chapter.3 安樹星来の鋭い指摘
安樹星来は、いわゆる陰キャだった。まるで他人からの視線を避けるように長い前髪で顔を隠していたし、いつも一人で本を読んでいた。自分から誰かに声を掛けているところなんて、見たことがあっただろうか。誰と仲のよいのかも分からない、その程度の印象だった。
その彼女が屋上で声を掛けてきた、それがとにかく衝撃的で、伊織は安樹の指摘に、即座に反応出来なかったのだ。
「だだだ誰かと、僕が?」
どわっと汗の噴き出す音がしたような錯覚とは裏腹に、喉が一気に乾いた。脳が混乱し、どこを見たらいいのか分からなくなって、伊織は目をぐるんぐるんさせた。
「気のせいかな。……女の子みたいな声もしたんだけど」
「おおお女の子なんて、どこにも」
「変だなぁ。確かに喋ってたよね、誰かと」
ティンクルとの会話を聞かれてしまったのは間違いなさそうだ。しかし、相手がぬいぐるみ型の妖精(?)だなんて知られなければ、ごまかせるんじゃないか――そう思ってティンクルの乗っていた肩の方に視線を向けると、既にそこには何もない。どうやら優秀な妖精は、安樹が近づく前に《ステラ・ウォッチ》の中に戻っているらしかった。
「ひ……独り言、だよ」
「ふぅん……独り言、ね」
安樹は手強かった。
フェンスと伊織の間まで覗き込んで、何もないことを確認して、それでも納得しない様子で、伊織の前からうごこうとしない。
「昨日も居たよね。その時も誰かとお喋りしてたでしょ?」
「へ?!」
「白い……ぬいぐるみ、みたいなものに話し掛けてるところ、見たんだけど」
「ぬぬぬぬ……ぬい、ぐるみって、まさか」
「うさぎ、みたいな」
「うううううううううさぎ?!」
キョドった。あり得ないくらいに。
昨日《ステラ・ウォッチ》に配信される通知を見るために屋上に居たのは確かだし、ティンクルと喋っていたのも事実だ。しかし、それを誰かに見られていたとは気付かなかった。
失敗した。明らかに気を抜き過ぎた。
スマホを握る手に力が入る。……スマホ。そうだ、スマホ。
「ど、動画、観て、おおおお音声、大きめにしてた、からきっと」
「会話してた感じだったけど。それにうさぎのぬいぐるみ、あれって」
全然誤魔化せないどころか、安樹はとうとう伊織の前にしゃがみ込んで、ズイッと距離を縮めてきた。
垂らした前髪の間から放たれる、安樹星来の鋭い眼光が痛い。
絶対に逃がさないとばかりに獣の如く襲いかかろうとする安樹と、逃げ場を失った伊織。
真昼の太陽を安樹の身体が完全に遮った。
「エンジェルステラの動画に出てたうさぎに、凄く似てなかった?」
固まった。
伊織は固まって動けなくなった。
スマホがカツッと音を立ててコンクリの上に落っこちた。
息をするのも忘れそうだった。
耳元でハッキリと安樹が言った、全く想定していなかった恐ろしい台詞に殺されたみたいに、頭がすっかり真っ白になった。
自分の目がどこか分からないところをただぼうっと見ていたことに気が付いて、それから恐る恐る視線を安樹星来の方に向けると、彼女はしてやったとばかりにほくそ笑んでいる。
「大丈夫、安心して円谷君。私、一千万円に興味はないから」
フフッと笑いを零し、安樹星来はすっくと立ち上がり、長い髪を掻き上げた。
「私は君に興味がある」
ゾワッと、全身の毛が逆立った。
噴き出した汗が一気に伊織の熱を奪って凍えそうになる。
「そんなに怖がらないでよ。君のこと、捕って食おうなんて思ってない」
「……へ?」
「誰にも喋らないから安心して。……もっとも、私にそういう友達なんて居ないのも知ってるでしょ?」
「な、何を……言って……」
「勘違いじゃない。確信を持って言ってる。君は――……」
そこまで言って、安樹星来はニッと口角を上げた。
「今はやめとく。いずれハッキリするでしょ?」
じゃあねと軽く手を振って、安樹は塔屋の方へと歩いて行った。
*
安樹星来の席は教室の角。丁度後ろの出入り口の直ぐそばで、伊織は彼女の存在を気に留めたことなどなかった。
有り得ないくらいにピンポイントに攻められて、それに対して何の反論も出来なかった自分を、伊織は悔いた。恐らく健太郎ならば上手いこと躱していたに違いないのに。
伊織は相当に不器用なのだ。大抵の勝負事では綺麗に負ける。人狼ゲームなんて最悪だった。顔に出るらしく毎回負ける。お兄ちゃんはそういうの下手だからと妹ののどかに諭されるくらいには、考えたことが全部顔に出るタチなのだ。
「あれ? 伊織、顔色悪くね?」
授業が終わって帰り支度をしていると、優也が前の席から声を掛けてきた。
伊織は無表情な目を優也に向けて、口角だけニッと上げて見せた。
「ダイジョウブダヨ」
「大丈夫じゃないじゃん……」
「ダイジョウブダイジョウブ……」
「なんだよ、エンジェルステラの正体探りにあっちこっち回りたかったのに」
「……え? あ、あぁ……うん……」
「ダメだこりゃ。帰れ帰れ」
マズい、非常にマズい。
伊織の頭の中は、昼休みのあの出来事でいっぱいだった。
どうにかしなければ。
スマホをポケットに突っ込んで、伊織はグシャグシャと頭を掻きむしった。




