14 心のないミステリーごっこ
「おや。いかがなさいましたか、お嬢様」
リオと別れ、アトレら三人が使用人室へ向かうと、そこには執事のバルが一人、客室のそれと比べ質素な椅子に座っていた。気の抜いた様子は、どうやら休息を取っていたらしい。
「話があってきた」
テラウへ向けられた優し気なバルの視線がアトレへ向けられると、それは強い眼光を発するものへと変わる。敵意すら感じるそれに、身に覚えのないアトレは内心で困惑を覚えた。
(なんなんだ本当に。騎士達といいこの執事といい)
アトレの気持ちはどうでもいいとばかりに、執事バルは強い視線を向けたままだった。これが気を払い人に尽くすことを仕事とする使用人だとは、誰が見ても思うまい。
「じい。話があってきたのです」
「はい。なんなりと。このバル、お嬢様の全てにお応えしましょう」
視線をアトレから移したバルは、その表情を穏やかなものへと戻す。対するテラウの表情はどこか緊張したものだった。使用人室に赴た要件はこの執事に疑いの目を向けることだ。
信じるために身の潔白を証明して欲しい。そう身振りで示すようにテラウは手を合わせて硬く握ると、長年付き添った家族であるバルに、その火種を投げる。
「厨房にじいの靴と同じ足跡がありました」
言いながら、全員がバルの靴をじっと見る。形状から察するに、確かに厨房にあったものと同じ足跡を残すだろう。だからといってこの執事が騎士を手引きした犯人だというわけではない。犯行可能な人間にはリオとウェルタが残っている。裏口を開けられる人間であれば、等しく疑いの目を向けることができる状況であった。
「……大変申し訳ございません。目立つ汚れを残していたとは。使用人失格でございます」
質問の意図を理解していないのか、バルの答えは望んでいたものとは異なった。裏口が今回の事件における鍵だと、この執事にはまだ教えていない。このような答えはむしろ、裏口云々と言い出すより身の潔白を示しているように見える。
だが、それもとぼけていないのであれば、の話だった。が、テラウはバルの答えに安心したのか、少しだけ表情を緩める。信じたいという気持ちが表情に漏れ出ていた。
「じいはよくやってくれています。ですが、私たちが聞きたいのはそこではありません」
「はて。では何を?」
執事は何もわかっていない様子ではあるが、当然、状況を読めていないわけではない。アトレがモノを探す騎士達についてをウェルタに説明した時、この執事も当然そこにいた。屋敷の構造には当然精通しているバルは、テラウ達がこの使用人室に来訪した時、その意図を全て察していたのだった。
あるいは、だからこそ。何から逃げるような、とぼけるような振る舞いをしたのだろうか。
「今朝の朝食はリオが作ってくれました。じいは厨房に入っていません」
「……そうですな。私はその頃、庭木の剪定をしておりました」
一歩、テラウが詰め寄る。使用人室の中にじわりと、溜まっていた何かが漏れ出すようだった。
「そこから先、じいが厨房に入る理由もありません。違いますか?」
リオの話によると、足跡がつけられたのはリオの外出後。朝でも昼でもない時間帯だという。他の人物がわざわざバルの靴の型を作るなどしていない限り、そうできたのはバルだけだ。と、テラウは少ない言葉で突き付けた。
「お嬢様、私に気を遣う必要はございません。なんなりと仰ってくださいませ」
意図を察したのか、バルはどこか諦めた表情を浮かべた。何を諦めたのかは、アトレ達にとって言うまでもなかった。重い空気が更に圧し掛かる中、テラウだけはそれをものともせずにバルを向き続ける。
テラウの声色はどこか悲壮感をさえ伴ったものだったが、それが役目だと割り切ったのか、行動自体は淡々としたものだった。躊躇いの色は一切見られない。
「モノさんを探す騎士を屋敷に招いたのは、じいですか?」
バルは唯一の出入り口に立つアトレへ強烈な敵意を向けた。殺意とも取れる視線にアトレの緊張が高まる。アトレは魔力を練り出すと魔法の発動へ備え、腰の剣に手を掛けた。バルが向けた視線は、アトレを一瞬で戦闘態勢にする程に強いものだった。
視線はアトレから正面のテラウへ移る。するとそれは弱々しく、涙さえ浮かべたものとなっていた。テラウが心配そうに執事に、幼い頃から寄り添った家族の一員に気を向けると、バルは小さく息を吐いて目を見開いた。涙が一筋、老執事の頬を伝う。
「……そうですか。なるほど。なるほど……。そうなのですか……」
ぶつぶつと何度かそう呟くと、何がおかしいのか、バルは天井の一点を見上げながらくつくつと笑い出す。広くない使用人室に笑いが響き渡ると、その不気味さにモノは素直な怯えを見せ、テラウは覚悟を決めたように表情を硬くした。アトレは険しい表情のまま魔力を練り上げ続けている。
「ええ。はい。私です。モノ様を探す連中をここに引き入れたのは」
執事今、主への忠義をかなぐり捨てた。事実はあっさりと白日のものとなり、アトレら一行は三者三様の驚きを表情に隠せないものとなる。
「そんな……どうして……」
「……理由の説明が必要ですか?御屋形様からアトレ様への依頼は、手段と犯人を捜すのみとのことでしたが」
涙をさえ浮かべた表情はしかし、不気味な薄い笑いを浮かべるものとなっていた。黒幕は不敵に笑ってみせたが、それはアトレにとってどこか虚ろさを感じるものとなる。それは例えるなら、空元気を振り絞るような。
「………これ以上、面倒な探偵ごっこをする気はない。犯人があんただと言うなら、自分でがその手口を語れ」
扉に背を預けたままアトレが言うと、バルが向ける敵意は微塵の衰えさえも見せなかった。射殺すような視線がアトレのそれと交差する。
「探偵の真似事をするなら最後までなさっては?」
皮肉めいた言い回しに不敵な表情が混ざると、バルの様相はいよいよ事件の黒幕じみたものになってきていた。アトレがバルに感じた虚しさでさえも、その様子に圧倒され飲み込まれていった。
「………俺にわかるのは、今から言うようなやり方でなら、あんたが連中を屋敷に手引きできたということだけだ」
「どうぞ。お聞かせ願えますか?」
薄い笑みを崩さずに、バルは座ったまま足を組んだ。更に腕を組み尊大に構えると、背もたれに体重を預け、アトレへ向かって顎で続きを促した。
「あの騎士達が来たのはリオが市場に出た後だ。だから裏口を見れる人間は誰もいなかったし、その前後の時間、ウェルタはずっと俺といた。裏口を開けられる三人の内、そのタイミングで自由なのはあんただけだ」
バルは何をも言わず、再度顎をくい、と動かした。続きを言えとという合図に、アトレは区切った言葉をもう一度連ねていく。
「騎士達が来た時、あんたは屋敷に来た騎士の一部を裏口に回した。その足で裏口を開けそいつらを中に入れると、ウェルタに騎士の来訪を伝え正門へと戻り、ウェルタの部屋と玄関とを魔法で繋げ、玄関にいた騎士達を中に通した」
テラウは騎士の恐怖を思い出したのか、その時のことを思い出して小さく肩を震わせた。力の無い少女にとって、その訪れは恐怖の知らせと同義だったろう。アトレはそれに構わず、片づけるなら早い方がいいとばかりに捲し立てた。
「部屋で戦闘になると、最初に入った騎士達はモノを探し始め、騒ぎが聞こえなくなった頃に開けっ放しだった裏口から脱出。あんたはその後厨房に向かい裏口を施錠した。以上だ」
アトレが口早に、しかし淡々とそれらを語り切ると、バルはそれに目を見開いて応えた。やや遅れて、その口も開かれる。
「当てずっぽうにしてはよく言い当てたものです。全て正しい」
言い当てたことが全て正しいと言われ、アトレは僅かな驚きを見せた。自分の論理自体、突っ込みどころのあるあやふやなものだからだ。他の使用人にもウェルタと同じ靴を用意するだけで足跡を付けることは可能で、あるいはウェルタと共謀した誰かが裏口の扉を開閉できるようになっていた可能性もある。
だが、自分が犯人であると執事が認めた今、アトレにとってそのようなことはもうどうでもよかった。彼にとって今重要なのことは、この依頼より前、テラウの救出時から気になっていた違和感をはっきりさせることにある。
「あんたが犯人だと認めるなら、個人的に聞きたいことがある」
「いいでしょう。犯人らしく、すべてをお話します。……ただし、お嬢様が止めればそれまでです」
ちらり、とバルはテラウを見た。それを正面から受けきれず、テラウはふい、と視線を逸らす。止める気配はない。アトレは思うままを口にした。
「入り込んだ騎士がモノを探していた理由を、あんたは知っているのか?」
「屋敷に来た連中は全員、お嬢様を攫った者達と同じ傭兵グループの人間です。理由は知りませんが、連中にとってお嬢様よりモノ様に価値があったのでは?」
アトレの感じていた違和感の内、一番大きなものがこれだった。連中はテラウを攫ったが、取り返しに屋敷へ来た際、本命は明らかにモノだという動きを見せたからだ。バルがその手引きをしている以上、テラウとモノの両方を取り返すのは難しくはない。しかしテラウの方で戦闘が発生すると、連中はテラウを略取するよりもアトレ達と戦うことを優先した。そして起こった戦闘を隠れ蓑にするかのように、密かに侵入した騎士達はモノを探し屋敷を徘徊していたのである。
「騎士ですらない、というのは戦闘の後に見立てた通りだったようだな」
「ええ。あのような弱卒が騎士など。あり得ないことです」
バルの頷きに、アトレは一つの推論を見出した。騎士をよく知るかのような頷きに、戦闘になっても動じず、二人を同時に相手取り無傷でいる技量。自分が手引きしたもの故に互いに加減はあっただろうが、あの場は正しく戦場であった。ただの執事では到底あり得ない戦いぶりは、この男に豊富な戦闘経験があることを裏付けている。
(この男、元騎士か?)
だが、その推測も今は関係ない。アトレは浮かんだ思考から意識を外すと、バルに向かって質問を重ねていく。
「モノの方が重要だったと言うが、それは何故だ」
モノを首都へ連れていくと約束した手前、その理由を知ることは大事だった。本人よりも第三者にそれを求めたのは、彼の用心深さからくるものだった。第三者は嘘を吐くか本当のことを言うしかしないものだとアトレは考えていたからだ。
「私はなにも」
アトレの期待した答えとは異なった返しだったが、その中に嘘はなかった。執事はアトレと同じようにモノの価値を分かっていない。しかしそのことについて考えを巡らせるのは詮無い。アトレは次の質問を投げる。
「森に向かっていた騎士団もそうなのか?連中の仲間か?」
「あれは備えです。お嬢様が逃げ出したり、御屋形様が雇った傭兵を始末するための。結果として、それは無駄だったわけですが」
「そもそも、テラウさんの誘拐を画策したのもあんただということだな」
「お嬢様が寝ている間に連中を手引きするのは容易なことでしたよ」
バルが最後にそう言うと、アトレは僅かの間、考え込むように床の一点を見つめた。聞きたいことは一通り聞いたと結論すると、視線は再度バルへと向けられる。バルの敵対的なそれとは違い、アトレはどこまでも淡々としていた。仕事を全うする傭兵の目だった。
「……知りたいことは全部知れた。依頼は終わりだ。ウェルタへ報告する」
アトレはもたれかかっていた扉から体を離すと、そちらへ振り向いてドアノブを握った。かちりという音と共に、告解の間が廊下へと開かれる。と、その眼前にテラウが駆け寄った。
「アトレさん!まだ明らかになっていないことも多いです!真実を暴かなければ私の気が済みませんわ!」
テラウの眼差しは真剣そのものだったが、それは悲痛さとはかけ離れるものでもあった。今ここで行動しなければ終わってしまう。アトレはそんな色を感じると、一歩踏み出しかけた足を元の位置に戻した。
「あんたの気が済まなかろうが、俺の依頼は終わりだ」
アトレはテラウの肩を押しのけると、再度廊下に向かって一歩目を踏み出した。
「許したいのです………。じいを」
消え入りそうな声で、テラウはアトレへ懇願した。今報告されれば、この執事は屋敷から消えてしまうだろう。テラウが願い出たのは、バルが屋敷にいることを許せるような心的印象を得るために報告を待って欲しいとのことだった。
「許すためには動機が必要。そうでしょう?」
それは慈愛に、あるいは残虐さに満ちた言葉であった。要は情状酌量をしたいと言うのである。しかしそのために、動機という己の核を曝け出させたいとテラウは言うのである。
「……依頼人は動機を求めていない」
が、それは傭兵にとってはどうでもいいことだった。彼は頼まれた分しか助けない。そう決めていたからだ。それはここに来るまでも、ここを去った後も同じことだ。
「でも!」
アトレはもう一歩を踏み出した。あくまでも依頼を優先すると、思考が行動に現れている。そしてそれは、テラウの主張では押し止められないようだった。
「俺は依頼を果たす。だが、その後どうするかはあんたらが決めるといい」
「……私達が」
「動機を聞いて許せると思うならそうすればいい。それは依頼であってもなくても俺が入り込むことじゃない。あんたらの問題だろう」
「……そう、ですわね。私達が、許せばよいのですね」
テラウはアトレの傍らからバルの真正面に立つと、未だ薄ら笑いを浮かべ続ける相貌を、今度は逃げずに受け入れた。
「じい、私は……」
「許されるなどあってはなりません。私はモノ様を売り渡そうとし、お嬢様の誘拐をも手引きしたのです」
だが、犯人たるバルはそのような甘さを拒絶した。罪を受け入れんとする潔さは、果たして犯人の矜持だろうか。
「じい!」
「黙りなさい!」
ぴしゃりと、老執事の怒声が室内に短く響き渡った。その直後に訪れる静寂の中、バルは静かに口を開く。
「……この事態を作ったのはあなたなのです。その責任は、受け入れることでしか果たせない」
「……じい」
「……お慕いしております。テラウ様」
バルは立ち上がると、首と拳を鳴らし、右手を腕大きく体の外に向かって振る。その袖から小さな刺突剣が掌に滑り出でると、鍔の付いた釘のようなそれを順手に持った。
バルはそれを脇に構えて左手を大きく前に出すと、アトレへの抑えていた敵意を解放した。
「アトレ様。お察しの通りあなたには思うところがございます。この依頼が終わればあなたと会うこともないでしょう。………男として、あなたに勝負を挑みたい」
ウェルタの提案は突然のことだった。が、アトレにとっては強い敵意を向けられたことにようやく理由がつき、どこか納得感のあるものだった。
「勝負って、どうして……!?」
二人の間に立つテラウは、執事と傭兵を交互に見遣った。バルは椅子からゆっくりと立ち上がり、アトレはそれに応えるよう、執事の真正面に歩み出る。二人の間には第三者にはわからない視線と気配のやり取りが為されている。
「そうしなければ下がらないのです。この男への、溜飲が」
アトレへの敵意をもう隠そうともしないバルは、執事であることをさえ放棄していた。袖から躍り出で脇に硬く構えられた短剣は、それを表すようにどこか色褪せた橙の光を放っている。
「俺に受ける理由はない」
アトレの答えは当然のものだった。依頼は終わり、わざわざ危険を冒す理由はない。アトレの心情としてはさっさと報酬を貰って屋敷から去りたいというのが本音だった。
だが、答えや感情とは裏腹に、アトレは練り上げていた魔力を魔法へと変換した。空を思わせる青い光がその体に残光を残し始める。
「なら依頼しましょう。報酬は、そうですね。御屋形様から私の給与でも貰っていただければ」
軽いやり取りはしかし、微塵も揺るがない敵意がそうではないと示している。バルはどこまでも本気でアトレに勝負を挑みたいと考えていた。そして傭兵はその動機について知ることを依頼されていなかった。
が、これまでに幾度か向けられた視線から感じるものもある。アトレはそれに応えたいと考えるようになっていた。
「テラウさんはお前を許したいと言っているが」
だからこそ言葉を返す。本当に応じる気が無いのであれば、何も言わずウェルタに報告すればいい。こうやって会話に応じていること自体、バルに何かしらの本気を感じたからだった。
「私に許される気がないのですから、仕方ありません」
「もう一度言うが、受ける理由はない」
「……お願いします。あなたのことは憎く思いますが、あなたにしか頼めない」
「……俺は頼まれた分しか助けない。それでお前は助かるのか」
「ええ。少しだけ、ですがね」
そう言うバルの顔は張りつめた空気に似つかわしくない、どこか困ったような笑顔だった。アトレに何かが伝わったのか、二人の間に流れる空気はより真剣味を帯びていく。
「わかった。ただし、報酬はきちんと貰う」
「ははは。なんとも……お優しい」
アトレが遂にその受諾を宣言すると、バルの纏う空気が更に刺々しいものとなった。攻撃の意図がありありと、テラウとモノにさえ伝わる。二人の少女は怖気からか、バルから一歩だけ身を引いた。
「場所はここでいいのか?」
「庭に出ましょう。なるべく屋敷を傷つけたくはありません」
バルは使用人室の窓を指す。外には豪邸というべき規模の庭が草花を茂らせていた。確かに屋敷は傷付くまいと、アトレは提案に頷きを返して窓を開く。すると、強く吹いた風が草花の匂いを室内へ運び入れる。どこか血の臭いがする空気が僅かに和らいだ。
アトレは開かれた窓枠に手をかけて、そこから飛び出る構えを取りつつ少女らを向いた。
「二人はウェルタの所へ行け。このことを知らせてくるんだ」
言うや否や、アトレは窓から飛び出した。返事を聞く気はないらしい。もう依頼は受けた、ということだろうか。庭に出ると、アトレは腰の剣をゆらりと抜いた。陽を浴びて悠然と立つ姿は、既にバルとの勝敗が決しているようにさえ見える。
「なんで、戦うんですか………。おにーさんも、どうして………」
惑うモノの内心は、テラウにも理解できるものだった。戦う理由はない。アトレの依頼は終わり、残るのはテラウが言うように犯人を許すことだけ。だから戦う必要はない。この期に及んで危険を冒さなければならない理由は、誰にもなかったのである。
だが、だからこそだろうか。二人が今になって戦う理由があるのだとすれば、それは必要性ではなく、ただそうしたいから、そうすることでしか成し得ない何かがあるからだろう。
バルは一度構えを解くと、この男が本来持つ優しさと柔らかさを視線に乗せた。
「……モノ様。これは私が願い出た戦い。意味は私の中にあればよいのです」
「執事さん……」
「深くは聞いてくださるな。男だからできる戦いもあるのです」
二人の戦いは命をやり取りするものだろう。モノはそれを当然理解していた。だが、できれば無用な人死は避けて欲しい。死んでしまっては全てが意味を持たない。だから、せめて自分にできるのは祈ることだけだった。
「……おにーさん!」
「なんだ」
「約束、守ってくださいね!」
モノの願いは自己中心的だったが、少なくともアトレにとって生きる身近な理由となった。応える目に剣呑さ以外の色が少しだけ混ざる。
「善処する。いいから行け」
アトレがそう言うと、二人の少女は使用人室から駆け出していく。いよいよ二人だけとなった両者は、それぞれ違う意図を乗せて視線を交わらせる。
「いいですね。未来があるというのは。ですが、私はあなたを殺します。それほどまでに許せない」
アトレと同じように使用人室の窓から出てくると、目を細めてモノ達が去った扉を見遣る。刺々しい気配は僅かに鳴りを潜めていた。
だがそれも僅かなこと。バルはアトレに向くと、今度は右手を前に釘のような短剣を前に構えると、徒手の左手を体に隠し、左足を下げて半身の構えを取った。アトレからすれば、バルの左半身が下がり、その分右半身は大きく前に出たような見た目となる。小さく砂埃が舞うと、戦いは静かに始まった。




