『嫌いと人を知る』
一体どれほど泣いたのだろう。
声をひたすら押し殺して、ぽろぽろと涙を零し続けて、それが何分も、何十分も続いて。
いいや、声なんて押し殺せていない。
嗚咽と悲鳴が混じった慟哭、自分からこんな声が出るなんて思いもしなかった。
気付いた頃には流してた涙が枯れてしまっていた。
泣き腫らした目が、少し痛い。
「……寒い」
水気を帯びた頬に風が当たって、冷たい。
冷たくて、寒くて、寂しい。
あんなに綺麗だった景色が歪んで見えてしまうのに、胸が酷く痛く感じてしまう。
ドラセナ、この景色を君に見せなきゃいけない。
だけど私では、君の姿を模した私では見せれたことにはならない。
どうやったら君はこの景色を見れるの?
今すぐ洞穴にある墓から掘り起こせば、君は起きてくれるのか?
私を毎日揶揄ったように『なんちゃって』とでも言いながら、泥塗れの姿で出てきてくれるのか?
「そんなことあるわけない、だって……」
決して訪れることのない望み。
その望みを絶ったのは私自身だった。
だって、この腕に抱いた君の体は冷たかったから。
「私が、殺しちゃったから……」
背に這いずり回る罪悪感が吐き気を催す。
後ろ指を指されるような感覚が気持ち悪い。
お前のせいだ、お前が殺したんだと、記憶の中の私がそう訴えかけてくるようで、頭がおかしくなりそうだった。
お前が幸せを奪った。
分かっている、だけど彼女にとってはあのまま生かせば不幸だったじゃないか。
お前があの一時を裏切った。
そうでもしなきゃ彼女はもっと苦しんでいた、あれは仕方がなかったんだ。
お前が治せれば良かった、もっと早く気付けば良かった。
あぁ、そうだ、そうだとも。
私が彼女のダンジョン病にもっと早く気付ければ、きっと彼女は死なずに済んだだろうよ。
お前がドラセナを殺したんだ。
「……私が、いなければ」
私がいなければ、ドラセナはドラセナのまま生きれたのに。
私がその名を引き継いでしまったから。
全部、全部私のせいで、彼女は死ぬ運命を辿ってしまったんだ。
私さえ、私さえいなければこんなことには。
「う、あ……ぐ、ぅ……っ!!」
枯れたはずの涙が零れる。
無意識の内に、刃は首に当てがわれていた。
首に走る微弱な痛覚が脳に伝わる。
このまま振り切ってしまえば、私の首は断たれる。
そうすればきっと、また彼女に逢えるかもしれない。
ドラセナは私にこう教えてくれた。
死後にある世界を、私は虚無そのものだと思っていた。
しかし人間たちは、その死後の世界に二つの世界を創っているのだ。
安楽に満ちた天国と、刑罰を刻む地獄。
きっと彼女は天国に行っただろう、あんな良い人が地獄に行って良い訳がない。
だけど、私はどうなんだろう。
いろんな生き物を殺して、沢山食べた。
骨すら残さず、味がおかしい内臓も食べた。
殺すことに大した躊躇いもなく、彼らの生きた証をひたすらに呑み込んだ私が天国に行けるのだろうか?
考えなくとも、答えは出てしまう。
思えばここ最近は何も食べていない。
空腹も感じなくなったし、不思議と体も軽い。
体は軽いのに、胸だけは重苦しかった。
相反する感覚はどう足掻いても慣れないもので、自覚したら気持ち悪く感じる。
このまま飢えて死ねれば贖罪と捉えられるだろうか。
いいや、それ以上の命を私は奪ってしまったのだ。
この程度では生ぬるい、なら善行を重ねるべきだろうか?
しかし結局喰らうのをやめれる訳ではないから、幾ら善行を重ねても無意味だ。
何をしても意味がないこの八方塞がりな状況に、私は気が狂いそうになった。
「……」
気付いた頃には、刃は私の首から離れていた。
微かな血に濡れたそれが、愚かな私の顔を映す。
ドラセナの顔であって、ドラセナじゃない。
彼女はこんな顔をしない、する訳がない。
私じゃドラセナになれないよ。
「疲れた、なぁ……」
一つ、彼女らしくない声が漏れた。
心の底からくたびれてしまった声を、出してしまった。
初めてした約束事が、あまりにも馬鹿らしく感じてしまうほどに。
あの時『あなたにはなれない』と言えれば、どれほど楽に生きれただろうか。
呪いと揶揄してもいいこれは、私の首を容易く締め上げれるのだから。
その首枷さえ無ければ、こんなことにはならなかった。
もういっそのこと、この地で飢えて死んでやろうか。
約束など放り投げて、このまま地獄に堕ちた方が楽なのかもしれない。
あぁ、そうだ、そうしよう。
それが私を生かすための行為であり、私の選択でもあるのだから。
「……お腹、空いた」
ぽつりと、弱音を吐いた。
「へぇ、お腹が空いてるのね。ここら辺は確かに食糧が無いし、迷ったら命取りでしょうからね」
「っ!?」
突然後ろから聴こえた声に、私は過敏に反応を示した。
気配すら察知出来なかった、もしこのまま後ろから刺されたら間違いなく危なかった。
空腹と疲労で霞んだ視界の中に、そこにいるであろう声の主の輪郭をはっきりとさせる。
極度の臨戦体勢による集中力は、眼前の生物の動きを少し遅くしていた。
「そんなに驚かないで頂戴、取って食ったりはしないわ。そもそも食べたら共食いでしょう」
「君は、誰」
「誰、と言われても……ただの探究者シーカーよ、フリーランスの」
「シー、カー……」
シーカーと云う単語に、私はドラセナとの会話を思い出す。
深淵の探究者、もといシーカーはダンジョンの情報収集を主に活動する役職だと。
人間には様々な役職があって、その中でもシーカーはダンジョンの攻略において最も重要な役職らしい。
情報こそが命を繋ぐ、と言ってただろうか。
情報があっても死ぬ時は死ぬと思ったが、ドラセナはそうは思っていないようだった。
「シーカーを知らないのかしら、とんだ箱入り娘さんみたいね。見た目からして熟練の冒険者だと思ったんだけど」
「……それ、嫌味? そういう言葉遊びは嫌い」
「気に障った? 別に嫌味でもなんでもないでしょう、この程度は戯れよ」
『む……』と、眉間に皺を寄せながら、怒りに塗れた声を出すのを我慢する。
こんなことを言ってしまってはダメだが、私はややこしい言葉遊びが嫌いだ。
その中でも特に嫌味は群を抜いて大っ嫌いだ。
すごく言い方が悪くなってしまうが、さも自分が賢いような喋り方をしているようで、本当にすごく腹が立つんだ。
だから目の前にいるこの女は、私にとって喋りたくないぐらい嫌いな相手ということになる。
「……まず、名前から名乗るのが礼儀。私はドラセナ、あなたは?」
「随分と律儀な人ね……そんな怒った顔をしないで頂戴。アイバ・ホウセン、私の名前よ」
「アイバ・ホウセン……珍しい名前だね」
「えぇ、生まれは結構外れの地域だから。『イア』と比べて、文化もかなり違うのよ」
本で読んだ人たちの名前とは一色違う名前に、私は少し驚嘆する。
証拠に、アイバの生まれは『イア』から離れた位置だった。
『イア』はダンジョンの入り口を取り囲むように建造された都市……だっけ、詳しい話はドラセナにちゃんと聞いてないから分からない。
冒険者とか、いろんな人がダンジョンに潜るために設計された都市だって聞いたことはあるけど……。
それに、輪郭がハッキリとし始めたアイバの見た目を見れば合点も行く。
今までいろんな冒険者を見てきたけど、アイバの服装はそれらと明らかに趣旨が違っていた。
あの紫と黒を基調とした服は和服……着物という奴だろうか、それに顔につけてるのは眼鏡……丸いレンズは初めて見たかも。
ドラセナがくれた本で服とか眼鏡の種類は見たことがあるけど、アイバが身に付けてるものはかなり珍しいものばかりだった。
髪も……今までの冒険者とは違う真っ黒で長い髪、瞳だって紫色だし、人種というやつが違うのだろうか?
「ところであなた、見たところ冒険者のようだけど……その装備は何?」
「そう、び?」
「えぇ、その腕につけてる刃物や服についてよ。そんじゃそこらの工房で製造される装備じゃない……どこで造ったの?」
「いや、えーっと、これは……」
不味い、これはとても不味いことになった。
アイバはどうやら私のことを人間だと思い込んでるみたい。
つまり、もし私がモンスターだとバレて敵対でもされたら、私は彼女を殺すか生捕にする選択を取らなきゃいけない訳だ。
ドラセナから一つ、とっても怖い話をされたことがある。
人間は強大なモンスターや珍しいモンスターを目にすると、血眼になって狩りをするらしい。
なんでも、そんなモンスターから取れる素材はとても希少で、お肉を沢山食べれるぐらいのお金が稼げるんだって。
ドラセナは私のことを『強くて珍しいモンスター』と言っていたから、もしバレたら私の鱗が沢山剥がされてしまうと笑いながら言っていた。
鱗を剥がされるなんて、裸を見られるのと同じだ。
手段として挙げはしたけど、殺したくはないし生捕も物騒過ぎる。
一番の解決策はなんとか誤魔化し切ることだ。
最悪人の手が届かないところに逃げればいい、とにかく裸になることだけは絶対に嫌だ。
それだけは、それだけはなんとしても避けたい。
「……落ち着きがない子ね、やましい装備なの?」
「そ、そういう訳じゃない! これは、そう! モンスターから直接取った装備なの!!」
「モンスターから直接? にしては服みたいに着れて、かつ武器と連動してるだなんて……随分と都合が良い形状をしたモンスターじゃないの」
「え、えぇ〜っと……人型モンスターだから、そのまま剥いで使ってるんだ!」
「じゃあその腰に生えてる翼は? アクセサリーにしては邪魔じゃないの?」
「これ、は……ぶーむ! 流行りなの、冒険者の!」
自分でも分かるぐらいには無理があり過ぎる言い訳に、心の中では強過ぎる呆れを感じていた。
自分の語彙力の無さと演技力の無さを悲しく思う。
さっきまであんなに敵対的なのに、いきなりこんなに挙動不審になったら怪しまれるに決まっている。
『ブーム』っていうそれらしい単語も使ってみたけど、絶対に意味が噛み合ってない気がする。
現にアイバはあからさまに唖然としている、もうこれ以上誤魔化しても意味がない気がしてきた。
さて、どうしたものかと頭を回転させる。
しかし回転させればさせるほど、逆に答えが遠のいてしまう。
もういっそのこと本当のことを言ってしまおうか、と考えた時だった。
アイバは無造作に黒い手袋をつけ始め、私の元へと向かってくる。
まさかバレてしまったのか、と思い、構えてしまった。
だが、アイバは私に『落ち着いて』と宥めるように優しく言い、私はそれについ応えてしまう。
すっと肩の力を抜き、近くに寄ってきたアイバをまじまじと見る。
私の刃に触れたり、手を取って鱗を何度も摘んだり、ちょっと弾いたり。
むず痒い感覚に対し、唇を噛んで耐え忍ぶしかなかった。
少しずつ、少しずつ我慢の防波堤を越えんとするむず痒さが訪れる。
波がどんどん大きく、大きく……もう越えそうになって、ぎゅっと瞳を閉じてなんとか我慢をしようとした。
真っ暗になった視界、腕に感じるアイバの熱。
その熱が早く消えるのを祈っている時間は永遠と感じてしまうほどで、とにかく終わってくれと思うことしかできなかった。
しかし、それは突然と訪れる。
腕に感じていた熱が消えた、むず痒さが消えて。
ほっと、息を漏らそうとした瞬間だった。
柔らかく、さっきよりも熱い感触が唇に、口の中に広がる。
「ん、ん……っ!? ふ、う……ぁ!」
無意識に止めていた呼吸を再開しようとして、それはアイバに遮られた。
何をされているか分からない、とにかく口の中の感触がおかしい。
ぬめりと舌を絡み取られるような……頭がどんどん熱くなって、思考が朧げになって……。
それに連れて、体の力もどんどん抜けて……私の体は、ぽつんと地面に尻餅をついた。
まるで私の体じゃないみたい、これはなんなの……?
「ふぅ……お初の接吻だったらごめんなさいね。私、生まれつき少し特殊な体質でね、あなたに少し毒を分けたわ」
「ど、く……? わたしに、なに、を……」
「死ぬほどの毒でもないし、障害が残る毒でもないから安心して。大丈夫、今話すことも全部、目覚めた時には全て忘れるから」
不足した酸素をなんとか取り込もうとしながら、アイバの話を聞こうとする。
毒だとかなんだとか、もう何が何だか分からない。
アイバの声もぼやけてしまって……頭が、やわらかく……。
「私はあなたを疑った、たったそれだけ。今から私の質問に素直に答えなさい、人間かどうかも怪しい冒険者さん」
「ぅ……あ……」
私の顎を指で持ち上げたアイバの眼は、私の奥底を見ようとしていて。
それを最後に、私の視界は歪んで滲み、暗転した。
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