最終話 夫は毎晩虐げてくる妻を溺愛している
◆◇◆
そこから一年と三ヶ月ほどして。
すっかり元気になったヴィクトールは公爵位を継いだ。今日の夜会の参加は、その顔見せを兼ねていたのだ。
ヴィクトールとコーデリアの二人は友人らとの談笑を終え、場を離れる。すると二人の令嬢が前に立ちふさがるように現れた。明らかにコーデリアをにらみつけ、敵意をのぞかせている。
「ベルトラン公爵夫人、良い御身分ですわね。貴女が妹を虐めたせいで彼女は夜会に出られないほどひどい目にあっているというのに!」
「スザンヌ様は病気になってしまわれたのにお見舞いにもいらっしゃらないそうではないですか!」
それぞれが大声でコーデリアを責め立てる。その声を聞いた周りの賓客から小さなざわめきが起きた。横に居たヴィクトールが不快さを露わにする。
「おい……」
しかしコーデリアは彼を止め、自分の言葉でにこやかに対応をした。
「まあ。何かの間違いでしょう? 私は虐めるどころか、ここ一年半の間、ずっと妹に会っておりませんわ」
「でも貴女の妹君、スザンヌ様がそう言ってらっしゃるのよ」
「あらそれはおかしなことを。私はベルトラン公爵家に嫁入りしてからというもの、一度も生家の敷居を跨いだ事はございませんのよ。それに……」
コーデリアは意味ありげに目を伏せる。
「以前から妹の方が何度も私に連絡を取ろうとしていますの。勿論全て旦那様がお断りしてくださいますけれど。私はもう生家とは縁を切りたいものですから」
「……縁を」
令嬢たちは呆れて呟き、白い目で彼女を見る。「自分が格上に嫁いだ途端に実家を切り捨てるなど、流石悪女らしい」と言わんばかりだ。だがその白い目はコーデリアの話を聞くうちに変わっていく。
「ええ。おかしな話でしょう? もし私が本当にスザンヌを虐げていたのなら、彼女がしつこく私に会いに来ようとはしないはず。それに私が縁を切る側ではなく、生家から縁を切られる側になるでしょうに」
「え? ……あ、確かに」
「……では、スザンヌ様のお話は……」
「さぁ、何かの間違いでしょう? ああ、そう言えば」
コーデリアは余裕たっぷりに微笑む。
「あの子、以前から都合が悪いことを何かと他人のせいにするのが上手でしたの。あまりあの子に関わると、今度は貴女がたのせいにされるかもしれませんわね?」
「!?」
「っ!」
その言葉に令嬢たちは慌て出した。それぞれの頭に心当たりが浮かんだのであろう。
そして一呼吸を置いたのち。
「わ、私、急に用事を思い出しましたわ!」
「わたくしも……失礼します。ご機嫌よう!」
そそくさとコーデリアの前から立ち去っていく。その背中を眺め、ヴィクトールは小さく鼻を鳴らした。
「はぁ、本当にくだらん連中だな。リア、俺たちも帰ろうか」
「よろしいのですか?」
「まあ、最低限挨拶すべき人間にはすませたし、公爵としての顔見せは十分ではないかな。それに」
彼は妻の腰に手を回し、ぐいと抱き寄せる。ぴったりと身体を密着させ、彼女の耳元で甘く囁いた。
「俺は早く君と二人きりになりたいんだ」
「まぁ……」
公爵夫人が頬をぽっと桃色に染めるのを見た人間は「おや、悪女らしからぬ初な反応ではないか」と疑問に思ったに違いない。
しかし、つい先程まで令嬢たちとトラブルになっていたので、ほとんどの人間は離れて遠巻きに見ていたのだ。コーデリアの態度に気がついたのはほんの数人である。
これでは彼女の悪名を消すことは難しいだろう。
賢明な読者諸君はもうとっくにお気づきであろうが、敢えてここに記す。コーデリア・ベルトラン公爵夫人は悪女ではない。
だが彼女はこの先、もう暫くの間は悪女と語られ続けるであろう。まあ、当の本人がそれをよしとして、友人の前だけでとはいえ「私、旦那様を虐げていますの」などと冗談で言うものだから、簡単に状況が覆るはずもないのだ。
◆
「ふ……くっ」
眉間に深く皺を刻み、苦しむヴィクトールの全身がぶるぶると震える。だがコーデリアは容赦しない。
ビシィ!!
二人きりの部屋に、鞭の乾いた音が響き渡った。
「立ちなさい!」
「ううっ……」
額から脂汗をたらし、ヴィクトールは全身の力を振り絞って立ち上がる。コーデリアは三度鞭を振るった。
ビシッ! バシッ! ビシィッ!!
一定の間を取りながら三度目の鞭が鳴らされた時、ヴィクトールはそれまで必死に持ち上げていた重い砂袋をドシャッと足元に落とした。
「ううう……リア、やっぱりこのトレーニング、ちょっと厳しすぎるよ……」
「文句言わない! はい、これも飲む!」
コーデリアは事前に用意していたお手製の栄養剤をヴィクトールに手渡す。残念ながら味の改良はまだ成功しておらず、野草の青臭さと苦味がしっかりと舌に残る。
「うぇ……マズい……」
ヴィクトールは顔のパーツをギュッと中心に集めた。だがコーデリアはお構いなしに手にした馬用の鞭でビシッと壁を叩く。
「はい、休憩終わり! 次は腕立て伏せ50回!」
ちなみに、彼女が鞭で壁を叩くのはタイミングなどの合図のためである。
最初の頃はコーデリアが両手をパンパンと打ち合わせて音を鳴らしていたのだが、つい気合いが入りすぎて両の掌が真っ赤になっていることが度々あった。
妻を溺愛するヴィクトールが「リアの可愛い手がこんなになるのは耐えられない……!」と言うものだから、鞭で壁を叩く方式が採用されたのである。
「はあ、はあ……リアは厳しいなぁ」
「あら、じゃあ旦那様を毎晩虐げる悪女の役はもう辞めることに致しましょうか?」
コーデリアが悪戯っぽく笑って言うと、ヴィクトールは慌てて前言撤回する。
「うそうそ! 頑張るよ! せっかくリアのお陰で健康になったんだから!」
「ええ、これからも頑張ってずっと健康でいてくださいね」
二人はクスクスと笑い合い、そして見つめ合う。
「リア……」
「旦那様」
二人は愛を込めて口づけを交わす。ヴィクトールはたった今腕立て伏せで疲労困憊になっているにもかかわらず、その腕をギュッとコーデリアに巻き付け、抱きしめた。
「俺はこれからもずっと健康でいなくてはな。リアに害をなす者は俺が全て排除するよ。命あるかぎり、君を守る」
「? ……はい」
コーデリアの特訓と栄養剤により体力を付け、ノーマンの協力もあって病気を克服したヴィクトールがまず最初にしたのは、報告書をまとめることだった。母親の悪事を徹底的に調べ尽くし、その報告書に証拠を添えて父親に提出したのだ。
元公爵夫人は、いかがわしい『裏』の社交場で仮面を着け、火遊びを楽しんでいたらしい。そして同じ場でコーデリアの義母と義妹に出会い、コーデリアを悪女に仕立てあげ、ヴィクトール殺害の罪を着せる計画を三人で立てていた。
似た者同士、やることも同じようで。どうやら元公爵夫人が溺愛していたヴィクトールの弟は、ベルトラン公爵の血を引いていない可能性がある。
そしてスザンヌはデヴォン伯爵の血を引いていなかった。生まれつきは茶色い髪だが薬剤を使ってオレンジ色に染めていたそうだ。その薬剤の副作用により、今スザンヌの髪は抜け落ち、肌はボロボロになっているらしい。
都合の悪いことは何がなんでも他人のせいにしたいスザンヌは、知人にこう伝えているそうだ。
「私がこうなったのはお姉様のせいよ。ずっと虐められていたし! それに私が公爵夫人になる予定だったのにお姉様に婚約者を奪われたの。そのストレスで病気になったのよ!」
だが、その言い分も長くは続かないだろう。ヴィクトールがコーデリアを守るため、義妹が接触したくとも全てブロックしているのだ。一年半の間、一度も会っていないのならばどうしたって話の辻褄が合わなくなる。
事実、今日の夜会でもコーデリアに接触しようとしたのは軽薄な男と考え無しの令嬢だけ。他は皆、噂を半信半疑で様子見しかしなかった。このままゆっくりと潮が引くのを待てばいい。
コーデリアは詳しいことは知らない。ヴィクトールが教えていないから。元公爵夫人がベルトラン公爵家から離縁され修道院に入った理由も、デヴォン伯爵家が今大騒ぎになっていることも。
(リアをこれ以上苦しめたくない。やっと「私、悪女ですから旦那様を虐げていますの」などと冗談で言えるようになったのに)
ヴィクトールは今まで苦労してきた分、コーデリアには楽しいことや嬉しいことだけ与えていたいと思っている。腕の中の妻をもう一度しっかりと、しかし宝物を扱うように優しく抱きしめた。
「俺の可愛い、最高のリア。永遠に君を愛すると誓う」
「まぁ……私も、ずっと貴方を愛しますわ」
頬を染め幸せそうなコーデリアの顔を見たヴィクトールもまた、実に幸せそうだ。二人は再び唇を重ね、そして共に寝室に消えた。
今夜はもう、鞭は必要なさそうである。「虐げられ」の時間は終わり、二人の間には甘い時しか流れないのだから。
今回は理由があり、駆け足展開になってしまいました。(実は良い奴なヴィクトールの弟とか、コーデリアの親友の令嬢や、ノーマンに嫉妬するヴィクトールとか書きかけたんですが全部カットしちゃったので……。)
そのうち追加するかもしれません。
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