第12話 焦燥
リスベットは見張り台の囲いの中に身を潜め続けていた。
片膝立ちの状態だが、囲いには隙間があって外の様子を見ることができた。
甲板の船大工たちは「もうあまり樽を見るな」などと囁きあっている。
これからやってくる者たちに、ビィゴたちが隠れているのを悟られないようにするためだ。
右手の海は夕日に染まっている。
既に手紙で指定されていた夕暮れだ。
「船だ」
「こっちに近づいてくるぞ」
船大工たちのどよめきが耳に入り、囲いの隙間からあたりに視線を這わせた。
リスベット号は埠頭に横づけにされている。
その正面方向。
三艘の船が陸に沿ってこちらへと向かって来ている。
潜んでいる見張り台は船首に一番近いマストの上にあり、視界を遮るものはない。
船の大きさが掴める距離になった。
どれも小型船だが、高速艇よりは大きく荷物を載せられる余裕がある。
どの船も乗っているのは十人前後のようだ。
さらに距離が近くなった。
人の姿もだんだんとはっきりと見え始めた。
ほとんどの乗員は座って船を漕いでいる。
粗野な雰囲気のごろつきのように感じた。
だが様子が異なる者も混ざっている。
先頭の船の先に立って船縁に片足を掛けている男。
金色の長髪。
赤いジュストコール姿。
間違いない。
トルモッドだ。
そして同じ船に、座ってはいても漕いでいない人物がもう一人いる。
上は白いブラウスとスカーフ、下は黒いスラックス姿。
座った状態で、後ろ手に縛られているようだ。
口は間違いなく布で縛られている。
「ラーシュ君」
思わず口に出して呟いていた。
「おい、若旦那だぜ!」
船大工たちも口々に叫び始めた。
見張り台から飛び出して行きたい衝動に駆られた。
「船が三艘だ」
「それぞれに十人ずつぐらい乗っているな」
船大工たちは、樽に隠れているビィゴたちに状況が分かるように気を利かせてしゃべってくれているようだ。
「リスベット号を動かすのには三十人欲しいところだから、あの人数か」
「見つからないよう埠頭からかなり離れた場所に船を泊めて潜伏していたから、夕方まで時間が掛かっったってことかな」
冷静に分析もしている。
自分も冷静にならなければと思い、なんとか衝動を抑え込んだ。
この潜んでいる部下はビィゴを筆頭に選りすぐりの精鋭だ。
敵の数が三倍の三十人でも、勝機は充分にある。
三艘はリスベット号からある程度離れた場所で動きを止めた。
「船着き場の船を焼いたのも、森に火をつけたのも、お前らの仕業だな!?」
船主近くにいる船大工が大声で問いかけた。
「そうだ。油を島に運び込むのには結構手間取ったな」
トルモッドが淡々と答えた。
「しかも森の火事のどさくさに紛れて、ラーシュの若旦那をさらいやがったな!?」
「見ての通りだ」
やはり全てトルモッドの仕業だった。
怒りが込み上げてくる。
「こいつが水門の鍵を持っていてくれたおかげで、屋敷に押し入る手間が省けたな」
「島の子供に、手紙と一緒に持たせたな?」
「ああ」
「手紙に書いてあった通り、船はここに動かしておいたぞ! 若旦那を返しやがれ!」」
トルモッドは鼻で笑うと、ラーシュの近くに移動した。
そして腰から細剣を抜き放ってラーシュに突き付けた。
「――っ!」
思わず悲鳴を上げそうになった。
船大工たちも動揺している。
「何しやがる!」
「下手な真似をすれば、こいつの命はない」
トルモッドが冷酷に言い放った。
「その船は頂いて行く。全員降りろ! 愚図愚図するな!」
船大工たちがリスベット号を降りていく。
前もってトルモッドの狙いは伝えてあったので、そこまで狼狽はしていないようだ。
だがリスベットは違った。
冷静にならなければと思ったばかりなのに、刃物を突き付けられたラーシュを見ているとおかしくなりそうだった。
「もっと下がれ。船からも海からも離れろ」
船大工たちは、トルモッドに言われた通りだいぶ離れた位置にまで移動した。
「よし。船が出せる状態か調べろ」
トルモッドの指示で一艘が埠頭に接舷した。
乗っていたごろつきのような者たち十人が上陸してきた。
全員が短刀などの武器を腰に差している。
リスベット号に乗るための板の前まで来ると、五名ほどがけん制するように船大工たちの方を向いてその場に留まった。
残りの五名ほどが乗り込んできて、船を見渡し始めた。
一人が船首側の降り口から下の船室に降りた。
少しすると反対の船尾側の口から上って来た。
「漕ぐための櫂はちゃんとそろっているぜ」
「なら大丈夫だな」
一人が手を上げてトルモッドに合図を送ったようだ。
残りの二艘も接舷して上陸してきた。
ラーシュは両脇を二人に固められた状態で歩かされている。
その後ろに細剣を構えたトルモッドが続いた。
船に乗り込むと、良く見える船主側に移動してきた。
ラーシュが跪いた状態にされた。
口を縛られてしゃべれないものの、敵愾心に満ちた瞳で隣に立つトルモッドを睨みつけている。
トルモッドは薄ら笑いを浮かべると、細剣をラーシュの喉元に充てた。
心臓が早鐘を打ち始めた。
喉がひりついている。
握った手に汗が滲んでいる。
これまでに経験したどんな戦闘のときよりも激しい焦燥感。
それが体を支配している。




