第三話 オチドリの実と野草スープ(栄養剤)
彼女は草原を駆け抜け、とある農村に向かう。
屋敷からはそう遠くない場所に比較的大きな街があるが、そこでは義妹のスザンヌや使用人たちが度々買い物をしているので鉢合わせる危険がある。だから息抜きをするには誰も興味を示さない、街とは反対方向の小さな農村が良いだろうと訪れたのがきっかけだ。
そこで今の師と出会って以来、コーデリアはこの村に頻繁に通うようになっていた。村の薬屋兼診療所の役割を担う小さな家にやってくると、コーデリアは馬を傍らの木に繋ぐ。
「ノーマン師匠! お邪魔します!」
「ああ、コットか! ちょうどよかった。手伝ってくれ」
「はいっ、手を洗ってきますね!」
診療所の主、薬師のノーマンは患者の診察中だった。他にも数人の患者が待っており、小さな待合室はぎゅうぎゅうだ。
コーデリアは身分を偽り、山を越えたふたつ先の村に住む平民の娘「コット」と名乗ってノーマンに弟子入りしている。
「先生、助けてくれ……何を食べても全部吐いてしまうんです……」
「そりゃあ大変だ。何か悪いものでも食べたろう?」
青い顔でフラフラとやってきた患者の男は、薬師に藪から棒に言い当てられ、気まずげになった。
「え、いや……」
「よほど腐ったものか、毒のある植物を食べたか」
「……実は、あまりに腹が減って、森で見つけた旨そうな木の実をつい」
「なんだと? その実の特徴を! 色や形や大きさは!?」
「ええと、ピンクで丸くてこれぐらいの大きさで、高いところに生えてて……」
「旨そうと言ったな? 食べた時に苦味や舌に刺すような刺激は?」
「いや全然。甘くて旨かったけど。でも少し後からゲーゲー吐いて」
ノーマンはふっと息を吐き、コーデリアを見る。彼女もうなずいた。その実については知識がある。患者が猛毒を誤って口にした時に、逆に催吐剤として使うこともあるからだ。
「多分……オチドリの実ですね」
「ああ、俺もそう思う」
「お、オチドリの実?」
「毒性は大したことがないが、猛烈な吐き気をもよおす実でな。うっかり食べた鳥が空から落ちると言われているほどだ。全部吐ききって一旦腹を空っぽにすれば大丈夫。あとはゆっくり薄い粥でも食べて大人しくしてろ」
「でも。もう今日は腹がぺこぺこなのに、何を食べても……水を飲んでも戻しちまうんです」
「ん? あ、もしかして完全に空っぽになる前に何度も食べては吐くを繰り返さなかったか?」
男は青い顔を一層青くした。
「え……ダメだったんですか?」
「あー、ダメだな……多分、身体に吐きグセがついてしまったんだ。こうなるとまずい。水を飲んでも吐くってことは水分も栄養も取れなくなってしまう。最悪……死ぬ」
「えええ……そんな」
男は泣きそうになるが、既に身体の水分が足りていないのか涙は出ていない。ノーマンはコーデリアの方を再び向いた。
「コット、俺が出した宿題を今回もやってきたか?」
「え? あ、はい!」
コーデリアは先ほど作った野草スープの小瓶を数本、籠から取り出す。ノーマンはその一つの栓を開け、匂いを嗅いでから一気にあおった。そして顔のパーツをぎゅっと中央に集めたかのように酷くしかめる。
「ぐうううー、マズイっ!! ……だが良い出来だ。ちゃんと俺が言った材料を集めて、良い配合で美味く煮出しているな」
「は、はい。ありがとうございます!」
「よし、これにこの薬を調合して……そら、飲め」
ノーマンは小瓶に粉薬を追加すると、ずいと患者の鼻先に突き付ける。彼は慌てた。
「えっ、それほどマズイなら、絶対吐き戻しちまうよ!」
「つべこべ言うな。死にたくなければさっさと飲むんだな」
「うう……」
患者はいやいやながらも、小瓶の中身を飲み干す。
「うげぇ、ヒドイ味だ……あれ? オエッてならない?」
「さっき吐き気止めの薬を追加しておいたからな。それにこれは味はマズイが、最高の栄養剤なんだぞ。だから病気や栄養失調の時には最適なのさ」
「へえ……これ、コットちゃんが作ったのか? 流石ノーマン先生の一番弟子だね!」
「あ、ありがとうございます……」
コーデリアは照れつつも喜びを隠さなかった。彼女はこの野草スープもとい、ノーマンにレシピを教えて貰った栄養剤を丁寧に煮込んで作り、毎回宿題として持ってくる。そしてノーマンに飲んで出来を判定して貰う。
忙しいノーマンが手軽に栄養補給をしたいが、自分でじっくり野草を煮込む時間はないから弟子にやらせている……という側面もあるのだが、コーデリアにとっても薬師としての修行になるのだから悪い話ではなかった。
(いつかこれの味を改良して、デヴォン伯爵領の名産品に出来れば良いのだけれど)
今は家族に衰弱死を願われる身だが、あと一年半の期間をなんとか生きのび、18歳の成人となれば年に一度王宮で開催される夜会に出られる。出られるというよりも、家督を継ぐはずの第一子はその顔見せを兼ねているので参加が義務でもある。
コーデリアがそこに参加しなければ流石に勘ぐられ、王家からの遣いが調査に来るはずだ。そうすれば彼らの悪事を白日のもとに晒し、彼女は伯爵位を継ぐことができると考えていた。
だからコーデリアは、将来のデヴォン伯爵領のこともきちんと考えていた。この栄養剤を新たな名産品として売ることができれば収入も増え、領民の暮らしも良くなると――――
「先生、お代は……」
「ああ、いいよいいよ。腹が減って知らない実を食べるくらい、生活に困ってるんだろ?」
「面目ねえ。最近また税金が上がって、苦しくてな」
コーデリアの思考は、二人の会話を耳にしてはたと止まる。
「え?」
思わず声を出したコーデリアに、二人の男の目が向く。患者が不思議そうな顔をした。
「なんだ? コットちゃんの村では税が上がってないのか? うちの村では大変なんだけどなぁ。麦を育てても、ほとんど上前をはねられちまうんだ」
ノーマンの目がキラリと光る。
「ああ、たしかコットの村では農作より、山での狩猟がメインで生活しているんではなかったかな? だから狩った獲物で一番良いやつを領主様に献上して税を免除して貰っていると思うが」
「あ、そ、そうです!」
ノーマンの思わぬ助け船にあわてて話を合わせるコーデリア。それを聞いた患者は口を尖らせた。
「なあんだ。税が軽いなら俺もそっちに引っ越そうかと思ったけど、狩りなんてしたことがないから無理だなぁ。全くワガママなコーデリア様のせいで、こっちはヒドイもんだよ」
「えっ!?」
コーデリアは先ほどよりも更に大きな声で聞き返す。患者はその勢いにびっくりしたが、すぐに笑いだした。
「うちの村もまあ大した事はないが、コットちゃんの村はかなり田舎なんだなぁ! 領主様の娘の名前も知らないのかい? コーデリア様って言うのさ」
「あ、あ……そうなんですか」
知ってるも何も、そのコーデリア当人なのだが。髪も服も薄汚れ痩せ衰えた今の姿では信じて貰えるわけがない。
「王様が決めたルールで、次の領主様になるらしいが……大変なワガママで、贅沢三昧の御方なんだよ。そのせいで税金が上がってるって皆ウワサしてるよ」
「そ、それは何かの間違いとか勘違いなのでは……?」
「いやいや、本当だよ。あっちの大きな街に行ったことはあるかい?」
「はい、昔は……」
「あそこは領主様のお膝元の街でね。領主様の一番目の娘のコーデリア様がしょっちゅう買い物に来るのさ。あのオレンジの髪の毛は見間違うはずがないよ」
「オレンジの髪……」
「そうそう、オレンジ色の髪の毛なんて珍しいだろ? いつもきらびやかなドレスを着て、街でもやりたい放題だよ。俺の知り合いの知り合いがあの街で店を開いてるそうだが『税金の代わりに貰っていくわ』と店で一番良い品を金を払わずに奪われたとか」
コーデリアは唖然とした。勿論全く身に覚えのない事だが、領主の娘を名乗って金品を奪うなどの事件があれば普通は領主が否定して偽物騒ぎになるはずだ。しかしそうはならず、しかも犯人はオレンジの髪を持ち着飾っているという。
(スザンヌが私の名を騙っているということ? お父様もグルで……でも、なぜ?)
理由はわからなかったが、なんにせよ自分の名誉を汚されるのはいい気持ちがしない。コーデリアはスカートを握りしめ、こう言うのが精いっぱいだった。
「そうですか……それは困った話ですね」