chapter.2 口止め
誰も居ないロッカールームで《ステラ・ウォッチ》のサイドボタンをダブルクリック。光と共に現れた黒うさぎ型ぬいぐるみのブリンクに連絡事項を告げられた健太郎は「OK」と小さく言って、目を細めた。
ブリンクは彼の落ち着いた様子にふぅんと口を尖らせて「なんだ。全然動揺しないな」と小さな少年のような声で言う。
「“まどか”の方はそれなりに混乱したみたいだったけど」
「ガキじゃないんだ。それなりに経験値があるんだよ、こっちは」
「魔法少女になったり、喋るぬいぐるみと遭遇したり。そういう経験はないんでしょ?」
「勿論。だけど、その程度では混乱しない。……まぁ、課長の息子と一緒に戦う羽目になったのは想定外だったけどな」
フフッと笑いを零して、健太郎はロッカーから自分のスマホを取り出した。仕事中は仕事用のスマホ、私用のスマホは休憩時以外は触らない社内ルールだ。
通知画面を確認しつつ、ふぅと息を吐く。
「ブリンクは……AIか何か?」
「そんなところ。おれとティンクルはホストコンピューターで繋がっていて、情報を共有してる。エンジェルステラを変身させたのと同じ技術で《ステラ・ウォッチ》を媒介し、姿を具現化させてるんだ」
「緑川女史曰くの“超科学”か」
「そういうこと。あまり詮索はするなよ」
「しねぇよ」
バタンとロッカーを閉じ、スマホをポケットに入れる。
それから宙に浮くブリンクをひと睨み。
「言うなよ。俺が最初からあいつのことを知ってたなんて、絶対に」
「ティンクルにも?」
「当然。緑川女史にもだ。いいな」
「言わないよ」
「今のところは信用しておいてやる。約束を反故にしたら、俺は降りるからな」
「……いずれ、バレると思うけど」
「バレるのとバラすのは違うだろ?」
不敵に笑みを零した健太郎に、ブリンクは意味ありげに目を細めた。
*
定時で仕事を切り上げ、会社から一番近くにある喫茶店に入る。
コーヒーを頼んでしばらくすると、左腕の《ステラ・ウォッチ》に通知が入った。
《店の前に横付けされた黒い車に乗り込むこと》
コーヒーを飲み干して席を立ち、指示通りに喫茶店を出ると、セダンタイプの黒い車が停車している。コンコンと助手席の窓をノックして運転手に合図を送ったところで、中へどうぞとばかりに後部座席のドアが開いた。
「随分厳重なんだな」
名前を確認され、乗り込んだあとで運転手に尋ねると、
「研究のことは極秘事項ですので」
白髪交じりの男性はチラリと健太郎に目配せして、あとは何も言わなくなった。
大通りを抜け、しばらく走る。ビルとビルの隙間を抜けていくと、車は一際大きなビルの駐車場へと吸い込まれていった。
地下駐車場からエレベーターに案内され、ビルの十八階にある《科学研究所エンジェリック・ラボ》へと向かう。ビル自体は二十階建てで、上から三フロアがエンジェリック・ラボらしい。
運転手とは地下で別れて、一人エレベーターに乗り込んだ健太郎は、他の階に入っている会社やビルの名前を確認しつつ「ハロー、ブリンク」と呟いた。
パッと目映い光が《ステラ・ウォッチ》から飛び出したかと思うと、ぬいぐるみのような体をした黒うさぎのブリンクが姿を現した。
「警戒してる?」
ブリンクがニヤニヤして言うと、健太郎は「そりゃね」と笑う。
「警戒はいつでもしてる。このご時世、誰がいつ魔物化するかも知れないんだからな。……それより、あいつは先に来てるのか?」
「来てるよ。健太郎より随分ガチガチみたいだったけど」
「可愛げがあって良いじゃん。大切な妹のために戦うことを誓った高校生――なんて、まるで漫画の主人公みたいだしな」
「健太郎は? おまえだって、思うところがあって引き受けたんだろう?」
「俺か? 俺は――……」
健太郎は目を泳がせ、言い淀んだ。
震わせた拳をブリンクに悟られないよう、わざとらしく大きな息を吐く。
口の端をひくつかせ、言葉を何度か口の中に押し戻して、健太郎は慎重に言葉を選んだ。
「天啓だと思ったからさ。何もかも失った俺に、神が最後のチャンスを与えたと思ったんだ」
回数を示す掲示板に十八の数字が表示され、エレベーター特有の浮遊感のあと、ゆっくりとドアが開く。
「退屈だったし、丁度良い。暴れるだけ暴れてやるのも悪くないだろ……?」
そこまで言ったところで、健太郎はハッとした。
十八階のエレベーターホール。その一角に置かれた長椅子に、高校生が座っている。
まだあどけなさの残る顔をした小柄の彼は、隣に白うさぎのぬいぐるみを連れていた。
「……最低だな」
円谷伊織。エンジェルステラとして共に戦うことになった不遇の高校生は、すっくと立ち上がって健太郎を睨み付けた。
「退屈……? 暴れるだけ暴れてやる……? おまえはその程度の覚悟で魔法少女を引き受けたってのか……?!」
怒号が響いた。
参ったなと思いつつも、健太郎は敢えて否定しなかった。
「どうだっていいだろ、そんなこと。恐い顔するなよ。これから一緒に戦う仲間なんだからさ」
精一杯の営業スマイルを向けた健太郎に、伊織は激しい憎悪を向けていた。




