chapter.3 ギスギス
見るからにご機嫌の悪い円谷伊織を見て、健太郎は「若いな」と彼に聞こえないくらい小さな声で呟いた。弁明などするだけ無駄だとばかりに、健太郎は肩を竦めて小さく息を吐く。
「伊織、怖い顔しちゃダメだよ〜」
「ティンクルは黙ってて」
宥めようとするティンクルを、伊織は一蹴した。
「健太郎」
「いいから。思わせとけ」
ブリンクは健太郎を心配して言ったのだが、当の本人は何食わぬ顔。
しばらく無言の睨み合いが続き――とは言っても、伊織が一方的に睨んで来るだけだったのだが、ピリピリとした空気に息が詰まりそうになった頃、廊下の奥から足音が聞こえてきた。
「お待たせいたしました。渚様、円谷様、お揃いになったようですので、所長室へどうぞ」
七三頭の男性所員が現れ、二人を奥へと案内する。
ムスッとした顔のままの伊織に「行くぞ」と合図して、健太郎は所員の後に続いた。
空中を浮遊する二体のぬいぐるみを連れて、三人奥の所長室へと進む。
事務室や応接室などが並ぶ廊下を通り所長室の前まで辿り着くと、所員はドアをノックして「お連れしました」と声を掛けた。「入れ」と返事がしたの確認してから、所員は彼ら二人を室内へと案内する。
「ようこそ、我が研究所へ」
健太郎と伊織の姿を確認してから、執務机に向かっていた所長の緑川瑠璃絵は書類を片手におもむろに立ち上がった。部屋の中央まで進み出た緑川は、足の長さを強調するようなパンツスーツに白衣を羽織っている。長い髪を高めに括り、眼鏡を中指でクイッと上げた彼女は、ねっとりするような視線を二人に向けた。
「……良い」
口の端を上げる緑川に、健太郎が「何が」と言うと、彼女はそれには触れず、二人を手前の応接セットに座るよう促した。
「昨日はご苦労だった。早速だが、昨日の話の続きをしようじゃないか」
「続き?」
「報酬の話だ」
報酬と聞いて、健太郎は素直にソファに座った。
隣で伊織が「現金なヤツ」とボヤくのが健太郎の耳に届く。
「まぁ座りたまえ、少年よ」
「少年呼びは止めてください」
「では“まどか”と呼ぶか? 円谷少年」
緑川の言葉にムッとする伊織の耳元で、ティンクルが「諦めなよ」 と声を掛けた。
「博士は簡単に折れたりしないから。まずは座って話を聞こうよ」
「……ッ!」
伊織は舌打ちをして、諦めたように健太郎の隣に座る。
「エンジェルステラとして戦うということは、自らを危険に晒すということ。魔物化したV2罹患者との果てない戦いには、それ相応の対価を払うべきだろう。危険手当込で、一回の出動につき、このくらい払おうと思っているが、どうかな」
緑川は応接テーブルの上にスッと持っていた書類を差し出した。
出動時間に応じて日当を払うこととその金額、危険手当を一回の出動毎に上乗せすること、出動場所に応じて旅費を出す……など、簡素にまとめて書かれている。
「少ないか」
向かい側のソファで長い足を組み、腕をこまねきほくそ笑む緑川に、健太郎はニヤリと笑い返した。
「いや、十分です」
「……え、お、多くないですか」
提示された金額に、高校生の伊織は驚愕しているようだ。
「多くはないだろう。君達の働きによって、多くの人々が救われるのだから」
緑川は支払い方法やその他の手続きに関して必要な事項を説明し、二人は頷きながら話を聞いた。健太郎も幾つかの質問を投げかけたが、緑川は実に真摯に応えてくれる。
「真っ当だな」
健太郎が言うと、緑川はフフッと笑う。
「そんなに怪しかったかな」
「今も怪しいと思ってますよ。……けどまぁ、信じるしかない。女になったのも、妙な力を使えたのも本当だった。《ステラ・ウォッチ》の技術もブリンクの存在も、完全に理解しているわけじゃないけれど、信じるしかないでしょう」
「それはありがたい。円谷少年もまだ懐疑的かね」
話を振られ、伊織はウッと声を詰まらせた。窓の方に視線を向けて口をもごもごさせる伊織の周囲を、ティンクルが心配そうにふわふわ漂っている。
「……それも、ありますけど」
「けど?」
「なんでこいつと魔法少女やんなきゃいけないんですか」
いつの間にか、伊織は健太郎からお尻半分程遠ざかっている。
健太郎に半分背中を向けて前屈みになる伊織に、緑川は「ほぅ」と眉尻を上げた。
「魔法少女好きな二人が魔法少女として戦う。それだけの話だろう?」
「それだけ……? こんな、何考えてるかも分かんない変なサラリーマンと一緒に戦うことを強いられるなんて納得いきません。人選ミスじゃないですか?」
「人選ミス? フッ……何を言う。私はエンジェルステラとして戦うに相応しい人間を選んだのだ。ミスではない。決してな」
緑川は不敵な笑みを浮かべるばかりで、伊織の訴えには一切応じるつもりはないらしい。
悔しがる伊織を、健太郎は鼻で笑った。
「諦めろよ円谷少年。緑川女史は決定を覆す気がないんだってよ」
「そ……そういう態度がムカつくんだよ」
伊織は堪らず声を荒らげる。
参ったなと頭を搔く健太郎の膝に、黒うさぎのブリンクが滑り込んだ。
上目遣いに心配してくるブリンクの頭をそっと撫で、健太郎はゆっくりと伊織に視線を向けた。




