精霊祭には特別なお話を
「私にも素敵な騎士様が現れてくれないかしら」
マイケルは久々に会った幼馴染以上、恋人未満の少女の言葉に思わずギョッとした。
ここはライセル王国の王都ローグス。マイケルはアンペルス商会、という生地を扱う商社の3男だ。
普段はこの国の多くの中流階級以上の男子と同じように寄宿学校に入り、将来に向けた勉強をしつつ、人脈づくりに精を出している。ただ今は年の暮れ。冬の長期休暇中のマイケルは、実家に戻っているのだった。
一方、マイケルの向かいで、ホットチョコレートの入ったカップを握りしめつつ、少々夢見心地な瞳をするのはローズ・フレンジェ。王都にいくつも店を構える老舗の仕立て店の次女である彼女は、この界隈では有名な「高嶺の華」だった。
ふわふわとした美しいブロンドに、人形のような顔立ち。その愛らしさはすでに経済界で噂になっているという。そんな彼女が、見た目も商才もごく平凡なマイケルと仲良くしてくれているのは、ひとえに同い年のお隣同士、ついでに扱う品物柄親同士の仲がよい、という理由のみだとマイケルは考えている。
だからこそローズの言葉に、マイケルはギクッとせざるを得なかったのだった。
「ろ、ローズもやっぱり騎士みたいな人が好きなの?」
「えぇ、もちろん! それでね、絵画教室のエステルがようやく初恋を叶えたらしいの。精霊祭には素敵なプレゼントを約束してもらったそうよーー憧れるわ……」
「あぁ……そう言えばエステル嬢の初恋の君はまさしく騎士様だったね……にしても、そろそろ精霊祭か」
ただ美しいだけでなく、素晴らしい絵の才能も持って生まれたローズ。彼女は幼い頃から近くの商家の夫人が開く絵画教室に通っており、エステルはそこで彼女が会った親友だ。
彼女達の仲の良さは、マイケルが多少嫉妬したくなるほど。エステルが一目惚れした、という初恋の君についても何度も聞いている。なんならその初恋の君はマイケルの同級生だ。長身で運動神経抜群、かつ紳士的な彼は確かに「騎士」という言葉も似合う。
ただ、それ以上にマイケルが気になったのは「精霊祭のプレゼント」という言葉だった。
この世界を作った、と言われる不思議な存在「精霊」を信仰するライセル王国。そんな精霊たちに1年の感謝を捧げるのが年の暮れにある「精霊祭」だ。
そんな精霊祭といえば「贈り物をする日」としても有名。もともとは、心のこもった手作りの品を愛する、という精霊に捧げ物をする行事。しかし、いつの間にか手作りか否かに関係なく、親しい人に感謝を込めてプレゼントを贈る、という風習に変化していったというーーそして、そんな風習がマイケルはちょっぴり苦手だった。
「えぇーーそうだ! 私もマイケルの手作りのプレゼントが欲しいわ……駄目かしら?」
「えっと……」
手作り、というものが少々苦手なマイケルは逡巡する。が、眼の前の少女の期待のこもった瞳にマイケルは滅法弱かった。
「……分かった。考えてみる」
「本当!? 嬉しいわ」
マイケルの若干煮え切らない返事でもローズは嬉しそうだ。いつもは大好きなその笑顔も、今日ばかりはちょっとだけ苦々しく思えてしまうのだった。
長期休暇中の定例となっているローズとのお茶会を終えて、アルペンス邸へ帰宅した(といってもすぐ隣なのだが)マイケルは、自室に入るなり特大のため息をついた。
「手作りか……そうはいってもね」
マイケルにはローズのような絵の才能はない。それどころかマイケルはどちらかと言えば、不器用な部類なのだ。
「こういうとき、兄さん達ならきっとサクッとプレゼントも用意しちゃうんだろうな……」
マイケルは自嘲気味にそう言って、天井を見上げた。平々凡々としたマイケルに比べて、兄達は優秀だ。
商会の跡継ぎとして、着実に足場を固めている上の兄は父に似た秀才。なんでも卒なくこなす彼なら、きっと恋人の無茶振りも笑顔で答えて見せるだろう。
一方下の兄は祖父に似た根っからの冒険家気質。寄宿学校を卒業するや否や、新たな生地を見つけるべく世界へと飛び出した。軍人でも好んでは行かないような場所へも喜んで向かう彼は、もちろん一からものを作る、という経験も豊富に違いない。
そんな兄2人に対し、マイケルは子供の頃から部屋で読書をするのが好きな、おとなしい少年だった。落ちこぼれはしないが、特段秀でたところもない。そんな彼に出来ることと言えば……
「あぁ、そう言えば……あれも手作りか。いや、でも……」
不意にあることを思いついたマイケルは、自室の壁に作り付けられた大きな書棚の一番下の棚に目をやる。そこにはマイケルが子供の頃から集めた、たくさんの物語本が並べられていた。
何度か逡巡したマイケルは、しかし結局本棚へ向かう。彼がその棚から取り出したのは、1つだけ表紙になにも書かれていない本だ。そうして文机に座り直すと、愛用のペンで、その本に何やら書き始めたのだった。
そうして数日……迎えた精霊祭の日。一般的に家族で過ごす日、とされている精霊祭だが、昔から仲の良かったアルペンス家とフレンジェ家は2家合同でお祝いをするのが常だった。
年の暮れらしくうっすらと雪が積もる道を、みんなで歩いて教会へ向かう。そして精霊祭の行事に参加したあとは、どちらかの家でご馳走が並ぶ昼食をいただくのだ。今年はアルペンス家がフレンジェ家をもてなす番だった。
料理長が腕によりをかけたローストビーフに舌鼓を打った後は、ドライフルーツをこれでもかと詰めたプディングもいただく。
お腹がいっぱいになり、ワインで程よく酔いも回ったアルペンス家とフレンジェ家の面々。彼らは食堂からライブラリーに移動して、談笑したり、カードをしたりして思い思いに過ごしていた。
マイケルもついさっきまではカードゲームに興じていたが、タイミングを図ってその環を抜け出し、ふかふかとしたソファの1つを確保する。そうしてから、マイケルの母と話し込んでいたローズに視線で合図を送った。
「ふふっ、どうしたの、マイケル? もしかして……約束のプレゼント?」
「ま、まぁ……そうだね」
広いソファに並んで、しかしお行儀の良い距離を開けて座った2人。それでもローズのいたずらな笑みを見れば、マイケルの鼓動はトクン、と跳ねた。
ちなみに2家の人々は、昼食の前にプレゼントを送りあっており、マイケルもローズへは一度プレゼントを贈っている。だが、これから贈るものはまた特別。マイケルは緊張でさらに鼓動を早くしつつ、上着から一冊の本を取り出した。
「これは……『時計台の勇者と囚われの王女様』? 聞いたことの無いお話だけど……ってもしかして!?」
「うん……僕の書いた話だ。前から少しずつ書いてはいたんだけどね……僕にできることといえばこれくらいだから」
「まあーー」
マイケルの言葉にローズは息を呑み、それから本を裏返して、また元に戻して凝視した。
「いや、その……ごめん。こんなものもらっても嬉しくないよね……やっぱりプレゼントはもう一度考えて……」
「何を言ってるのマイケル!? ーーとっても嬉しいわ。早速読んでみて良い?」
「う、うん、もちろん。それはローズためのお話だから」
「まあ! 素敵な響きね。じゃあ、早速読ませてもらうわ」
昔から本を読むのが好きで、さらにお話を考えるのも好きだったマイケルだが、実際に自分が書いた本を読んでもらうのは初めてだ。しかもその相手が自分の大好きな相手とあれば、不安でおかしくなりそうになる。
そんな自分を持て余しそうになりつつ、マイケルはローズの美しい横顔をじっと見守っていた。
「ーーとっても素敵なお話だったわ。最高のプレゼントよ……」
「も、もう読んだの?」
それから数刻後。マイケルにまるで護衛騎士のように見守られつつ、物語の世界に入り込んでいたローズは不意に顔を上げた。
ちなみに、マイケルとローズの気持ちに気づきつつも、「急かすことはない」という意見で一致していた両家の面々は、ソファに並ぶ2人に傍観の構えを決めていたのだが、それはまた別の話。
「ええ……あっという間に読んでしまったわ。なんだか読み終えたのが寂しいくらい。本当に素晴らしかったもの。呪われた勇者、謎の言い伝え、鍵を握る王女様のキス……」
「それは良かったーーローズに喜んでもらえたなら、僕は何より幸せだよ」
ローズの称賛に心底ほっとした表情を浮かべるマイケル。ローズはそんな彼をさらに驚かせる言葉を続けた。
「本当に素敵な物語だったわーーそうだ! ね、マイケル? 私、このお話の挿絵を描きたいのだけど良いかしら?」
「挿絵!? ローズが? そんな勿体ない……」
「勿体なくなんてないわ! 何を言ってるの?」
ローズの絵の素晴らしさはこのあたりではちょっとした評判。思わず気後れしたマイケルをローズは一喝した。
「ご、ごめん。その……もし僕の話に絵がつくなら……とても嬉しいよ」
「でしょ! じゃあ決まりね。すぐに、とはいかないけど、でもなるべく急ぐわ。書きたい場面いっぱいあったものーー」
嬉しそうにそう言うローズをマイケルは眩しそうに見つめるのだった。
なるべく急ぐ、とローズは言ったものの、もちろんそうすぐにいくつもの絵が完成するわけもない。休暇期間が終わったマイケルは少し後ろ髪を引かれつつも、寄宿学校へ戻る。そんな彼のもとに「挿絵が完成したわ!」という手紙が届いたのは、休暇が終わってちょうど1月した頃だった。
「すごいよ、ローズ! 僕の頭の中にしかなかったものが全部絵になっている。やっぱり君は天才だ」
「まあ……褒めすぎよ。それにわざわざ特別休暇を申請してまで帰ってこなくてもーー大変なんでしょ? 受理してもらうの」
「何を言ってるんだい? 一大事だよ。もちろん何をしたって帰ってくるさ。それに平々凡々とした僕だけど真面目には過ごしているからね。案外すんなりと受理されたよ」
「もう! だからこんな素敵なお話を考えることが出来る人が平凡なわけないわ」
いつかと同じように、ソファの上にお行儀よく並んだ2人。マイケルの膝の上には、挿絵が追加された『時計台の勇者と呪われた王女』がある。
マイケルの手放しの褒め言葉に、ローズは少々居心地悪げ。恥ずかしさを振り払うように、彼女は相変わらずな自己評価のマイケルを睨みつけた。
「そんなことを言ってくれるのはローズだけだよ」
「だからもう、ほんとにマイケルは……」
マイケルの返事に、ローズはさらに眦を釣り上げるが、そんな表情も可愛い、とばかりにニコニコしているマイケルに毒牙を抜かれる。
そして一呼吸置くと、「ところでマイケル? お願いがあるんだけど」とにじりよった。
「お願い!? また突然だね、もちろんローズのお願いならできるだけ叶えたいけどーー」
突然近くなった距離にドギマギするマイケル。一方ローズはそんなことは気にせず、にっこり微笑んだ。
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない。それでお願いっていうのはね……来年の精霊祭もお話を贈ってほしいの。そしたら私、また挿絵を描くわ。ーーそうねぇ、今度は王子様のお話とかどうかしら?」
「王子様かぁ……分かった! 考えてみるよ」
「本当? 楽しみにしているわ!」
そこまで嬉しそうにされれば、書き上げないわけにはいかない。マイケルは少々苦労しながらも、なんとか冬までに王子を主人公にしたお話を書き上げ、ローズに贈る。それを絶賛した彼女は、また挿絵を描いた。
そしてまた翌年の精霊祭にはお話を、と強請る。
ところが今度のお願いはどうにも叶えられそうになかった。
その年、無事寄宿学校を卒業したマイケル。彼は父親の命で新大陸へ半年間、生地を売り込みに行くことになる。昔と違い、道中含め危険は随分と減ったが、それでも新大陸までは船で一月以上。秋にライセル王国を出たマイケルが戻ってくるのは、翌年の夏前になる予定だった。
「それで? ローズはすっかりさびしんぼ? って訳」
「さびしんぼって、あなたねぇ!」
「じゃあ、寂しくないの?」
「ーーちょっとだけ……」
もうすぐ精霊祭も間近、という雪の降る昼下がり。ローズは親友たるエステルとお茶をしていた。そこで普段に比べると随分大人しい(エステル曰く)ローズを見てのエステルの言葉がそれだ。
彼女の言葉に思わず声を荒げたローズだが、改めて問われると、納得するしかなかった。
「だって……マイケルのいない精霊祭って初めてだもの。……なんだか落ち着かなくて」
これまでもマイケルは寄宿学校に行っていたのだ。実際に顔を合わせるのは、長期休暇のときぐらいだったが、それでも節目ごとの行事は必ず一緒だった。そして、それ以上に新大陸、という物理的に距離がある場所に彼がいる、ということ。それがにローズに「寂しい」という感情を生み出していた。
「もう……ローズったら可愛いわね。いっそ会いに行っちゃえば良いのにーー良いわよ、船の旅」
「エステルと一緒にしないて欲しいわーー」
エステルは老舗の紅茶店3代目夫妻の次女。昔から外国に興味を持っていた彼女は、暇さえあれば買付部門に同行して、海の外へ行っていた。
なんなら絵画教室へ通うのも、自分の目で見たものを形に残して置きたいかららしい。そんな彼女は船旅も大好きだった。
ただ、そんな彼女に対しローズはどちらかと言えば家の中にいるのが好きなタイプ。その上、名家の令嬢としての本分もある。
同い年のマイケルが家業に携わり始めた、ということはローズの社交界デビューもすぐそこ、ということなのだ。当然、その先には「結婚」という文字も見えてくる。
そこまで考えて、ローズの頭に浮かぶのはやはり、ある男の穏やかな笑顔だ。
その後もエステルに揶揄われつつ、楽しい一時を過ごしたローズ。忙しい合間を縫って会いに来てくれた彼女には感謝しかない。夕方にお茶会を終えたローズは、馬車で帰宅するエステルを見送る。それから私室に戻ろうとするローズを、不意に呼び止める者がいた。
「お嬢様。先程お手紙……のようなものが届きました。マイケル様からのようなのでお部屋に届けさせましたのでご確認を」
「手紙……のようなもの?」
呼び止めたのはフレンジェ家の執事。訝しげな彼の様子にローズも首を傾げる。手紙なら手紙、と言えば良いものをーーしかし、その疑問は私室に入ってすぐに解消された。
「まぁ! すごいわねーーこれはもしかして?」
ローズの文机に置かれていたのは、ちょっとした本ぐらいの厚さになった封筒。開けてみると便箋が何十枚とでてくる。その常識的な手紙の量を遥かに超えた紙の山に、ローズの心臓がドクンと跳ねた。
「ええっと『親愛なる ローズ・フレンジェ殿……』」
お決まりの挨拶から始まる手紙。しかしその最後にはこんなことが書かれていた。
『精霊祭を一緒に過ごせなくてごめんね。せめてこれだけは、と思って精霊祭の贈り物を用意したよ。喜んでもらえると嬉しいな』
そう、封筒を膨らませていた便箋の束の正体。それはローズが精霊祭の贈り物として強請った物語だった。
流石に糸で綴じて本にするところまでは出来なかったらしい。それでも便箋の一番上に、
『たった1人の魔法使い』
というタイトルを見つけて、ローズの心は踊る。
「今年は魔法使いが登場する話を……」それがローズがマイケルにしたお願いだった。
早速ローズはお話に目を通しだす。少し丸みを帯びた文字も、優しげな雰囲気も、まさに何度も読んだマイケルの作るお話。彼女はまるで彼が直ぐそばにいるような錯覚に落ちるのだった。
物語の舞台は今からずっと昔。大きなお城がある街に1人の女の子が住んでいる。神秘的な紫の瞳が特徴の彼女は貧しくも、穏やかに暮らしていた。しかし彼女はある日突然、国王から城に呼び出されてしまうーー
「わ、私が魔法使いの一族の生き残りですか? そもそも魔法なんて実在ーー」
「したのだ、100年程前までは。愚かな祖父が魔法使い達の力を恐れ、彼らを皆殺しにするまでは……」
「み、皆殺し!?」
国王の口から出た物騒な言葉に少女は思わず唖然とする。だが、広間に集まった貴族達は「うんうん」とばかりに大きく頷く。どうやらそれはこの国の中枢にいる人達にとっては常識らしかった。
「100年前。魔法使いの一族は我が国を襲った魔竜と戦い、それを退治したという。だが当時の国王ーーつまり私の祖父はその力の強さを恐れるあまり、救国の英雄たる魔法使い達に魔竜召喚の罪を着せ、処刑して回ったのだ。結果……魔法使いは全滅した。ところが最近になって、1人だけ逃げ延びて、市井に身を隠した者がいることが分かったのだ」
「もしかして……」
「あぁ、そなた。ローズ殿の祖母だ。そなたの家は薬屋であろう?」
薬作りは元々魔法使いの専売特許。そんな昔話ならローズも聞いたことがあった。
「で、でも! 父も母も普通の人で魔法なんて! もちろん私も」
「分かっておるローズ殿。だが、どうやらそなたは先祖還りをしたようだ。その紫の瞳こそ、その証拠」
国王はそう言って、ローズの瞳を覗き込んだ。
「そ、そんな……」
「試しにこの本が浮き上がるところを想像してみるといい。鮮明にイメージ出来たら『浮き上がれ』と』
「……『浮き上がれ』……」
彼女が呪文を唱えると、それに応じて、国王の手の中にあった本がふわりと独りでに浮く。その様子を見て、広間の人達は大きくざわめいた。
「素晴らしい! 決まりだな。ローズ殿、そなたを王室専属の魔法使いとして迎え入れたい。城には魔法を研究している者達がいる。彼らに教わり、鍛錬に励むように」
「は、はい……分かりました」
突然の出来事の連続にローズの頭は全くついていけない。そうして、いつの間にやら彼女はお城に住み込むことが決まってしまったのだった。
突然半ば強制的に国王に仕えることが決まってしまったローズ。国王の物言いは強引だったが、その待遇は恵まれていた。
魔法の研究者達は優しいし、だんだんと魔法が仕えるようになるのは面白い。それに国王はローズの両親も魔法使いの親、ということで貴族に引き立ててくれた。
これまで経験したこともないような豊かな暮らし。しかし幸せはそう長くは続かない。100年前に封印された筈の魔竜が復活したのだ。
「研究者達曰く、魔法使いがほとんどいなくなったことで、封印が弱まっていたのだろうと……本当に我が祖父が申し訳ない」
「いえ……全ては過去のことですから」
珍しく国王が弱気だ。そんな彼に調子を崩されつつローズは大きく首を振った。
「たとえたったひとりでも魔法使いはまだいます。私の使命は魔竜を再び封印し、国に平穏を取り戻すこと。ですよね、陛下?」
「ああ、だが危険……いや違うな。私が言うべき言葉はそれではない。ーーローズ殿。偉大な魔法使い。その力でこの国を守りなさい」
「はい、陛下」
ローズは力強く頷く。すでに魔竜は王都の直ぐ側に着ているという。彼女が暮らした街はたとえ命に変えても守る。そんな覚悟を胸にローズは城を飛び出した。
「こ、これが……魔竜!」
護衛を買ってくれた騎士達と共にやってきたのは街の北門。そこからはすでに咆哮と共に炎を吹く魔竜を間近で見ることが出来た。
住人達はすでに堅牢な城壁の内側に避難していたから無事だが、彼らの生活の糧たる畑は見るも無惨な姿。家は形もない。
そうして魔竜はまた、「グウォー!」という声を上げると、ローズの方へ目を向けた。
「……」
「グワァー!」
と、一瞬の沈黙の後に魔竜はローズに向けて炎を吐く。咄嗟に『壁になれ』と唱えて透明の壁を作り、炎をせき止めるローズ。その間に騎士たちを逃がすが、魔竜の豊富な魔力はローズのそれを上回っているようだった。
バリーン!
「きゃあ!」
ものの数分で光の壁は壊れ、そして魔竜が再び炎を吹く。今度は避けられない、思わず目を閉じたローズ。しかしいつまで経っても、熱さも痛みもやってこなかった。
「ローズ! どうしてここに?」
「ま、マイケル!? あなたこそ」
ローズは思わず大声を上げる。そこにいたのは騎士の姿をしたマイケルだったのだ。魔竜の炎は彼が手にしていた大ぶりの盾が防いでくれたらしかった。
「分からないわ。気づいたらこの世界にいて、魔法使いの生き残りだって……」
「僕もだ。突然、魔法使いの護衛騎士をしていた一族の末裔だ、と言われた。魔法使いは滅んだ、と聞かされていたんだけど、この国で1人見つかったって聞かされて……しかもその名前がローズだっていうから……間に合って良かった」
心底ほっとしたように話すマイケル。どうやらローズの噂を聞いて、慌てて隣の国からやってきてくれたようだった。
「そんな! わざわざこんな危ない場所にーーでも嬉しいわ。守ってくれてありがとう」
「いや、護衛騎士として当然のことをしたまでだ。それにローズのことは僕が必ず守るって心に誓ってるから…… 」
「マイケル……」
頼もしく言い切るマイケルに、ローズが思わず息を呑む。見つめ合う2人。
「グギャァ!」
ーーとそんな彼らを引き裂くように魔竜が、またしても鋭い咆哮を上げた。
「そうだ、早く魔竜をなんとかしないと! ……でもどうしましょう、あんな大きい魔竜、私の魔力じゃ禄に攻撃も出来ないわ」
「いや、大丈夫だ。ローズは癒やしの魔法とか習ってない?」
「習ったわ。怪我や病気を治す魔法ね」
「ああ、設定ではそれが悪しき魔の力を沈めることもできるんだ。だからきっと……」
「分かったわ。けどこの距離じゃきっと魔法は届かないわよ」
「それは僕に任せて。援護するからもう少し前に出よう。魔法が届く距離になったら魔竜を鎮めて欲しい」
マイケルの言葉にローズは大きく頷く。1、2の3で踏み出した2人は魔竜の炎を避けつつ、怪物へと近づいていった。
時にローズが魔法で壁を作り、時にはマイケルが盾を使って魔竜の攻撃を跳ね返す。そうしてなんとか魔竜に近づいたローズは、一瞬の隙を見て、呪文を唱えた。
『悪しき魔の力を鎮めよ』
すると白い光が空から魔竜に降り注ぐ。とめどなく降る光は魔竜を覆い、やがて魔竜をすっぽりと覆う。そしてその光が消えるとともに、魔竜は跡形もなく消え失せたのだった。
「ローズ殿。マイケル殿。本当によくやってくれた。そなた達は救国の英雄だ。その働きに報いるため褒美を取らせよう」
場所は戻って王城の大広間。ローズとマイケルは竜退治の英雄として国王と向かい合っていた。
金でも栄誉でも、もちろんその両方でも好きなだけ……そう言う国王にローズは笑って首を振った。
「私は今の生活で十分恵まれております。私に褒美をいただけるなら、その分で王国の復興を。焼き出された民を支援してください」
「なるほど。さすがはローズ殿だ。約束しよう、してマイケル殿は?」
「私も同じです。ただ、許されるなら1つだけ願いが。ローズ殿との結婚をお許しいただきたいのです」
「ローズ殿との結婚か。我が国唯一の魔法使い故結婚相手は慎重に吟味する予定だったのだが……マイケル殿であればよかろう」
そう言って国王は1つ頷く。
突然進み始めた自身の結婚話に戸惑うローズ。一方マイケルはマントを捌いて、彼女の足元に跪いた。
「ローズ。愛しています。僕はこれからもずっと君と共にありたい。どうかこの手を取ってもらえませんか?」
突然の求婚に大広間の貴族たちはざわめく。急な話に驚くローズだが、返事はすでに決まっていた。
「マイケル……私もよ。愛してるわ!」
ローズの返事を聞き、マイケルは嬉しそうに立ち上がって彼女を抱きしめる。彼の大きな指がそっとローズの唇をなぞり、彼女を上向かせた。
「もう……みんな見てるのに……」
そういいつつも、ローズは瞳を閉じる。彼の唇がそっと彼女のそれに近づきーー
「お嬢様! お召し替えの時間にございますよ!」
「えっ! 私……眠ってた? あ、えーと……入っていいわよ」
突然侍女が自分を呼ぶ声と、ノックの音がしてローズは目を覚ます。どうやら彼女はマイケルの書いた話を読むうちにその便箋に埋もれるようにして眠ってしまったようだった。
「まあ……お嬢様ったら……机に突伏して寝たりしたら身体を痛めますわよ。ですからあれほどきちんと眠ってくださいと……」
「ご、ごめんなさい。でも大丈夫。きっと今晩はよく眠れるわ」
だって例え夢の中でも彼に会えたからーー彼女は心配そうな侍女に笑いかけて、ディナーのための着替えを始めたのだった、
「ーーなーんてことがあったのよ。まさかマイケルと夢で会うなんてね……ってあら? どうしたの?」
季節は巡り夏。マイケルは無事新大陸での仕事を終えてライセル王国へ無事帰国する。仕事も順調だったようだ。そうしてローズは久しぶりのマイケルとのお茶の時間を迎えた。
精霊祭の贈り物への感謝を伝えたあと、彼女がした不思議な体験をちょっぴり冗談めかして話したローズ。しかし、笑われると思っていたローズの予想に反し、マイケルは少し怪訝そうな顔をした。
「ほんとうに……どうしたの?」
「あ、いやごめん。実は……僕も同じような夢を見てーー」
「え、あなたも? もしかして騎士になって……」
「ああ。魔法使いのローズと一緒に竜と戦った。その後はーー」
「みなまで言わなくていいわ!」
「あ、ごめん」
求婚され、それを受け入れて、大勢の人が見守る中、キスをした。そんなことをマイケルの口から改めて聞いたら、羞恥で心臓が止まる。ローズは慌ててマイケルの言葉を遮った。
「ーーにしてもまさか二人しておんなじ夢を見るととはね……」
「そもそもマイケルが主人公に私達の名前をつけるからでしょう?」
「ごめんって……あの時はちょっとどうかしてた」
「フフッ。でもそのおかげで夢の中だとしても会えたんだから良いわよ。正直……ちょっとだけ寂しかったからーー」
そう言ってローズは目を伏せる。その言葉を聞いたマイケルは突然、意を決したように椅子を立ち、ローズの側へと動いた。
「僕はーーすごく寂しかった」
「……マイケル?」
怪訝そうなローズを横目にマイケルはゆっくりとローズの足元に跪く。その姿はまるで夢の中の出来事を再現したかのようだった。
「ローズ。愛している。結婚して欲しい」
「マイケル……」
夢の中の台詞に比べれば随分と短い。でもそれがマイケルらしくてローズは「フフッ」と微笑む。
夢の中で彼の求婚を受けたあの日からローズの気持ちは決まっていた。
「私もよ。愛してるわ!」
そう返事をして、勢いよくマイケルの胸へ飛び込む。しっかりとローズを受け止めてくれたマイケルは、彼女をギュッと抱きしめ、それから彼の指がそっとローズの唇をなぞった。
「もう……みんな見てるのに……」
「ローズ? 誰もいないよ」
「分かってるくせに……」
いたずらなマイケルの言葉に、ローズはふくれっ面でそう言いつつも瞳を閉じる。マイケルの唇がローズのそれに触れても、今度は目が覚めることはなかった。
ローグス郊外の閑静な邸宅街にある小さな屋敷。そこには、今ローグスで人気の画家と作家の夫婦が住んでいる。
妻、ローズは幼い頃からその才能を知られた天才画家。精霊や妖精といった題材を得意とする彼女は、挿絵画家としても知られている。
一方で夫、マイケルは商社の役員としての顔も持つ作家だ。家業の傍らで書いていた小説が、さる文学賞の佳作となり、そこから一気に人気が出た。
共に画家として、作家として人気の二人。だが最も人気なのはローズが挿絵を、マイケルが文章を担当する児童文学シリーズ『アンペルス夫妻の贈り物』だ。
そんな夫婦なので、彼らの子どもたちは昔から本に囲まれて育った。幼い頃はしきりに両親に読み聞かせををお願いし、字が読めるようになった今では、両親の作品に限らず様々なジャンルの本を読み漁る本の虫。
けれどもそんな本の虫たちが一番好きなのは、精霊祭の日、父親がプレゼントしてくれるお話だ。
なんといってもこのお話はアンペルス家だけの宝物。彼らのリクエストを聞いて、彼らのためだけに書いてくれる特別なお話なのだ。
精霊祭の日。ディナーを終えたアンペルス家にはローズの優しい声が響く。
「アン、ウィリアム、こちらへいらっしゃい。お話がはじまりますよ」
「「はーい」」
双子の兄妹は、スケッチブックを手にしたローズの両端に腰を下ろす。
特等席はお母様のもの。それがこのプレゼントをもらうときの唯一のお約束だ。
「さあ、ではお話を始めようか」
家族全員が揃ったところで、マイケルが本を開く。二人の『精霊祭の贈り物』は今年も続いている。