chapter.4 焦る伊織、余裕の健太郎
下校中、人目を避けて路地に入り、アプリを起動。初期設定で登録してあるエンジェリック・ラボの研究室に飛ぶ。
《ステラ・ウォッチ》で転移すると、必ずここに飛ぶという一角が研究室内に設けてあったようで、伊織が到着するとその周囲が赤く点滅して、軽快にチャイムが鳴った。
『まどか転移完了しました』と機械音声が鳴り響く中、伊織はブンブンと研究室内を見渡して、見覚えのあるシルエット目掛けてバタバタと走っていった。
「館花さん! どうしよう……!!」
開口一番の泣き言に、館花はハハハと苦笑いした。
「どうしようって、なるようにしかならないと思うけど」
伊織が突然飛んできても、ラボの所員達は驚く様子もないようだ。
夕方とはいえまだ十七時、標準的な社会人は仕事をしていてもおかしくない時間だった。館花の他にも男女合わせて五人程の研究員がそれぞれの持ち場で研究に勤しんでいる様子。データを解析していたり、機械を弄っていたりと、それぞれ忙しそうにしている。
「昨日所長からも話があったと思うけど、メディアに取り上げられるところは想定内。そりゃあうちのラボでも、懸賞金は……流石にやり過ぎだよねって話にはなったよ」
当然、ニュースやSNSでエンジェリック・ラボ側もこの事実を把握している様子。だが、館花も他の所員達も、だからどうしようとか、どうすべきとか、そういう風な焦りは全くないように見える。
結局は他人事なのだろう。
追われるのは伊織と健太郎であって、エンジェリック・ラボの研究員ではないのだ。
「相当心配しているようだけど、君とまどか、共通点なんかどこにもないじゃないか。大体性別が違うだろ? 髪の毛だって目の色だって身長だって違うわけで。声が似てるわけでもない、喋り方……一人称、“僕”ってのをやめたら?」
「そんな簡単に一人称変えられるわけないって……! 館花さんだって、急に変えろって言われても困るでしょ……?!」
「渚君はなぎさのとき、一人称を“俺”から“私”に変えてたけど……」
「あいつは変態だから」
「変態じゃねぇし、営業マン舐めんなクソガキ」
急に低い声が会話に刺さってきて、伊織はギョッとした。
健太郎だ。
伊織と同じように《ステラ・ウォッチ》で研究室に飛んできたらしい。
館花との会話を途中から聞いていたらしく、ご機嫌悪そうにズンズンと近付いてくる。
「普段は“俺”でも仕事中は“私”だろうが。自分の親だってそうしてるはずだぜ?」
「そ、それは」
伊織の父は保険会社の営業マン。当然そうだろうと、伊織にだって分かっていた。
「けど、女言葉にはならないと思うけど」
「女言葉? 何言ってんだ。綺麗系魔法少女に変身したら、それ相応の喋りになるに決まってんだろ。第一、変身したくせに喋りが変わんねぇのは、それはそれで問題だと思うがな」
「演技をしろっての?」
「演技? 何言ってんだお前。演技じゃなくて、自然とそうなるだろ」
どうやら伊織と違って、健太郎は魔法少女に変身すること自体に抵抗がない。
姿形が違っても“円谷伊織”のままでいる伊織とは、何かが違うようだ。
「けどまぁ、その“僕っ娘”が受けてんだし? 今更変えなくても良いと思うぜ。ピンク髪のツインテールで僕っ娘な魔法少女なんて、ゾクゾクするじゃん?」
「分かる。良いよね、“まどか”」
うんうんと館花が腕を組んで頷くのと同時に、何人かの所員もこくりこくりと頷いている。
「あの、そういうことではなくて……!!」
一生懸命にピンチだと伝えているはずなのに、いまいち伝わらない。
第一、健太郎に関しては名字がそのまま“なぎさ”なのだから、職場で何か言われていても良いはずなのに。
「健太郎はどうだったんだよ。職場で何か話題になってたりしない?」
「話題?」
「エンジェルステラがどうの……」
健太郎は顎に手を当て、天井の方を向いて少し思案していたが「あっ!」と間抜けそうな声を出して「そう言えば」と話を続けた。
「課長が一千万の話してたな。もし見つけ出したら一千万円のチャンスはデカい……ってな」
「課長さんが?」
「課長だけじゃなくて、営業部の殆どがその話題だったと言えばまぁそうか。でも一番テンション高かったのは課長かな~~?」
ちらり……と健太郎が変な流し目で伊織を見てくる。
ゾゾゾッと背中に妙な悪寒が走って、伊織は自分の二の腕を必死に擦った。
「で、何かこう……バレそうになったりする瞬間とか、ないの?」
気持ち悪い顔をするなと睨みつつ健太郎に尋ねると、当然のように「あるわけねぇじゃん」と返ってくる。
「無理だろ? “なぎさ”が俺だなんて、どうやったら推測出来る? 名前くらいじゃ絶対にバレないから。第一、俺みたいなイケメンがあんな美少女に変身出来るなんて想像出来るような変態は、そうそういないだろう?」
「自分でイケメンって言うな。キモッ」
「てか、アレか? 俺にわざわざ聞いてくるってことは、お前、既に正体バレそうなのか? 自分でバレそうな行動でもしたのかよ」
それは……と、伊織は口をもごもごさせた。
肩を竦め、健太郎から視線を逸らす。
「……やらかしたか」
嘲りの声。
「や、やらかしたわけじゃなくて……!! ひ、昼休みに屋上で、ティンクルとちょっと……しゃ、喋ってたのを、み、見られてた……みたい、で」
「ティンクルと? 《ステラ・ウォッチ》を介して、だろ」
「いや……そ、それが、ぬいぐるみの状態で、一緒にお弁当を食べてて。それで……その、僕がティンクルと話してるところ、見た……らしい、んだ……」




