最終話 リスベット号に乗りながら
リスベットはアラッカ島の埠頭に佇んで、沖を見つめていた。
すっかり日の暮れた暗い海の上に蠟燭のような火が見える。
小さく見えるのは距離が遠いからだ。
リスベット号が燃えている。
火が小さくなっているのは確かだろう。
もう燃え尽きる寸前のようだ。
それほど時間を置かずに火は消失した。
リスベット号は燃え尽きて沈んでしまったに違いない。
胸に寂寥感が込み上げてきた。
「お嬢。大丈夫ですかい?」
後ろからビィゴの声が聞こえた。
すぐには振り返らずに、手の甲で目元を拭った。
「正直、悔しいわね。でも大丈夫よ」
作り笑いを浮かべて振り返った。
「トルモッドの野郎だけは、吊るしたままでも良かった気がしますが」
後続の戦闘艦には、味方だけでなく敵も回収させた。
その中には、トルモッドも含まれている。
「あいつの性格が直ることはねえでしょう。今回の企ての資金を用立てるために、色々と他の悪事も働いてみたいですし」
トルモッドはそういう男だろう。
どこで性格が歪んでしまったのかは分からないが、もう手遅れだ。
「あいつが更生することなんて期待していないわ。あのままだと鎖鎌がもったいなかったから、降ろしてやっただけよ」
ビィゴが苦笑した。
鎖鎌は軍服の裾にしまってある。
「トルモッドの野郎はケルピー水軍の本部できっちり裁いてもらいましょう。どの国の法だろうと放火だけでも重罪。あいつは終わりです」
「そうね」
同情心は湧いてこない。
トルモッドは部下たちを殺そうとした。
私怨でアラッカ島も巻き込んだ。
「小型船で逃げ出した五人も戦闘艦が拿捕しました。トルモッドの手下全員に裁きが下るでしょう。あれだけの戦闘で死人出なかったのは、奇跡みてえなもんですな」
「みんながそうなるように戦ってくれたからでしょう? ケルピー水軍は、出来る限り殺しを避ける義賊なんですもの」
埠頭に泊めてある戦闘艦の旗を見つめた。
穏やかな風に吹かれて、一瞬だけケルピーの絵が見えた。
「戦闘艦に閉じ込めてある敵の様子は?」
「下の船室で大人しくしています。きっちり縛り上げてあるし、見張りも厳重。心配いりません」
うなずいたとき、部下の一人が走って近づいてきた。
「報告です。アラッカ島の医者による、負傷した奴らの足の傷の縫合が終わりました。時間が経てば普通に動けるようになる見込みだそうです」
「ありがとう。何よりだわ」
「よーし!」
味方にも、死人や取り返しのつかない怪我を負った者は出なかった。
「リスベット様」
ドレス姿の女性がやってきた。
ラーシュの母だ。
「愚息をまた助けて頂いて、なんとお礼を言ったらよいか」
ラーシュの母が深々と頭を下げた。
「お礼なんて滅相もない。わたくしが造船を依頼したばかりに、アラッカ島の船も森も燃やされてしまったんですもの。こちらこそ、どうやって詫びすれば」
居たたまれない気持がよみがえってきた。
「焼けたのは森の一部のみですわ。船が焼かれてしまったことは残念ですけれど、息子は意気込んでおりますの。全部前より良い船に造り直す、ですって」
ラーシュの母は口元を押さえて笑っている。
心が少し軽くなった気がした。
「それよりリスベット様。服がボロボロですわ」
確かにトルモッドのとの激戦を物語るように、軍服はところどころ破れている。
「わたくしの服で良ければお貸ししますわ。湯あみもなさったらどうかしら。屋敷にいらして」
「そんなお世話になる訳には」
「お嬢。行ってきて下せえ。足を負傷した奴らは、今晩は安静にしたほうがいいってことで、医者に預けてきたらしいです。今日はアラッカ島に泊まりになりそうです」
「でも、みんなは敵の監視をしたりしているのに、わたくしだけ」
「お嬢はあのトルモッドを倒したんだ。それぐらいいいじゃねえですか。そんなことを言われたら、俺らも騒げませんし」
「騒ぐ?」
あたりを見渡すと、船大工たちがやってきていた。
宴会の準備をしている。
「あら? またですの?」
「固いことは言いっこなし。祝勝会みたいなもんです」
「もう。絶対に油断だけはしないでね」
「もちろん。見張りはきっちり交代でやりますんで。ああ、それから───」
ビィゴがラーシュの母に何か耳打ちした。
「さあ。リスベット様。ご案内いたしますわ」
ラーシュの母が満面の笑みを浮かべている。
少し妙に思ったが、一緒に屋敷へと向かい始めた。
屋敷に続く水路に沿って歩く。
「そういえば、ラーシュ君は?」
「屋敷におりますわ。夫と材木の運搬のことなどを話し合っていますけれど、他のことの準備もしておりますの」
「他のこと?」
ラーシュの母が含み笑いをした。
飾ってある小型船のリスベット号の横を通って屋敷に入った。
「あの、本当にお着替えをお借りしてよろしいのでしょうか?」
「構いませんけれど、もっといい服がありますわ。すぐに届けて頂ける手筈になっておりますの」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
湯あみが済むと、身なりを整えるのをラーシュの母に手伝ってもらった。
髪は三つ編みを解いた状態にしている。
着るのは今日のためにあつらえたブルーのドレスだ。
ニコルの屋敷に置いてきたが、ナタリーが後続の戦闘艦に持たせてくれていたらしい。
「お綺麗ですわ。息子が見たら、きっと驚きますわよ」
「そんな」
少し照れつつ、廊下へと出た。
「ラーシュ君」
そこにはタキシード姿のラーシュがいた。
見とれてしまうような凛々しさだった。
「リスベット様」
ラーシュもリスベットのドレス姿に釘付けになっているようだった。
「本当に、お美しいです」
「ありがとう。ラーシュ君も格好いいわ」
お互いにうつむいた。
「あとは若い二人にお任せですわ」
部屋の中から様子を窺っていたラーシュの母が奥へと引っ込んだ。
「屋敷から出ましょう」
「え、ええ」
出口の扉の前まで進んだ。
「それにしても、リスベット号のことは無念ですわね。ラーシュ君たちがせっかく作って下さったのに」
「できることなら、もう一度造らせて頂けませんか?」
「もちろんですわ。それまでラーシュ君の気持を伝えて頂くのはお預けですわね」
「いいえ」
ラーシュが扉を開け放った。
「まあ」
そこには小型船のリスベット号があった。
飾ってあるのではなく満たされた水の上に浮かんでいる。
その先の水門は空いており、跳ね橋も上げられていた。
「どうしても今日伝えたいんです。だから、このリスベット号に乗って頂けますか?」
「喜んで」
「良かった」
ラーシュが先にリスベット号に乗って、手を差し出してきた。
その手を握ってリスベットも船に乗り移った。
しばらくの間、そのまま見つめ合っていた。
「行きましょう。そちらに座って下さい」
リスベットが腰を下ろすと、ラーシュは向かい合わせに船の先に座った。
後ろ向きの状態で左右二つの櫂を使っている。
水路に沿ってリスベット号が進んでいく。
埠頭に近づくと、宴会をしている部下や船大工たちがこちらに視線を注いできた。
「お嬢!? ラーシュ!?」
ビィゴが立ち上がって叫んだ。
「心配しないで。すぐに戻るわ。月も明るいから大丈夫よ」
夜空を見上げた。
満月が蒼く輝いている。
星々も瞬いている。
水路から海に出ると、ラーシュは丘の方角にリスベット号を進めた。
丘を通り越して、一緒に歩いた砂浜の前までやってきた。
月に照らされた砂浜からは、昼間とは別の美しさを感じた。
「少し沖に出ますね」
砂浜から遠ざかると、ラーシュが櫂を置いて深呼吸した。
「ラーシュ君、お疲れ様」
「あ、いえ。疲れたわけでは」
「ふふ。心の準備?」
「はい」
顔を赤くしている。
やはり可愛らしいと思い、クスリと笑った。
それでも、今度こそ伝えてくれるはずだ。
どちらからともなく立ち上がった。
ラーシュがリスベットの両手を包むように握った。
真っすぐに見つめられている。
胸の奥がトクンと鳴り響いた。
「僕は、リスベット様のことが好きです。愛しています」
そう聞いた瞬間、ラーシュの姿が滲んだ。
目から涙があふれている。
ずっと聞きたかった言葉。
心から待ち望んでいた言葉。
手を離して涙を拭うと、ラーシュの胸に飛び込んだ。
「わたしもよ!」
「わっ」
勢い余って船に倒れ込んでしまった。
「ごめんなさい」
「大丈夫です」
そのまま二人で横になって見つめ合った。
「お願い。目を閉じて」
「は、はい」
ラーシュが固く目をつぶる。
リードは一度だけと以前は言ったけれど───。
自分の方からラーシュの唇を奪っていた。
でもそれを知っているのは、リスベット自身とラーシュを除けば、リスベット号だけ。
そして、その後のことも───。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ラーシュはすぐにアラッカ島で使う船を造り始めた。
リスベット号を造り直すのはその後にして欲しいと、リスベットが頼んだからだ。
アラッカ島に立ち寄るたびに船着き場の船は増えていった。
それを見るたびに、リスベットの後ろめたさはだんだんと小さくなった。
リスベット号が完成したのは、あの事件から半年以上経ってからだった。
だが待った甲斐はあった。
船の出来栄えはもちろんだが、もっと嬉しいことがあった。
完成したリスベット号の上で、ラーシュが照れながらも胸を張って言ってくれたことは、あの夜以上に嬉しかったかもしれない。
「リスベット様。僕と結婚してください」
「ラーシュ君。わたくしは海賊令嬢。よろしいのかしら?」
「もちろんです!」
「でしたら、喜んで!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
洋上結婚式の日、ラーシュと一緒にリスベット号に乗った時も嬉しかった。
そして───。
ビィゴ。
ナタリー。
ケルピー水軍の部下たち。
リスベット号を造ってくれたアラッカ島の船大工のみんな。
ラーシュの両親。
母。
みんなが祝福してくれるたびに、幸せを嚙み締めた。
ただ───。
むせび泣く父と腕を組んでヴァージンロードを歩いたときは、少しだけ後ろめたさを感じた。
ラーシュに目配せした。
顔が真っ赤だ。
もしかして、屋敷の前に飾ってあるリスベット号を見るたびに照れていたのだろうか。
そう思うと可笑しい。
小型船のリスベット号がくれた思い出を忘れない。
ラーシュとの出会い。
あの夜のこと。
沈んでしまったリスベット号を忘れることも、決してない。
造ってくれているラーシュと離れ離れでも、心は通じ合っていたこと。
トルモッドとの一騎打ちに臨む前に、ラーシュが涙を拭ってくれたこと。
そしてこのリスベット号。
ラーシュはめげずに作り直してくれた上に、プロポーズしてくれた。
船の出来栄えは最高で、ケルピー水軍で使う船の作成を継続的にラーシュに依頼すると決まった。
今もこうして、リスベット号の上で結婚式を挙げている。
だから───。
不安が全くないわけではないけれど、リスベット号に乗りながらだったら、進んでいけると信じている。
ラーシュ君の造ってくれたリスベット号なら、どこにだって連れて行ってくれるよね。
幸せな未来にも。
―― fin ――
ここまで読んで下さって本当にありがとうございます!
初の恋愛長編で色々と至らない面もあると思いますが、少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
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