田舎令嬢、王子殿下の婚約者候補と出会う。
貴人を乗せた馬車を陰ながら見送った私はロランに顔を向けた。長らく話をしていたけれど、そろそろ仕事に行かないと。
「それじゃ、私はこれで失礼するわ」
「これから仕事だったか。大変だな」
「実家でやっていたこととあんまり変わらないのが救いね」
「それはそれでどうなんだかな。まぁ、ん?」
何か口にしようとしたロランが黙って顔を向けた方へと私も目を向けた。その先は大師館で、北側の扉が開いて何人かが姿を現すのを目にする。
先頭を歩く女性は本当にきれいな人だった。流れるような金髪を腰まで伸ばした垂れ目の優しげな美人を見て息を飲む。
黄色の派手なドレスを身につけた気品あるその方が近づいて来た。私は道を譲るために二歩下がる。ロランも私に合わせて一歩下がったのを尻目に軽く会釈をした。
明らかに私よりもずっと高位の貴族様だ。誰だかは少し気になるけれど、後でロランに尋ねればわかるでしょう。今ここで用もないのに私から声をかけるのは失礼になる。
そうして相手が通り過ぎるのを待った。ところが、どうしたわけか私たちの前でその方は立ち止まってしまう。何も粗相はしていないはず。
「ごきげんよう、ロラン殿。ここでお目にかかるなんて珍しいですわね」
「男にとって、舞踏館に行くときくらいにしかこの辺りに要はないですからね」
「ふふふ、女性を同伴なさっているなんて珍しいところをお見かけしてしまいましたわ」
「こちらは、今年学園に入学してきたアベラール男爵家のシルヴィ嬢です。俺の知り合いなんですよ」
「お初にお目にかかります。ご紹介に与りました、シルヴィ・アベラールです」
「わたくしはラファルグ公爵家のイレーヌと申します。随分ときれいな挨拶をなさるのですね」
「ありがとうございます」
いきなり公爵家のご令嬢と普通に話を始めたロランに驚きつつも、私はとっさに名乗った。お母様から教えていただいた礼儀作法なので自信はあったけど、まさか公爵家のご令嬢に所作を褒められるなんて予想外ね。
一礼して顔を上げるとイレーヌ様の美しいお顔を近くで目にする。本当に輝いているのかっていうくらい眩しく見えるわ。使っている化粧品の違いだけではないと思う。
さて、社交辞令はとりあえず終わったけれど、ここから何をどう話せば良いのかわからない。私の方は話すことがないからイレーヌ様から声がかかるのを待つだけ。
そう思っていたら、私はイレーヌ様にじっと見つめられた。どうしてかしら。みすぼらしいとか冴えないとか? 学園に登校するときはきれいにしているから汚くはないはず。
我慢できずにロランへと目だけ向けた。あちらも若干困惑している。ということは、私に落ち度があるわけではないらしい。
声をかけるべきかどうか私が迷っていると、イレーヌ様から声をかけられる。
「やはり、遠目で見たときにも思いましたが、似ていますわね」
「何にですか?」
「わたくしにです」
「はい?」
何をおっしゃっているのかと私は首を傾げた。一介の男爵家の娘と公爵家のご令嬢が似ているはずなんてない。
思いも寄らないことを言われた私は再びロランに目を向ける。微妙な表情をしつつも私とイレーヌ様に何度か目を向けていた。
気になった私は小さめの声で話しかける。
「ロラン?」
「見比べてみると、似ている気がするな」
「本当に? イレーヌ様とは今日初めてお目にかかったし、実家でも付き合いがラファルグ公爵家と縁があるだなんて聞いたこともないわよ?」
「そうは言われても、似ているものは似ているとしか言えないしな。ただ、まったくの他人でも似ることはあるかもしれないから、それかもしれないが」
「あー」
他人のそら似という可能性を指摘された私は曖昧にうなずいた。それを言われると何でもありに思えてくるけど、確かにそうかもしれないわね。
何となく納得した私は再びイレーヌ様に顔を向けた。すると、私に向かって笑顔を向けていらっしゃる。
「ふふふ、こういう偶然もあるということですわね。面白いです」
「ありがとうございます?」
「こんな奇縁はめったにありません。せっかくですから、わたくしとお友達になってくださいませんか?」
「ええ!? 私とですか?」
「はい。珍しい縁で結ばれるだなんて素晴らしいではありませんか」
「まぁ、そうかもしれませんね」
いささかふわふわとした感じのご令嬢様だけど、私にはその意見を否定も拒否もできなかった。賛同したとか同意したとかというよりも、身分差がありすぎて意見できなかったというのが正しい。一見穏やかに見えても何らかの拍子でキレるご令嬢もいるからね!
「今日は珍しいご縁ができてとても嬉しいです。そのうちお茶でもご一緒いたしましょう」
「はい、承知いたしました」
「それでは、わたくしはこれで失礼いたしますわ。ごきげんよう」
上機嫌になられたイレーヌ様はわずかに会釈するとそのまま刺繍堂へと向かわれた。
それを見送った私は肩の力を抜く。
「疲れた。いきなりだったわよねぇ」
「いやまったくだね」
「それにしても、公爵家のご令嬢様とお知り合いだったなんてねぇ」
「これでも伯爵家の一員だからな。舞踏会なんかでたまに会うんだよ」
「そういう繋がりなのね。私はてっきりイレーヌ様をたぶらかしたんじゃないかと思ったわよ」
「俺のこと何だと思っているんだよ。こう見えてもお前に一途なんだぜ?」
「はいはいありがとう」
「ちぇ、つれないなぁ。それに、イレーヌ様はマルセル殿下の婚約者候補なんだぞ。手なんて出そうものならただじゃ済まないよ」
「あー納得したわ。というか、さっきお見かけした殿下のお妃候補なんだ」
「家柄、美貌、性格、どれを取っても文句なし。最有力候補さ」
「へぇ」
刺繍堂へと入られたその姿を思い浮かべながら私はぼんやりと声を返した。マルセル殿下も良いお年頃らしいし、そういうお話もよくあるんでしょうねぇ。私はまず自分のことを考えないといけないけれど。
小さいため息をついた私はふと舞踏館から出てくる人々が気になった。そちらへと目を向けると、その中の二人が何度か間近で見たことのあるご令嬢と女騎士様だと気付く。
「うっ、オルガ様とピエレット様じゃない」
「ダケール侯爵家のか。オルガ様の方も婚約者候補だったよな」
「そんな話もあったわねぇ」
「なんか嫌そうだな。どうしたんだ?」
「私、今、ダケール侯爵家のお屋敷で働いているのよ」
「なんだって?」
庭園へと向かわれるオルガ様から目を離したロランがわたしに顔を向けてきた。とりあえず事情を説明する。
「お父様の伝手を頼って紹介してもらったのよ。それで、今住み込みで働いているの」
「そういえばさっき、学費しか払ってもらっていないって言っていたか」
「そうよ」
「ということは、シルヴィはあっちの派閥に入っているのか?」
「いえ、派閥には入っていないわ。実家が寄親寄子の関係じゃないし、使用人をするような貧しい子女は優雅ではないから入れないんだって」
「なんだそりゃ。すごい理由だな」
「私も進んで入りたいとは思っていなかったから、強制的に入れられるよりかはましだと思ったわよ」
雇い主のご令嬢が姿を消した当たりから目を離した私はロランに目を向けた。
あのオルガ様は割ときつい性格でいらっしゃるから近づきたくないのよね。それをいうとダケール侯爵家のご家族はみんなそんな感じだから、使用人として働いている誰もがあまり近づきたがらない。
真剣な表情になったロランが私に提案してくる。
「なぁ、結婚や婚約はとりあえず置いておいて、俺の屋敷に転職しないか?」
「紹介してくださったのがお父様の親戚だから、そういうわけにもいかないのよ」
「親戚の顔に泥を塗っちまうわけか。そりゃぁ」
渋い顔をしたロランがそのまま黙った。伝手は強力な手段だけれど、相手先で問題を起こすと紹介元に迷惑がかかってしまう。そういうこともあって、自分の都合だけで仕事場は変えられないのよね。
何とも微妙な雰囲気になってしまい、お互いに黙ってしまう。片田舎で住んでいた私に王都の事情なんてわかるはずもないから、こればかりは仕方のないことだった。
次は何をしゃべろうかと私が考えているとロランが声をかけてくる。
「あれ? そういえば、お前って仕事があるんじゃなかったのか?」
「え? あー! 忘れてた! まずいじゃない!」
「それじゃまた会おうぜ」
すっかり話し込んでいた私は指摘されるまで仕事のことをきれいさっぱり忘れていた。下手をするとお給金が減らされちゃう!
慌てた私はロランに挨拶もせずに走り出した。貴族の子女としてははしたない限りだけどそんなことは言っていられない。
家政婦のカロルさんへの言い訳を考えながら私は正門から飛び出した。