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第4話 不安と期待


 リスベットはティーカップを口に運んだ。


 ここはシリア海峡の中心に近い島にそびえ立つケルピー水軍のアジトだ。

 要塞の屋外テラスのような場所でお茶を飲んでいる。


 海賊たちの引き渡しで遅くなったので、海は既に夕暮れに染まっている。


 自分の船や海賊から奪った船は船着き場に泊めてあり、ヴィゴや他の部下たちは別室で休憩中だ。


 このテラスにいるのは、同じテーブルについている両親だけだ。


「ご苦労だったな。リスベット」


 父に労いの言葉を掛けられた。


 大海賊ケルピー水軍の頭領。

 巨大こん棒で五人を同時になぎ倒す『オーガ』と呼ばれるほどの豪傑。

 生粋の海賊だが、以前から悪質な同業者退治を生業としていたらしい。

 ケルピー水軍を組織して長年シルア海峡の安全維持に努めていることから、その名声は高い。


「賞金の掛かった海賊団を壊滅。大手柄ですわね」


 母もうなずいて優雅な仕草でお茶を口に運んだ。

 元々は有力貴族の令嬢で、リスベットの口調は母譲りだ。

 女性向けの戦闘技術も教えられた。

 ケルピー水軍のナンバー2の立場にいるのは夫の贔屓(ひいき)ではない。

 痺れ薬を塗った矢を三本同時に放つ技を駆使して死者を出すこともなくいくつもの海賊団を滅ぼしており、『痺れ魔女』の二つ名で呼ばれている。


 褒めてはくれたが、二人の武名はリスベットの比ではない。

 両親ともにいまだに船長として陣頭に立っており、今日も軍服姿だ。

 

 それだけではなく、ケルピー水軍全体の方針決定や問題の処理などもしっかりと執り行っている。

 

「ありがとうございます。お父様、お母様。報奨金や奪った海賊船の扱いはお任せします。元々依頼されていた件について報告致しますわね?」


 両親がうなずいた。


「トルモッドには、ごろつきを雇って交易船の積み荷を奪っていたことに対する()めをきっちり負わせましたわ。ご指示通り、樽を持たせた上で外海に放り出して参りました」


「ご苦労だった。すまぬ」


「嫌な役をやらせてしまったわね」


「いえいえ。婚約者のわたくしが巡行任務に同行して欲しいと頼めば、警戒されずに済みますもの」


 一方が非番の時に相手の船に乗って任務に随行したことは何度かある。

 だからトルモッドを自分の船に乗せて外海に放り出す役を買って出た。


「奴は相当に腕も経つ。下手を打って取り逃がすのは避けたかった」


「そうなってしまったら、示しがつきませんものね」


「うむ。トルモッドの家財はきっちり差し押さえた。あいつの部下と五十人船は新しい船長に任せることにする。ごろつきたちは『ケルピー水軍は臨時徴収を始めた』というトルモッドの口車に乗せられていただけだったので、厳重注意で済ませた」


「被害者には賠償をする手筈を整えている最中よ」


「それが済めば一件落着ですわね」


「だと良いのだけど」


「お母様。何か気になることでも?」


「ええ」


 母はうなずくと父に視線を向けた。


「実は調べを進めているうちに、トルモッドの過去が判明してな」


「元々は貴族で、退屈な暮らしが嫌で家を出てケルピー水軍に入ったと言っていましたけれど」


「いや。実際のところは実家から追放されたと言う方が正しい」


 父の話によると、トルモッドは私掠船団を率いる貴族名家の息子だったことが分かったらしい。

 私掠船は国家公認の海賊で、襲うことが許されているのは敵対国の船のみだ。

 トルモッド自身も若くして船を指揮して戦っていたそうだが、あるときに自国の交易船を襲った。


「それは、どうして?」


「その交易船は武器商人の船だった。トルモッドは武器を安く買い叩こうとして、断られたことがあったようでな」


「そんな理由で味方の船を襲うだなんて。家を追われるのは当然ですわ!」


「しかもその後がな」


「後?」


「トルモッドが追放されてほどなくして、奴の実家が保有している戦艦が夜のうちに何艘も焼かれるという事件が起こったらしい。目撃証言などからすると、トルモッドが犯人とみてまず間違いないらしい」


「腹いせで、自分の家が保有する戦艦を燃やしたと?」


「うむ。相当に危険な男だ」


 父の言う通りだ。

 底意地が悪いどころではない。


「そして故郷から遠く離れたこの地方へと流れ歩いて来た奴は、名前をトルモッドに変えてケルピー水軍に入った」


「元は別の名前でしたのね?」


「ええ。だからこれまで素性が分からなかったの」


「ある程度は脛に傷を持つ者も受け入れてはいるが、さすがに奴は駄目だ。今回発覚した事件を(かんが)みても、それは明らかだな」


「復讐心を抱かせる罰を与えて野に放ったのは危険かもしれませんわね。せめてもう少し早く素性が分かっていれば」


 父も母も心配している。

 トルモッドに海から見つめられたときの不安が蘇ってきた。


「なんの。船には宿直もつけて目を離さないようにしております。トルモッドごときに怯えていたら、ケルピー水軍は務まりませんわ。元々敵の多い稼業ですもの」


 不安を悟られないよう明るく振舞うことにした。


「あんな男と結婚せずに済んだのは不幸中の幸い。船から下ろす前に、婚約を破棄するとしっかりと言っておきましたわ。ふふ。お茶が美味しい」


「あやつの本性を見抜けずに結婚相手に勧めてしまった。すまぬ」


「新進気鋭の若手だと思っていたのだけど。本当にごめんなさい」


「お父様。お母様。謝らないで下さいませ。わたくし自身が承諾したことですわ」


「だが今度こそ、しっかりとした結婚相手を見つけてやらねばな」


「ですけれど、わたくしたちの娘であることが足かせになって、婿候補はケルピー水軍内から探すしかないのが実情ですわ。リスベットに合いそうな若い殿方となると───」


「当分は結構ですわ」


 今は気が進まない。

 トルモッドのことで懲りたからではない気がする。

 その話はまた今度ということにしてもらった。


「ところでリスベット。あなたの戦闘艦の調子はどうかしら?」


「今のところ任務に差し障りはありませんけれど、だいぶ傷んでおりますわ」


「そうでしょう。そろそろ船を新造して、乗り換える準備をした方がいいと話していたところなの」


 船の出来は任務の成否や戦闘の勝敗に直結する。

 だからケルピー水軍では、戦闘艦にはかなりの予算を充てている。


「新造船に換えていただけますの? 嬉しいですわ」


「そうしてやりたいのはやまやまなのだが、実はな。これまで船を造ってもらっていた造船技師が、高齢で引退してしまったのだよ」


「後継に指名された技師の腕前は、残念なことに心許なくて」


「あら」


「新しい造船技師を探しているのだが、これといった人材が見つからん」


「生半可な腕の者には任せたくはありませんものね」


 優秀な造船技師の確保はなかなかに困難なようだ。

 ラーシュの父も、祖父と違って造船の才能には恵まれていないと聞いた。

 だから、孫のラーシュが造船業を引き継いで───。


「あっ」


「どうかしたの? リスベット?」


「造船技師に心あたりでもあるのか?」


「実は───」


 詳しく話すと、父も母も興味を持ってくれた。

 両親は若手の起用に抵抗のないタイプだ。


「エルスタード家で早くから造船のことを学んできたなら、期待できるかもしれんな」


「十七歳なら伸びしろもありそうですわね。ケルピー水軍の船の製造を長く手掛けてもらうこともできるるでしょうし」


「ただし、そうするに足る実力が本当にあるか、見極めねばな」


「小型船ではなく、一定以上の規模の船の出来も見てみませんと」


 ラーシュは五十人規模の戦闘用の船を造ったことがあると言っていた。


「わたくしがアラッカ島に行って確かめて参りますわ」


「ふむ。あのあたりはリスベットが巡回を担当している海域でもあるしな」


「お願いできるかしら?」


「お任せくださいませ!」


 力強く返事をした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ニコルの港町に着いたのは日が暮れてだいぶ経ってからだった。


 東西に長いシルア海峡の西側北岸に位置する港町だ。


 ケルピー水軍の構成員はシルア海峡に面したいくつかの海辺の町に散らばっていて、そこから巡行の任務を行う。


 リスベットは部下たちと共にここニコルを拠点にしている。


「ヴィゴ。みんな。遅くまで疲れ様」


「お嬢もお疲れ様でした」


「これから飲みに行くのでしょう?」


「へへ」


 ヴィゴにつられて、みんなからも笑い声が漏れた。


「明日も任務があるのだから、羽目を外し過ぎないでね。お先に失礼」


 少し離れたところで立ち止まり、ヴィゴの後姿を見つめた。


 アジトではリスベットと入れ替わりで両親と話していた。

 リスベットの様子について根掘り葉掘り聞かれたことだろう。

 心配だから娘を頼むといったようなことも言われたに違いない。

 

 ヴィゴは元々、父の有能な副官だった。

 それなのに子供のような年齢のリスベットの下に付くという異動命令に従ってくれた。 

 リスベットが船を任されたときだ。

 副官にして何事も相談するようにと両親に言い含められた。


 船長になってから大きな失敗をしたことはないが、ヴィゴのサポートがあってのことだと思っている。 


「これからもよろしくね。ヴィゴ」


 小さく呟くと、船着き場にほど近い小ぶりの屋敷に入った。


「お帰りなさいませ。お嬢様」


 老齢の侍女、ナタリーが礼をした。


(ばあ)や。ただいま」


 今はこの屋敷でナタリーと二人で暮らしている。

 両親と別の港で暮らしていた頃は、大きな屋敷に使用人が何人もいた。

 船長になって駐屯地のニコルに移り住んだとき、ナタリーだけは一緒についてきてくれた。

 ナタリーも両親に頼まれたようだ。


 頭領夫婦の娘である恩恵は間違いなく受けている。

 特別扱いされたくないという思いはあっても、心配されていると感じたときは素直に気遣いを受け入れてきた。


 両親。

 ヴィゴ。

 ナタリー。

 自分のことを子供の頃から見守ってくれている、大切な人たちだ。


「お食事の用意、できておりますよ」


「ありがとう。頂くわ」


 軍服から簡素なチェニックに着替えて夕食を食べ始めた。


「───ということがあったの。だから近日中にアラッカ島に行くわ」


 話していると嬉しくなってきた。

 もう会うことがないと思っていたラーシュにまた会える。


「承知いたしました。ところでお嬢様。そろそろドレスを新調しないと」


「別にいいわ。着る機会がないもの」


 十五歳でケルピー水軍に入ってからドレスで着飾る機会はほとんどない。

 ましてや海賊令嬢と呼ばれるようになった自分が着たところで、と思ってしまう。


「お嬢様。淑女のたしなみを忘れてはなりません」


「分かったわ。近いうちに仕立て屋に行くから」


 お節介が過ぎると思うこともあるが、生まれたときから面倒を見てもらっているので頭が上がらない。


「意中の殿方が現れれば、ドレスで着飾りたくなるものでございますよ」


「そういうものかしら」


「お嬢様の話すときのご様子から、トルモッド殿がその対象でないことは察しておりました」


 それは自分でも分かっていた。

 むしろ隙を見せたくないと思って軍服でしか会わなかった気がする。


「そうね。だけどトルモッド以外の人にも、恋ってしたことがないし」


「そろそろでございますよ」


 ナタリーが何やら悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「もう。何よ」


 訳のわからないまま、スープを口に運んだ。

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