18 旅人が去った後
夜。打ち付ける雨粒が窓を叩いている。強い風が窓を揺らすと、バルはのそりとベッドから起き上がった。その姿は屋敷にではなく、アトレとモノが泊った安宿にある。
賑やかを超えて騒がしい一階の酒場が今の時間を知らせている。窓の外を見れば、陽が落ちて間もない頃。安宿の安飯に多くの若者達が最も賑わう時間帯だった。
(お嬢様は食事を摂られただろうか)
つい癖でそのようなことを考えるが、バルはアトレ達が去った後、結局屋敷を馘首になった。その時のやり取りは、バルに癒し切れない傷を与えるものとなった。
(私はもうあの屋敷の人間ではない)
これまでの十年近く、屋敷と主人に捧げた忠誠を思い返す。叱られることもあり、褒められたこともあった。主人へ奉公やその娘との時間。年下の先輩に仕事を教わった日々や、逆に悪漢対策と武術を教えた日もあった。その全てがバルの思い出であった。
「はは……」
失敗の大半はテラウのお転婆が原因だった。今でこそ淑女の振る舞いを見せるが、昔は元気いっぱいの少女でしかなかったのである。
「お嬢様……」
勤め始めた頃はまだ小さかったテラウ。その成長はバルが屋敷に勤めた年月を表すように積み重ねられ、一つ成長するたびに、病で喪ったその母を思わせるものだった。
「アーテ様……」
その名前を呼ぶと、バルの胸は暖かいものに包まれた。初めて出会った時にはもうそうなっていた。その感覚が恋であると知ったのは、勤めてから随分後になってのことだった。
バルが目を閉じその姿を思い浮かべると、意識は過去へと流れていく。回想は深く、雨音も風音も、人の賑わいでさえそれを邪魔するものではなかった。
テラウの母アーテ。美しい金の髪を持ち、誰もが振り向く淑女。控えめに言っても、小太りのウェルタと釣り合う男ではなかった。そんな彼女がメイド数人を連れて外出した時、路地裏の露天商に騙され、刃物で脅されたのである。
バルは元騎士だった。騎士とは、自分の手の届く全てを悪逆から守る者。アーテから金品を脅し取ろうとし、あまつさえ慰み者にもしようとしたその男を、善良な騎士が見逃すはずもなかったのである。結果としてアーテはバルに救われ、感謝の印と金品を与えられたのである。
だが、バルが得られた最大の報酬は、きっと恋を知れたことだった。
齢を重ねたことで目を悪くしたバルは、このままでは足手纏いになると騎士を辞め、首都リブレアーからウェルタの治める街ストフィルへ流れ着いた。家庭も恋人も、親しい友人さえない孤独なバルは、せめて賑やかな場所を求めたのである。
「なるようになる」
街に着き、まだ僅かに残った若さでそう胸に決めた直後、アーテを襲う悪漢を成敗したのである。バルはアーテと別れて街の兵士に悪漢を突き出すと、ずっとついてきていたアーテを屋敷まで送り届けた。
「そうだわ。上がっていって。お礼がしたいの」
アーテはそう言ってまだ誰にでも開ける頃の正門を開くと、バルを強引に中へと引っ張り込んだ。
「妻が世話を掛けたね。今日は存分に飲み食いしていってくれ」
「おじさま、おかあさまをたすけてくれたの?ありがとう!」
「テラウ、ありがとうございます、だろう」
「ありがとうございます!」
家族の歓迎を受けたバルは、自分が持ちえなかったその温かさが何かわからなかった。ただ心地よいという記憶が残る中、回想は次の場面へ変遷する。
「あなた。この方、うちの使用人にしてはどう?」
「ふむ。確かに今は人手が欲しい。聞けば腕っぷしも立つそうじゃないか。丁度いい」
「ええ。折角出会ったんですもの。それがいいわ」
バルが勤め始めると、思い起こされる心象は目まぐるしく入れ替わった。
碌にしたこともない料理を覚え、新人の使用人としていくつもの失敗に叱られる日々。しかし飽きない新鮮さを毎日のように与えてくれた新しい毎日。バルが求めていた次なる人生は、ウェルタら家族により満ち足りたものとなっていた。
だが、そんな日々は長く続かない。ウェルタの妻アーテが病床に伏したのである。あらゆる医師、あらゆる魔法、あらゆる魔具を駆使してもそれは悪化の一途を辿るばかりで、結局、何をしてもアーテの命は長らえることがなかった。
「奥様……」
「あなたのことは好きよ。だから、娘をよろしくね」
その命が燃え尽きる時、堪らなく手放したくないと感じるのであった。そしてそれが恋なのだと、バルはアーテの死から何か月も後に気付いたのである。死者への初恋を自覚し、バルはその気持ちを処理できなかった。その発露は、涙となって毎日の枕を濡らす。
「おかあさま、もう帰ってこないの?」
「ええ。お嬢様。もう、アーテ様は………」
「お母さま帰ってくるよ!じいの嘘つき!」
連日繰り返されるそのようなやり取りに、バルはどこまでもアーテを意識せずにいられなかった。心の傷への対処は、癒すか、忘れるかしかできないのである。バルはその両方を許されなかった。事あるごとにアーテの笑顔は思い出され、しかし次なる恋を探せる年齢はとうに終わっていると自認していたこともあり、結局できるのは毎日を耐え忍び、傷が少しでも癒えるのを待つだけだった。
その一方で、想い人の娘テラウは確かな成長を重ねていった。母親譲りの美しい髪、華奢だが女性的な体、淑女として完成されつつある立ち居振る舞い。少女と女の中間点は、バルにとってアーテを思い起こさせる、悪く言えば目の毒であった。あるいは、だからこそ踏みとどまったのかもしれない。
だが、テラウはバルの思う以上に女で、自分の欲求に素直だったのである。
「じい。やりたいことがあるのだけれど、お手伝いしていただけませんか?」
「今日は街に出て買い物をしたいですわ。じい、ついてきてくださる?」
等とバルに甘え、ウェルタの言いつけを破って奔放に振舞うと、ウェルタはそれに雷を落とすことにした。家の正門と裏口、その両方をテラウに開けられないよう、特別な魔具で施錠するようにしたのである。
「お父様ったら私のことを閉じ込めて楽しいのかしら」
「お嬢様は少々、いたずらが過ぎる嫌いがございます。ご自身を省みることも必要かと」
「ねえ、じい」
「お嬢様、いけません」
テラウは甘えようとするが、バルも目線を逸らして対抗する。テラウが成長するにつれ、バルはその姿を直視できないようになっていた。
「最近は目も合わせてくれないのね」
などと言われれば
「淑女をまじまじと見るのは紳士として慎むべきです」
と苦し紛れを返す。そんな日々がしばらく続いたある日。
「私、外に出たいですわ」
いつものように、テラウが我儘を言い出した。今日のはいつもと比べて対処しやすそうだ。バルは内心で安堵すると、いつものように言葉を返した。
「旦那様に言えば、少しの間であれば叶いましょう」
「お父様に言うと、ほんの少しだけしかいられません。それに私、街の外に出てみたいのです」
「それは叶いません」
「じいでも出来ないのですか?」
バルは小さく息を吐いた。そう聞くというのは、転じて言えば自分にはできると思われているということだ。頼りにされていることと、我儘な姫が思ったよりの無茶を言い出さなかったこと、両方への安堵が漏れて出た。
「街の門を出ようと思えば、御屋形様に連絡が行きましょう。私も叱られてしまいます」
「なら、連絡のいかない方法で私を外に連れ出してください」
「そのような方法はありません。お嬢様、お諦めください」
「じい、ねえ、だめ?」
そう言って蠱惑的に迫るテラウは、最早少女の目ではなかった。女の武器を自覚し、バルを思うように操ろうとしている。ふい、とバルは目を逸らし、しかし頭の中には次々と邪な妄想が湧き出てくる。
日に日にその姿はアーテへと近付いていく。その姿形は自分の想った、いや、あるいはまだ想い続けている淑女そのもので、月光に淡く輝く髪は自分を拾ってくれた心優しさを思い起こさせる。バルの喪ったはずの恋心は、この日を境に少しずつテラウへ向けられるものとなっていった。
そして、その日はやってきた。
「ねえ、じい。私、あなたの秘密を知っているのです」
「お嬢様。私に秘密など」
「私のこと、男として愛してくれているのでしょう?」
「………い、いえ。そのような」
「じい、もうわかっているのです。……私を見る目つき、情欲を堪えきれないように逸らされる目線です。全部、お父様が連れてくる縁談相手と同じ」
「………お、嬢様」
「ふふ。ねえ、じい。私のお願いを聞いてくださる?」
全てを見抜かれ、そしてその母にさえ恋した男は、最早断る言葉を持たなかった。想い人からの軽蔑と失望を避けるには、もうそれしかなかったのである。
そうして少女が提案した”自分を誘拐する”作戦は、静かな部屋の中で煮詰められていった。
「では、私が手配を」
「ええ。ありがとうございます。じい」
「………お嬢様、本当になさるのですか」
「もちろん。だって私、外に出てみたいのです」
「………ですが」
「ダメですか?」
結局、バルはそれを断り切れなかった。何日か後、誘拐は無事決行されることとなる。だが、娘を誘拐されたウェルタは当然、それが発覚すると全力の手を打った。が、テラウの策はそれらのほぼ全てを読み切ったものだった。
「今回あんたの娘を探すことになったリベオン・ラル騎士団だ。俺は隊長のブラド。こっちは部下達だ。で、報酬についてだが」
雇った傭兵団の内半数を騎士と偽装してテラウへの迎えとした。だが、その粗暴さはバルの想像を大きく超えていた。ウェルタは要求された報酬が法外過ぎると、自身で傭兵を何人か雇ったのである。その中で主人が最も期待を寄せたアトレが、結果としてバルにとっての敵となる。
「アトレ・ルザートだ。早速だが依頼の話をしたい」
「娘が何者かに誘拐された。何とかしてくれないだろうか。報酬は弾む」
「わかった。まずは情報を交換しよう」
アトレは情報を交換すると、いくつかの仮定からすぐに誘拐の実行者達を見つけることが出来た。だがテラウはそれをも見越し、あろうことか父の雇った傭兵を更に雇わせるよう指示していた。自身の敵に雇われたアトレはきっと、一辺の油断もあれば殺されていただろう。
そうしてアトレが想い人を連れ帰ったとき、あろうことかその距離は傭兵と貴女のそれではなく、親密な男女にしか許されないだろうものだった。この時から、バルからアトレへの敵意は隠せないものとなっていく。恋敵として、アトレはバルから決して受け入れられない存在となったのである。
執事は帰ってきたテラウに尋ねた。
「あの傭兵に恋でもしましたかな」
「ええ。アトレさん、とてもお強いのです。優しくて、容姿も私好みですわ」
「………たかが傭兵でございます。お嬢様とは釣り合いが取れますまい」
「執事の方が釣り合うとでも?」
真っ当な良識をも持つバルは、それに言い返せる言葉を持たなかった。バルにとって、アトレを敵視する理由はそれだけで十分だった。傭兵は自身の想い人を、何の前触れもなく奪っていったのである。
その深夜、誘拐の実行者達に後払いの報酬を手渡しに行くと、バルはまたも意外な提案を受けることになる。
「おい、あの傭兵なんだ?予定と違う。報酬を増やせ」
「負けたのはお前らの鍛錬が足りないからだろう」
「は、ンの割に報酬は多いじゃねえか。だがこれはいらねえ。返すよ」
「仕事には謝礼を出す。貴様達は仕事をしただろう」
「じゃあよ、爺さん。それは謝礼だ。俺達からも仕事を受けてくれ」
そう言って彼らが提案したのは、モノの略取にまつわる計画だった。騎士としてなら屋敷に正面から入ることができる。騒動を起こしている間に裏から何人か送り込んでモノを回収。そういう手筈だった。
騎士が勝手に助けた少女を攫わせれば、傭兵はその後を追って屋敷から出ていくかもしれない。そんな目論見から、バルはいくつかの条件付きでこれを承諾した。
条件は四つ。いずれも簡単なものだった。一つ、テラウとウェルタには手を出さないこと。二つ、目につかないよう、屋敷への手引きはバルが行う。三つ、騒動が終わる間際、テラウを襲う振りをすること。四つ、その際、バルはテラウを守るために軽い攻撃をするが、これに倒れる芝居をすること。
(こうすれば、お嬢様も私の方が頼りになるとわかるだろう)
そういった目論見があったことは、テラウでさえ最後まで見抜けていなかった。あるいは、どうでもよかったのかもしれないが。
傭兵達はバルの子供じみた仕掛けに文句の一つもなくそれを快諾する。
「ああいいぜ。安いもんだ」
そうして翌日の昼、アトレが言い当てたような手順で騒動が起きた後、テラウと二人になったタイミングでバルは驚愕する。
「今日の騒動、私の計画にはありませんでした。あなたの仕業ですか?」
「………はい。ですがお嬢様と御屋形様に手出しはさせないよう厳命しておりました」
「そうなのですね………。感謝いたしますわ」
「え?」
「アトレさんの武勇、ご覧になって?私を守るために戦ってくれたのです!なんて雄々しい………」
「お嬢様……。あの男は」
「傭兵、でしょう?だからよいのです。身分の差が恋を熱くするのです」
テラウがそんなことを言ったからだろうか。バルは自分の気持ちに蓋ができなくなってしまっていた。そもそも、演技とはいえ婚約者などと言われれば、その胸中は荒れに荒れたものである。想い人が遠くに行く想像に、バルはとうとうどこか壊れてしまっていた。
―――お慕いしております。テラウ様。
―――男として《傍点》、あなたに勝負を挑みたい。
そんな言葉が出たのは、自分の犯行が想い人によって全て暴かれた後だった。
想い人は自分の罪をわざわざ暴き立てた。そうする意味は、理由は、バルにとってはたった一つしか考えられなかった。テラウは、バルを邪魔に思っていたのである。そうやって罪を強調することで、屋敷からその居場所を消してしまいたいと考えていたのである。それが分かったとき、バルは自分の愚かしさがおかしくなってしまっていた。笑うことでしか、自分を受け入れられなかったのである。
その後、アトレとの戦いでバルが敗北したのは、体力の多寡や技術の相性、魔法の能力などいくつかの理由が複合的に絡み合ったものだったが、決定的だったのは想い人の視線でしかなかった。最後の一合、必殺の一撃を繰り出す間際。テラウの視線はアトレにしか向いていなかったと自覚する。たったそれだけのことで、老いに衰えた体は動かなくなっていた。
それはバルにとって人生最大の戦いだった。想い人の心を少しでもこちらに向けたい。自分の気持ちを受け取ってほしい。そんな願いの籠った、決死の戦いだった。だが、結果は格下の傭兵に接戦の上敗北。
悔しいと感じる気持ちはある。あの時こうしていればと猛省する。しかし、どれほどそうしても、自分はもうあの屋敷に入ることすら許されていないのだ。
「許すためには動機が必要。そうでしょう?」
テラウがそう言った時、全ての希望は絶たれていた。万が一にも屋敷にいられるかもしれない。想い人の側にいられるかもしれない。そういった夢でさえテラウは摘み取っていったのだ。
テラウはバルの心を全て知っている。慕情と曖昧に濁しても、その心は恋なのだということ。その母にさえそれを向けていたこと。日々成長するテラウへ向けられる視線が、男の獣欲の混ざったものとなっていたこと。許すためには動機が必要。だが、許されない理由もまた、テラウは全て握っていた。
テラウにより全てを知ったウェルタは激高し、バルを決して許さなかった。騎士への信頼を歪め、娘を攫わせ、更には自分の妻にも情欲を向けた。ウェルタにとって、バルから受け取った忠義よりも、家族を汚された事実の方が勝っていたのである。
そうして痛む体を碌に治療もせず屋敷から叩き出されて二日。ふらふらと街を歩き、いつの間にかこの宿に入っていた。収まってきた体の痛みとは逆に心は痛み続けている。気は沈み、テラウのことを考えれば心が張り裂けそうな程だ。
(自分は負けた。男としても、騎士としても)
バルが積み上げていた全ては、間違いなくこの事件によって崩された。騎士として磨いた善悪観念も、捧げてきた忠義も、人を愛した気持ちさえ、気持ちいい程に失くしてみせたのである。だからバルに残っているものは、もう残り一つしかなかった。
それを意識すると、バルは宿を出て夜の街へと飛び出し、体の力を全部使って走り出した。いつの間にか、時間は誰もが寝静まる頃となっている。夜の闇にバルの靴音だけが高く響き渡った。
(御屋形様)
坂を一つ上る。屋敷まで、まだ距離はある。
拾われて、忠義を尽くした。自分のできる限りを尽くして働き続けた。敬愛すべき我が主を、しかしバルは恨んでさえいた。最終的に自分をテラウから引き離したのはウェルタであったからだ。
(アーテ様……!)
角を一つ曲がる。屋敷までもう少し。
初めて恋に落ちたが、それは叶わぬ恋だった。生きていたとしても、許される故意ではない。だからこそバルは、それを隠すように一層の奉公でその家族に尽くし続けた。初めて愛した想い人は、もうどこにもいない。
「お嬢様!!」
息を切らしながら声を張り上げ、最後の坂を越える。声は、夜の空に遠く溶けていく。
年の離れた妹のような、想い人のような、いくつかの複雑な気持ちの混ざった、しかしそれは紛れもなく慕情であった。彼女と結ばれたい。その母とも結ばれたい。そう思うようになったのは、少女が隠していたものを暴いたからだろう。
「はあ、はあ……」
屋敷の前まで来たバルは、慣れた手つきで正門を開錠した。自分が追い出されるときのごたごたで、登録した魔力の取り消しを誰もが失念していたのである。バルは玄関まで真っ直ぐに歩き、扉に手を掛ける。扉は当然のように施錠されていた。
何度か扉を押し引きして、バルは裏口に回り込むことを思い付く。そこからあっさり屋敷に入り込むと、今度は物音を立てないように目的地へと歩を進める。
音は消せても、姿は隠せなかった。こそこそと廊下を行く様を、小さな影がじっと見つめている。リオであった。
「……バル様?」
そんなことも露と知らず、バルは目的地へ到達する。そこはテラウの部屋だった。扉を押すと、部屋は意外な程にするりとバルを招き入れた。バルはまだ自分がこの屋敷に拒絶されていないと知ると、それがテラウの意志であるかのように錯覚する。
「誰ですの?」
声の主は、果たしてテラウ本人だった。聞き間違えようはずもない。毎日聞いてきた。ずっと想ってきた。頭がどうにかなりそうな程慕ってきた。そんな想い人の声だった。
テラウはベッドからゆっくりと体を起こし、来訪者の姿を認める。
「きゃあああああああ!!!」
バルを迎えたのはしかし、渾身の叫びによる拒絶だった。
「どうしてここにいますの!?あなた、このお屋敷をクビになったはずでしょう!」
しかしバルには、そんなこともう関係ない。ここまで来た目的を果たすだけだ。テラウを強引にベッドへ組み敷くと、求めていたものが手中にあり、ようやく思い通りにできるのだと実感する。その感覚は、歳に衰えた体へ熱を蓄えていく。
「この屋敷は私を拒絶しなかった!それだけのことです!」
「気持ち悪かったの!ずっと!お母さまを見る目も!私をその目で犯すのも!!汚らわしい!」
「あなたがあの傭兵にしていたことも同じでしょう!私がやって何が悪いのです!さあ、さあ!始めましょうお嬢様……!」
「い、いや!触らないで!!助けて!助けてアトレさん!!」
呼びかけられたのは自分ではなかった。バルがそう認識すると、何かの箍がまたひとつ外れていく。同時に、大切にしていた過去が崩れていく。
「お嬢様、お嬢様……!」
「やめ、やめて!助けて!だれか!」
自分に迫るバルの手を払うと、テラウは猛烈に暴れ出した。シーツが乱れ、ネグリジェが捲り上がっていく。白く張りのある大腿が見え、バルがそこに手を添えようかというその時、バルの頭から鈍い金属音が響いた。テラウが見れば、そこには頑丈そうなフライパンを持ったリオが立っている。テラウは自分に倒れ掛かったバルをベッドの下に蹴り落とすと、捲り上がった服をそのままに小さな背中へ隠れた。
「お嬢様!ご無事ですか!」
「リオ!こっ、この男を早く外へ!」
「どうした!テラウ!無事なのか!」
「お父様!お父様!助けてください!」
床に倒れ、薄れ行く意識の中、バルは最後に自分へと向けられるテラウの目を見た。そこに軽蔑や失望の色はなく。怒りや恐怖の気配もなく。あるのはただ、これで邪魔者はいなくなったという安心。それに、どこまでもバルを自分の思い通りに動かせたという楽の感情のみだった。
「お、じょう、さ」
言い切る間際、ウェルタはリオから受け取った鈍器を全力で振り下ろした。
鈍い音と共に、バルの意識は闇に落ちる。最期に思い出したのは、二人の想い人の笑顔だった。




