教室の隅で本を読んでるような、存在感のない女子……ですけど」
「女の子か」
話をしているうちに、他の所員達も内容が気になるらしく、チラチラと伊織達を見る回数が増えてきていた。気が気ではないのだろう。ペンや書類が落ちる音が機械音に混じって響いていた。
「仲が良いわけでもないのに接触してきたのが気になるところだけど、様子を見るしかないかもね。円谷君も、不用意にティンクルを学校で呼び出さないこと。いいね?」
「は、はい……」
「次から気を付ける、で良いんじゃないの」
落ち込んだ伊織に声を掛けたのは、近くでパソコンを弄っていた女性所員だった。三十代半ばと思しき彼女は、元気を出しなとばかりに、伊織にミルク味の飴を一つ差し出してきた。
「けれどこれから先、エンジェルステラの正体を探るために危険な行動を取ってくる人間が出ないとも限らない。例えば戦闘中に接近するとか、自ら囮になってあなた達を誘き寄せるとか。人間って、ヒートアップし過ぎると見境なくなっていく生き物だからね」
「赤井君、フォローありがとう」
「どういたしまして、館花さん」
赤井と呼ばれた女性は館花にニコッと微笑み返した。
「そうだ。せっかくだから他の所員も紹介するよ。みんな、来て」
作業の手を止め、他の所員も伊織達の所へと集まってくる。
大学を卒業したばかりに見える若者から、定年間際と思しき人まで、年齢層はかなり幅広い。
「今、飴をくれたのは赤井里穂君。いつも飴を隠し持ってるから、声を掛けたら貰えるよ。で、そっちにいる若い子は、大川京司君。今年二十五だから、渚君より年下かな」
「大川です。よろしくお願いします」
健太郎より少し身長の高い大川は、緩いパーマを掛けた肩までの髪をふわりと揺らして頭を下げた。
「続いて隣が三ツ浦靖彦氏。三ツ浦氏は某大学で教鞭を執っていたこともあるその筋での有名人なんだけど、まぁ、それはあんまり言うなって言われてるからこのくらいで……」
ンンッと、小柄な中年男性が咳払い。館花が愛想笑いをするのを横目に、三ツ浦は一歩踏み出して軽く会釈した。
「三ツ浦靖彦です。ネットでやたらと検索しないように」
検索すると何かしら出てくる有名人らしい。
「で、彼女は御園優里亜。見た目も名前もお嬢様キャラだけど、うちのラボで一番頭が切れるの、彼女だからね。因みに、何かあった時は私も彼女に頼ってます」
「御園です。まどかちゃんもなぎさちゃんもヨロシクね!」
御園は二人を本名で呼ぶ気はないらしかった。
手のひらをチラチラさせて、パチンとウインク。大人の可愛さに伊織がズキュンと心臓をやられるのを、健太郎含めみんなで微笑ましく見守った。
「最後はうちのラスボス更科光照氏。更科氏は某製薬会社を退職後再就職でうちに来てくれたんだけど、来年には定年を迎えるんだよね……。V2に関しては第一人者と言っても過言ではないお立場の方なので、そこの所は注意するように」
一番最後に紹介されたのは、物腰も柔らかそうな白髪の老人だった。再就職で来年には定年、ということであれば恐らく七十四。業界の生き字引的存在なのだろう。
「魔法少女を引き受けてくれた二人に感謝しているよ。人生最後で最高の楽しみをしっかり味わわせて貰うからね」
「よろしくお願いします。ご期待に添えるよう邁進します」
「よろしく……お願いします」
健太郎と伊織が頭を下げたところで、夕方六時を知らせるアラームが室内に響いた。
「はい、片付けして撤収ね。ちょっとズレたところは残業付けとくから」
パンパンッと館花が手を叩くと、皆そそくさと持ち場へ戻り、片付け作業を始めた。
どうやら帰りの時間らしい。広げられた書類を慌ただしく整理したり、施錠を始めたりしているようだ。
「うち、六時で上がりなんだ。交代で二人が遅番対応してる感じで。……あ、更科氏はローテーション入ってないから安心して」
「昨日は所長と館花さんが残ってたと」
「そう。最近V2の出現が頻繁だからね。何もない日も当然あるんだけど、昨日とおとといみたいに立て続けの場合もあるし、油断出来ないんだよね」
今日の遅番らしい赤井と大川を残して、他の所員達は粗方片付けが終わると伊織達に頭を下げてさっさと帰ってしまった。
「何事もない、平和な時間が続くなら、この研究室もエンジェルステラも不要になるはずなんだけど」
館花はそう言って、少し寂しそうに遠くを見つめていた。
所長の緑川は出張だとかで、この日は姿を現さなかった。




