冒険者は料理に耽る
新しい職場に転属し一週間。唐突に行方をくらませたバイゼイル冒険者ギルド支部長、ランベル・ヴィンドが残した仕事を連日の徹夜によって消化した七日目。日の出と共に本部から届いた伝令は目を疑った。
[キィス・リグルハッドの迷宮先行調査を許可する]
六徹の睡魔と戦いながら受け取ったのだ、これは何かの間違いだろう。目を擦り、再び伝令見るも、書いてある事は替わらず真実と受け止める。
「先日、新たな迷宮が複数発生したという話は聞いたが、本部は本気か……?個人に許可を……そもそも何故許可がでたのか……」
不服にも覚めた頭で考えるもこれといった答えはでない。早急にキィス・リグルハッドの資料を夜勤の職員に集めさせ目を通す。
キィス・リグルハッド。鋼鉄階位の冒険者。鋼鉄階位というのは、その冒険者事の力量や経験を評価したものであり、最上位に金剛階位、最下位に銅階位がある。鋼鉄階位がどの当たりに位置するかというと、脅威の低い魔物を単独で討伐、迷宮の上層での護衛ができる程度であり、才能のない者の終着点として、冒険者ギルドを構成する人員の三割を占める階位である。
「見れば見るほどわからないな……」
頭を悩ませていると、資料を持ってきた職員から声がかかる。
「うわっ……ロノガ支部長、凄い隈ですよ。」
「そういうミリア君もなかなかですよ?」
支部長補佐であるミリアも、同じように降り掛かった仕事の処理をしていた。長い黒髪は纏めているが、所々解れ、目の下にはしっかりとした隈が鎮座していた。
旧支部長が居なくなってから数日して私が配属されたのだから、ミリアの疲れは相当なものだ。しかし、それでも業務をそつなくこなしている。
「「はははは……」」
お互いの掠れた笑いが重なる。二人とも限界が近かった。
逸れた話題を戻すようにミリアが話はじめる。
「先行調査の許可が個人にでるなんてびっくりですねー。まあ、キィスさんならありうるんですかね?はぁー、キィスさんが初めて迷宮に行った時が懐かしいです…………新人がたった半年でこんなにも……それに比べて私は……」
「彼は半年で鋼鉄階位になったのか。資料には功績もほとんど載っていないが、どんな人物なんだい?」
「……はい。キィスさんはー、そうですねぇ。装備不十分で銀階位を逃した冒険者……料理人ですかね?」
装備があれば銀階位になる逸材だったのか。そもそも冒険者なのに、職員に料理人と評価されてるのか。そんな疑問が言葉になる前に話は続く。
「キィスさんの作るお料理は絶品で、特にお酒が凄いんですよ。迷宮で取れた果実で作った果実酒は本当に……、是非とも、ロノガ支部長にも飲んでほしいですね!あっ、勿論お料理も美味しいんですよ?以前ギルド併設の酒場で作って頂いた角兎のエールソテーは衝撃でしたね。いままで食べていたお肉がどれだけ粗悪な調理をされていたかわかってしまったというか……」
人物を聞いたはずなのだが、ほとんどが料理の話だった気がする。そして本当に美味しそう。いや、実際美味しいのだろう。彼の話をするミリアの表情は非常に緩んでいる。
「あー、すまないが彼の人物像をだね……」
ぐぅーと腹の虫が空腹を告げる。六徹において食事は最低限の軽食しか食べていない。脳裏に浮かんだ食べ物を欲しているのだ。
「ロノガ支部長、六徹……でしたっけ?」
「ええ……」
「私、そろそろ貯まった仕事も落ち着きますし、休憩ついでにご飯食べませんか?」
時間は有限だ。新生の迷宮とあれば未知の領域であり、危険は勿論だが、それ相応の利がある。素材、土地、そして魔石である。この中で最も重要なのが魔石だ。生活、仕事、財、力の全てに直結する。そのため危険を承知で先行したい者も多くいる。特定の人物に先行の許可をだそうものならば多くの冒険者から批判を受ける事だろう。その批判の処理を考えるだけで頭が痛くなる。対処は早ければ早いほど良い。
「いや、この仕事は早急に対応しないと……」
ミリアも分かっている事だろう。支部長補佐の立場でも仕事は増えるのだから。それなのに何故こんな提案をするのだろうか。その答えは考えを巡らせる前に出た。
「キィスさんに話を聞くついでならどうです?」
つまり、ご飯を食べるというのはキィス・リグルハッド本人に料理を作ってもらうという事だ。しかし、簡単な疑問が残る。
「いや、彼は冒険者だろう?そんな都合よく彼と予定が会うのかい?」
「恐らくはもう数時間で帰ってくる思いますよ。キィスさんは迷宮に入って必ず一日以内に帰ってくるんです。なんでも、鮮度が命だとか。それに、お料理をご馳走して頂く約束をしましたので確実です。報告もギルドですし、そのまま酒場の厨房をよくお使いになるんですよ。」
キィス・リグルハッド……よくわからない人物である事はかわらないものの、ミリアの話を聞く所、会う事は容易だ。急ぎやる仕事は他にない。そして眠気も限界を迎えつつある。
「じゃあ、そうだな……彼が来るまで寝させて貰おうかな……」
久方ぶりの睡眠。椅子にもたれ掛かると、身体から力抜け、意識が遠退いていくのを感じる。
「はい!私も少し仮眠を取らせて頂きますが、他の職員に伝言を残しますので、ごゆっくりお休みください。起きたらキィスさんのお料理です……」
ミリアの言葉の最後に聞こえた微笑は疲れを感じさせるが、そのなかに密かな楽しみを感じとれた。
(彼の料理が気になるな……少し、楽しみだ……)
ミリアが退出し、部屋には静寂が訪れる。抱いていた不安には少量の楽しみが混ざり、中和するほどではないが、不安は確実に和らいでいた。
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バイゼイルは四方を他国に囲まれ、それを行き交う商人達が休息を求め集まり、町となった場所である。周囲は砂漠や荒野といった、恵まれた土地ではないものの、魔物の存在に脅かされる事も少ないという利点を持っていた。
魔物は迷宮から生まれる生物であり、迷宮は周囲から原石を集め成長する。バイゼイル周囲の環境はその成れの果てであり、魔物の生存が窮めて希な地域となっていた。一部例外を除いて。
バイゼイルはかつて迷宮であった火山を攻略し、無力化した上に出来上がった。巨大な火口部分は砂に埋もれ、それを囲う岩壁は砂嵐を防ぎ、人の住まう環境を保つのに一役を買っていた。けれど、人という種族は体内に魔力の原石を持ち、集まった微小の原石は、迷宮の再生を意味した。火口部分に新たに生まれた迷宮は再び山の形を成し、山の中に山が存在する奇妙な空間が出来上がった。
バイゼイルは町の中に迷宮を内包するという、負債を得てしまうが、結果としてそれはバイゼイルの繁栄に繋がった。魔物の出現は傭兵という仕事を生み出し、迷宮は外界とはまったく違った生態系を成していた。その迷宮から採取された資源はバイゼイルの特産品となり、それを扱う商人が生まれた。そうして迷宮と人は共存し、やがて傭兵は迷宮の最深部を目指す者として、冒険者と呼ばれた。
(黒髪で白っぽい肌、目は緑色で背が低い……)
日中のバイゼイルの通行量は他国の比にならない。他国との面積的な問題もあるが、商人達が人を呼び込み、見渡すあちらこちらで取引が盛んに行われている。
多くの人間が行き交う中、言われた依頼人の特徴と合致する人物を見つけるのは至難の技だが、レネアにとっては他愛ない事だ。
(あ、あの人かな?)
迷宮に向かう一人の人物を見つけ出す。外套を被り、隠れた場所は多いものの、人の群れの中でポツリと穴の空いた様に出来た段差が身長の低さを際立たせていた。時折見える白色の肌はバイゼイルの中でも珍しい。緑色の瞳が決定的だ。
バイゼイルの人混みは迷宮に近付くにつれ薄くなる。迷宮に用事のあるものは冒険者か、一部の商人だけだ。人混みから抜けた人物に声をかける。
「すいません、リグルハッドさんですよね?」
レネア自身あまり身長は高くない。それでも頭一つ分小さい身長は、まるで子供のように見える。魔導石の影響で身体に影響を与える事がある、小さいからといって子供であると判断するのは早計だ。
「ああ、そうだが。」
(ふぅ……あってた。迷宮の前とかじゃなくて、ギルドとかにすればいいのに……)
依頼人であった事に安心する。本来であれば、ギルドや商会などが用意した場所で合流するの物だが、今回の集合場所は異端だ。
「レネア・カストレアです。中層までの護衛という事で、オアシス商会から参りました。冒険者ギルドでは銀階位で登録されていますのでご安心ください!」
冒険者ギルドからではなく、商会を通して依頼を受注することはそう多くない。固定の依頼人がつくというのはごく一部であり、オアシス商会に雇われているレネアにとってそれは誇りであり、自信の源となっていた。
(商会からの依頼なんだから、この人はきっと重要な人なんだろう。失礼が無いように気を付けないと……)
一般の依頼を受け入れる冒険者ギルドと違い、商会を通して依頼をできる人物は限られる。少なくとも取引をしている商人、もしかしたら上客の貴族の可能性もある。
「待たせたみたいだな、すまん。よろしくたのむ。」
「よろしくお願いしますっ!」
握手する手を差し出した時、羽織っている外套の内部がちらりと見える。握手に応じたレネアはその外見に違和感を感じた。
あまりにも軽装なのだ。
肩掛けの鞄と腰のベルトに括り着けた皮袋、ネックレスのように首から下げたナイフだけである。一方でレネアの装備というと、日頃から愛用している雷剣一閃に炎剣火花、作業用ナイフ、身を守る鎧。護衛として必要な物以外に、中層までの食料、水、回復の魔法薬、毛布、天幕、松明、ランプと必要な物は多岐にわたる。これらを鞄に詰め纏めるが、装備と合間ってそれなりの重量となる。
(流石に聞かないと駄目だよね……?もしかしたら迷宮とかに慣れてなくてわからないだけかもしれないし……)
必死に考えた丁寧語で恐る恐る問いかける。
「あっ、あの、迷宮の中層まで行くのには装備が不十分だと思うのですが……?」
「フェルテ副会長から何も聞いてないのか?」
(ああ、やってしまった……)
顔色が悪くなったレネアを見て、依頼人は咄嗟に言葉を紡ぐ。
「あ、いや、フェルテ副会長が言いそびれたんだな。フェルテも多忙だからな。依頼内容はなんて聞いてる?」
「中層までの護衛、と……」
レネアは今回の依頼内容は‘キィス・リグルハッドの護衛’の他、中層に行く事以外に詳細な説明は受けなかった。依頼人が公にしたくない場合など、隠す理由がある。であれば追及はせずに護衛に徹するするつもりでいた。
「そうか、そうだな。護衛をさせて様子を見ようという事なのか。依頼内容だけど、俺の仕事を見て覚えて欲しいのと、戦闘は避けずに好戦的に行く、それくらいだな。それと、装備はこのままで大丈夫だ。」
このままで大丈夫。レネアにはその理由が分からなかったが、依頼人が言うのであればそれ以上問うことは出来なかった。
「わかりました。よろしくお願いしますっ!」
「それじゃあ行こう。」
そうして二人はバイゼイルの保有する迷宮に足を踏み入れた。
バイゼイルの迷宮は比較的危険が少ない。上層は常に人の出入りが一定数あり、常駐の冒険者が魔物の流出が無いように見張っている。中層へ向かう道中も、最初のうちは農地があるほどだ。しかし、それも長くは続かない。
上層が終わるころになってくると、魔物をちらほらと見かける用になり戦闘を余儀無くされる。隠れてやり過ごす事はできるが、上層で足止めをされるようでは中層にはいけない。銀階位であるレネアは呼吸を乱すことなく魔物を処理する。
「これで終わり!」
茶色の土に赤黒い血と小鬼の死体が転がる。頭に小さな角を生やした小柄な亜人だ。知能は低く、野生動物と変わらないが、群れで行動する好戦的な魔物だ。無惨に切り裂かれた傷口からは雷に撃たれたかのような亀裂が広がっていた。
(決まった……!)
レネアの愛剣一閃は雷を宿す魔剣であり、切り裂かれた対象は更に雷の追撃が発生する。小さな傷であれ、その電撃は広がり、内部まで損傷与える。そして何よりレネアが気に入る特徴が、多少の血であれば手入れすることなく電撃によって綺麗に蒸発する事だった。軽く一閃を振るうと、血によってくすんだ刀身は輝きを取り戻す。腰の鞘に納め、身だしなみを整える。
「いい手際だ。余裕を感じる立ち回りだった、流石は銀階位だ。」
依頼人から賞賛の声が掛かる。当たり前だが、戦闘に参加していない。隠れていた訳ではないが、距離を開け、レネアの戦闘を観察していた。
「でも、だ。レネアの実力なら魔剣の能力を使う必要は無かったな。」
レネアは護衛の際、依頼人に分かりやすく実力を見せる事にしている。勿論、全力ではないが、依頼人を安心させるためにも多少魔力を使用しても良いと思っていた。余裕のあるうちにカッコつけて賞賛されるのが好きというのも若干の要因ではあるのだが。
レネアが言葉を返す前に話は続いた。
「気張っているのかも知れないけど、魔力と体力は温存しておいて。勿論、レネアが魔力を使うべきと思うなら使って。それとそいつらの魔導石を回収して。三、四個程度でいい。」
反論するつもりも無かったが、反論する機会を失った。
「は、はい……」
レネアはしぶしぶと小鬼から魔導石を回収する。ナイフを取り出し、小鬼の心臓を抉る。小さな豆程度の魔導石を心臓の隙間から取り出す。魔導石用の皮袋に入れ、通りすがりの川で軽く手を洗った。
中層への道のりは銀階位のレネアにとっては、護衛をこなしながらでも容易な道のりだ。空はまるで晴れた日のように明るい。普通の森のような場所だ。天井は遥かに遠くだが、光苔という迷宮由来の植物が光を発している。これもバイゼイルの特産品のひとつだ。そして魔物自体もさほど強くない。数は多いが、鉄階位の小隊であれば問題のない程度だ。
しかし、それでも事ある度に注意が続いた。まるで揚げ足を取りたいのではないか、そう思える程に理不尽な注意もあった。
険悪な空気の中、沈黙に耐えかねたレネアが恐る恐る話しかける。少しでも打ち解けられれば、そんなことを考えながら顔色を伺うが、身長の低い依頼人の顔は外套によって隠され見ることはできない。機嫌が悪いのではないか、そう思ったレネアは刺激しないように丁寧な言葉を見繕う。
「少し、お話ししても……よろしいでしょうか……?」
「別に良いが、何を話す?」
「えっと、リグルハッドさんは何をしに中層へ行くんですか……?」
話題を考えていなかったレネアは咄嗟に思い付いた話題を口にして瞬時に後悔した。
(あーっ!私のアホ!バカ!言いたくないから依頼内容に無かったのに、なんで聞いちゃうの私ぃ!)
戸惑った依頼人は若干の沈黙の後、小さな声で恥ずかしそうに答えた。
「料理を作るのに、素材が欲しくてな………。今が旬の食材があるんだ。」
意外な返答に返事が遅れる。中層の素材と言えば、岩人形の魔導石、鎧百足の甲殻、大水玉の魔力溶液など、貴重な素材が思い浮かぶ。食べたら無くなってしまう食べ物に、命を掛けるのは何とも不思議な気分がした。それと単純にどんな食材で、味がするのか気になった。
「……それって美味しいんですか?」
「とっても美味しいぞ。キィス兄が作る料理はなんでも美味しいが、貴重な食材はそれを軽く越える。葉っぱはしゃきしゃきしてスッキリしてて、球根はもちもちで甘くて、花はちょっと辛いけどまた食べたくなるんだ!」
話す事に夢中になった依頼人は、まるで子供のようだった。話を終えてレネアと目が合うと、外套を深く被り、赤く染まった顔を隠した。
代わり映えに驚いたレネアだが、その話の前半、聞き流してはいけない単語を捉えた。
「キィス兄……ですか?キィスさんはキィスさんじゃないんですか?」
キィスと思っていた依頼人を指差し、確認する。正常に戻った口調でキィスと思わしき人物は答えた。
「わた……俺はイリスだぞ。キィスは俺の兄だ。」
「えぇ!?え、ええぇぇ!?」
中層へ向かうにつれ、天井は低く、光苔は少なくなり、そして周囲から光が無くなる。バイゼイル迷宮の中層だ。松明を突き立て、天幕を張る。レネアは慣れた手際で夜営地を整える。簡易的なものだが、休憩する分には十分だ。
「キィス・リグルハッドさんの妹さんだったんですねー。お名前の確認をしなかった私の不備です。」
レネアは周囲から集めた薪を一纏めにする。炎剣火花を抜き薪の中心に埋める。次第に煙が上がり、暖かい火が燃え上がる。
「わた……俺も勝手に解釈してた。ごめん。レネアはキィス兄の護衛だったんだな。てっきりフェルテの依頼で来たんだと思った。」
(わたっ言った……俺って言うのは意識して言ってるのかな?)
「依頼ってどんな依頼だったんですか?」
依頼人でなかったというのもあるが、話してみると子供が背伸びして話しているような気がして微笑ましく、自然体で接することが出来ていた。
「中層の素材を回収しに行けるように鍛える依頼だ。レネアだったら十分強かったから問題ない。……レネアはこれからどうする?」
「これからですか?」
「レネアは強いからここからでも一人で帰れるだろ?キィス兄の護衛があるなら帰った方がいい。」
レネアに選択肢は無い。帰るにしてもイリスを置いて帰る事はあり得ない。銀階位でも命の危険がある場所に一般人…ではないかもしれないが、そんな人を置いていけば待ち受けている未来の想像は容易い。
「イリスさんを置いていけないです。ここはもう中層ですし、私でも危ない魔物もいっぱいいるんですよ。」
「知ってるし、問題ない。俺はレネアより強い。」
何を言っているのかわからない。イリスは自分より強いと言われても直ぐには頭が受け付けなかった。
その間抜けなレネアの顔を見て察したイリスは、徐に右手をかざす。近くに生えた木に手を向けると、圧倒的な風が木を吹き飛ばす。
「…………本当ですか?!」
「本当。戦うのは得意だ。」
木はドスンと音を立てて地面に打ち付けられ、焚き火の炎は掻き消された。
迷宮は上層、中層、下層に分けられる。上層は開拓され商業区域になっている所を含めても全体の一割にも満たない。上層と中層を分ける分かりやすい境界は無い事が多いが、バイゼイル迷宮の上層は地上のように森が広がり、中層となると次第に人工的な通路となる。螺旋を描くように地下へと潜っていくと中層からは枝分かれした道が多くの存在する。行き止まりも数多く存在し、魔物や自然の罠が冒険者を待ち構える。
「着いた。これを採取したら急いで帰る。」
「へ……こ、これですか……?」
中層の行き止まり円形に広がった空間にたどり着く。部屋の中央に真っ赤な花が咲いていた。イリスは立ち止まり、花の説明を始める。
「こいつが今回の採取目標、嚥下草の若葉だ。栄養を吸収して迷宮に還元する役割を持ってる。半年に一度生成されて、新芽の葉は歯切れがよく、茎は皮を剥いて薄く切れば、独特な弾力と苦味が癖になるらしい。根は磨り潰し団子にでき、球根はみずみずしい旨味がある。つまり、無駄にできる所はない。」
「イリスさん物知りですね。何処でそんな知識を知ったんです?」
「キィス兄が教えてくれた。」
レネアの中でキィスの人物像が勝手に連想される。イリス以上に強く、迷宮の知識に富み、なにより料理が上手い。そんな完璧超人が出来上がっていた。
「流石、イリスさんのお兄さんですね!すごいです!」
「そう、キィス兄はすごい。」
満足げなイリスを尻目に、レネアの頭は次第に嚥下草の事を考え始める。たった一輪しかない花の希少価値はわかっているし、そんな高価な物を手に入れる事は無いのだろうと。しかし、それでも口に出してしまう。
「私も嚥下草食べてみたいですけど、こんな小さい花じゃ一人分でもやっとですね……残念!」
「大丈夫、あれは餌。本体はもっと大きい。」
(やった……やった!)
「レネアにはまだ出来ないと思うから、やるとこ見てて。レネアならすぐに一人で取れるようになる。」
「わかりました……?」
(特殊な採取方法がある……のかな?)
上層で回収した小鬼の魔導石を花の近くに投げる。その瞬間、花を包み込むように巨大な植物の口が勢い良く現れた。閉じる口の中には鋭い針がいくつも生えており、呑み込まれようものならば、一瞬にして血まみれなる事は間違いない。
「うぇあああぁぁぁ!」
その巨大さに圧倒されレネアは尻餅をついた。飛び出した嚥下草は口だけでなく、その胴体部分をも露出させる。レネアの三倍はある巨体は、ぼったりと膨れたお腹のような体に木のような太い根が殺意を持って蠢いていた。
「下がってて。」
イリスは一言レネアに告げるとしなやかに飛び上がった。その風圧ではないのは確かだが、飛び上がるのと同時にレネアの体は後方に飛ばされた。
「まず、邪魔な根を切る。途中じゃなくてしっかり根元から。」
飛び上がったイリスに複数の根が振りかざされる。一度気圧されたレネアだが、すぐに持ち直し戦況を見る。
(空中じゃ避けられない!)
戦闘においてレネアは才能がある。常人であればイリスの動きを追うことさえ難しい。自分であれば確実に避けられない一撃がイリスに向けられているが、イリスは根を受ける体制を取らない。レネアが駆け出しそうになったとき、不思議な事が起こる。
振りかざされた根は、イリスを前に避けたのだ。まるでイリスの前に盾があったかのように受け流された。それも一度ではなく何回も。
「飛び上がれば根は打ち落とそうとしてくるから、真っ直ぐになった時に切る。」
嚥下草の根元に到達したイリスは、そっと手を当てる。弾けるようにして根一つが切り離された。嚥下草が痛みを感じる素振りは無いが、一層、根の攻撃は激しくなる。
イリスは距離置き、再び飛び上がる。根を受け流し、また一つ。その作業は戦闘ではなく、獲物の解体であった。
(すごい……)
根数が数えられる程になった頃、嚥下草の動きが変わる。再びイリスが距離を置いたとき、地面が盛り上がる。
「イリスさん!」
レネアが動き出すより根の動きは早い。根はイリスを掬い上げ、凶悪な口へと運ぶ。嚥下草は自分の根ごとイリスを呑み込んだ。
開いた口にイリスが出てくる様子はなく、嚥下草は新たな獲物を見つけた。イリスの時ほどではないが、複数の根がレネアに襲い掛かる。
「いま助けます!」
背負った鞄をそのままに、レネアは愛剣を構える。右手には雷の力を宿す一閃、左手には炎の力を宿す火花。魔力の消費など気にしない。鞄がなければ全力だ。
「せやああぁぁっ!」
振り下ろされた根を両断し、切り開く。根の凪ぎ払いは身をよじり回避する。そして体に近づいた時、嚥下草の動きが完全に止まった。
「止まっ……た?」
ずんぐりとした体に首はないが、嚥下草の口と体が切り離される。嚥下草は糸が切れたように倒れ、切り離された口が転がった。
「今回は珍しい。いつもは自分から入るんだが。……大丈夫か?」
ゆっくりと嚥下草から出てきたイリスに傷はなく、それどころか汚れ一つない。一方でレネアの装備は根を切った時に浴びた体液で淡い黄色に染まっていた。
「根を切り終わったら体内の魔導石を切り取る。そしたら口を切って終わりだ。」
「そっかぁ……」
実演ではなく、事前に説明が欲しかったとレネアは強く思った。一閃は輝き、火花は目映く、レネアは脱力した。
迷宮の行き止まり。円形に広がった空間には嚥下草が部位ごとに整って置かれていた。一部切り傷あるものを除いて。
「まずは魔力抜きをする。」
魔物は討伐した後も魔力を有する。その魔力が感情を持っていると怨霊種という新たな魔物になる訳だが、感情のない魔力でも他者の魔力を取り入れる事は非常に危険だ。怒り、恨み、後悔など負の感情でなければ、時間の経過と共に魔力は霧散する。しかし、食材において時間の経過は致命的だ。
「本来、魔力抜きは時間が掛かるが、時間を掛けずに魔力抜きする方法はある。レネアの魔剣と同じじように自分の魔力を送って、残留した魔力を押し出す。そのあと自分の魔力を回収すればいい。」
「それって浸食強化に似てますね。」
主に武器に魔力を流し、攻撃力を強化する術だ。普通の武器に魔力を送るため、劣化が激しいという難点がある。レネアが使用している愛剣は魔導石を組み込んだ魔剣であり、劣化することはない。鉄階位の頃、強敵を相手に剣を駄目にした思い出が蘇る。
(一回で壊れるとは思わないじゃない……)
「そうだ。回収は自分の魔力であれば出来る。自分の魔力を残さないようにな。」
イリスは簡単に言うが、浸食強化も大抵の使用者は魔力の回収などはしない。連続で魔物と遭遇する可能性がある場合、回収せずにそのままにしておいた方が効率がいいからだ。単に回収するという頭がない者も多いが。
「それで、こんなに一杯ありますけど、どうやって持ち帰るんですか?」
「俺が全部持ち帰る。レネアがやるときは……人をいっぱいつれてくればいい……のか?」
イリスは自分の言った事に疑問を持ちながら、手元の巨大な根を跡形も無く消失させた。
「イリスさんの魔導石は凄い能力ですね……」
イリスの手元で消えた根を見てレネアは確信する。原石が欲望によって魔導石に変化すると、その感情、求める物によって得る力が変わる。レネアの魔導石は貯蔵の力を持ち、限界を超える魔力を収用できる能力だ。強化、現象、操作、内包とある型の中で内包に属する能力。レネアはイリスの能力を自分と同じ内包型の能力と当たりをつける。
「物を出し入れ出来る能力……」
「大正解。よくわかったな。」
レネアの呟きは思いのほか大きな声だったようだ。隠すつもりは無かったイリスだが、ピタリと能力を当てたレネアに少し驚いた。
「なんか、ずるいです!」
迷宮に入る前のイリスの言葉を思い出す。
「イリスさん、ご飯も水も野営道具とか、何でもかんでも持ってたんですね!私がいっぱい荷物持ってるのがバカみたいじゃないですか!」
「便利だが、欠点もあるぞ。しまって忘れた物は全部出さないと出てこない。料理が腐って出てきた時はもう二度としまわないと思った。」
「うわぁ。」
「時間が勿体ない。鮮度が落ちる前に早く帰るぞ。」
話を切り上げ、黙々と作業に取りかかる。魔力抜きの終わった物から収納され、最終的に体液で黄ばんだ地面だけが残った。
ーーーーーーーーーーーーーー
頭が痛い。
目眩がする。
吐き気を感じる。
気分も悪い。
「最悪だ……寝過ごした……」
太陽は既に沈み、バイゼイルに夜の平穏が訪れた頃、一人の男が眠りから目覚める。
名前はキィス・リグルハッド。鋼鉄階位の冒険者で、オアシス商会を通して依頼したのにも関わらず、依頼を素っ放かした張本人である。
昨夜の記憶が曖昧だが、自身の体から匂う酒の香りが何があったのかを物語る。寝床から立ち上がると状態の深刻さが身に染みた。一歩踏み込めばふらつき、目線は定まらず、届かない頭の奥で鈍い痛みを感じる。
「水……水……」
酷く荒れた喉を癒そうと水を呼ぶが、何も起こらない。普段であれば即座に駆けつけてくる妹がいない。まだ、日が上っていた頃、妹のイリスが出掛けると言い残した事を思い出す。
意を決死て水瓶を目指す。その道のりは余りにも遠い。
無造作に転がった酒瓶は足の行く場を塞ぎ、散らばった重要書類を踏めば転倒は免れない。
壁に手を付きながら歩みを進める。ゆっくりと静かに。時折込み上げてくる物を無理やり飲み込み、まだ頑張れると自分を励ますが、歩く度に増す痛みが決意を揺らした。
(何故こんな苦行に耐えなければいけないんだ……)
部屋の隅にたどり着き、扉の取っ手に手を掛ける。体重が取っ手に掛かり、自然と扉が開くが、その勢いに振り回され、通路の壁に叩きつけられた。
「くそっ……」
壁に寄り添い、立ち上がる。服が木の壁に剃れるが、それを気にする余裕はない。時期に壁は直角に曲がり、終わりを告げる。一階が見える吹き抜けまでやって来たのだ。
手すりにもたれ掛かり、息を整える。
(階段を降りて……曲がって……厨房へ……)
キィスの寝泊まりをしている銀の酒坏亭は二階の木造建築の長屋であり、宿屋と酒場を兼営している。銀の酒坏亭に入れば、まず大きな長台と、それに見合う壁面の酒類が出迎えるだろう。広間となっている入り口は丸机がいくつも置かれているが、規則性はなく、客が各々に使った名残が見て取れる。
長台の隣の通路を進めば宿屋としての銀の酒坏亭が現れる。そのまま進めば裏口、道中の右側に厨房、左側には馬を入れる厩舎がある。
キィスが階段を降りた所はその通路に繋がる。酒場としての要人となっているキィスは厨房への出入りは自由である。水も勝手に飲んで良いかと言われれば、答えはいいえ。バイゼイルの水事情は八割が迷宮に依存している。そのため、水は高級品という程ではないが、それ相応の価値がある。
足が階段を見据えた時、下を通るラクレラと目があった。銀の酒坏亭の夜番を担当する作業員だ。制服は手入れがしっかりとしていて、汚れは勿論、シワ一つない。赤っぽく長い長髪は纏められ、前髪も髪止めで押さえられ清潔感を感じる。
「やっと起きましたね。お昼頃、キィスさんを訪ねてきた人がいましたよ。もう結構前に帰っちゃいましたけど。」
すこし不愉快そうな顔をしているのは、客を待たせたキィスに対してだろう。客の前に出れば直ぐに普段の笑みが戻るはずだが、キィスはその笑みを見たことがない。
「水を……」
キィスの呻き声はラクレラに届かない。もしかしたらあえて無視をしているのかもしれない。ラクレラはそれだけ告げると、いそいそとその場を立ち去った。
引き留めようと手を伸ばすが、平衡感覚を失っているキィスは階段を転げ落ちた。
(ここまでか……)
意識を失いかけた時、遠くから声が聞こえた。
「キィス兄は帰ってるか?」
「出掛けてすらないわ。丁度起きてきた所よ。そちらの方は依頼人?」
「今日、キィス兄の護衛を任されたレネアだ。キィス兄と俺を間違えてな。俺もフェルテの依頼があったから間違えた。キィス兄がどうしたか不安だったが、問題が無くて何よりだ。」
キィスはオアシス商会会長のカルバルとの約束を思い出す。
商館にベニルエールという果実酒を納品し、カルバルと味見と称して八本全てを飲み干したのだ。副会長であるフェルテにばれたら殺されると、秘密裏に素材を回収し、納品の遅れにしようという話だ。
今思えば頭が回っていなかったと反省する。ベニルエールを作るのには半年の期間の期間を必要とし、その大部分が酒の熟成期間だ。素材があろうと即座に作ることはできない。
「キィス兄、おはよう。そんな所で寝たのか。」
「おかえり、かわいい妹よ。」
黒くて艶のある髪の隙間から、緑色の瞳がキィスを見下ろす。イリスの差しのべた手を取り、キィスは立ち上がる。兄としての威厳を保つため、酒で気持ち悪いなどと弱音を吐かない。全力で平静を装っていた。
「早速で悪いが、水をもらえるかな?」
「わかった。」
イリスは何処からともなく硝子の杯を取り出し、その杯には既に水が注がれていた。銀の酒坏亭で使う杯は木製であり、高級品の硝子の杯はキィス専用に用意された杯だ。
硝子の杯を受け取ったキィスは、水を一気に胃へ流し込んだ。喉の不快感は水と共に流され、気分も多少楽になる。
「ありがとうな、イリスは優しくて可愛くて完璧な俺の妹だ!」
妹のイリスをくしゃくしゃに撫でる。イリスは恥ずかしがっているが、嫌がっている訳ではない。二人にとっては当たり前の行動だからだ。
「ほんとにそっくりですね……」
「ん、君はだれだ?」
「オアシス商会から依頼を受けました、レネア・カストレアです。本日はキィスさんの護衛という依頼だったのですが、レネアさんとキィスさんを間違えてしまいまして、お二方にご迷惑をおかけしました。その謝罪で参った次第です。」
深くお辞儀をするレネアにキィスは軽く言葉をかけた。
「へー、そう。まあ、そんなこともあるさ、気にすんな。イリスも別に迷惑じゃ無かったんだろ?」
(うん、これは俺がしっかり、起きて迷惑に行ってりゃこんなことになってないな……。でもまあ、レネアって子は自分が悪いと思ってるんだからそれで良いか。早いとこ話を終わらせて忘れてもらおう。)
イリスが迷惑と思わなかったかはわからないが、キィスはイリスの実力があれば、一人を介護しながら中層へ行くことが容易であることを知っている。普段であれば、キィスがイリスの重荷になっている所だ。
「レネアは強い。俺の代わりに中層に行ける逸材。」
「イリスが言うならそうなんだろうな。それでどうだ、一緒に行ったんなら、俺の妹がどれだけ可愛くて強いのわかったんじゃないか?」
「はい!イリスさんはとっても強くて可愛らしい方でした!」
うつ向いて顔を隠すイリスを見て満足したキィスは仕事の事へ頭を回す。
「そうだろうそうだろう。……それで、いま迷惑から帰ってきた感じかな?」
イリスは普段から荷物を持っていないが、レネアの鎧は汚れが目立ち、何より背負った荷物は迷宮帰りの証拠としては十分だ。
「そう、嚥下草と角兎、岩豚。他に火炎草、光苔、水葡萄。農家に寄って黄金小麦を貰ってきた。角兎と岩豚はレネアが処理した。」
「イリスさんに頭が上がらないです。間違いで着いていってしまった私に色々教えて頂いて……食材の処理を気にした事なんて無かったので、いい経験になりました!」
「そうか、じゃあもっと良い経験にしないとな。食材の処理も必要だし、よかったら見ていくか?飯も作ってやるよ。」
「いいんですか!」
「ああ、いいぞ。一人増えたところで手間じゃないからな。」
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「もう日が昇ったか。」
イリ~~スとレネアを連れて冒険者ギルドに向かったのは深夜だったが、嚥下草や角兎、岩豚やらの下処理が終わったと思えばもう朝だ。いつのまにか二日酔いも収まっている。何かに没頭すれば感覚を忘れられるのは悪くない。
町全体が賑わい始める少し前、買い出しなら今が頃合いだろう。今回は既に材料は揃っているから買い出しに行く必要はない。そんな時間でも冒険者ギルドには人が訪れる。依頼の張り出しまで時間はあるが、有望な新人冒険者はこの時間から待機している奴らもいる。
そんな仕事人の暇潰しか、多くの観客から視線を感じる。
「最後にヴェンチェエールで香り付けだ。」
鉄の浅い鍋にヴェンチェの実から作った果実酒を落とす。少し角度を付ければ、酒に火が移り、角兎の肉にヴェンチェの甘酸っぱさと渋味が乗る。木皿に取り分けて、光苔の粉末を掛ける。嚥下草の葉を添えて完成だ。甘酸っぱく芳ばしい香りに光苔の独特な渋い香りを加えれば、複雑ながらも統一感のある味わいになる。
「待たせたな、味の保証はする。一流の料理を味わうといい。」
待ちかねた四人に料理を提供する。一人は我が妹、イリス。俺の代わりに迷宮へ素材を採取しに行ってくれた、できた妹だ。最近、イリスは俺の真似をして男らしく振る舞っているが、兄としては嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだ。憧れてくれるのは嬉しいが、女の子なのだから可愛らしくいてほしい。何を着ていても可愛いのだが。しかし、料理を待っているイリスは控えめに言って可愛い。
「すごい良い香り。」
「そうだろう、ヴェンチェはイリスの好きなヴェリーと同じ種だからな。イリスも食べやすいだろう。」
右端座ったイリスの隣には、今日俺を護衛するはずだったレネア・カストレア。俺が調理をしている間に鎧の汚れは綺麗に洗われていたようだ。軽装な鎧だが、少し邪魔そうだ。そのせいか縮こまっている。いや、後ろの観客の視線を気にしているのか。
「あの、美味しそうなんですが……すごく、食べにくいです……」
「気にするな、俺が飯を個人的に作っただけだ。回りの奴らは食いたかったらバイゼイル金貨一枚でいいぞ。」
稼ぎの少ない新人には無理な金額を言って適当に遠ざける。レネアが更に強張った気がするが、まあいいだろう。
レネアの隣、冒険者ギルド支部長補佐のミリアは息が荒い。以前見かけた時はこんな隈はなかったような気がするが、理由は恐らく隣の奴だろう。最近、支部長のランベルが失踪したと聞いた。その後任で、残った仕事を処理してたんだろうな。
「ロノガ支部長!起きてください!ご飯が冷めますよ!」
「はっ、飯ができてる……」
ロノガ支部長……目を開けたまま寝ていたのか……。ミリアは徹夜すると気分が高まったままになるのか。こいつらはもう限界だな。食べ終わったら話があるとか言っていたが、それまで持つのだろうか。
「ミリアの要望どおり、角兎のエールソテーだ。前回とは違うエールだから、随分と雰囲気が違うぞ。もちろんうまいが。」
酒場の木の杯を五つ並べる。嚥下草の茎から身を削ぎ、布に包んで絞る。大量に蓄えられた水分には一切の濁りもなく、木の杯に入っている事さえわからない程の透明度を誇る。空気のように軽く浸透する茎水は、徹夜で磨り減った二人によく効くだろう。
「ほれ、嚥下草の茎水だ。ちゃんと入ってるからな。溢すなよ?」
「ありがとうございます?」
ミリアは返事をしているが言葉の意味を理解していないな。
「よし、さっさと食え。俺はもう一品作るから。」
「ではでは皆さん手を合わせて!」
我慢に限界を迎えたミリアに指示に従って皆が手を合わせる。バイゼイル特有の文化らしいが、良い物、良い事が自分に巡ってきた運命に感謝して、ということらしい。商人が集まるバイゼイルらしい文化だ。
「「よのめぐりに!」」
皆の声が重なる。この挨拶も聞きなれた物だ。最初は面倒な物だと思っていたが、イリスはこの挨拶を気に入ったらしい。皆と気軽にできる挨拶だからか、挨拶をするイリスは良く笑っている気がする。
「ん、美味しい。」
「すごい!すごい、美味しいです!すごい!」
「あーっ!旨い!最っっっ高です!」
「すご……これめっちゃ旨いな……」
誰一人としてまともな評論をしない。貴族が食べた時は全員が煩いほど語っていた。自分の舌は肥えていると、酒の風味が肉を引き立てているだの、酸味と渋味のバランスが良いだの。的を射ている評論もあったが、語彙力のない美味しいの方が数段も嬉しい。
「キィス君。君は本当に冒険者をやってるのかい?これほどに料理を作れるなら冒険者をする必要は無いと思うのだけど。」
質問などより先に料理を食べてほしいというのが本心だが、多少のお喋りは食事の席には必要か。
「まあ、そうだな。金払いのいい奴に作ってりゃ金には困ることは無い。バイゼイルは金持ちも多いから尚更な。でも、冒険者やってる意味はある。迷宮の情報が一番集まるのは冒険者ギルドだからな。」
「確かにそうだけれど、君はオアシス商会とも縁があるようだし、わざわざ冒険者にならずとも情報は手にはいるだろう?」
冒険者ギルドにオアシス商会との繋がりを言った覚えはないが……いや、隣にオアシス商会に雇われてるレネアが居ればあると思って当然か。
「ロノガ支部長、あんたは何が言いたいんだ?俺が冒険者やるのは自由だろ。」
少し喧嘩腰だったか、しかし回りくどく話されて料理が冷めるのは避けたい。
「……君に迷宮の先行調査の許可が本部から降りたんだ。」
これが本題か、というか食べ終わったら話すんじゃなかったのか。ああ、でも食べながら話す分には止めなくてもいいか。
「君は冒険者ギルドに鋼鉄階位で登録されている。銀階位に昇格するという話もあったそうだが、装備不十分で否決されている。それなのに何故君なんだ?」
話に入っては来ないが、レネアは俺が銀階位どうこうの話を聞いて驚いている。キィス兄なら当然とイリスがなだめている。会話が弾んで何よりだ。少し長く話して手を進めさせよう。
「アストラ魔術学院、リグノス闘技場、エルテナ聖王国、バイゼイル商業連合。皆ご存知、迷宮を保持する国家だな。ここ最近その迷宮周辺に新しい迷宮が同時に生まれた。バイゼイルは土地柄、迷宮の発生は無いと言われていたが、バイゼイルにも確認できただけでも三つの迷宮が出来ている。自然発生では有り得ない事態だ。」
「ああ、聞いている。」
「それを同時に調査でき、最も損害が少なく、何より反感を買いにくい。先行調査にあたって俺は原石に興味は無いんでね。迷宮で新しく食材を見つけられたら良い。そしてあまり回りと競合しない。風当たりが楽で助かる。」
ロノガ支部長は仕事の頭に切り替わってるな、そろそろスープも出来るしネタばらししても良い頃合いだろうか。話題が俺の事というのもなんとも味気無いしな。
「……君の能力は再生と聞いている。確かに君は多少の無理をしても大丈夫だろう。損害が少ないと言うのもわかる。だが、同時にとはどういう事だい?」
「スープが出来たぞー。」
裏方の厨房で調理を終えた俺が、スープを人数分を盆に乗せて現れる。岩豚を茎水で五時間煮込んだ濃厚スープだ。嚥下草の球根と岩豚で出来た肉団子が三つ、嚥下草の花を裂いて添えれば嚥下草を分段に使った岩豚汁が出来上がりだ。
「驚いて声もでないようだな。俺の能力は再生だが、ちょっと規模が小さいな。肉の欠片一つで俺は再生するぞ?」
イリス以外は俺の能力を見て、風切鳥が水に射たれると言う奴か。口を開けたままの間抜け面だ。少し面白い。
「ほれ、お喋りは終わりだ。冷める前に食べるといい。」