始まりの日
「うーん。」
日当たりの良い部屋で一人、頭を抱えている少女。
机の上に広げた書類とにらめっこをしているが、一向に手が進まない。
一体何をしているのか、と問われると少女は言うだろう、領地管理と。
少女の名前はソニア、10歳。
ルベライト王国の北に位置する領地を与えられたラズーライト伯爵家の一人娘。
両親はソニアが生まれて間もなく馬車の事故により帰らぬ人となる。それからは父の弟、つまり叔父と暮らしていた。
夜明け前に目覚め、日が昇ってもひたすら書類に目を通していると、コンコンと部屋のドアがノックされる。
「はい。」
返事をするとドアが開き、紫の切れ長な瞳、艶のあるブルネットの髪をきちんとまとめたお仕着せ姿の侍女のリズが入る。
「おはようございます。お嬢様、朝のお支度に伺いました。」
そう言ってソニアを見ると、机にある書類を手に持ちニコニコしている。朝日を受け、きらきらと輝く金髪と、菫色の瞳が美しい。
「お目覚めでしたか、では、身支度の後、朝食をお持ちしましょう。」
「お願いします。」
そう言ってソニアは着替えるために席をたった。
「こちらにご用意しますね。」
ソファテーブルに並べていくのは温かいパンと野菜スープ。それに果物。飲み物は蜂蜜入りのホットミルク。
ソニアの定番の朝食だ。
いつもなら、1階の食堂で叔父と食事を摂るのだが、今は部屋に運んでいる。
ソファに座り、美味しそうに食べるソニアを見守りながら、リズはひと月前の出来事を思い返す。
◇◇◇
「ジル様が行方知れずに。」
ひと月前、ロマンスグレーと深い青色の瞳に左目のモノクルがトレードマークな執事のオルトから話があると言われ、書斎で聞いた話は、リズを驚かせた。
ソニアの叔父であるジルが外出したまま戻らない。足取りをつかもうと屋敷の者で探索したが見つけられず。
ジルは薬草に詳しい学者で、領地の草花の調査、採取のため突発的に短期間屋敷を空けることがあり、当初さして心配されていなかった。しかし、外出から5日目、その日の来客予定を知っていたのに帰って来なかった。
普段、のほほんとした雰囲気でよく言うとおおらかなジルだが、約束は違えず、信頼されていた。
人と会う約束を守らないということは、何事か、彼の身に起きたと考えて良い。
いつも行く薬草畑や、野草を探す森、その近くを流れる川沿いなど、思い当たるところはあたったが、見つからないばかりか、痕跡もつかめず。
「お嬢様にもお伝えしなければ。」
二人家族として仲良くくらしてきたのだ。叔父の失踪に不安を募らせないよう、ソニアにかける言葉をリズは探す。
「そうなの。」
一連の話をオルトから聞いたソニアは小さく返事をした。顔はこわばっており、手先は震えている。
胸元までのばした銀色の髪もゆれる。
そばにいたリズはゆっくりと腰をかがめてソニアと向かい合う。
「大丈夫です。ジル様は少々の困難で折れる方ではありません。私達も引き続きお探しいたします。お嬢様はここでジル様をお待ちいたしましょう。」
言葉足らずだわ、とリズは思ったが、ソニアは微笑んでくれた。
そしてリズとオルトを見ながら、待ちますと言った。
それから2日後、来客がある。先日ジルと約束をして会えなかった者だ。名をキースといい、領地で薬局を開いている。
「まだ、お帰りではないんですね。」
暗い色をした木の質感が趣のあるエントランスで出迎えられると被ってきた帽子を脱ぎ、手で握りしめる。その表情からも心配していることが伺える。
「ええ。」
頷きながら応対しているのはオルトだ。彼もまた、四方八方に手を尽くしている。
「皆さん大変な思いをされているのに、ご迷惑なのはわかってるんですが。なるべく早めにジル様の薬のことをお耳に入れておこうと思いまして。」
「薬?」
思わず声を上げたのは、そこにいるはずのないソニアだった。後ろからリズが追いかけてくる。
「お嬢様、お待ち、下さい。」
ちょっと息を切らしたリズは珍しい。先程まで、ソニアは2階の部屋でお茶の時間を過ごしていたのだが、窓の外に人の声を聞きつけ、窓から玄関を見るや、猛ダッシュで部屋を飛び出したのだ。
そばにいたリズも同じく部屋を飛び出したのだが、追いつけなかったようだ。
「これは、ソニアお嬢様、お久しぶりです。」
真面目にキースは会釈をする。
「お久しぶりです、キースさん。あの、薬とは?」
再びソニアに尋ねられて、キースはオルトを見る。するとオルトは息を吐き、話を続けるよう促した。
立ち話も何だからと応接室に通され、リズが淹れた紅茶を飲みながら話し始めたキースの向かいにソニアは座っていた。
キースは笑うと目が一本の線になる何とも人懐こい顔をしている。少しウェーブの掛かった柔らかそうな栗毛の髪は彼の印象をより優しげにしていた。
薬とは、ジルが自作していたものだそうだ。傷薬から熱冷まし、様々な薬をキースの薬局に納めていたのをソニアは初めて知った。
オルトは知っていたようで、両手に持った小瓶や紙袋を入れた木の箱をキースに渡す。
「ありがとうございます。」
キースは木箱を机に置き、小瓶を手に取りお礼を言う。今渡されたのは薬である。
「ジル様がお戻りになってから、また薬をお願いしたいのですが、その前に、今回の薬の代金をお渡ししします。」
そして茶色のアトリエコートのポケットから無造作に小さめの革袋を取り出し、中身を出した。
金色に輝く正に金貨がざっと50枚ほど紅茶の置かれたテーブルに置かれた。
「わぁ。」
ソニアは思わず声を上げた。もともと、お金に関してはノータッチで育ってきたのだが、金貨の価値はわからなくても目の前にあるものはすごいものだと理解した。
リズは無表情のまま、オルトは難しい顔をしている。
「この代金の9割を占めるのが一人のお客様なんですが。」
何となく言いにくそうにキースが話すとオルトが続ける。
「オブシディアン家のご令嬢ですか。」
「はい。これがその薬で。今回作っていてくださって、本当に良かったです。」
小瓶の中から、ひときわ半透明に輝く液体が入ったものを持ち上げ、皆に見せてくれる。
「この薬の材料は珍しいものが使われているそうなんですが、作り方にも技量が必要だそうで、ここらではジル様しか作れる人がいないんです。ジル様は言ってたんです。自分の他にも作れる人を確保しようと。だけど、傷を治す軟膏や熱冷ましの飲み薬なんかは、ジル様程の効果はないにしろ、それなりに俺でも作れるんですが、この薬を作れる人はなかなか…。ちょっと前、ジル様が、薬の代金が入らないと領地の経営が回らなくなるって言ってたこと思い出して。ジル様がいなくてもどうにか薬を作れないか、作れないなら、他の方法でどうにかしないとって。薬の代金は今回で一旦終わりなんで。」
ソニアは一生懸命に話を聞いていたのだが、今ひとつわからない。困ってオルトを見ると、意を決するように姿勢を正した。
「これまではジル様が亡きルイ様の後任となり、領地の管理をされていましたが、ご不在の今、ソニア様にもこの領地のことを知っていただく必要があると私は考えています。」
「そうなのね、あの、それで、薬が作れないと領地がまわらないとは。」
やはり理解しきれていないソニアにキースが言う。
「今、この領地、領民である私達はジル様の作った薬のお金があるから、つつがなく暮らしています。これからこのお金が入ってこなくなったら、皆が暮らすためのお金が足りなくなるのです。」
わかりやすく伝えたつもりのキースだが、リズが聞いても言葉が足りない気がした。
ソニアといえば、頭を抱えてしばらくして、気を失ってしまった。
「うーん。」
段々と歪んでぼやけていく視界に、血相を変えたリズの顔が浮かんで消えた。




