『夢を見る、決意を知る』
夢を見ていた。
目醒めてほしくない、幸せな夢を見ていた。
私が思い描いた理想郷が、目の前に広がっていたから。
優しい風が頬を撫でて、彼女と似た白髪を靡かせる。
生まれた故郷の焼けるような風とは違う、心を癒してくれる優しい風。
決して感じることのできないこの風が、酷く残酷に感じてしまった。
「ねぇ、これがキミの望んでいた平和なの?」
私の目の前に立ち、この景色を眺める愛した人が、そう問うてくる。
顔の見れない後ろ姿を少しもどかしく感じ、けれど私と同じように白い髪を靡かせている君は、とても美しかった。
彼女の目の前に広がる花畑が揺られ、花弁が散る。
呼応するように小さな生き物たちが舞い上がり、楽しそうに……そこら中を走り回っていた。
「あぁ。決して実現しない、私の望む平和だよ」
嘆くように、諦めたように。
私はそうやってぼやいた。
ふと、眼前に花弁が降ってくる。
それを手に取ったのは良いものの、この花弁もまた、私の望みのように脆弱で、小さくて、質素なものだった。
ぎゅっと握り潰して、捨ててやろうと思った、自分の望みを見ているようだったから。
けれど、それを止めたのは亡きドラセナだった。
私の手を取り、まるで花弁を守るかのように、優しく熱を交わせてくれる。
「ダメだよ、自分の想いを捨てたら。キミらしく生きるための道導なんだよ?」
「……叶うことのない想いを道導にしては、ただ迷った末に破滅を迎えるだけだろう」
らしくもなく、私は強く反論する。
そうだ、そんな想いを道導にしてしまったから、私の心は砕け散ってしまったのだ。
君と一緒に在れる道導、そしてその先にある終着点。
不明瞭ながら、確かに君はその道を光で照らしてくれていた。
だが君が消えた今、その道すらあって無いようなものだろう。
俯く、ただ俯く。
君を殺してしまった自分に反論する資格すらないと思ってしまい、目を逸らす。
この罪の意識がある限り、私は絶対に幸せになるのを許されない。
これは私だけの罪であり、この夢はただの夢幻に過ぎず。
この全てを否定し、私は今まで殺した命のために贖罪をしなければならない。
この彼女の諭しすらも、打ち破らなければならない。
気づいた時、私は彼女の側から離れていた。
そうだ、決別しなければならない。
あの夢のような日々と、幸せから。
「君も私の知るドラセナじゃない。姿と声を真似て、彼女を騙るんじゃない」
逆手に生えていた刃が手の甲に倒れ、切先が彼女の偶像に向く。
花が枯れた、空が赤くなった。
小動物は腐り、骨が見え、ウジに喰われた。
けれど偶像は変わることなく、ただ私を見つめている。
一頻り考えるような素振りを見せると、もう存在しないはずの君は手の平を切先に当てた。
切先は容易く彼女の手の肉を突き破り、血を溢れさせる。
滴った血が、刃を濡らした。
「……うん、痛いね。やっぱり、そういうことなんだね」
「訳の分からないことを言うな。私を惑わすな。私を諭すな。ただ私が生み出しただけの幻如きに、私の何が分かる」
そうだ、私は誰にも理解されない存在だ。
孤独に眺められ、虚空を眺め、無気力に生き続けてきた。
彼女以外の人間じゃ、私のことを理解するなんて不可能なんだよ。
ましてや目の前にいるのは私が創り出しただけの理想に過ぎない。
生きていて欲しい願望が生み出した偶像に過ぎない。
「いいや、違うよ。キミは私で、私はキミなんだ。惑わすこともないし、諭すこともない。キミが私のことを理解できないように、私もキミのことが理解できないんだからさ」
「……いいや、そんなことはない。君は私のことを理解していた、理解していたから、私に世界の色を教えてくれたんだ。君がいたから、私は」
「私がいたからキミは苦しんでいる。これは決して揺るがない事実だと思うよ?」
見透かしたような瞳が、私の声を締める。
否定しようとした声が、溶けて消える。
『違うよ』『そんなことはない』と、頭が弱い私には自信の無い建前の否定だけしか生み出せなかった。
事実、彼女の言っていることは正しかった。
極論になってしまうが、私が苦しむ原因は彼女の存在があったからだ。
しかし、それはそれでこれはこれだろう。
「大丈夫だよ、ドラセナ。次はきっと上手くいくよ、私が保証する」
「そんな無責任な……」
「ふふ、そうかなぁ? だって私が言うんだよ?」
ずいっと顔を寄せて来たドラセナに、私はたじろいでしまう。
やっぱりこの独特の圧力は苦手だ、私は我が弱いから押し切られてしまうのがずっとだったから。
そうだ、そうだな、この圧力すら少しだけ愛おしかったんだ。
一体どうして、彼女のことをこんなに愛おしく思ってしまったのだろう。
「……分かった。君のために、私のために……今は少しだけ、君に甘えるよ」
「キミに甘える、ねぇ……自分に甘えちゃっていいの?」
「またそうやって揶揄う……私と君は違うだろ?」
「いいや、一緒だよ」
そう言うと、ドラセナは私に抱きついてきた。
私たちが初めて出逢った時と同じように。
彼女と同じぐらいになった体で抱きつかれるのは初めてで、なんと言えばいいか……母性を感じる、とでも言えばいいのか。
母が死んでしまったせいで、私が感じることのできなかったその感覚……今感じているのは、正にそれなのだろうか。
鼓動が重なる。
私と君の鼓動が連動し、互いに脈動し合う。
こういうのを一心同体と表現すれば良いのか。
……だが、もう感じられないのだと思うと哀しく感じる。
「キミも悲しいよね、分かるよ。でも、夢は覚めてこそ儚く美しいものなの」
「あぁ、そして……季節のように夢もまた巡るからこそ、尊く素晴らしいものなのだろう」
「ふふ、同じこと考えてる」
こつんと、ドラセナが額をくっつけてくる。
彼女の熱を間近で感じて、それが嬉しくて堪らなくて……夢だと思うと、胸が張り裂けそうで。
「私は、私は……君のために生きるよ、ドラセナ」
「そう? 嬉しい告白だなぁ……健やかにね、ドラセナ」
だけど、もう哀しいと、寂しいと思うのはやめる。
無いもの強請りもやめて、過去に囚われるのもやめる。
だって、私はドラセナなんだから。
「……おやすみ、ドラセナ」
「うん……そしておはよう、ドラセナ」
この淡く儚い夢を。
一つの本として、記憶に留めるとしよう。
今はただ、彼女のために安らかな祈祷を。
遂に、目が醒めた。