chapter.1 スクランブル交差点とV2モンスター
空の半分にオレンジ色が残る頃、徐々にネオンが色付き始めたビルを背に、家路を急ぐ人々で溢れるスクランブル交差点。その中に、大きく体を揺り動かしてたどたどしく歩く女が一人混じっていた。
ビジネススーツに高めのヒール、引き摺るようにしてトートバッグの長い紐を片手で握っている。女性の目は虚ろで、半開きにした口からはヨダレがボタボタと零れていた。ウーウーと唸り声を上げて交差点の中心へと向かっていく彼女を、行き交う人々は無意識に避けた。
時に誰かにぶつかり、時に躓きながら、彼女は歩いた。
「おわっ! あっぶねぇんだけど!!」
若い男が彼女の肩に当たって転びかけた。振り返りざまに怒鳴った彼は、直後にひゃあっと悲鳴を上げた。
「ブ……V2……ッ!!」
男の声に、周囲が一気にざわめき立った。
既に変化は始まっている。
女の輪郭線は歪み、膨らみ、人間とは別の姿へと変化していく。
「えっ! 何あれ?!」
「マジかよ」
「逃げろっ!! 殺られる……!!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人々。悲鳴、叫び声、助けを呼ぶ声。
女は肥大化しながら変形を続けた。スーツが裂ける、ヒールが潰れる、背中が割れて巨大な羽が扇のように広がって、バタバタと風を巻き起こす。
逃げ遅れた少年が交差点のど真ん中で腰を抜かし、もう一人の少年が腕を引っ張り半泣き状態で叫んだ。
「助けて……!! 誰かぁっ!!」
信号が点滅を始めた頃にはもう人集りは殆ど消えている。
クラクションが鳴る、警察を呼べと誰かが叫ぶ。
交差点に取り残された人々を、巨大な蛾の形をした魔物が見下ろしている。
「早く逃げろ! 早く!!」
「立って! お願いだから立てって!!」
「遠くへ! すぐに逃げて!!」
車の中から逃げ遅れた少年達を手招きする人、必死に声を掛け続ける人、泣き叫ぶ少年達、向けられる無数のスマホ、あちこちで鳴るクラクション、警察の拡声器、サイレン……
だらんと垂れた蛾の頭と二本の触覚、節榑のような四本の腕が、徐々に上を向く。
大きく広げた蛾の羽に描かれた斑点模様、本物の蛾さながらの複眼が向けられると、少年達は足元から崩れ落ちた。
「た……すけて……」
「お願い……、助けて、エンジェルステラ……!!」
交差点に面したビルの壁面、大型ビジョンに映る二人の魔法少女。世間を騒がす正体不明の彼女らに、少年達は無心に縋る。
たった一度、電車内で魔物と戦い、颯爽と消えた二人にその想いが届くとは微塵も思わぬまま――……
――閃光が、夕闇を割いた。
ドゴッと鈍い音がして蛾の魔物が体勢を崩した。
「キシャアァァァーーーーッ!!!!」
甲高い叫び声を上げて仰け反る魔物と、右の拳を振り下ろしたピンク髪のツインテール。
「エ……エンジェルステラ……!!」
へたり込む少年達に、魔法少女は振り返ってチラリと笑顔を向ける。
「ここから先は僕らがやる。すぐに逃げて」
状況が飲み込めぬまま呆然と魔法少女を見上げる少年達の隣に、サッと長い金髪の少女が屈み込んだ。
「もう大丈夫。私達が助けてあげる」
パチンとウインクした彼女の色っぽさに、少年達はパッと顔を赤らめた。
「“まどか”、手伝って!」
「オッケー、“なぎさ”」
動けなくなった二人の少年を、魔法少女まどかとなぎさはそれぞれサッと抱きかかえた。華奢な身体からは想像も付かないような剛力に戸惑う少年達を余所に、魔法少女達は二人を抱えたままビュンと飛び上がった。
「えっ?!」
「う、浮いて――」
魔法少女が、ふわりと宙を飛ぶ。
ワァッと歓声が上がり、居合わせた人々が一斉に二人を見上げる――……
「飛んでる!」
「すげえ!」
「エンジェルステラ?!」
「ガチの魔法少女……!!」
固唾を呑んで観衆が見守る中、二人の魔法少女が同時に二人の少年を人垣の手前まで届けると、更にその歓声は高くなった。
「行くよ、“なぎさ”」
「“まどか”もようやくスイッチが入ったみたいじゃない」
よろけた魔物が体勢を立て直そうと大きく身体を前後に揺らすと、二人の魔法少女は群衆からサッと離れ、揃って両手を前に構えた。
前傾姿勢になった魔物の動きが止まる。
しばしの沈黙、魔法少女達の長い髪が静かに揺れる。
「蛾なら、毒を持っている可能性がある。鱗粉にも注意が必要かも」
「マジで? じゃあ、触れないようにしないと」
なぎさの警告にギョッとしたまどかだったが、直後に「んっ?!」と首を傾げた。
「待って! さっき殴っちゃったじゃん!!」
「――大丈夫だよ、まどか!」
構えた左腕に嵌めた《ステラ・ウォッチ》がブルッと震えた。
キラッと眩い光の球がウォッチから飛び出して、白うさぎのティンクル、黒うさぎのブリンクが現れる。
「エンジェルステラの周囲には特殊なバリアが張られていて、多少の攻撃は無効化出来るから! あたしとブリンクでサポートするから、思い切りやっちゃって!」
「そういうこと。やっちまえ、なぎさ!」
妖精枠の二体の応援に、まどかとなぎさはこくりと頷き合った。