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第8話 約束


 リスベットは毎晩、ラーシュに言われたことを思い出してベッドの上でのたうち回った。


 それを除けば巡行任務中に海賊に出くわすこともなく、無難に一週間が過ぎた。

 

 約束の日にアラッカ島の埠頭に降り立つと、前回と同じように料理の準備がしてあった。


「訪れるたびにこれでは、さすがに」


「まあそう言わずに。刺激の少ないのどかな島なんで、お客は大歓迎でさあ」


 埠頭に集まっている船大工のうちの一人が言った。


「ありがたいですけれど、今日で最後にして下さいませ。ところでラーシュ君は?」


「ここの準備が整うと、設計図の最終チェックをしておくと言って屋敷に戻って行きましたぜ」


 まともにラーシュと会話ができるか怪しいものだが、会わないわけにもいかない。

 ビィゴに部下たちのことを任せて屋敷に向かった。


 飾ってあるリスベット号の横を通って屋敷の入口の前に立った。


 ピシピシ

 コンコン


 挟むように顔を二度叩いてからドアをノックした。


 少しするとドアが開いた。


「ラ、ラーシュ君、あの───。あら?」


「リスベット様ですわね。愚息(ぐそく)を助けて頂いたお礼も申し上げないまま、二度も留守にしており申し訳ございません」


 出迎えてくれたのはラーシュの母親だった。


 屋敷の中に招かれて、廊下からラーシュの仕事部屋を覗いた。


 ラーシュは製図台に置いた設計図を見つめているようだ。


「ああなると、ちょっと呼びかけたくらいでは気付きませんの」


 確かにラーシュは全くこちらに気付いていない。

 その真剣な表情に、胸の鼓動が高鳴った気がした。


「良かったらお茶でもいかが?」


「では、お言葉に甘えて」


 今はラーシュの邪魔をしたくない。

 もう一度ラーシュを見つめてから、母親に続いた。


 今日は父親だけが留守らしい。

 客間に案内されると二人でテーブルを挟んだ。


 ティーカップを口に運びながら、ラーシュの母親を見つめた。


 若々しい美人だと感じた。

 ラーシュは母親似のようだ。

 身なりがいいのも母親の影響だろうか。

 ドレスのセンスもいい気がする。


 少し気後れを感じた。

 今軍服なのは任務中だからだが、非番の時も簡素なチェニックしか着ていない。


「造船のことにしか頭に無いような息子ですけれど、最近ちょっと変わりましたのよ」


「あら。どんな風に変わられましたの?」


「女性と上手く会話するコツを教えて欲しいなどと、わたくしに訊ねるようになって。うふふ」


 ラーシュの母が口元を押さえて笑った。


「いきなり容姿に言及するのは不躾(ぶしつけ)。やめておきなさいと注意しましたの」


 そうかもしれない。

 この前美しいと言われたときは恥ずかしさのあまり駆け去ってしまった。

 そして思い出しては寝床でのたうち回っていた。

 そのときに込み上げてきたのは恥ずかしさだけでなく、嬉しさもあったが───。


「まずは服装を褒めるようにしなさいと言っておきましたわ」


 着飾っている女性相手になら、その方が無難だろう。


「奥手な子ですけど、逆に浮気の類は心配なさそうですわ。家系かしら。夫も、お義父(とう)様もそうでしたし」


 ラーシュの父からはなんとなくそんな印象を受けたが、祖父もそうだったらしい。


「お義父様に至っては、亡くなった奥様の名前を付けた船を長い間飾っていらっしゃったんですのよ」


 心温まるような話だ。

 だがラーシュが今飾っているのは、リスベット号───。

 いや、そう名付けたのは祖父で、自分と同じ名前なのは偶然だ。

 それなのに妙に気恥ずかしい。


 お茶を飲み終えると、ラーシュの仕事部屋の前に戻った。


「ごゆっくりと。あとは若い二人に任せますわ」


 ラーシュの母は意味ありげなことを言って奥へと下がって行った。


「あっ、リスベット様」


 ラーシュが伸びをした後でこちらに気付いた。


 部屋に入って向かい合ったが、気まずいことこの上ない。


「あ、あの」


「な、何かしら?」


「リスベット様。軍服がお似合いですね」


「ぷっ」


 思わず噴き出した。


「えっ? 何か変でした?」


「いいえ。お褒めに預かりまして光栄ですわ」


 ラーシュのことが可愛らしく見えてきて、一気に緊張が解けた。


「設計図、見せて頂けるかしら?」


「はい、こちらへ。模型も修正してあります」


 ラーシュも仕事の話を始めると照れはなくなったようだ。


 模型を見せながら変更箇所を丁寧に伝えてくれた。

 設計図は前回の修正を含んだ緻密なものが出来上がっている。

 変更が必要なのはその場で済むような微調整だけだった。


「部品の準備も後戻りが出ない形で進めていますし、三ヶ月ほどで完成させられるはずです」


「楽しみですわ」


 埠頭にいる部下や船大工たちに合流するために、二人で屋敷を出た。


 正面にリスベット号が飾ってある。

 それを見たラーシュがなぜか深呼吸した。


「あの、埠頭に戻る前に、少しだけ寄り道をして頂いてもいいでしょうか?」


「構いませんけど?」


 ラーシュの案内で埠頭とは反対方向の小さな丘へと向かった。

 丘を越えたときは目を奪われた。

 白く美しい砂浜が広がっている。


「綺麗。行きましょう」


 丘から砂浜に降りると、並んで波打ち際を歩き始めた。


「連れてきてくれてありがとう。ラーシュ君」


「喜んで頂けましたか?」


「ええ。とっても」


 眺めが美しいだけでなく、潮風や波の音も心地いい。


「あの、新しい船の名前なのですが」


 ラーシュが改まった口調で言った。


「僕に付けさせていただいてよろしいでしょうか?」


「そういえば、まだ決めていませんでしたわね。どうぞ。素敵な名前を付けて下さいな」


「はい。実は、もう決めてあるんです」


「なんという名前ですの?」


「リスベット号」


 素敵な名前。

 それが自分の名前であるリスベット。


「駄目でしょうか?」


「いいのではないかしら。わたくしの乗る船ですもの」


 面映(おもは)ゆいものの、悪い気はしなかった。


「でも、リスベット号が二隻になってしまいますわね」


「飾ってあるリスベット号にそう名付けたのは祖父ですから。僕が船に女性の名前を付けるのは初めてです」


 ラーシュはそう言うと足を止めた。


「リスベット様!」


「ラーシュ君? なあに?」


「僕は! あの、その」


 ラーシュは顔を真っ赤にして口をパクパクさせていたが、やがてうつむいた。


 自分の顔も火照っているのを感じた。

 ラーシュが言おうとして言えなかったこと。

 それはきっと───。


 海賊令嬢とまで呼ばれている自分に、奥手な少年が勇気を振り絞ってくれたに違いない。

 少しだけ足りなかったことも含めて、それがたまらなく愛おしい。


 思わずクスリと笑った。


「ラーシュ君。戻りましょうか」


「あっ」


 ラーシュの手を握って元来た方へと歩き始めた。

 手袋越しにもラーシュの手の大きさや暖かさが伝わって来る。

 そのまま丘の上まで歩いた。


「わたくしのほうが年上だから、少しだけリードしましたわ」


 手を離してラーシュと向かい合った。


「でもそうするのは一度だけ。あとは、待っています」


 ラーシュは顔を赤くしてうつむいたままだ。


「自分の船のことを語るときのラーシュ君は自信に満ちているわ。自分の造った船に乗ったときだったら、きっと言えるのではないかしら?」


 ラーシュがピクリとした。


「だからリスベット号が完成するまで待ちますわ。楽しみが二つになりますしね。ふふ」


「申し訳ありません。でも、そのときなら、きっと」


「さあ。この話はここまで。みんなのところへ戻りましょう」


 それから無言で埠頭まで歩いた。

 ラーシュは頼りなさそうにうつむいたままだった。


 宴会は続いていた。


「新造船の設計は完了ですわ。皆様、製造をよろしくお願い致しますね」


 船大工たちを中心に歓声が上がった。


「そして船の名前は、リスベット号に決まりましたわ」


 部下たちも歓声を上げた。


 みんながラーシュに歩み寄り、意気込みや期待を語り始めた。


 ラーシュから頼りない雰囲気が消えていく。

 そして男の(かお)に変わって行く。

 造船技師としての矜持(きょうじ)(のぞ)くと、たまらなく魅力的に見える。


 海の男たちとは違って荒々しさはない。

 女性への接し方もぎこちないものだ。


 それでもラーシュは間違いなく胸に秘めている。

 男の誇りを。

 それは造船技師としての誇り。

 だから───。


 ラーシュの造った船に乗せて欲しい。

 色々な意味でそう思った。


 宴会が終わり、自分の船に乗り込んだ。


「ラーシュ君。リスベット号の完成、楽しみにしています」


「最高の船にしてみます。そして三ヶ月後に、ニコルにお届け致します」


「待っていますわ」


「待っていて下さい」


 出航しても、ずっとラーシュを見つめていた。

 ラーシュも、見えなくなるまで埠頭に立っていた。

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