第二話 虐げられていたのは妹の方ではなく……
この国では『王族や貴族はごく稀な特例を除いて、能力や性別に関わらず、王位や爵位を第一子が必ず継ぐこと』という法が定められている。
過去の歴史上で王位継承問題が激化し、さらに各々の王子や王女の後ろ楯となった貴族の家も、次男や三男が混乱に乗じて家を乗っ取ろうとする騒ぎが勃発。血で血を洗う争いが国中で起きた為に制定されたものだ。
当然、デヴォン伯爵家の一人娘であるコーデリアも伯爵家を継ぐ事が決まっていて大事に扱われていた。コーデリアの母が病死し、そこから一年も経たないうちに父が後添えを迎えるまでは。
「お父様お母様! 酷いの、お姉様が私を虐めて……!」
「まあ、スザンヌ、かわいそうに……」
「コーデリア! なんて事をするんだ!」
「待ってくださいお父様、私はそんな事は……」
「口答えをするな!」
義母の連れ子であるはずのスザンヌは、夕陽色に輝く髪を持っていた。コーデリアや父と同じ。そして義妹は母譲りの愛らしい顔立ちで父に甘え、事あるごとにコーデリアを悪者にしたのだ。そんな時父はいつも、スザンヌの味方をした。
コーデリアはその時17歳になる直前。スザンヌも数ヶ月後に生まれたとは言え、同い年の16歳だった。流石に色々とわかる年頃だ。例えば、母が自分を身ごもっている間に父が義母と浮気をしたのだろうと予想したのもそのひとつ。
うんざりしたコーデリアは、できるだけ義母や義妹と接触しないために自ら離れの建物に住まいを移すことを選んだ。離れに住んだとて自分が第一子であることには変わりがないのだし、建物は少々粗末でも手入れをして住みやすく変えていけば良いと考えたのだ。
だが、その考えは甘かった。
彼女が離れに移動した途端、昔からの気心の知れた使用人たちは、たった一人を除いて全てが義母と義妹により解雇されてしまった。新しい使用人たちは、義母や義妹にかしづき、コーデリアの世話をするどころか離れの屋敷そのものに寄りつかず、そして食事を運ぶ際にも彼女を侮っている。
けれども。コーデリアに粗末な食事をさせ、碌に世話もしていないのが表沙汰になればデヴォン伯爵家は大変な事になる。第一子を優先させるのは王家が決めた法だ。それに逆らっているのだから後ろ指を指される程度ではすまない。
だからこその、この仕打ち。わざと食事だけは本邸の料理人が作った立派なものを用意するが、不誠実な使用人に運ばせる。あとは両親はコーデリアに冷たい態度をとるだけでいい。
それでメイドもコーデリアを侮り、食事を勝手にすり替えている。そう、これは誰に指示をされたわけでもなく、屋敷の空気を読んだメイドの勝手な自己判断である。
そしてもしもコーデリアが栄養失調で亡くなった時には、父と義母はこう言うつもりなのだ。
「私達はメイドの所業に気づかなかった。確かにコーデリアは気難しく、私達とはろくに顔を会わせないし使用人に厳しく当たりもするが……まさか最も優先させるべき後継ぎの食事を、使用人がちゃんと運ばずに自分で食べてしまうなど誰が考える?」
元々メイドの独断なのだから、その罪を全て彼女に被せることが出来る。しかしこの愚かなメイドは両親の目論見に気づいていない。
だがコーデリアもまた、彼女に真実を教える気にはなれなかった。
「いただきます……」
コーデリアは提供された食事に加え、先ほど自分が作っていた野草のスープを啜る。それは独特の苦味が舌を刺し臭みが鼻腔に拡がる、何度食べても慣れない味だ。彼女は思わず顔をしかめる。
「うっ……」
「グフフ。じゃあ後で取りに来てやるから、ちゃんと皿を洗っておくんだよ!」
メイドは辛そうに食事をする彼女を嘲笑い、そして本来の仕事である皿洗いすらも放棄して本邸に帰っていった。
コーデリアは彼女の姿が見えなくなるとほっと息をつく。あのメイドは確かに愚かでろくでもないが、食事のすり替えと仕事をサボる程度で、それ以上コーデリアを傷つけようとはしない。
もしも彼女に真実を教えれば、あのメイドはコーデリアに意地悪をしなくなるかもしれない。だがその後どうなるかは簡単に予想できる。
このデヴォン伯爵家で、表立ってコーデリアの味方となる人間は誰もいないのだ。もしもあのメイドが馘にされたら、次にこの離れを担当する使用人はもっと酷いことをするかもしれない。だからコーデリアはこの程度の意地悪で妥協しているのだった。
「ふう……ごちそうさまでした」
苦みと臭みのきつい野草スープをなんとか飲み干したコーデリア。鍋に残ったスープを何本かの小瓶に詰め替え、空いた鍋と食器を水場まで運ぶ。ひとりブツブツと呟きながらそれらを洗った。
「これ、やっぱりニガセリ草とゴルヤの実の味がネックだわ……でもこのふたつは強壮剤としての効能や栄養価を考えると外せないし……」
実はコーデリアが貧しい食事でも文句を言わないのは、お手製の野草スープによって栄養を補給できているのもある。最初はひもじさから庭に生えていた草をヤケクソで食べたのがきっかけだったが、その効能に気づくと俄然興味を持ち、研究心に火が着いたのだ。今では薬草に詳しい師匠に習い、その腕を格段に上げていた。
「さて……」
鍋と皿を洗い終わった彼女は髪をざっと一つに結び、蔓で編んだ籠を手にして庭に出た。デヴォン伯爵家の屋敷の庭は広く、奥はそのまま森に繋がっている。
彼女は森の入り口辺りで野草を摘んでは籠に入れながら、そっと横目で本邸の屋敷を盗み見る。昔は彼女の母の、今は義母のものである女主人の部屋の窓に人影がチラリと見えた気がした。
(よしよし、疑われている様子は無さそうね)
コーデリアはそのまま、野草を探すふりをして森に分け入る。少し進み、森の木々が目隠しをしてくれる場所までくるとスカートの裾をからげて走り出した。
そのまま森を突っ切り、デヴォン家の敷地の外へ出る。森が終わり開けた草原にポツンと立つ木があり、そこに栗毛の馬が繋がれていた。
(ああ……良かった。ありがとう)
コーデリアは伯爵家に仕えている馬丁に感謝した。
昔からの使用人のうち、馬丁だけは簡単に入れ替えが利かなかったのと、彼は表向きはコーデリアに親切ではなかったので馘にされなかったのだ。だが実は彼は無愛想なだけで、昔から亡き母とコーデリアを敬っていた。だから時々こうして馬をこっそり都合してくれる。
「えいっ」
彼女は鐙に足をかけると慣れた体捌きで身体を引き上げ、ひらりと馬に乗った。女性らしい横乗りではなく、スカートのまま跨がっているので、もうこれで完全に令嬢には見えない。
「ハッ!」
手に持っていた籠の中には馬用の鞭も隠してあったのだが、馬丁は良い馬を用意してくれていたらしく手綱の動きと横腹を蹴る合図だけでコーデリアの思うままに走ってくれた。
※作中に出てくる植物の名前は、全て架空のものです。